第3話 新しい学校

 次の週のはじめ、ヘンリーは新しい学校に登校することになった。

 前の学校ではみんなが他人にほとんど興味きょうみがなく、自分の成績せいせきだけを気にしてたが、この学校はどうだろう。

 ヘンリーはマリーに連れられて校舎こうしゃに入る。登校してきた学生たちがちらちらとヘンリーたちを見ながら教室に入っていく。マリーは「職員室しょくいんしつはどこかしら?」とつぶやきながら、廊下ろうかを進んでいく。すると、向こうから教師きょうしらしき男性だんせいがやってきた。

「すみません」

 マリーが声をけると、男性はにこやかなみを浮かべた。

「はい、なんでしょう」

転校てんこうしてきたヘンリー・マイルズの母ですが、初めてでどこに行けばいいのか分からなくて…」

 その男性はヘンリーに目線めせんを合わせるように少しこしをかがめるようにして顔を近づけてきた。にこにこして話しやすそうではあるが、ヘンリーはこういうフレンドリーすぎる人は苦手だった

「ああ、君がヘンリーか。はじめまして」

 ヘンリーは小さく「はじめまして」とだけ答えた。

「では、校長のところに案内あんないしましょう。こちらです」

 歩きながら、その人はアーロンと名乗った。数学すうがくの教師なんだそうだ。窓の外に大きなセコイアの木が見え、冬になると雪が積もって綺麗きれいだと教えてくれた。

「ここが校長室です」

「ご親切しんせつに、どうもありがとうございました」

 ヘンリーはマリーのかげかくれるようにして、ぺこりと頭を下げた。

「いえいえ、どういたしまして。ヘンリー、またあとで」

 そう言うと、アーロン先生は去っていった。

 ドアをノックすると、中からしわがれた声が聞こえた。

「はい、どうぞ」

 声からするとどうも女の人だと思われるが、ひょっとしたら男性かもしれない。いずれにしても老人ろうじんだろう。

 ドアを開けて中に入る。ヘンリーは、男の人かな、女の人かな、と心の中で勝手かってにクイズを楽しんでいた。

 出迎でむかえたのは、やはり老婆ろうばだった。ローブでも着せて持つところがくるんと曲がった杖でも持たせれば魔女まじょといっても信じるだろう。ただ、背筋はしゃんと伸びて姿勢しせいがいい。この点だけは魔女に似つかわしくなかった。もちろん魔女ではないのだから魔女っぽくなくても問題ないのだけれど。

「お待ちしていました。私は校長のドロシー・ムーアです」

 ヘンリーが黙りこくっていると、マリーが背中に手を当ててうながすような仕草しぐさをした。

「ヘンリー、ヘンリー・マイルズです」

「ようこそ、ヘンリー」

 ドロシー校長はおだやかな表情ひょうじょうで話す人だ。さっきのアーロン先生は昼間のお日様ひさまみたいな明るい笑顔だけど、校長はその風になびく草原のような…このたとえって合ってるかな。

 ドロシーとマリーはいくつか学校の決まり事について話していたが、やがて、

「では教室に行きましょう」

 といってドアを開けてくれた。

「ではお母さんは手続てつづきがありますから、事務室じむしつに寄ってください。廊下ろうかを右に真っすぐいけばありますから」

「わかりました。じゃぁね、ハリー」

「あ、うん」

 ヘンリーは急に不安になってきた。ここからはひとりぼっちだ。クラスメイトたちはヘンリーを受け入れてくれるだろうか。

 教室は階段かいだんを上がってすぐのところにあった。ドロシー校長は階段を上がるとき、手すりを持ちながら「よっこらしょ」とやっとのことで上がっていった。そういえば、お祖母ばあちゃんも歳を取るとひざが悪くなると言ってたっけ。そんなどうでもいい事ばかりが頭をめぐっているうちに、教室の前に着いていた。しまった、自己紹介じこしょうかいしゃべることを考えておくべきだった。

 校長先生はおかまいなしに教室のドアを開けたので仕方なく教室に入る。すると先ほどのアーロン先生がいて、「お、来たね」と言って手招てまねきしていた。ヘンリーが教室に入ると、十人ほどの生徒がいて、全員がこちらを見つめている。分かっていたけれど、こうやって注目されるのは好きじゃない。

「さ、自己紹介して」

 ほらきた。やっぱり事前じぜんに考えておくべきだったか…。仕方なく、ヘンリーはごく一般的いっぱんてきな、ほぼ雛形テンプレートともいうべき自己紹介をすることにする。

「ヘンリー・マイルズです。クリックスシティから来ました。好きな食べ物はサンドイッチです」

 『サンドイッチ』は先日ベーカリーで買ったサンドイッチを思い浮かべて咄嗟とっさに出た言葉だ。あのサンドイッチは本当に美味おいしかったし、ヘンリーのお気に入りに追加されていたからうそではない。

「それじゃあ、ヘンリー。そこの一番後ろの席へ。教科書きょうかしょとなりのリサに見せてもらうといい」

 席につくと、リサと呼ばれた栗色くりいろショートヘアの女の子が机を寄せてきた。

「リサよ。ヘンリーって、愛称ニックネームはなんていうの?」

「パパとママからはハリーって呼ばれているよ」

「そう。ハリー、これからよろしくね。私のことはそのままリサでいいわ」

 活発かっぱつそうな子だな、と思った。前の学校では、女子は清楚せいそでおしとやかであるべきという風潮ふうちょうがあり、こんなふうに明るく話すことはなかった。同じ国のはずなのに、まるで外国にでも来たような気分だった。


 放課後ほうかご。帰る準備じゅんびをしているヘンリーのところに、同じクラスの男子が三人やってきた。一人はがっしり、一人はひょろりとしたのっぽ、一人は背が低くてころころと太っていた。

 がっしりが顔を近づけてきた。

「よう、ハリー。おれはボブ。クリックスシティから来たんだって?」

「うん、そうだよ」

「クリックスシティかあ。ここよりだいぶ都会とかいだよな。あ、俺ロバートね」

 今度はのっぽが言った。

「えっと、えっと、俺、ペーター。よろしくな」

 最後に太っちょが言った。がっしりがボブ、のっぽがロバート、太っちょがペーターだ。こんなにたくさん、おぼえられるだろうか。休み時間のたびに、入れ代わり立ち代わりクラスメイト達がやってきた。人見知ひとみしりのヘンリーは正直しょうじきつかれていたが、初日しょにちくらいは我慢がまんしようと思ってとりあえず話し相手になる。

「うん、よろしく」

「クリックスシティってさ、どんなところなんだ?」

 ボブは都会に興味津々きょうみしんしんといった様子だ。

「うーん、そうだなぁ。…街は綺麗きれいだし、背の高いビルやおっきな池のある公園もあったよ」

 急にそんな事を言われても、と一生懸命いっしょうけんめい思い出してしぼり出す。

「ビルとか公園ならトーンタウンにだってあるし、池も町のはずれに行けばいくらでもあるぜ」

 ロバートがあきれたように言う。すると、ボブが急に思いついたように、

映画館えいがかんは?」

 と言った。

「あったよ」

「マジかぁ、さすが都会。ここじゃ電車でとなりの町まで行かないとないもんなぁ」

 そうか、映画館があるかないかが都会と田舎の境目さかいめなんだ、とヘンリーは心の中でつぶやいた。そういえば、最後にた映画はなんだっただろう。

 そんなふうにしてわいわいとおしゃべりをしながら学校を出る。どうやら三人とヘンリーはここで方向がバラバラになるらしい。

「今度の週末さ、一緒にあそぼうぜ。あちこち案内してやるよ。俺たちの秘密ひみつの場所もあるんだぜ」

 そう言うとボブは不器用ぶきようなウインクをした。四人はそれぞれが見えなくなるまで少し歩いては振り返り、手を振りあい、また少し歩いては振り返りながら帰路きろについた。


 家に帰ると、マリーが出迎でむかえてくれた。

「お帰りなさい、ハリー。新しい学校はどうだった?」

「うん、楽しかったよ。クラスの男の子たちと今度一緒に遊ぶんだ」

 まあ、と口の前に手をかざして、マリーは目を見開いた。

「もうお友達ができたのね。うちがこんなじゃなかったら遊びに来てもらうのに」

 振り返って家の中を見回す。ソファはまだスプリングが飛び出したままだし、テーブルの脚もそのままだ。新聞紙しんぶんしを折りたたんで挟んであるのでスープを置いてもこぼれなくなったけれど。

「パパは?」

 ヘンリーはさりげなく話題を変えることにした。そういえばダニエルの姿が見えない。

「お仕事を探しに行ってるわ。なかなか難しいみたいだけど」

 トーンタウンに来る前はクリックスシティよりも仕事があると聞いていたけれど、実際じっさいはそうでもなかったらしい。うわさなんて当てにならないものだ、と思った。しかし、すぐにヘンリーは『噂とはおそろしいものだ』と思い知ることになる。


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