吾輩はちんちんである。
じゅそ@島流しの民
第1話 吾輩はちんちんである。生ではまだない。
吾輩はちんちんである。名前はまだない──と言いたいところだが、ところがどっこい、吾輩には名前がある。
ちんちんに名前をつけるなど、どれほど酔狂な奴なのだと思われるかもしれないが、吾輩もそう思う。
吾輩の主人は、もちろん人前で吾輩の名前などは呼びはしないが、二人きり(吾輩のことをひとりとカウントするのかどうか、そこは難しいところではある)になると、ことあるごとに吾輩の名前を呼んでくるのだった。
さて、話が逸れた。なんの話だったか……そうだ、吾輩の名前だったか。そこまで話は逸れていなかったな。
吾輩の名前は万次郎である。ちんなのにまんとは如何なものかと思われるかもしれないが、吾輩もそう思う。
主人曰く、ジョン万次郎のように若い頃から大成するようにと、この名前をつけたらしい。何ともまあ悲しい話である。名前をつける前に自分で努力しようとは思わなかったのか。ちんちんに説教されて悲しくないのか。
話の流れから察してもらえるかもしれないが、吾輩は女性経験がない。吾輩は、ということは、勿論主人もまたそうである。主人の年齢は25歳。まあ童貞でもまだ大丈夫かな? と思われる時期だが、この年齢まで女を知らない男にはろくな奴がいないことを、吾輩は知っている。
おや、なんだか読者の不思議そうな顔が見えてきたぞ。なになに……何故ちんちんが喋っているのかわからないだって?
まあ、それはそうだ。ちんちんが喋っていれば誰だって気味悪がることだろう。吾輩だってもし道行くワンコのちんちんがマーキングについて滔々と語り始めたと考えたら気持ち悪さで夜も眠れない。
だが吾輩は喋れる。これは一体どういう事なのだろうか。
──勿体ぶったが、なんてことはない。読者諸君が知らなかっただけで、ちんちんは元々喋るものなのだ。
だがちんちんが喋れるようになるためには、ある条件がいる。難しい条件ではない。かといって、簡単という訳でもないが。
ちんちんが喋れるようになるためには、成人まで童貞を貫かねばならない。これは意図してできるものでは無いし、意図して破れるものでもない。
成人式を迎えたその日、吾輩に自我が芽生えた。
あの日は驚愕したものだ。湯浴み中にあまりの熱さに声を上げてしまったほどだった。
だが幸いなことに、我らの声は人間には届かない。だから今もこうして吾輩は堂々と喋れるというわけだ。
▼
さて、現在吾輩は主人の下着の中で愉快に揺れている最中である。どうやら主人、ランニングをしているらしく、骨によって固定されていない吾輩は、それはもうフロアにいるDJも思わずラップを止めてしまうほどのビートを刻みながらその身を揺らしていた。
最近の主人の日課である。ランニングをして、その後銭湯に赴くのだ。吾輩の主人は大学を卒業したばかりのフリーター貧乏童貞である。金も彼女もない哀れな男のちんちんだと考えるだけで、吾輩は落涙の思いだ。ちなみに吾輩が泣けば主人の世間体はとんでもないことになる。
兎に角、主人は金がないので、家に風呂がないのだ。だからランニング後は毎日銭湯に行くのが日課になってしまっていた。
嗚呼、銭湯! あそこはなんと言う地獄だろうか!
吾輩以外の未使用ちんちんが店先に並んだ世界に一つだけの花よろしく湯浴みをしているのだ! 考えるだけで背筋がゾッとする。ちなみに吾輩の背筋はどこなのだと疑問に思われた読者の君は、どこか吾輩の全身を眺めることの出来るサイトへ行って予想してみてくれたまえ。してくれたか? ならよろしい。
そうこうしているうちに、吾輩の姿が外気に晒される。勿論外ではない。銭湯に着いたのだ。
むっとする熱気が私を覆う。主人は私のことなどお構い無しで銭湯の中へと入っていった。
壁にずらりと並んだシャワーヘッドには、かなりの数の人間が座っていた。空いている場所はひとつかふたつしかない。
主人は嫌々と言った感じで、少し老けた男の横に座った。齢30といったところか。
吾輩はこの人間のことを知っている。いや、この人間ではない。この人間のちんちんを知っている。
「や、万次郎殿。お久しぶりですな」
「その名前で吾輩を呼ばないでくれたまえ、大将」
横に座っている男の股ぐらからにゅっと声が聞こえてくる。
いつもこの銭湯を愛用しているため、顔馴染みになってしまったちんちんの大将である。もちろんあだ名だ。吾輩の主人のように、自分のちんちんに名前をつける阿呆はそうそういない。
ちなみに主人は大将の主人のことを知らないので、吾輩たちしか喋ってはいない。
「最近はどうですか、いい相手は見つかりましたかな?」
「見つかってたらこうべらべらとは喋らん。全く、吾輩の主人も大概ヘタレなやつだ」
「そう言いなさんな。我々もそのうちいい相手が見つかって、無事転生出来ますとも」
我々自我を持ったちんちんは女とまぐわった時、転生することが可能になる。転生するといっても、転生先はどこかわからないのだが。噂によれば今度の転生先は女の大事なところらしい。わくわく。
「そういえば、ラスプーチン殿は無事転生出来たらしいですぞ」
「嘘だろう。あんな短小に良い相手が現れるわけない」
ラスプーチンとは、この銭湯で知り合った阿呆のうちの一人であった。自分は巨根だからラスプーチンと呼べと豪語していた割には、サイズは平均を下回っていた。彼曰く、「今日は冷えるからちょっと縮んでらァ」とのことらしかった。いつまで縮んでいるつもりだと馬鹿にしていたのだが、とうとうそれも終わってしまったというのか。
「万次郎殿、大きさは関係ありませんぞ。大事なのは愛です」
「ふん。そんなの、短小が自らの自尊心を失わないために宣う言い訳さ」
「だが彼は童貞を卒業した」
「痛いところをつくな」
我々ちんちんが転生すると、元々自我が芽生えていたちんちんは喋らなくなってしまう。
もう魂のないラスプーチンに必死に語りかけている大将の姿を想像して、吾輩は少し噴き出してしまった。
すると、吾輩の左隣に座っていた男が立ち上がり、風呂に向かってスタスタと歩いていった。空いた席に滑り込むように男が入ってくる。この男のちんちんもまた、顔見知りであった。いや、ちんちん見知りであった。左右を童貞のちんちんに囲まれ、吾輩は密かに溜息を吐いた。
「よう、久しぶりだな」
「やあ幼女趣味殿。最近はどうですかな」
「その名前で俺を呼ぶなと何度言えばわかる」
「仕様がないだろう。貴様の主人がロリータ・コンプレックスなのだから」
「俺は関係ないだろう」
「蛙の子は蛙」
「なんだとコノヤロウ。おかしな性癖を持ち合わせていないのに未だに交際経験のない貴様に言われたくないわ」
「貴様」
「コイツ」
「まあまあ二人とも、そうかっかしなくても」
「やかましい、三十路で童貞の恋愛障がい者め」
「貴様だって28だろう、もうすぐだぞ」
「お前だって同じ穴の貉だアラサーめ」
「まあまあ、みんな童貞卒業というスタートラインすら越せていないという仲間でしょうに」
「痛いところをつくな。というか、なぜお前はそうも堂々としてるのだ。少しは恥を持て」
「恥を持ったところで童貞が恐れ戦いて逃げていくというわけでもないでしょう。なら堂々としている方が良いというものです」
「なんだか格好いいことを言っているぞ。童貞のくせに」
ここで大将はどこかへ行ってしまう。彼の主人が風呂に入りに行ったのだ。ぶらんぶらんと足の付け根の間から覗く彼の後ろ姿は何処か雄々しいようにも見えたが、次の瞬間にはアイツも吾輩と同じく女に触れたことも無い可哀想な奴だということに気づき、微かに芽生えた尊敬の念を捻り潰す。
「まったく、アイツと喋っていると俺の矮小さが身に染みて思い知らされるぞ」
「確かに貴様は矮小だな。心もその身も」
「お前だって大して変わらんだろう。それと言い忘れてたけど、お前、なんか臭いよ?」
「臭いとか言うな。貴様の方が臭い。なんだその栗の花のような匂いは」
「なんだと、お前だって似たような匂い漂わせているくせに」
「引きちぎってやる」
「小便ひっかけてやる」
「もうおいらの横で情けない争いばっかりしないでくれ」
いきなり横槍を入れてきたちんちんに吾輩たちは口論を止めそちらを向く。そのちんちんは幼女趣味の左隣、つまり吾輩の左の左に座っている男のものであった。
「なんだ貴様は。初めて見る顔だな……む、それは顔か?」
「なんだ、顔が見えんぞ。なんでお前は顔を隠してるんだ」
「隠してるんじゃない。これがおいらのありのままの姿さ」
横槍を入れてきたちんちんは、横槍を入れてきたという言葉がまさにピッタリと当てはまる容姿をしていた。
細長い。それが吾輩が彼に抱いた第一印象であった。細長い。無駄に細長い。
何故なら、彼は何か被り物をしていたからだ。被り物といっても、なにも最近巷をきゃあきゃあと黄色い声で騒がせている、オシャンティなシルクハット擬きではない。何か……そう、タートルネックみたいなやつだ。いや、うん、まあ、何も言うまい。
頭まで覆い尽くす彼の被り物は、その頂上できゅっと閉じている。餅巾着みたいだと、私は思った。
「お前、名前はなんだ」
「名前? おいらに名前なんかないよ。ちんちんに名前を付ける阿呆などいないだろ」
「ところがどっこい、ここにいる」
「阿呆め」
「吾輩に言うな……しかし、名前が無いのか、なら我々が貴様にピッタリの名前を付けてやろう」
「いらん」
「そうだな……こいつは見た目がミサイルみたいだから、ICBMというのはどうだろう」
「呼びにくいだろうが阿呆。それより愛嬌のある神☆聖ホーケイ君というのはどうだろう?」
「いらんといっとるだろ。というか、はっきり言うな」
「神☆聖ホーケイ君だと? お前のネーミングセンスは壊滅的だ」
「貴様の痛々しい名前よりかはマシだ」
「おい、おいらの話を聞け!」
「なんだ、やかましいなお前は」
「黙っていろ、このシャイ・ボーイめ」
「む、シャイ・ボーイはいいな。特にその・が味を出している」
「貴様も分かるようになったな。よし、お前の名前は今日からシャイ・ボーイだ」
「おいらは別に恥ずかしがっているから顔を隠しているんじゃない」
「似たようなもんだろ。悔しかったら顔を出してみろ」
「そういう煽りは良くない」
「おや、吾輩の主人はそろそろ風呂に入るようだ」
「おいらもだ。じゃあな幼女趣味。また後で」
「皮を剥いてやろうか」
「人のデリケートゾーンを弄るな」
その言葉を残して、シャイ・ボーイと浴槽へ向かう。
天井から差す、柔らかな電灯の光が揺蕩うお湯に、シャイ・ボーイの主人が入っていく。湯の浮力に負け、ぷかりと浮かんだシャイ・ボーイの姿は、さながら溶鉱炉に沈みながら親指を立てるダンディなオジサマのようだった。まあ、あいつは情けない童貞だが。
かくいう吾輩もゆっくりと湯に入る。あまりの熱さに悲鳴をあげそうになるが、ぎゅっと口を噤んで(どこが口なのか、まあ言わずともわかるであろう)なんとか耐えきった。
そこに、幼女趣味の主人が入ってくる。
「早かったな」
「俺の主人はあまり身体を洗わんのだ」
「いやはや、先程ぶりですな」
「はじめまして」
「おや、新入りさんですかな?」
「こいつはシャイ・ボーイ。醜い童貞さ」
「貴様もだろう童貞め」
「あんたも童貞だろう」
「喋れている時点で、我々はみな童貞ですぞ。家族として仲良くやっていきましょう」
沈黙。我々は、湯の底から揺れる天井を見上げた。
「嗚呼、女子に触れたい」
ふと、吾輩の口から軟弱な言葉が転び出た。
それを聞いたちんちん達の反応は個々で違うものだった。
「ふん、いつの間にかお前も軟弱になったものだな」
「おいらも早くしたいなぁ。いつまでも二次元ばかりで盛っているようじゃ、ダメだね」
「…………」
幼女趣味とシャイ・ボーイがそれぞれ感想を言う中、大将はひたすらに黙りこくっていた。
「なぜ吾輩は転生できないのだろうか」
「お前の主人がヘタレだからだろう」
「貴様だってそうだろう」
「俺の主人は幼女趣味なだけだ。別にヘタレじゃない」
「同じことだ。異常性癖め」
「おいらの主人は二次元ばっかりで、三次元の女の子と話すと引くほど吃るんだよ」
「それは辛い。望み薄だな。お前の主人の髪の毛のように」
「そういう煽りはよくない」
「大将はどうなんだ。一応、最年長なんだろう。ずっと童貞で悔しくは無いのか」
「…………」
「大将?」
先程から沈黙を貫いている大将に、我々はやっと気づく。ちらりと大将を見ると、彼はどこか寂しげな表情で天井を見上げていた。その横顔からは、静かなる諦観の色が濃く現れていた。
やがて彼は少し口を開き、また閉じ、自虐するように微笑みを浮かべ言葉を紡いだ。
「私の主人、男が好きなんです」
静かに距離をとった。
▼
大将の衝撃のカミングアウトに暫しの間言葉を失った我々であったが、よく考えれば多様化が広がるこの社会、そういった類の人間がいてもなんらおかしなことでは無い。それは一つのアイデンティティなのだ。恥じる必要など皆無である。
ただまあ、特に理由はないが、これからは不必要な接触には少し注意を払いたいと思う。いや、ホントに変な意図は無いんだけれど。やはり不要不急の接触も控えた方が世のため人のためである。
さて、時は変わり帰宅途中である。
吾輩は下着の中で微かに揺れながら、ぼんやりと未来のことについて考えていた。
吾輩はいつになったら転生できるのだろうか。
ぼんやりと考えていると、脳裏に先程銭湯で会話を交わしたちんちんの面々が浮かび上がってきた(ちんちんの面々とは、これまた奇奇怪怪である)。
「ふむ、奴らに比べたら、吾輩の主人はまだマトモではないか?」
比べる対象が酷すぎるのは重々承知だが、そう考えると少しは気持ちが楽になる。
なんせあちらは幼女趣味と異次元の狙撃手(意味深)と大将なのだ。勝ち確定ではないか。
そんなことを考えていると、主人が立ち止まる。次いで、鍵を回す音が聞こえてきた。どうやら家に着いたようだ。
吾輩が些かうきうきしながら転生した後のことを考えていると、不意に主人がベッドに倒れ込み、枕に顔を埋めて叫んだ。
「あぁあぁぁぁあ!!! したいしたい!!!!! セックスしたい!!! うぉおおおぉぉぉぉ!!! ダメだ! 自分を守れ!!! 俺は!! 本野翼とセックスするまで!!! 童貞を貫き続けるぞぉおおおお!!!!!」
──数年後、吾輩が「童貞の神様」として銭湯内で称えられ始められるのだが、それはまた別の話である。
吾輩はちんちんである。 じゅそ@島流しの民 @nagasima-tami
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