峠道

フィステリアタナカ

峠道

「今後ともよろしくお願いいたします」

「こんな時間まで呼び止めてしまい申し訳ありません。気をつけてお帰りください」

「はい、大丈夫ですよ。帰りに峠道を使いますので」

「あっ」


 今日、僕は出張で取引先の会社に来ている。挨拶をし帰ろうとすると、取引先の人に呼び止められた。


「最近、峠道で事故が多いらしいので」

「そうなんですね」

「はい」

「わかりました。ドリフトせずに安全運転でいきますね」


 僕がそう言うと、取引先の人は「ドリフトって、攻めますね」と苦笑していた。


 ◆


 僕にはこの町の記憶がある。峠道も遠い昔に行ったことがあるので、道はよく知っていた。通りたくはなかったが、明日の仕事も早いし、近道である峠道を進むことにした。

 車に乗り込みエンジンをかける。もう夜のとばりが落ちていて、肌寒かったのでエアコンを入れた。


 駐車場から道に出る。車内の明かり、テールランプの灯り。信号をいくつか通って山へ向かう。三十分くらいで峠道の入口に着き、僕は山を登り始めた。

 峠道の入口までは街灯があったが、その奥は真っ暗でヘッドライトの光だけが頼りだった。


「登り切ったかな」


 山の天辺まで登り、下り坂へ。途中、ぽつりぽつりと雨が降り始め、ワイパーを操作する。


「ん? あれって」


 車を走らせ前方を見ると、左の奥に小柄で長い髪の人がいる。白い服を着ていたから、わかったのだろう。暗めの服だったら見逃してしまったかもしれない。こんな所で濡れたら大変だろうと、僕はその人の脇に車を止め、窓ガラスを開けた。


「どうしました? こんな所で?」


 僕はドアの向こうに側にいる人を見る。顔はよく見えなかったが、女の人だった。彼女はこちらを見て、黙って佇んでいる。


「濡れてしまいますよ? 良ければ送りましょうか?」


 彼女は「はい」と小さく呟き、僕は左のスライドドアを開ける。彼女が車の中に乗ったことを確認したあと、僕は言った。


「シートベルトはしてくださいね」


 ドアを閉め、出発する。どこに行けばいいのかわからなかったので後部座席にいる彼女に「どこへ行けばいいですか?」と聞いてみると「好きなところへ行ってください」と言われた。

 僕は「なんなんだこの人」と思いながら、「ああ、あそこに行こう」と、とりあえず遠い昔に行ったことのある場所へ行くことにした。


「今から行くところ、きっと気に入ってくれると思いますよ」


 彼女は返事をせず答えない。


 しばらく車を走らせ峠道を抜ける。峠道で事故がよくあるということを忘れ「ようやく街に入るな」と思っていると、彼女が声をかけてきた。


「ホテルですか?」


 その声は低く冷たい声だった。


 僕はその声に驚き、振り向くことができなかったが、彼女へこう告げた。


「いえ、違いますよ。とても綺麗な場所です」


 よく考えれば、あんな所に女性がいることは不自然だ。けれども、僕は一つの仮説を立て、彼女に続けて言う。


「信じてもらえないかもしれないけれど、僕は前世のことをおぼろげに覚えていてね。さっきの峠道は悲しい思い出の場所なんだ」


 彼女の姿は見えないが、彼女が驚いているように僕は感じた。


 夜の道。二人の間に沈黙が流れる。ただ、雨で濡れた路面とタイヤが水を切る音が聞こえた。


「もうそろそろ、着きます」


 目指した場所は会社近くの小学校。二週間だけ桜がライトアップされていて、そのことは一昨日、職場で知ったところだ。


「見えますか?」


 僕は彼女に話しかける。後部座席へ振り向くと、彼女は体を震わせているように見えた。


「じゃあ、外に行きましょうか」


 車を降りて、ライトアップされた桜を仰ぎ見る。それあと彼女を連れて、行きたかった場所に行く。


「この桜の下でね。遠い昔にプロポーズするはずだったんだ。あの人はここに来る前に攫われ、レイプされたあと、さっきの峠で死体で見つかったんだ」


 彼女は僕を見る。長い髪に隠れ瞳は見えないが、僕は彼女を見つめ、言う。


「ハルだよね?」


 彼女はコクリと首を縦に振った。


「せっかくだから、お花見しようよ」


 僕は生まれ変わり、彼女は霊として、こんな形で出会うとは思わなかった。雨は止み、水溜りには桜の花びらが折り重なる。


「綺麗」


 彼女は僕にそう言う。僕は彼女の掴めない手に手を伸ばし、昔の記憶のまま彼女にこう告げた。


「綺麗だね。ハル、愛しているよ。結婚は無理かもしれないけれど、またデートしようよ」


 彼女の体は少しずつ薄れていく。いつの間にか長い髪が短くなり、彼女の笑顔が見えた。


「愛しています」


 彼女はそう言って、光となり消えていった。


 恨みつらみ。どんなに長い時間、彼女は苦しんでいたのだろう。今度、彼女と天国で会うときまでに、僕は人生をたくさん楽しもうと思う。そしてその土産話を持っていき、彼女と天国で楽しく語り合おうと。だから、ハル、しばらく待っていてね。


 ◆


「パパ! あの花きれい!」

「あれはね、桜っていう名前の花だよ」

「さくら! 聞いたことがある!」

「ははは。知っているのか、もの知りだな」

「うん! ウチ、パパとデートして結婚する!」

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