重い月

スロ男

This can’t be love.


「今日の月は重い月だな」と彼がいったので、わたしは、ああ、うん、と曖昧に濁した。彼はいつも感覚で言葉を使い、理解できない私を目で非難する。

 居酒屋からの帰り道。

 伊勢佐木町を抜け、街灯がないので暗くなった道を、ふたりでとぼとぼと。

「重たい、といえば」

 沈黙に耐えきれなくなったわたしは、思いつきで会話をつなげる。

「”わいうえを”の”を”を重たい『を』って習ったんだけど、あなたのところでは、なんて?」

 全国区だと思っていた言葉が、ローカルな言葉だったということを、ここ数年意識することが多かった。だから、聞いてみた。

「わいうえお? なんだそれ」

「……なんだ、それ」

 わたしは、あははっ、と笑って打ち切った。アパートまでの距離は、まだまだある。


 噛み合わない、会話が通じない、理解できない、価値観が違う、そういう諸々がありながら、なんでこの男と付き合っているのだろう、とわたしは思う。

 しかも、だ。

 セックスも良くない。

 ほんとなんで付き合ってるんだろ。


 講義を受けている間、ふとした拍子に彼のことを思い出す。今頃、彼はなにをしているのだろうか、と。

 思慕の情、ではない。

 彼は仕事もせず、アーティストになるんだといってパチンコ屋へ行くか、麻雀屋さんに行っている。仕事どころかバイトをしている気配もない。だからといって、タカられるようなこともなく、お金には不自由していない気配だ。もしかしてパチンコで稼いでいるのだろうか。

「ねえねえ、おみつ。何ボーッとしてんの?」

 隣の席のえみちに小突かれて、現実へと戻る。うららかな日差しで、准教の声もむにゃむにゃと眠気を誘う。

「べつにボーッとは……半分寝てたかも」

「眠くなるよねえ。そうそう、今度合コンしない?」

「え、なにソレ?」

「恋人の欲しい男女が、五人ぐらいずつ集まってお見合いみたいなことすんの。楽しそーじゃね?」

「楽しいのかな、それ。仲いい奴と飲んだ方が楽しそうだけど」

「だから、女子はウチらで集まって、男子のほうはアホの木崎とかスカのトーヤマみたいのじゃなくて、なんかかっこいい、金の玉みたいなの呼んで」

「金の玉?」さすがにわたしは吹き出した。金の卵か。「金の玉は木崎だってぶらさがってるよ」

 自分の言い間違えに気づいたのか、えみちは顔を真っ赤にして、ごにゃこにゃこにゃとよくわからないことをいった。終鈴が鳴る前に講義が終わったのか、雑然とした音と気配が教室に響き、まあまあ、といいながらえみちを立たせてあげた。


 ところでアーティストというのは楽器ができなくても成れるものなのだろうか。いや楽器はできずともパソコンで曲とか作れるのならなれるのかもしれない。でも彼はパソコンも持っていない。

 カラオケにもほとんど行ったことがない。タダで歌うのは嫌だとかいっていた。そしたら、彼は歌ってもいないのではないか。

 けれど、そういわれれば、わたしが彼に惹かれたのは、彼の歌声を聴いたからだった。

 あれは、いま思い返せば合コンだったのかもしれない。もう疎遠になったサークルの子に誘われ、出向いた飲み会にOBとして彼が来ていた。ビュッフェ形式の飲み放題で、立食パーティーみたいな感じだった。30人はいたような気がする。

 無理矢理後輩に押し出されてステージに立った彼は、カラオケもなしに、アカペラで、わたしが聞いても出鱈目だとわかるような英語で、歌を披露した。

 下手くそではないけど上手くもなく、声はしゃがれてて、でもセクシーというにはほど遠く、切実さだけはひしひしと伝わってくるような、聞くのがつらい歌だった。

 無理に歌わせた後輩が、いたたまれない顔をしていたのを覚えている。

 わたしが拍手をすると、釣られるようにしてポツリポツリとあとに続いて、意外なほどしっかりとした喝采になった。

 おそらく、まわりのみんなは曲が終わったことにすら気づいていなかったのだと思う。

 パンクといえばパンクだった。


 今度、わたし合コンするかも、といったら彼は、へえ、と答えた。

「どうせ、ああいうのは肴が残る。折詰にでもして持ち帰ってきてくれ」

「おりづめ?」

「折詰ってのは……ああ、面倒臭い、パックにでも入れて持ち帰ってこいってこと」

 わたしは仰向けからうつ伏せになり、頬杖をついて彼の横顔を見る。気づいているだろうに彼は天井から視線を逸らさない。

「パチンコ、負けた?」

「ああ、大負けだね」

「焼いた?」

「魚をか?」

 ふふっとわたしは笑って、彼の下手くそなセックスを堪能すべく、彼へと覆いかぶさった。

 あれは重い月。

 あれは重い「を」。

 そしてこれは、軽い、愛。

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重い月 スロ男 @SSSS_Slotman

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