第4話 噂


 次の日、ヘンリーはわくわくした気持ちで教室に入って行った。なにしろ、人見知ひとみしりの僕が一日で友達を三人もつくったのだから。

「おはよう」

 そんなに大きくはないが、ヘンリーにしてはかなりがんばった声で挨拶あいさつをする。ところが、クラスメイトたちはなにやらひそひそと話してこちらをちらちらと見ている。横を通ると、すっと目をらすようにも見えた。

 不思議ふしぎに思いつつも席につく。すると、ボブがやってきた。

「お前んちの父ちゃん、無職むしょくなんだって?」

 なるほど、クラスメイトたちがこそこそと話をしていた理由わけがわかった。ヘンリーの父ダニエルが求職きゅうしょくのためにこの町にやってきたことをどこかで知ったのだろう。

「…うん、そうだよ」

 そう答えると、ボブは「ハッ」と言ってぐいと胸をそらし、ヘンリーを見下ろした。

「都会じゃどうだったか知らないけどな、この町じゃ働いてない大人はカスなんだぜ」

「うん、だから仕事を探しに来たんだ」

 若干じゃっかん抗議こうぎの色を混ぜながら、ヘンリーはできるだけ平静をよそおって答える。ボブの横からロバートが顔を出した。

「もともと社長やってたんだろ? それなのになんでこんな町でしょくさがしやってんだ。どうせ会社をつぶしちまって恥ずかしくって向こうで働けないから逃げてきたんだろ」

「え、そうなの? そりゃたいへんだねぇ」

 そうこうしているうちに授業じゅぎょうが始まった。授業の間はからかわれることもないだろう。ヘンリーは気持ちを切り替えて勉強に集中することにした。


 どうにか授業を乗り切り、放課後ほうかご。やっと解放かいほうされると思って帰り支度じたくをしているヘンリーの前にボブたちがやってきた。またかとうんざりする。

「やあ、ミスタ・ハリー。父ちゃんの仕事は見つかったかい?」

 ロバートが妙に紳士しんしっぽいふるまいで言う。まるで似合っていない.

「むりむり。俺の父ちゃんは役所やくしょで働いてるんだけどさ、よそ者に回す仕事なんてねぇって言ってたぜ」

 ボブがニヤニヤと笑いながら言う。

「だってさ、ハリー。あきらめてクリックスシティーに戻ったらどうだい?」

 そういうロバートの言葉をヘンリーがだまって聞いていると、ボブの目がだんだん釣り上がってきた。

「おい、なんとか言えよ!」

 手をバン!と机にたたきつけ、大声で怒鳴どなりつけた。その声を聞いたほかの生徒が何事なにごとかと集まってきた。その中の一人が前へ出てきて、ボブの前に立ち塞がった。

「ちょっと、さっきから聞いてたら何よ。ハリーのお父さんは仕事を探しにここに来たんでしょ?働く気がないわけじゃないんだから、それでいいじゃない。どっかの父さんみたいに、役所のカウンターでぼーっとしているよりよほどいいわよ」

 その声の主を見上げるとリサだった。リサは両手をこしのところに当てて、まっすぐにボブを見返している。

「なんだよお前、女のくせに!」

「女のくせにって何よ」

「女だろうが!」

「すぐにそうやって性別を持ち出すのは負けをみとめたも同然どうぜんよ」

 そう言われたボブはなんの事かわからないようだった。

「はぁ…?」

 リサは小さく肩をすくめると、ヘンリーの手をとった。

「さ、こんなのほっといて行きましょ」

 まごまごしているヘンリーにかまわず、手を握ったままどんどん歩いていく。まだ「待てこのやろう、逃げるのか!」とまくし立てているボブを置き去りにして二人は教室を出て行った。そのまま校庭を抜け、学校を出たところでリサが立ち止まり、振り返った。

「リサ、さっきはありがとう」

 お礼を言うヘンリーの事を無視むしし、リサは両方のまゆり上げた。

「ちょっとハリー!なんで言われっぱなしで言い返さないのよ。くやしくないの?」

「え…?あの、なんていうか、その…」

 言葉がまって出てこない。なんでと言われても、ボブたちは間違った事を言っているわけではない。ヘンリーの父ダニエルは職を失い、この地に仕事を求めてやってきた。それについては正しいからだ。まあ、ちょっと言い方が悪いとは思ったけれど。

「…」

 リサは両手を腰にあてたまま仁王立におうだちしている。これじゃさっきのボブたちに対する態度とまったく同じだ。その体勢たいせいのままじっとこちらを見つめている。ヘンリーの言葉を待っているようだ。何か、何か言わなきゃ。

「えっと、その、パパが仕事を探しているのは本当だし…」

「じゃ、本当の事だったら何を言われても平気なのね?」

 最初に挨拶あいさつをした時のリサとはまるで別人のようだった。

「えっと…」

「だって、あいつが本当の事を言ってるからあなたは言い返さないんでしょ?」

「う、うん」

「それなら、ムカつくけど本当の事だったら言われても仕方ないってことよね」

 そうなんだろうか。ヘンリーはすこし考えこんでしまった。どこか変な気はする。でも何が変なのかはよくわからなかった。ボブはうそを言っていない。だから僕は言い返さない。これは事実だ。では、ムカつくことを言われても平気なんだろうか。やはりそれは、

「それは、違う気がする」

 リサは大きくため息をついた。

「やっぱり嫌なんじゃない。どうして言い返さないの?」

「なんていうか、言葉がすぐに出てこないんだ。あんなにポンポン言われても何を言うか考えている間に話が変わっているんだよ」

 それを聞いてリサはなるほどという表情になった。

「それにしても、そんなのでよく今までやってこられたわね。あっちではどうやって友達としゃべっていたの?」

 こんどはヘンリーがため息をつく。

「前の学校では友達って呼べる人はいなかったから」

 漫画まんがだったら頭の上にはてなマークが10個くらいは出ていただろう。リサが「あ?」とも「は?」ともつかない、ぽかんと口を開けたままたっぷり10秒くらい固まった。

「友達がいなかった?」

「うん」

 はてなマークがさらに増えたようだ。

「え?え?わけわかんない。放課後ほうかごとかなにやってたの?」

 ヘンリーは真剣しんけんに思い返した。そういえば何をやってたんだろう。

「えっと、本を読んだり、勉強したり」

「ハリーってほんと変わってるのね」

「ううん、みんなだいたいそんな感じだったよ」

 今度はびっくりマークが10個浮かんだように見えた。なんだろう、リサを観察かんさつしているととても面白い。

「えー!?他の子みんな勉強ばっかしてるってこと?」

「うん。みんな家庭教師かていきょうしがいて、帰ってからも勉強してた。それだけじゃなくて、ピアノとかバイオリンを習っている子もいたよ」

 うええ、とリサは本当に気分が悪そうな顔をした。

「やっぱりお金持ちって考えることが違うわ。ハリーも習い事とかしてたの?」

「ううん。うちはそこまでうるさくなかったからね。そういえば、スクワートはお兄さんが有名な大学に入ったとかで大変そうだったなあ。最低でもお兄さんと同じ大学に入らなきゃって」

「ふぅん。お金持ちはお金持ちで大変なのかもね…でも、ハリー、それとこれとは話が別。今度ボブたちに変なこと言われたらちゃんと言い返すのよ」

 ヘンリーは正直言えばまったく自信がなかったが、そう言うとリサが怒りそうだったので、少しだけ見栄みえをはってみた。

「うん…ちょっとだけなら」

「まぁ、最初はそれでいっか。じゃ、約束やくそく

 そう言うと、リサは右の手のひらをこちらに見せた。なんのことやら分からないでいると、リサがヘンリーの手をとり、同じように顔のよこにもってきた。そうして、お互いの手のひらをパンとたたいた。これがこのあたりの「約束」のしるしなんだそうだ。

 リサは「それじゃ、また明日ね」と言って走って行ってしまった。

 ヘンリーは「約束の印」のままになっていた右手をってさよならをした。


 その日の夜、ヘンリーはなかなかねむることができなかった。リサに言われた事、ボブたちの事が頭の中をぐるぐるを回っていたからだ。本当に言い返すことができるだろうか。それに…僕はやっぱり他の子に比べて変わっているのかな。パパとママは何も言わないだけで、変わった子だと思っているんだろうか。もしそうだったら悲しいな…。

 しばらく天井てんじょうを見つめていたが、いつの間にか眠ってしまった。


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くろねこのジャック 葛原瑞穂 @mizuhokuzuhara

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