第一話

 篝悠里は夢想していた。好きなバンドが「実は月日なんて無味無臭、意味やスパイスを付け加える毎日です。」なんて歌っていたものだから、自分の人生と重ね合わせていた。全く持ってつまらない人生である、と思ったことは無いのだが、思春期特有の「人生不感症」にもれなく罹患していた。こんなことを同居している祖母に相談すれば笑われてしまうのは目に見えていたし、自分自身もまだ子供なのだろうという事は理解していた。

 教室の窓際の角からグラウンドを見つめていた。1個下の後輩達が体力測定をしていた。「あぁ、もうそんな時期か。」と眺めていると、空から大きな宇宙船がやってきて、地球外生命体が地上に降りてくる。「チキュウノミナサン、コンニチハ」「イマカラ、コノホシハワレワレノモノデス。」と瞬く間に学校を制圧する。

 すると、悠里の机から隠されたレーザー銃が現れ、宇宙人を返り討ちにする。さぁ、僕達の戦いはこれからだ!


「…ーり…ゆーり!」

 

 薄れゆく意識の中で宇宙人相手に無双した英雄、悠里の名前を呼ぶ声がした。それは観衆の喝采などでは無く、前の席に座る聞き馴染んだ声であった。


「ゆーり!さされてるよ!」


 悠里は幼馴染の声によって微睡みから覚醒し、思わず立ち上がると、クラス全員の視線が自分に集まっている事に気付いた。英語の教師は呆れたように、こちらに問いかける。


「篝くん、この単語の発音は?」

「え、あ、ご、ごめんなさい。聞いてませんでした。」


 クラスは爆笑に包まれる。笑われた屈辱よりも、英語教師と目前の幼馴染が同時にため息をついていた事の方がよっぱど堪えた。

 放課後、悠里は件の英語教師によって職員室に呼び出されていた。もちろん自分に非があるので、説教されることは目に見えていた。

 学校特有のやけに分厚い引き戸をノックし、おそるおそる入ってから学年と名前と要件を声に出した。名を名乗ってから戦を始めた鎌倉武士もこんな気持ちだったのではなかろうか。

 英語教師の視線はこちらに向き、数時間前英雄であったはずの悠里はなるべく低姿勢で向かった。最近は低成績も続いたので、それも含めて説教を喰らうかと思っていたが、想像よりも優しい言葉で悠里を説いた。


「篝くん、君は実家の中華料理屋も手伝っていて忙しいのは大変分かるし、なるべく無理はしないでほしいのだけども、こんな成績が続いてしまったら、最悪留年と言う措置を取らざるを得なくなるのだよ。 

 君は真面目でいい子だし、私としてもそんな目にあって欲しくない。だから発破をかけるようで申し訳ないけども、もう少しだけがんばってくれ。」


 英語教師は「今日はゆっくり休みたまえ」と最後に付け加え、少しだけ微笑んでくれた。ごめん先生、宇宙人が来る妄想してただけなんだ。と、罪悪感を抱えたまま職員室を後にした。

 職員室を出ると、頼んでもいないのに幼馴染が待機していた。待ってましたと言わんばかりの顔で、「こら!」と悠里の額を人差し指で弾いた。

 

「ゆーり、岡本先生に呼び出しくらうって相当だよ!もう宿題見せてあげないから!」


 彼女は頬をぷくーと膨らませて、悠里からそっぽ向くように怒っていた。英語教師と同じタイミングでため息を吐いた時点で何となくこうなることは予測出来ていたので、こういう時になんて言うべきかは決めていた。


「えぇ~!嘘だろ雫~!そんな殺生な~!」

 

 馬鹿馬鹿しいと思われるが彼女にはこれが有効なのである。別に宿題は見せてもらえなくても自分の怠慢なので仕方ないのだが、これを言わないと今日の夜まで口を聞いてもらえなくなり、少々面倒くさいのである。

 幼馴染である、雛ノ宮雫ひなのみやしずくは中華料理屋を手伝いに来てくれる上に、幼稚園の頃からの唯一の友人であるため、なるべく面倒くさい事象は避けたい。


「…もーう、つぎ呼び出しくらったら本当に見せないからね!」


 頼られたことに満更でもなさそうな顔で、こっちを見ながら腕組みをしている。

…まあでも宿題は助かっているので、強い事は一切言えない立場ではある。

 

「ゆーりにはあたしがいないとだめなんだから。」


 太陽のような笑顔でそんなことを言ってくる。確かに頼り切ってしまっている所もあるので、早く幼なじみ離れをしたいものだ。と、悠里は思った。


                *


「ヨネばあちゃーん!おじゃましまーす!」

 

 家の主である悠里よりも先に、雫が帰って来るや否や声を張った。続いて悠里もただいまと呟くが、耳が遠くなりつつある祖母には、雫くらいの快活な声のほうがよく聞こえるのか認識できた声の方だけに反応した。


「雫かえー?いらっしゃーい!」


 どたどたと二階から駆け下り、小柄な老婆が顔を覗かせた。悠里の方にも視線を移し、


「悠里、ただいま。学校はどうだったかえ?」

 

と屈託のないしわくちゃな笑顔で聴いてきた。そんな祖母に「ハイ、今日はクラスで笑われました。」なんて言える訳が無く、「いつも通りだよ」と全く当たり障りのない返答をした。

 雫はこちらを見ながら、ぷぷぷと馬鹿にしたような笑みでこちらを覗いてきた。恥ずかしいからやめてくれと、肘で小突くと、負けじと向こうも肘で小突いてきた。戯れのつもりじゃないんだよ。


「ヨネばあちゃん、今日もお手伝いしてって良い?」

「もちろんだぁよ。午後営業までゆっくりなさいな。」


 雫は二階の部屋に上がって行くと勝手に悠里の部屋に入って行った。慣れた事なので、後を追うように部屋に入ると、仏壇に手を合わせている幼馴染の姿が目に入った。


「…おじさん、おばさん。お邪魔します」


 この光景も慣れたものであったが、両親はきっと向こうで喜んでるに違いない。悠里も、両親が血縁者以外に大事にされている所を見るのは非常に喜ばしい事であった。

 悠里はふと、今日が両親の10周忌である事に気付いた。10年前の今日は「帝都ホテル無差別テロ事件」が起きた日だった。悠里の両親もその餌食になった。死因はマシンガンをもろに喰らった事による失血死。父は母を護るように覆いかぶさったが、それも虚しく、二人ともども肉塊になったと聞かされた。実行犯は何人か捕まったのだが、捕まった連中は獄中で不審死を遂げ、主犯格の正体も解らず仕舞い。動機も何もかも分からず、「無差別テロ」であったという事実だけが残った。 それ以来、悠里は祖母であるヨネと二人で暮らしていた。当時は激しくふさぎ込んだが、祖母の慈愛と、雫の存在が傷を癒した。

 仏壇に手を合わせる雫を見ながら、少々おセンチな気分に浸ってしまっていた。慣れた何でもないような光景、そして感傷であったのだが、急に悔しくなり目頭熱くなってしまった。雫にだけはバレたくなかったので、用を足すふりをして顔を洗いに言った。

 町中華「かがりび」の午後営業が始まる。悠里は祖母と一緒に厨房を回す。いつもはシニアスピードの祖母も、厨房では鬼神の如く調理をする。悠里も負けじと手を進めるが、祖母には一切、勝つことはできない。

 

「餃子1、半チャーハン3、半ラーメン3!」


 雫はフロントでオーダーと会計をやってくれる。始めたてのころはすべてがおぼつかなかったが、一年で欠かせない存在になってくれて、本当に有難い。というか雫が入ってから、明らかに常連が増えたため、もはや「かがりび」の看板娘だろう。

 今日もまぁまぁ繁盛しているが、こうなってしまうと、思考は追いつかない。「かがりび」は明らかに人手が足りないが、店主である祖母がアルバイトを取ろうとしない。これでも毎月黒字になるかならないかくらいなので、飲食店は本当に難しい。しかし、時間が流れるのが早い。大人になると時間が早く感じると聞くのだが、これ以上早くなることはあるのだろうか。そうこうしてるとすぐにラストオーダーの時間を迎えた。祖母は明日の仕込みのために早々に寝てしまうので、閉店作業はいつも雫と行っている。

 この時間はいつも二人でへとへとになりながら作業をしている。さすがの雫も疲れた顔を見せてくれる。珍しく祖母は今日も起きているのだが、天井の隅に立てかけられたテレビでニュースを横目に、こちらを微笑ましく見ていた。


「雫はほんと安産型だねぇ。」


 老人特有のノンデリカシーで急にそう呟いた。全く悪意など無く、当時からすれば誉め言葉なのだろうが、さすがの悠里も焦った。


「ちょっ、ばあちゃん!だめだよ!」


 そういって悠里は恐る恐る、雫の顔を覗いて見る。

 

「あ、安産型なんてそんなぁ~!」


 なんでちょっと嬉しそうなんだよ。お前もそっちの時代の人間かよ。というのは心の中に留めて置いた。


                  *


 閉店作業を終え、雫が帰った後もヨネはテレビを見続けていた。


「ばあちゃん、夏風邪ひいちゃうよ。」


 心優しい孫は、死に行く老婆にも優しく育ってくれてヨネは本当にうれしかった。しかし、今日と言う日は、息子夫婦を死なせてしまったという自責の念から眠気が来ることは無かった。気丈に振舞っている孫も、きっとそのはずだ。

 ニュースは無常にも10年前の事件を掘り起こす。あの当時は三日三晩放送していたが、今では1コーナーに収まるばかりである。


「今日、10周忌だもんね。」


 孫はヨネに暖かい烏龍茶を差し出し、横に座った。


「悠里、今日学校でイヤな事でもあったのかい?」

「え、あ…。」

「隠さなくてもわかるよ。あたしゃお前のおばあちゃんだからね。」

「やっぱりばあちゃんには隠し事できないや。でも大したことじゃないから。」


 自慢の孫は、気遣うような笑いを見せてくれた。祖母としては心配であるが、このやさしい顔を息子たちにも見せてやりたかった。


『…依然として事件は謎を多く残しており』


 悔しい。何よりも無念を晴らせなかったことが。息子たちはあんなに無残に死んでいったのに。

 ヨネはしわくちゃな手で孫の手を握った。


「厄介ごとには巻き込まれんでくれ、生きてるだけでいいんじゃ。」

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