◇15 【過去】恋バナ

 テセウスは机に向かっていた。さらさらと手を動かしては止める。

 書いているのは手紙だ。


「ハバーナ皇国第一皇女フィオネ様っと。お元気ですか? は他人行儀すぎるかな……。えーっとなんて書き始めればいいんだろ。あ、書き間違えた」


 ゴホン、と咳払いがした。

 

 慌てて顔を上げると、マルセルが立っている。銀縁メガネをかちゃりと掛けなおす仕草がわざとらしい。今日もきちりとした服を着て、背筋をピンと伸ばしている。


 テセウスがひそかに思っていることは──この教育係のマルセルという男が年齢不詳と言うことだ。喋り方は重々しく仰々しく、「おじいさん」のような口調であるし、王子の教育係という重大な役目を担っているが、肌を見てみれば随分と若々しい。二十代、あるいは三十代なのではないだろうか。

 

「マルセル!? いつからいたんですか!」

「数分前から。もう授業の時間ですので。随分と集中なされていたようですね」


 マルセルの指摘にテセウスは気恥ずかしい気持ちになって、ハハ……と笑う。顔を赤らめたテセウスを見て、マルセルは「ふむ」と何事かを考えているようだ。


「つかぬことをお伺いしますが……王子は、フィオネ様のことをどう思っているんですか」

「へ、はじめてできた友達だと思ってますけど……」

「恋愛感情などは?」


 マ、マ、マ──マルセルが壊れた!

 突然恋バナを始めてきたマルセルの異常行動に、テセウスはぴしりと固まる。


「フィオネは兄さんの婚約者ですよ?」

「ルーク様は消えた。あの方は帰ってくるか分からない……そうですよね?」

「で、でも」

「略奪愛、なんて言葉もありますねえ」

「マルセル! へっ変なものでも食べたんですか!?」


 変なものでも食べたか。それとも、民の間で流行っているラブロマンスとやらを読んだのか。

 

 真面目なマルセルから──略奪愛なんて言葉を口にするなんて!


 あんぐりと口を開けたまま固まったテセウスを見て、マルセルはふっと笑った。

 銀縁メガネの奥で、やわらかく瞳が細められた。

 どこか寂しげで、どこか切なそうな、そんな瞳。

 

「私は、王子には幸せな結婚をしてほしいと心から思っているんですよ」


 「踏み込みすぎましたね、すみません」と謝った次の瞬間から、マルセルはいつもの調子に戻り、「指定した本、読んできましたか」と問うてきた。

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魔王の正体は愛しの兄だったらしいです Sumi @tumiki06

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