母の日に贈る香りを

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母の日に贈る香りを

「こんばんは、予約の佐藤です。カーネーションをいただけますか?」

「いらっしゃいませ。毎年欠かさず親孝行ですね」

「いえ、そんなことは……親不孝な娘でしたから」


 俺が経営している花屋には常連さんがそこそこいる。佐藤さんはその中のひとりだ。月に数回いらしていただいて、色々な花を買っていく。よほど花が好きなんだろう。


 とくに毎年母の日には決まってカーネーションを買っていく。生花ではなくプリザーブドフラワーだ。特殊な溶液に漬け込むことで、美しい姿のまま長持ちするプリザーブドフラワーはうちの店の主力商品だ。


 問屋から仕入れず、予約制でオーダーに合わせたものを作っている。見た目だけでなく、アロマオイルを仕込んで希望に合わせた香りもつけている。


「ああ、いい香り。やっぱり新しいものは違いますね」

「ありがとうございます。シキミの香りなんて他に注文される方もいませんから、毎年作りたてのオイルを使ってるんですよ」

「すみません。お手間を掛けてしまって……」

「いっ、いや、そういう意味じゃないんです! アロマを作るのも好きですし、勉強にもなるので!」


 申し訳なさそうにする佐藤さんに、俺は慌ててしまう。別に嫌味が言いたかったじゃない。むしろ逆だ。佐藤さんのために特別に対応していることを伝えたかったんだ。


 花束を持つ佐藤さんの左手をちらりと観察する。よかった、今日も薬指には指輪がない。彼女がこの店に来るようになってもう5年。いつかは想いを伝えたいと願いながら、花屋の店主と客という関係から一歩も踏み出せていない。今日こそは、今日こそはと内心で焦れながら、現実には何も出来ていなかった。


「そ、そういえば、どうしてシキミがお好きなんですか?」


 わざとゆっくり包装しながら、間を持たせるために佐藤さんに話しかける。


 一説によればシキミの語源は「悪しき実」で、猛毒を持つことからそう呼ばれたらしい。関西方面の仏事でよく供え物とされるのだが、もともとは遺体を狙う野生動物を近づけないためだったと言われている。おまけに花言葉は「猛毒」「甘い誘惑」などとずいぶんと物騒だ。


 そんなわけで本来プレゼントに向くものではないのだが、肉厚で光沢のある葉が他の花を引き立てるので、うちの店では定番にしていた。添え物のグリーンの花言葉にまで気を遣う客はそうはいない。


「そう……ですよね。シキミってお線香の原料なんでしたっけ? そんな香りが好きだなんておかしいですよね」

「あのっ、いや、そういう意味で聞いたわけじゃなくって。ぼ、僕も好きなんですよ、お線香の匂い!」


 ああ、またやらかした。

 佐藤さんと話すときはいつもアガってしまって余計なことを口走ってしまう。こんなだからこの歳になるまで恋人のひとりもできなかったんだ。


 初めて出会ったときの佐藤さんは少しやつれていて、まるで萎れかけた白百合のようだった。その弱々しくも美しい姿に、俺は一目惚れしてしまったんだ。


 そういえば、最初に花を買いに来たのも母の日で、そのときはカーネーションの他に「香りの良い花を」と頼まれたんだった。バラやスズラン、そしてシキミと合わせて花束を作ったことをよく覚えている。


「じつは……最初は臭い消しのためだったんですよね」

「ああ、香水や消臭剤はダメだっておっしゃってましたよね」

「ええ、そういうのは苦手みたいで」

「わかります! 僕もそうで、アロマを始めたのも天然の自然な香りをお届けしたいなっていうのもあって!」


 ついつい前のめりなってしまった。佐藤さんは少し暗い表情をしている。ああ、また何かやらかしてしまったようだ。俺には他人の気持ちを察せられないところがある。


「その……5年前は母の状態が悪くて……。こんなことをお話するのも何なのですが、臭いが……その……」

「お母様のお加減が悪かったんですね……」


 末期の病人には独特の臭いがある。俺の母親も死ぬ前には死臭としか言いようのない臭いを漂わせていた。本人が気がつけば当然傷つく。あからさまに消臭剤などを使うわけにもいかず、ずいぶん弱った記憶がある。


 さっきは格好をつけたが、俺がアロマを本格的に始めたのはその臭いを打ち消そうとしたのがきっかけだ。シキミからアロマオイルを作るなんて変わった技術を身に着けたのも、その香りが死臭に対して効果覿面だったからだった。


「でも、いまはすっかりよくなって、臭いなんてすっかりしなくなったんですよ。でも、習慣って不思議なものですね。いまはシキミの香りがしないとなんだか落ち着かなくて」

「ああ、定番の香りができちゃうとそうなりますよね。すごくわかります」


 おべんちゃらじゃなく、実際俺もシキミの香りに妙に安らぐようになっていた。


「し、シキミの香りが好きなんて、お互い珍しいですよね」

「そうかもしれませんね。お花屋さんがシキミがお好きでよかったです。そうでなければ、シキミのアロマオイルなんて作っていただけなかったでしょうし」


 佐藤さんがにっこりと微笑む。胸がきゅっとなり、頭の芯がかっと熱くなる。舌がもつれながら、勝手に言葉を紡ぎ出す。


「よ、よかったら今度、お食事でも行きませんか!? あ、いや、その、へへ変な意味じゃなくて、シキミの……その、アロマオイルの作り方とか、そういうの教えますんで!」


 佐藤さんの目が丸くなり、表情が固まった。

 ああ、何をやってるんだ俺は。どうしたって不自然だろうが。母の日のプレゼントを買いに来た人をデートに誘うやつがあるか。完全にしくじった。この場から走って逃げ出したい気分だ。


 完全に終わった……そう思ったときだった。


「そうですね。ぜひ教えてください。予定は――」


 佐藤さんの顔が、再びにっこりと微笑んでいた。



 * * *



「ただいま」


 私は玄関のドアを開け、真っ暗な家の中に呼びかける。返事はない。手探りで明かりをつけ、リビングへ入る。


 リビングのテーブルには母が座っている。その目の前に、今日買ってきたプリザーブドフラワーを置く。お線香に似た香りがふわりと漂った。母の周りは無数の乾いた花々で囲まれている。


「ねえ、お母さん。デートに誘われちゃったんだけど。どうしようか?」


 母の返事はない。昔からしつけに厳しく、男女交際の相談なんてしたら烈火のように怒り狂い折檻をしてきたものだが、いまはぴくりとも動かない。


 5年前もそうだった。会社で知り合った男性と交際していることが知られ、母から数日にわたってなじられた。会社に電話をされ、退職させると喚き立てられた。彼に電話をされ、二度と私に近づくなと釘を刺された。家から出してもらえなかった。会社からは解雇通知が届き、彼には着信拒否をされた。


「お前は男がわかっていない」

「結婚したら、みんなお前の父親のようになるんだ」

「ふしだらな女め」

「どうせ騙されているだけだ」

「お前は悪霊に憑かれている」

「悪霊の臭いがぷんぷんする」


 そんなことを言われ続けたような気がする。


 気がつけば、母は椅子に座ったまま動かなくなっていて、私は包丁を流しで洗っていた。母は何日経っても動かないままで、お風呂にも入らないものだから悪臭を漂わせるようになっていた。


 どうしたものかと悩んだ。


 臭いから風呂に入ってくれと言えば怒るだろう。香水や消臭剤は母が嫌う。化学物質は人類を堕落させるために悪魔が生み出したものなのだそうだ。なんとか母の機嫌を損なわずに臭いをごまかす方法はないだろうか。


 そんなとき、街中で花屋を見かけた。

 母の日と書かれたのぼり。店頭に並ぶカーネーション。

 そうだ、母の日のプレゼントなら母も怒らないだろう。


 私は花屋に駆け込んで、カーネーションと他に香りの強い花で花束を作ってもらうよう頼んだ。お花屋さんはすごく親身になってくれて、大汗をかきながら花束を作ってくれるのがなんだかちょっぴり可笑しかった。


 この作戦は成功して、花を置いても母は何も言わなかった。


 味をしめた私は、それからちょくちょく花を買っては母にプレゼントした。梅雨時の母はとくに臭いがひどかったけれど、熱中症予防だと言い聞かせてエアコンをで除湿を続け、花を増やすことでなんとか耐えられた。


 とくにシキミが効果的だとわかってからは、不自然にならない程度にそれを混ぜることにした。


 そうこうしているうちに母はあまり臭わなくなった。そして小言も言わなくなった。きっと、悪霊に憑かれていたのは母の方だったんだろう。臭いとともに悪霊が去ったんだ。


 しかし、習慣というのは面白いもので、その頃には私もシキミの香りがないと落ち着かなくなってしまった。それをお花屋さんに話したら、シキミの香りがするプリザーブドフラワーを作ってくれるようになった。


「ねえ、お母さん。もしも、もしもだよ?」


 母は何も答えない。


「私に素敵な人ができたら、お母さんに紹介してもいい?」

 

 母は何も答えない。


 これまでずっと厳しくしていたから、いまさら嬉しいだなんて言えないんだろう。悪霊が去ったのだから、私の幸せを願ってくれているに違いないのに。


 母には昔からそういう意固地なところがあった。いまの母はもっと意固地になったのか、プリザーブドフラワーみたいに時が止まっている。


 何も言わないと言うことは、問題ないということだろう。

 私はクローゼットを開けて、お花屋さんとのデートに着ていく服をじっくりと選び始めた。


(了)

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