遠い座敷と■しいあの人
目々
■■からも人間からも忘れられたる
いいですよ、煙草吸っても。窓も開けて──ああ、夜っぽい風ですね。夜の高速の雰囲気、なんかいいですよね。野郎二人でドライブで何を言うのかって感じですけど。
や、別に先輩とのお出かけに文句があるとかじゃないですよ。感想です。つうか文句だとしても、言うのが遅いんじゃないですかね。昼から映画観てスタバで時間潰して今帰りの車中、ってわけですから。半日楽しく過ごしておいてここで不満とか、手遅れでしょう。あとタイミングが悪すぎません? 降りろっつって放り出されたら、行くも帰るもどうにもならない立場ですからね。車中で一番偉いのって運転手ですし。
それにちゃんと聞いてましたよ、寝そうだから何か面白い話しろって言ったの。
先輩に運転任せてるんで、ご要望にはお答えしますけど。無茶振りですよ──確かにね、観たい映画が近場だとやってなくって隣の市まで行かないとかかってないからって運転役頼んだのは俺ですから。免許はありますけど、運転嫌いなんですよ。仕事以外で運転したくない。教習所の頃から俺いつか人跳ねるなって予感っつうか確信があります。
だから負い目はこっちに盛大にあるわけです。大体の言うことは聞きますよ……もちろん最初に約束した通りにガソリン代は出しますし。この時間だとサービスエリアですけど、食堂あるくらいの規模のところに着く頃には提供終了してますね、多分。まあ、最悪一回降りてファミレスなりコンビニなり入ればいいやつですよ。高速沿いなら大体ありますから。スタバでもうちょい食べとけばよかったですね、キッシュとか。あれ脂すごいんですよね、雑に食べてると指とか口周りがいつの間にかべとべとになる。
で。
暇潰しの雑談で、手っ取り早く共通の経験で盛り上がろうったら、映画の感想でも話せばいいかもしれませんけど。
ですよね。
微妙でしたもんねえ……いやだから俺が出したじゃないですか映画代。付き合わせたのは俺ですから、それは別にいいんですよ。あの監督の作品って人選ぶこと多いんですけど、今回のは予告編とか前情報で一般受けに振ってる感あったから、じゃあいけるかなって思っちゃったんですよ。いつも通りっていうか、いつもの中でもちょっとあれでしたけど。なんですかね、三割はホームラン出すけど四割ぐらい三者凡退、残りの三割は入場前に通りすがりの猪にどつかれて打席に立てすらしないみたいな。そういう感じの作品打率の人なんです。俺はホームランで一撃食らっちゃったからずっと追っかけてます。
そういうのも踏まえた上で申し訳ないなって思ってるから、せめて無茶振りくらいにはちゃんとお答えしようって頑張る気になってるわけですよ。まあ、暇が潰れるかどうかは分かんないですけど、つまんなかったらラジオ聞いててくれていいんで。
面白いっていうか、昔話っていうか、思い出話っていうか──何ですかね、懐かしい話です、要は。
実家がね、盛大に田舎なんですよ。
新人歓迎会で話しましたっけ、街灯が村の入り口にしかなかったから日が落ちると家に辿り着く難易度が凄まじく上がるとか、コンビニに擬態した個人店が二十四時間営業どころか週に四日ぐらいしかやってないとか、そういうやつ。ド僻地なんですよね、高校行くのに片道二時間ぐらいかかるのが普通でしたし。ずっと朝は五時起きって生活してたんで、大学で
あとこっち、ちゃんとコンビニが毎日やってるのも感動ものでしたね。都会なんだなって。……厳密にいえば地方都市だって言われても、俺の基準からすれば都会ですよ。実家の開発されてなさに基づいた相対評価です。
で、そういう田舎の実家だから一軒家だし、自分の部屋もあったし、庭もあった。
ついでに蔵もあったし乗用車は三台ぐらいあったけど、金持ちだからじゃなくて、冗談みたいな田舎住まいだったからってだけです。土地が安いし、車はないと何にもできないし、敷地はあっても一般人にできる有効活用なんて限度があるし。何にも面白いことなんかない。
実家、デカい家ではあったんですけど、いかんせん古くって。
造りが……そうだな、先輩は出身東京とかでしたっけ。そういう都会の人なら古民家カフェとかの方が想像できますかね。他だと、ちょっと古いですけど推理とかサスペンスで人がいっぱい死んで被害者と加害者の祖先や村全体を巻き込んだ因縁のこじれと歪みの悲哀に彩られた動機が判明したあたりで犯人が毒とか飲む系の映画とか。ホラー映画だと閉鎖された田舎で血塗られて淫靡な因習がー、みたいな扱いで、最後の三十分で儀式を台無しにしたよそ者を村の有力者とか汚れ役が斧とか鉈の生活感溢れる刃物で襲ってくる系のやつ。
因縁とか因習は分かりませんし遺産相続と隠し子がどうこうみたいなやつもないけど、建物としてはあの手の映画に出てくる感じです。
黒木の塀があって正面に家紋、みたいな。あとあれですね、土間がある。冗談みたいですけどマジです。だって俺が生まれる直前までは鍵なかったんですよ。いや、田舎は鍵をかけないとかじゃなくて鍵がない。木の引き戸で、戸締りどうするったらつっかい棒かけます。冗談じゃないですよ。
玄関まわりでビビらせた感ありますけど、あとはまあ、普通の家ですよ。風呂場があって、台所があって、
で、勿論仏間もあるんですよ。ひんやりした畳が敷かれてて、仏壇がどんと真ん中にあって、向かって右に押し入れがあってお盆用のぐるぐる回る灯篭とか客用座布団とかが入ってて、天井近くに遺影がずらっと並んでる。そんで埃と木と線香が混ざったっぽい匂いがして、明かりが点いてるはずなのに薄暗い。
障子戸がね、あるんですよ。押し入れの反対側、仏壇の左の方。
その障子を引くと、木床の真っ黒い廊下が続いてて、突き当りに襖がある。
襖の向こうには畳の部屋があって、そこに叔父さんが居たんです。
最初に会ったの、俺が中一のときでした。両親が買い物かなんかで町に出てて、俺が暇なんで仏間でごろごろしてたんです。普段は仏間に長居してると怒られるんで、鬼の居ぬ間にみたいなやつで。何でって仏間が普通に好きだったんですよ。涼しいし、畳だし、線香の匂いするし。
そんときに障子戸あるなって気づいて、戸があるってことは先があるってことだなって考えて、そういや俺ここから先行ったことないなって思っちゃって、じゃあまあ自分ちだし入って悪いこともないよなって。
そうして廊下をぺたぺた歩いて、襖開けた途端に知らない人と目が合ったわけです。生白くて、髪も目も真っ黒で、学校の先生みたいな白シャツで。父より若いけど俺より確実に年上、みたいな人。
タ行の悲鳴が出ました。向こうも目真ん丸になってましたけど。
名前ね、貴余史さんだって教えてもらいました。字はこう、貴族の貴に余分の余で歴史の史。あんた誰だって聞いたら、叔父さん相手にあんたってのはやめろ年上なんだからって笑ってましたね。だから、この人俺の叔父さんなんだなって納得しました。
なんでこんなところにいるのかったらここにいるのが仕事だっていうんで、なんだその仕事って聞いたらカガフジ様のお相手だって答えてくれました。あんまりすらっと言われたんで、信じました。分かんなかったですしね。疑うにもどこからどうすればいいのかって話でしょう。知らん人が知らん仕事してるって言われたら、そうですかって受け入れるほかない。極論、それで困りませんしね。
怪しくないのかったら、まあ、そん時は特には──だって普通に仏壇から廊下辿って着いた部屋に居た人ですし、つまり俺んちに居た人でしょう。だったら泥棒か親戚家族のどっちかですけど、叔父さんって自己申告してくれたわけですから。
じゃあ親戚で、血縁で、叔父です。そういう感じじゃないですか。
実際ね、いつ行っても居たんで住んでたのは確かなんですよ。泥棒って住み着かないじゃないですか。やっぱり叔父さんなんだなって、それで安心してました。
出入りする頻度は、そこそこって感じですかね。あんまり自室にいないと怪しまれるし、用もないのに仏間に居ると怒られるし。だからまあ、両親が買物に出てるときとか、日帰りで旅行のときなんかに出入りしてました。夜はね、俺も眠かったのと、怖かったから。夜の仏間ってめちゃくちゃ怖いんですよ、仏壇の明かりだけぼんやりついてて、顔の見えない遺影がこっちを見下ろしてくるような気がしてくる。
だから昼間、遅くても夕方ぐらいまでしかいませんでしたね、叔父さんの部屋。隙を見つけて入り浸ってはいましたけど。
埃っぽい日射し、みたいな印象があるんですよね。
何だろうな、そんな散らかった部屋じゃなかったんですよ、物とかそんなになくって。隅っこの方に布団が畳んであって、低めの机と本棚に箪笥、みたいな。和室って言われて十人中八人ぐらいが想像するやつだと思います。あー和だなーみたいな。
そんなとこで何してたんだったら、何にも。
叔父さんも別に俺のこと構わないし、俺も特にちょっかい出すような理由もないし。ただ本読んだり昼寝してたりってぐらいです。スマホはなんか、電波繋がんなかったんですよねあの部屋。別にそれは気にしてませんでしたね。俺の部屋も電波不安定なんで、田舎だとよくあるんですよ。時計もすぐ止まっちゃうし。
本棚、色んな本入ってたんですよ。文学全集とか、図鑑とか、娯楽小説とか。推理小説も結構ありました。叔父さん好きなやつあんのって聞いたら、勧めてきたのが瓶詰地獄でしたね。先輩文学部だったなら分かるでしょうけど、まあ、夢野久作を初手に出してくるんだからろくなもんじゃないですよ。偏見ですけど、俺この偏見で間違ったことありませんし。先輩だって飲み会のときに趣味が読書とか言うから、最近読んでる本何ですかって話題振ったら人間腸詰って答えたじゃないですか。──あ、降ろさないでください。走行中に降ろされると、俺路上の染みになっちゃうんで。済みません。言い過ぎました。
とりあえず、何もしてないんです。放っておいてくれた、っていうのが正しいんですかね。たまに本とか勧めてきたりはしたけど、それだって置いとくから読めよぐらいの雑さでしたし。
何も聞かないし、何も要求してこないし、何も──だから、俺は好きでしたよ。何ていうか、息が楽で。干渉されないし、しなくてもいい。そういうの、気楽でしょう。
んで、そんな具合でだらだら叔父さんと過ごしたりしつつも普通に中高の学生生活をそれなりにこなして、大学進学で県外に出て、そのままこっちで就職したわけです。就職浪人とかせずに済んだし、こうやって休みの日に遊べるくらいには気の合う先輩ができて、大変楽しく日々を送っていたと。
そんで
びっくりしましたね。
ただまあ、やればできるじゃないですか。減築って手段もありますし。部屋の一つ二つ潰すのを、ろくに実家に顔も出さない息子に教えないのも、分かんなくはない。
だから聞いたんですよ、叔父さんの部屋どうしたのって、父に。
はい。
先輩の予想通りの答えが返ってきました。
そんな人はいないしそんな部屋はない──あ、部屋は微妙でしたね。母さんが昔はあったかもしれないみたいなことわやわや言ってて、どっちつかずだったんで。元々は母さんの家なんですよ母さんとこみんな短命だったり恨み買ったりでいなくなったからなし崩しに相続してみたいな感じだったんで。父からすればね、同居予定の親族が一気にみんないなくなった上に親戚付き合いもほぼない状況ってのは快適だったかもしれませんが。前これ言って殴られたんですよ。振りかぶって右の頬を、こう。みんな当たり前って言うんで、じゃあ俺が悪いんだなって思ってます。先輩も──あ、そうだなっていいましたね。そっか。
分かんないことがいっぱいですか。じゃあ、とりあえず分かってること話しますか。
カガフジ様はね、いたんですよ。
ただね、実家の一族が住む土地のー、とか血族にまつわる因習のーとかそういうんじゃない。
県がね、思いっきり違うんですよ。西の……あったかい方で。年間の平均気温が二桁切らないようなところです。
そこでね、ちょっとマイナーめ信仰みたいなやつで地元の人々に親しまれてる系で同じ名前のやつがいました。伝承とかもそんなに過激じゃない。日照りのときにちゃんと祀ったら雨降らせてくれたとか、逆に雨ざんざん降ったときに川の氾濫を抑えてくれたとかそういうの。蛇だろってよく分かりましたね。何ですか、お約束みたいなもんなんですか? そのへん意外と想像を外れないもんなんですかね、お化けみたいなもんなのに。
だから、まあ、全然関係ないんですよね。
神様とかお化けの類ではあるっぽいんですけど、縄張りが違うじゃないですか。それこそ地縁血縁あたりの因縁で見るなら何のかかわりもない。両親も寒いところにしか縁がないですし。一応いるらしい親類も、大体日照時間の少ない北の土地にいるっぽいです。今俺が一番あったかいところにいる血縁なんじゃないですかね、三月に桜が咲くとか初めてですから。卒業式ったらよくて梅か椿だし、何なら吹雪ですよ。入場待ちの間にびゅうびゅう吹いたりする。
昔の親族に関係のある人がいるかどうかって、確かにそれが可能性としては一番あるやつなんですよね。でもほら、父方は全員北ですから。あるとしたら母方ですけど、さっき言った通りみんな死んでるんで。駄目ですね。分かりません。
叔父さんは、全然分かりません。
少なくとも両親に心当たりはないっぽかったんですよね。母方はもういないんで、調べようがありませんし。父方はどうだったら、そっちは単純に駄目です。父がこう、親とか血縁の話をすると茶碗割るくらいに不機嫌になるから。心当たりがあるとかないとかじゃなくて、駄目です。茶碗の破片始末するのって大変ですしね。聞けません。血色悪くって黒髪黒目で夢野久作が好き、何の手掛かりにもなりませんし。顔立ちが似てるかどうかは……どうだろうな、俺よか垂れ目の一重だったぐらいしか思いつかない。左目の下のとこに縦に二つ並んだほくろがあった、ような、気がするんですけどね。似るもんでもないですから、ほくろ。
だから、全部なくなっちゃったんですよ。部屋も、叔父さんも、あの日に俺が見たものは、全部。
穏便なあたりとしては、俺の記憶違いですよね。別のところで体験したのを、なんか変な取り違え方をして覚えてる。当たり前ですけど、そんな覚えはないんですよ。直近、大学三年の年末に会ってますしね。そんときもちゃんとやりとりしました。久々に会ったなとかこっちの冬はしばれて嫌だとか、そういうのを本読みながら適当に……けど、これを証明する方法がないんですよね。だって証言も証明も俺担保ですから。何の信頼性もないわけです。大学三年の冬に俺が正気だった保証がどこにもない。俺はまともだったと思いますけど、だから何だって主張でしょう、これ。
もう一つはマジで住んでた人がいて、俺が大学から会社に就職して日々過ごしている間に何やかんやあって、部屋ごとなくなったと。でもね、それなら最後に会ったときに何かしら言ってくれるでしょう、大人なら。つうか家族も教えてくれるもんだと思うんですよね、仏間の離れに叔父さんがいるよ、みたいなの。でもそんなのいないって言われてる。なんで、この主張を押し通すと不都合が色々出るやつっぽくなっちゃう。倫理とか、法律とか、そういうやつで。困るじゃないですか、俺が。あと両親も。あの家にまだ住んでるわけですから。
そうですね。
叔父さん、どこ行っちゃったんですかね。
何でいたかも分かんないですけど、悪い人じゃないとは思うんですよ。
俺、よくあの部屋で昼寝とかしてましたからね。悪いこととか酷いこととか、しようと思えばいくらでもできる機会があったわけです。でもそういうのは何にもなかったし、あったことったら本読んでるばっかりで、たまにぽつぽつ雑談とかしてた、ぐらいで。
畳に伸びた日射しの白さとか、埃と古い紙の匂いとか、次はこれ読みなよって本を差し出す叔父さんの手に浮いた血管の青さとか。そんなことしか覚えていないけど、それで十分だったんです。
ただね、最近考えるんです。
せっかくね、俺一人暮らししてるわけですから。また顔出して、何ならそのまま住み着いてくれてもいいんですけどね、俺としては。予備室ありますし、和室もありますし。好きな方で。
また上手くやれると思うんですけどね、根拠とか別にないですけど。人付き合いってそんな感じですし、本の趣味が合うならどうにか、ね。
遠い座敷と■しいあの人 目々 @meme2mason
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます