Triggered
猫にコバーン
一章 『揶揄』
プロローグ
黒服は廃デパートの柱に隠れて、
少女は、「半径5メートル以内の一番近くにいた人間が死亡した瞬間に、対象者ごと時を10秒戻す」ことが出来る能力を持つと同僚から聞いた。ただでさえ、圧倒的な身体能力を持つ
廃デパートはやけに広かった。都内に建てられたこのデパートは、三か月前に閉業し、かつて子を持つ家庭で賑わっていたはずの一階のフロアは静まり返っていた。こんな夏場にも関わらず、妙にひんやりとした空気は、拳銃を持った殺し屋たちをより一層集中させた。
あと多少の火薬の香り。数十秒前に我々から放たれた弾丸は大広間の大理石を砕いたが、血に染まる事は無かった。むしろ、こっち側が1人やられた。大広間に横たわった元同僚が視界に入ると、法治国家でぬくぬくと育った日本人である自分に”死”が馴染んでくる。いけない、これは邪念だ。と、自分に言い聞かせるように深呼吸をする。天涯孤独の身で、ただの不良少年であった。この会社に入ったのも、金払いが良かったからだ。金を稼ぐために銃の腕も磨いたし、いつ殺されてもおかしくない状況で
生唾を飲み込んだ瞬間に、15メートル先で銃声が聞こえた。10秒間でおよそ12発程だろうか。柱から顔を出し、応戦しようとしたのだが、2階のバリケードに隠れていた同僚の声が響いて止める。
「ちくしょう!今ので2人やられた!!」
響いた声の方に弾丸が飛んで行き、そいつもまた死んだ。10人いたはずの我々は既に半数近く、1人の少女にやられていた。まるで先を読まれているようだ。
頭に風穴が空いて死んだ同僚たちを見ながら、黒服には一つの考えが生じる。少女一人では能力は作動しないはずだ。相手が相手であるため、能力が使われている可能性は大いにある。しかし、研究所でも隔離されていたような孤独な少女が、外に出てたった数時間で協力者が現れるとは思えなかった。
協力者がいるとするならば、すなわち我々の敗北を意味するものであった。
自分を落ち着かせ、また思考を整理する。思い返せば、同僚は少女の能力についてこんなことも言っていた。「死に戻る前の痛みは、死に戻った後にも引き継がれる」、と。いくら無傷の自分に戻ったとしても、死んだときの痛覚はなんども喰らいたくは無いだろう。相当な覚悟が無ければ、少女と付き合っていく事は難しいはずだ。そんな協力者が易々と現れてたまるものか。そう思えば笑いがこみ上げてくる。
7発ほど銃声が響いた。およそ10メートルである。黒服は柱から少しだけ顔を覗かせる。死んでいたのは友人達であった。黒服は先ほどの邪推と思い込みたかった諦観のようなものを確信へと昇華させた。もう一人いる。
全く、嫌な仕事を任されたものだ、とため息をついた。お気に入りのサングラスを外し、袖でレンズを拭いた。そしてまた銃声がした。
ぱん、ぱん、ぱん。乾いた銃の音と、どんどん近くなる足音が混ざる。黒服はもはや応戦しようとは思わなかった。犬死の未来が見えたからだ。磨いたレンズから自分の顔が写る。すると途端に命が惜しくなってくる。澄ました顔はみるみるとぐしゃぐしゃになる。死の運命を受け入れるなんてダセェじゃねぇか、とサングラスをかけ直し、改めて引き金に指をかけ、足音の主を待ち構える。
くそ、やってやる。やってやるぞ。黒服は息を殺した。反対に向こうからは、ハァハァと切れた呼吸と共に重い足音でやってくる。3メートル、2メートルと距離が詰められ、残り1メートルで足音が止んだ。
黒服は柱から身を乗り出し、音のする方にベレッタの標準を合わせた。その先に現れたのは、全く見た事も無い少年であった。
「え、俺こんな
黒服の声を遮るように少年の背中から漆黒の拳銃を持った小さな手が現れ、黒服の眉間を打ち抜いた。宙に舞ったサングラスには少女をおぶった少年の顔が写っていた。
*
少年は廃デパートの一角で盛大に嘔吐した。初めて人が死んでゆく様を間近で見た事と、拳銃で100回以上脳天を貫かれた痛みが反芻したからだ。戦闘中はあまり声を出さないように我慢していたが、痛みが鈍く激しく続き、遂には誰もいないデパートのフロアで絶叫していた。
できることならば、失神でも気絶でもして痛みから逃れたかったのだが、身体はそれを許してはくれなかった。痛みは数分で収まったが、永遠のように感じていた。
顔面から出せるだけの体液を出し、10体の眉間に風穴が空いたている、さっきまで生きていた者たちよりも、死んだような表情で少女を見つめる。
「…ありがとう。」
白髪で小柄な少女は、消え入る程の小さな声で少年に語りかけた。出会ってまだ数時間でこの声の小ささには慣れて来た所であったが、深刻なストレスのせいでより小さく聞こえ、簡単な5文字でさえも聞き逃した。
「…あなたのこと、まきこんじゃった。」
若干薄れていた意識はみるみる回復していき、少女が何を喋っているかは理解が出来たが、涙でぼろぼろの眼球は未だにぼやけており、何も認識することは無かった。
「…ごめんなさい。ごめんなさい。」
何も見えてはいなかったが、少女は少年の方に寄り添い、胸の辺りですすり泣いていたことは分かった。
少年はそんな少女の頭を抱き寄せ、耳元で小さく囁いた。
「大丈夫。
なんとなく胸部の辺りで小さな頭が縦に動いたような気がして、少年は安堵した。正直、全然へっちゃらではないのだが、運命共同体になってしまった少女を案じると、彼女の罪悪感を取り除く必要があった。
「さぁ、帰ろうか。」
「…私、帰る場所ない。」
「あるよ、僕の家だ。あの通りばあちゃんは大らかだからさ、受け入れてくれるって。」
「…いいの?」
少女からは申し訳なさそうな声色だったが、それは無理も無かった。無関係で平凡な少年を戦闘に付き合わせて、住むところまで約束してくれたのだ
「じゃあ、僕を家まで運んでくれないかな。それで全部チャラね。」
この重苦しい雰囲気を打開するためにおどけるように言った。実際、ここから立ち上がることは出来なかったし、いますぐ泥のように寝れるほど疲れていた。しかもそんな身体で明るく喋ったせいで、横隔膜の辺りに良く分からない激痛が走り、むせかえってしまった。かっこつけて振舞っていたことが、情けなく思えて来た。
「…よいしょ」
今度は少女が少年をいともたやすく負ぶった。体の大きさは一回り違う。もちろん少年の方が大きいのだが。
彼女が特別である事は分かっていたものの、慣れない出来事にやはり動揺してしまう。万が一、人に見られることがあったらどのような顔をすればいいのだろう。
「人と会ったら声かけられちゃうかも。」
少年は赤面していた。これから起きることを想像したらやけに恥ずかしくなってきていた。
そんな少年を横目に、ミステリアスな表情からでもわかるくらい自信満々にふんす、と鼻を鳴らした少女は
「…だったら人と会わなければいい」
と呟いた。
少女は、少年を担ぎながら廃デパートの屋上まで行き、足に力を溜めて、高く高く跳ねた。
あまりの高さに少年は甲高く情けない声で叫んだ。ビル群の屋上を駆け抜けるように、夜空には二人の影が飛び回っていた。
「…私、初めて
その時、初めて少女が微笑んだ気がした。視界は再びぼやけていたけど。
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