異世界管理れもんちゃん

鶏烏賊

第一話 れもんちゃんがやってきた

 とある町の、とあるマンションの1LDKの一室。そこは、今年の春に高校一年生になる、メガネをかけたTシャツ半パンの少年、吉井良太よしいよしたの新生活を過ごすための部屋だ。


 良太は二日ほど前からここに入居し、一人暮らしを始めていた。

なぜなら、入学する高校が実家から遠く離れたため、そうする必要があったからだ。


 そして、この二日間で荷解きや家具の配置などの引越し後の作業を終えていた彼は、完成した自分だけの空間というものを満喫していた。


「やることはやったし、今日からここが僕の城だ!」


 彼はそう言うと、伸びをしてから机に突っ伏す。


 彼が居るのは六畳間の和室の中で、そこにある学習机に座っている。


「高校に入学したら、彼女……できるかなあ」


 そんなことをつぶやいた良太は、『春眠暁を覚えず』といった感じで目を閉じる。


 しかし、その時──。


「残念ながら、このままではできないよ。君は、明日には死んでしまうからね」


 そんな女性の声が聞こえ、驚いた良太は勢いよく顔を上げるのだが、何故か同時に勢い良く開いた学習机の引き出しに押し出されてしまう。


「うわあっ!?」


 押された勢いで、良太は椅子ごと背後のリビングへとつながる襖の方へ勢いよく移動していく。

止まらないのは、椅子がキャスター付きのものだからだ。


 それから、ズボッという音がして、椅子だけが倒れる。良太はどうやったのか、頭から襖に突っ込み、腰まで刺さったままの状態になっていた。


 良太がその状態からもがき暴れると、襖が鴨居と敷居から外れ、彼の足側の方へゆっくりと倒れていく。

それでも何とか地に足をつけた彼は、バランスを取ってそのままゆっくりと立つ。


 新居の襖を壊し、腰に装備した男の出来上がりだ。


「とほほ、なんてこった……」


 良太は突然の出来事に泣きそうになるが、こうなった原因を突き止める為、学習机の開きっぱなしの引き出しに視線を向ける。


「なんなんだ? 一体……」


 するとひょこり、と黄色い、おそらくは金髪の人の頭頂部が引き出しから出てくる。


「ええ!?」


 驚く良太を待たず、引き出しからゆっくりと出てくるそれが正体を表した。


 ──それは小柄で、金髪のおさげで、透き通るような青い目の、可愛い顔をした、上下に青いジャージを着た女の子だった。


 しかも、彼女は宙に浮いていて、引き出しから完全に出るとそれを足で行儀悪く閉め、ふわりと机の上に腰掛けた。


「こんにちは、君が良太くんだね? ぼくは、れもんっていうの! これからよろしくね!」


「は?」


 良太は激しく戸惑っていた。


 自分の、まだ何も入れていない学習机の引き出しから、謎の少女が浮かびながら出てきたという状況が理解できないのだ。


「な、なんなんだ、君は! それに……よろしく? よろしくって、何を!?」


「異世界の管理を、だよ!」


 れもんはそう言うと机からぴょんと降り、良太の方へと近づく。近づくといっても、間に襖があるので少し遠いのだが。


「ぼくは異世界を管理する女神なんだけど、その管理が大変になってきてね……サポート役に君を選んだんだ」


 れもんはそう説明すると、良太が突き刺さった襖を掴み、「ほら、バンザイして」と続けた。


 その言葉に従い良太が両手を上げると、れもんは小さな子供からシャツを脱がすように、襖を彼から取り外す。


「あ、ありがとう…………」


 良太がお礼を言うと、れもんは「どういたしまして」と、笑いながら返す。


「────って!? 女神さまだって!?」


 ずいぶんと遅れてからそんな反応をした良太は、大声を出す。それに対して、れもんは微笑みを浮かべ、襖を頭の上に持ち上げたまま彼を見ている。


「そう、異世界の管理を担当している、ね。君も、異世界転生っていうの、聞いたことがあるだろ?」


「えっ、えっ、で、でも、そんなことをいきなり言われても……信じらんないよ!」


 この、引き出しから出てきて宙を浮かび、女神を自称する少女が自分の目の前に現れたという状況を、良太は夢ではないかと思い始めている。


 しかし、彼は先程襖に突き刺さった際に、少し痛みを感じていたので、夢ではないことはわかっていた。


「うーん、どうしようかな……そうだ! じゃあ、この襖を直してみせよう!」


 れもんはそう言うと襖を元の場所に戻し、先程まで良太が突き刺さっていた跡である大きな穴に手をかざした。


 ──すると、次の瞬間。


 襖の穴が不思議な光に包まれ、見えなくなっていく。

そして次第に光は消えていき、そこが見えるようになると、穴はすっかりなくなっていて、完全に元に戻っていた。


「え……あ、穴が塞がった!? す、すごい! どうやったの……!?」


「この襖の時間を戻したんだよ。まあ、女神だからこのくらいは朝飯前さ!」


 そう言うと、れもんは得意げにふんぞり返る。一方、良太は驚いて腰を抜かしてしまっていた。


「どうだい? これで、信じてもらえるかな?」


「う、うん……本当に女神様なんだ……」


 良太は、目の前の少女が女神様であるということを信じ切ってしまう。彼は疑い深い性格ではないのだ。


「でも、どうして僕をえらんだの? どうして引き出しから出てきたの? 異世界の管理って何? ────っていうか、僕、死ぬの?!」


 良太から出てくる矢継ぎ早な疑問がれもんを襲う。


 それを聞いて、彼女は少し苦笑いをしながら口を開く。


「まあまあ、落ち着いて。とりあえず、ぼくがどういう存在なのかってところから説明するね」


 れもんはそう言いながら、先ほど直した襖の近くに倒れている椅子を起こし、そこに座る。


「まず、この世界から見た別の世界……いわゆる異世界を創造し、そこを管理すること。それがぼくに与えられた役割なんだ」


 それを聞いて、良太は本棚の中にいくつかある異世界転生モノのライトノベルの背表紙を見た。


「管理っていうのがよくわからないけど、死んじゃった人を異世界に送ったり、チートスキルを与えたりするみたいなことなのかな?」


 その言葉に、れもんは「うん、その通り!」と言うと、良太の方へ椅子のキャスターを転がして近づき、彼の手を取った。良太は見た目可愛らしいれもんに手を取られ、ドキッと心臓を鳴らす。


「ただ、異世界へ人を送るには死んだすぐのタイミングじゃないとダメだったり、異世界へ送った人が大きな問題を起こしたときに対処しなかったりだとかで、毎日忙しいんだ……」


「へ、へえ……」


 良太はあまりピンときてはいなかったが、とにかくそれが忙しいということはわかったので、とりあえず相槌を返した。


「それで……サポート役っていうのに、どうして僕を選んだの……?」


「うん、それはね……さっきも言ったように、君は明日死んでしまって異世界転生する予定だったんだ」


 それを聞いて良太は驚愕する。自分が死んでしまうという事をはっきりと言われ、そうならずにはいられなかったのだ。


「え、え? な、なんで? 僕が、死ぬなんてわかったの……?」


「うーん、まあ、運命として決まっていたって感じかな……僕は、ある死神にそれを聞いて知ったんだ」


 れもんはそう言うと、良太の手を放し少し離れる。


「死神?」


「うん、それでね……僕は思いついたんだ」


 良太は、その死神という単語に疑問を言葉にするも、それに答える気は無いようで、れもんは別の話を続ける。


「君を死なせず、生かしておいて、この世界と異世界の両方で、ぼくのサポートをする存在に仕立て上げよう……ってね!」


「……? つまり、どういうこと……?」


 良太は、全く意味がわからないという顔でれもんを見る。それに対してれもんは、これから説明するから、という感じで左手の人差し指をくるくると回しながら、再び口を開く。


「君が死ぬことは決められていて、異世界へ行く認可が降りている。いわゆる、こっちの世界で外国へ住むときに使う、ビザみたいな物だね。それで、もう後は君が死ぬだけなんだけど……そこで! 君をこのまま生かして、この世界と異世界を自由に行き来できる存在を作り、ぼくの仕事に協力してもらおう! ってこと!」


 良太は、その長々としたれもんの説明を聞いて、様々な思いがあったが、とりあえずひとつ聞いてみることにした。


「それっていいの?」


 そう、なんというか、グレーゾーン的な、なにかスレスレな感じが、良太には感じられたのだ。


「……まあ、前例は無いし、バレたら目茶苦茶怒られるかもしれないけど……でも、もう、君の魂をどうするかというのは、ぼくが決められるようになってるから……」


 れもんは少し目をそらしながら、良太にそう答える。


「それに、君もこれから新生活が始まるというのに死にたくはないだろ? 彼女だって欲しいはずだよ?」


「それは……そうだけど……でも、異世界での生活も、興味あるといえば……あるんだけどなあ……」


 良太は再び本棚の異世界転生モノのラノベ、『異世界へ転生したら、ハーレムと無敵のスキルで人生が最高潮だったが、俺と同じ顔と身体をしたドッペルゲンガーが現れて……?』等を見る。


 その本の内容は置いておくとして、良太は異世界転生という現象に、少なからず興味があった。もし、自分が異世界転生できたら、どんな存在になれるのかと。


 そんな良太の発言と視線の先を見て、れもんが何かを思いついたようで、手をポンと鳴らす。


「それじゃあ、君が転生する予定だった世界を見てみるかい? それから、このまま死ぬか、生きるかを決めると良いよ!」


「え?」


「そうと決まったら善は急げ、だね! さっそく行こう!」


 れもんはそう言うと学習机の引き出しを開け、手をかざすと引き出しの中に何か不思議な空間が出来たようだ。


「待ってよ! それは! まずいよ!」


 良太は何故か、そんな言葉がとっさに出る。


 しかし、れもんはそれに、どこ吹く風といった感じで、良太の手を引き引き出しの中へと入ってしまう。


「うわあ! なんだここ!」


 良太が手を引かれ入った空間は、極彩色の何も無い奇妙な空間だった。


 良太は、その空間をすいすいと泳ぐように移動していくれもんに引っ張られ、少し酔ったように気持ち悪くなりながらも、なんとか吐かずに耐えている。


「この空間は、異世界への……ネットワーク的なところって説明しておこうかな。ここからぼくが創ったいろんな世界にアクセスできるんだ!」


「ぞ、ぞゔなんだ……ちょっと、もう、通りたくないかも……」


「ええ!? もし、ぼくの手伝いをするのなら、頻繁に通ることになるけど……まあ、そのうちなれるさ!」


 良太は、この気持ちの悪さに、「絶対に手伝いなんかするものか」と思ってしまう。


「そろそろ着くよ!」


 奇妙な極彩色の先に光が見えると、そこへとれもんは入っていき、不思議な空間が終わる。それに、良太は安堵し、ホッとため息をつく。


 そして、次に良太が見たのは、青々とした緑の大地に、綺麗な湖や海が広がる、はるか上空から見る異世界の大地だった。


「す、すす、すごい! これが異世界? ……っていうか! 飛んでる!?」


「大丈夫! ぼくの手を放さなければ、死なないから!」


 今、良太とれもんは、飛ぶ、というか、ゆっくりと地へ落ちている。まるで、創作の中の空を飛べる存在が、地へと舞い降りるような感じで。


「うわあ! すごい! 綺麗な世界!」


「…………そうだね!」


 そんな景色に感動しながら、良太はれもんと共にゆっくりと地面に足を着ける。辺りを見回せば、一面の緑だった。


「すごいね! こんなに緑が豊かだなんて!」


「……でしょ! ここは、『オーソドックスな剣と魔法の世界』だよ! まあ、よくあるヤツだね!」


「へえ……! いいじゃないか! こんな世界なら、今すぐにでも……」


 良太が、「ここに転生したい」と言おうとしたとき。ドシン、と大きな音が響く。


「うわ! 何? この音は!?」


「あ……この世界の、最強種が来たんだ……」


「ええ!? 大丈夫なの!?」


「大丈夫! 基本的に、自分の創った世界の生き物に、ぼくは負けないから! でも、君は普通の人間だから、チートアイテムの『ムテキテキサスハット』を被せておくね!」


 れもんはそう言うと、先ほど引き出しの中に作ったような空間の穴の中から、テキサスハットを取り出し、良太の頭に被せる。


「大丈夫なの……? これ?」


「大丈夫! これを被っておけば、この世界で傷つくことはないよ!」


 そんなやり取りをしている間に、ドシン、という音が、良太達の近くへとやってくる。


「来たよ……! この世界の最強種にして、彼らを神と崇める大きな宗教まである存在……!」


 良太は、ゴクり、とつばを飲む。もしかしたら、彼がこれから暮らすかもしれない世界の最強種。そんな存在へ対して、良太の緊張感が高まるのだ。


 そして、それはゆっくりと姿を表した。まず、背が高い。三十メートル程あるのではないだろうか。


 そして、良太はその生物のあまりに奇特な姿に、声を漏らしてしまう。


「……なんだぁ? ありゃあ?」


 それは、人間の男性上半身に、馬の下半身を持つ、いわゆるケンタウロスというやつだった。


 しかし、ただのケンタウロスではない。十数体ものケンタウロス達が、馬の下半身の部分で重なり、タワーのようになっているのだ。


 そして、そのタワーは、歩く度に大きなズシン、という大きな音を出している。しかし、そのタワーは揺れるどころか、とても安定しているのだ。


「あれは、この世界の最強種、『ケンタウロス・タワー』だよ!」


「え? あれが?」


 良太はその安直な名前には触れず、素直な疑問を口に出した。何をどうしたら、あれが最強なのかを聞きたいのだ。


「そもそも、なんでタワーなの?」


「ああ、あれは、こ、交尾しているんだ……」


 れもんは少し答えにくそうにしながら、そう言った。


「交尾……? オスしかいなくない?」


「ああ、馬の部分には、雄雌があるんだ……」


「なんでタワーになるの?」


「彼らの生殖は、上に重なっていくということだけで、いわゆる生殖器を必要としないんだ……ただ、重なるだけ……」


「なんで三匹以上……」


「ああ、もう! わかった! 一気に説明するから!」


 良太の質問攻めに嫌気がさしたのか、れもんはそう言ってから一度深呼吸をすると、口を開く。


「彼らは『ケンタウロス・タワー』と言って、この世界の最強種だ! その特徴は、何と言っても、上に何体も何体も重なっていくこと。それは、交尾の為で、彼らは生殖器でそれらを行うのではなく、ただ、重なるだけでできるんだ。そして、重なってさえいれば、雄雌の順番はどうでもよくて、雄、雌、雄、雄、雌、雄、雌の順番でもいいんだ。それで、産まれてくる子供は何故か一番上に自然発生するんだよ。さらに、何故彼らが最強種かというと、基本人が戦うとき、高さ的に一番下の個体と戦うわけだけど、十数体……多ければ数十体を乗せて歩く個体だから、とんでもなく強くなっていてね……この世界の人間じゃあ、魔法や剣を使っても倒せないからなんだ。はい、これで説明終わり」


「…………はあ」


 この、珍妙な生物の長々とした説明を聞いて、良太はこの世界への興味を失いつつあった。こんなのが最強種なのか、と。


「あ、良太くん、この世界の一大イベント、『騎馬戦』が始まるよ」


 そんな、がっかりして項垂れていた良太へ、れもんが声をかけ、その『騎馬戦』の方を指差している。


「騎馬戦……?」


 良太がれもんの指差す方向を見ると、先ほど見ていた『ケンタウロス・タワー』へ近づく、もう一つの『ケンタウロス・タワー』がいた。前者をA、後者をBとする。


 AがBに気づくが、Bはすでに、Aへと突進を開始しており、BとAが衝突する。すると、Aのタワーが上の方から崩れていくが、Bのタワーも前のめりに倒れ、崩れていく。

そうして、重なっている個体がいなくなるまでそれを続けると、先ほどまでの高さを失った、ただのケンタウロスの群れが出来上がる。

そして、そうなってしまったケンタウロス達は、再び重なるということもなく、ただそのまま、散り散りに去っていってしまった。


「こうやって、彼らはまた、それぞれにタワーを作り、ぶつかっては崩すといったような、再生と破壊を繰り返すわけだね……そのことから、創造神の使いでもあり、破壊神の化身でもあるとかなんとか、人々は捉えているみたいだね……」


「なんだあ……そりゃあ……」


 良太には、何も、言う言葉が見つからない。今年の春から高校生になる彼には、こんなものへ向ける語彙が無かったのだ。


「どう……? 転生して、チートスキルを貰えれば、あれを倒してチヤホヤされるけど……」


「やめて、おこうかな……」


 良太が即決してそう言うと、れもんは再び良太の手を取り、そのへんの空間に穴を開け、そこへ飛び込む。


 そして、また、あの極彩色の奇妙な空間を抜けると、二人は良太の部屋へと戻ってきた。


「じゃあ、ぼくの仕事を手伝ってくれる……ってことでいいのかな?」


 れもんは、良太の顔をまっすぐと見て、そう聞いた。すると、良太は死んだような目をしながら答える。


「死んだら、あの世界に行かなきゃなんでしょ? あんなところにいたら、頭がおかしくなっちゃうよ……」


「じゃあ、決まりだね! 今日からよろしく! 良太くん!」


「うん……」


 こうして、良太は消去法で自分の運命を決めた。夢にまで見た異世界転生というのは、彼にとってだけなのか、甘いものではなかった。


「とほほ……なんでこんなことに」


 良太はそう言うが、内心、自分が死なないことで、両親を悲しませることがないことに安心もしていた。彼は心優しき少年なのである。


「あ、そうだ!」


 そんな良太へ、れもんが「思い出した!」というふうに語りかける。


「今日から、君のところで居候もする予定だから、よろしくね!」


「え────?」


 突如、良太へ告げられたのは、『ドキドキ! 美少女女神との共同生活!』というものだった。


「うえぇぇっ!?」


 ──彼の異世界管理生活は、これより幕を開け、始まる。

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異世界管理れもんちゃん 鶏烏賊 @niwatoriika

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