『ただ、きみをみる。』の感想

ただ、きみをみる。

作者 豆ははこ

https://kakuyomu.jp/works/16818093075026185002


 大学の花見で出会った主人公と若菜君との出会いと交流の話。


 本作のタグは「現代ドラマ」ですが、恋愛とそれ以外の要素をくらべ、恋愛ものと判断しました。

 春のテーマが物語全体に絶妙に織り込まれている。

 新たな始まりと終わり、儚さの象徴である桜の下で、若菜君の美しさと独特な魅力に引き込まれる主人公の感情の揺れや動きが、詩的できれいな言葉遣いと心地のいいリズムで詳細に描かれている。

 花見の風情の中、読者は内面描写と若菜君への感情の変化を、主人公の視点を通して、強い感情的共鳴を引き出されてしまう。


 主人公は、工学部の男子大学生。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。

 恋愛ものなので、出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末の順に書かれている。


 それぞれの人物の思いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプと、メロドラマに似た中心軌道に沿って書かれている。

 夜、大学の花見にて。残っている酒を集めまわっていた若菜君は、一升瓶片手に桜の木の高いところに猫がいたのでみていた、見た目ハンサムで、文学部の女子たちから好かれている噂の若菜君の名前を呼んだのは、同じ学部で、彼に興味があったから。

 親しくなり、研究のために大学構内に泊まり込みをして無精髭が生えても、彼の顔は大変綺麗だった。飲み会は好きではないが花見が好きらしく、何かあると飲みたがる研究室に所蔵していたこともあって、二人は花見期間は毎日顔をわせることとなる。

「会話ができなくても、花を見たらいいから、この時期の飲み会は好きなんです。まれに、女性との会食の席にもお誘いは頂くのですが、私は、自分の会話がつまらないことを自覚していますので、ご迷惑ですから、伺いません」

 彼は自分のことを「私」といい、それがとても良く似合う。

 一人でたくさん飲むのが好きだと語り、はじめてあったときも、酔いつぶれた連中が残したものを集めまわり、一人で楽しむために持っていたと聞いて、主人公は驚かされる。

「迷惑なんてことはないよ。君だったら、文学部とか、他大学の女子学生も喜んでくれるのではないかな。君の容姿は整っているから」

と伝えると、容姿が良いことにふれられても、本人には自覚がないのか、わからないと考えはじめる。 

「貴方に褒めてもらえるならば、私の容姿も、捨てたものではないのかも知れませんね。ですが、桜を見ましょう。きれいですよ」

 容姿を褒めることを一任された主人公は葉桜の頃、二人きりの花見に誘われる。彼が見ている方とは逆の葉桜を見ていると、「見て下さい。奥の方にはまだ、桜がありますよ。なんという桜なのでしょうか」と声をかけられる。

 彼が葉桜を見、主人公は冷たい風が吹いてわずかに残る桜のかすかな花吹雪が舞う一瞬だけ、彼を見る。そんなことを考えていると、

「猫だ。ほら、いましたよ」と言われる。

 枝の上にいる白い猫が、まるで主人公の気持ちを見透かしているかのように主人公をじっと見て、にゃあと鳴く。

 声につられて、くやしいくらいにきれいな彼を見てしまう。

「ね、きれいですよ」

 という彼の言葉に、「ああ」と答えてしまうのだった。


 三幕八場の構成で書かれている。

 一幕一場の状況の説明、はじまりでは、夜に行われた大学の花火、風に舞う花びらの中で、一升瓶を片手に桜の木にいた猫を見ていた男子学生のきれいな顔を見る。

 二場の主人公の目的では、大学内ではハンサムの工学部の学生で、文学部の女子たちから好かれていると有名の彼の名を知っている主人公は、若菜君だよねと声をかけ、親しくなる。

 二幕三場の最初の課題では、若菜君からは「貴方」と呼ばれたので、「君」と呼ぶことにする。若菜の君でなくてよかったといわれ、源氏物語の最後の巻を思い出し、正妻である紫の上に、義理の母への思いをのせてきたが、最愛の人との別れのときには自らの思いに気づいた光る原子は不幸だったのかと考え、もう一人の正妻である女三の宮と柏木の密会を助けたのは、猫だったことを思い出す。

 四場の重い課題では、同性とはいえ、整った顔が近くにあると、戸惑ってしまう主人公。親しくなってわかったことは、研究で大学に寝泊まりして無精髭が生えてもきれいだったことを思い出す。

 五場の状況の再整備、転換点では、自分のことを「私」という若菜君は、飲み会は好きではないが、花見は好きらしく、何かと飲みたがる教授の研究室に所属していたため、主人公と彼は、花見の期間は毎日のように顔を合わす。彼は自分お会話がつまらないと自覚しているので、ご迷惑をかけるから女性との会食に誘われてもいかないという。

 容姿が整っているから、文学部の女子たちは迷惑ではないと思うと話すと、「貴方に褒めてもらえるならば、私の容姿も、捨てたものではないのかも知れませんね。ですが、桜を見ましょう。きれいですよ」と、彼の容姿を褒めることを一任される。

 六場の最大の課題では、二人だけで葉桜の花見をする。奥の方に残っていた桜を聞かれるも、また来年かと惜しむつもりだったのに、桜を探す気持ちになれなかった。

 三幕七場のどんでん返し、最後の課題では、桜の花を見る彼を、自分が見ればいいと気づき、残る桜の花びらが舞う一瞬だけみればいいと考えたときだ。桜の枝の上に猫がいたと教えられ、白い猫がこちらをじっと見つめ、にゃあと鳴き、つられて彼が見る方を見てしまう。

 八場のエピローグでは、「ね、きれいですよ」と言った彼を見て、「ああ」と答える。くやしいくらいに、きれいだった。


 桜の木の上に猫がいた謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どのように関わり合いながら、若菜君とどんな交流をしていくのかに興味が注がれる。


 恋愛ものは、結ばれたり失恋したり、死別もあれば、いい恋したなと卒業する結末が描かれることもある。

 とくに現在は、ハッピーエンドを迎える恋愛作品の割合は増加しており、年代が経るにつれて不倫物語から純愛物語へと、流行が移り変わってきている。

 そんな時代の中、本作は、同性との間に芽生えつつある感情、恋に発展する過程が描かれている。

 最近は独身者の数が増え、若い人の間にも結婚を考えていない、恋愛をしたことがない人も増加傾向にあるという。

 恋愛したい、恋人がほしいと思っている人でも、どういう状態になったら好き、恋したといえるのかわからず、自覚も持てない人も存在している。

 そんな現代だからこそ、見た目の美しさや個性に引きつけられ、同じ時間を楽しみ、相手を見つめ、好きを超えた感情に気づいて自覚する瞬間、その感情が恋愛感情だと示された本作は、多くの読者にも興味深く感じとってもらえると考える。

 新たな始まりと終わり、儚さの象徴である桜の下でくり広げられる出来事は、テーマの春と上手く絡めて描かれている。

 誰かを好きになり、恋する瞬間は、異性も同性も同じ。共通するからこそ、読者に深い共感を呼び起こすだろう。

 

 冒頭の導入部分は、客観的な状況の説明からはじまり、本編では主人公の意見や考えなどが主観で密に描かれ、終わりはまた客観的な視点で粗く書かれている。

 桜の木の上に猫がいたこと、桜がとても綺麗だと話す彼の顔の良さに驚かされたのは、大学の花火での出来事であり、彼と僕との最初の出会いだったことが書かれているものの、それ以上の人物描写がない。それでいて、風は強く冷たく、夜桜の花びらが風に舞い、きれいな顔と、紙コップをかぶせた一升瓶をもっていることが、絵映像を切り替えるように、粗く示されていく。

 本編では、若菜君と親しくなり、貴方と君で呼び合い、彼の容姿を褒めることを一任される様子が書かれている。飲み会は苦手だけど飲むのは好きなこと、話が面白くないから女子から誘われても迷惑をかけてしまうと思っていることなどなど、他の人は知らないようなことを知っていき、親密度が高まっていく。

 結末では、葉桜の奥に咲いている桜や、木の上の白い猫が登場している。

 猫は、主人公の彼に対する感情の探求や自覚を深めていくことに役立っており、最終的にどのような結論に達し、感情をどう進展させるかの解釈は読者に委ね、それぞれの読み手自身の感情や経験を反映できるようにしている。

 

 登場人物に共感させるため、主人公は若菜君と予期せぬ出会いをする。古文が不得意なこと。酒好きだと聞いても迷惑ではないと、彼を否定しない人間味のあるところがいい。

 また、若菜君の容姿はきれいで、「さらさらの髪に、色白長身」「裸眼は、大きくて黒目がち」「外国の何とかという俳優とか、日本人ならば、白皙はくせきの美青年と言われた舞台俳優の誰それに似ているとか」整った顔立ちをしている、

 女子から人気で、大学内で有名なハンサムであるのも、読者があこがれを持つところ。

 若菜君は、自分の容姿がハンサムなことについて自覚していないところが、彼の弱みでもある。

 完璧なキャラクターでは、共感がわかない。

 自覚のない疎さが、彼の個性を引き立たせている。

 

 より共感させるには、五感に訴えかける必要がある。

 本作では、視覚的情報は多く、聴覚や触覚の表現はみられるが、匂いや味は書かれていない。酒好きで、一緒に花見をしながら飲んでいるのに味や匂いが書かれていないのは、主人公の意識が酒ではなく、きれいでハンサムな容姿の若菜君に向けられている証である。 

 地の文でも、ときに口語的で、しかも一文は短い。詩的な書き方がされているため、必要な情報だけが書かれていて、読みやすい。リズムもテンポもいい。

 登場人物の性格は行動やしぐさだけでなく、会話文にも現れ、人物ならではの発言や口調、語尾やテンションなどは、どの人物にもみられるもの。

 会話は自然であり、誰のセリフかを区別するためもあるだろうが、若菜君の会話文は、ですます調で書かれている。

 自身のことを「私」と表現することもあって、ですます調のしゃべりや敬語は、人物像を浮かび上がらせるのに一役買っている。


 読者との共通点が盛り込まれている。

 本作の時代設定は昭和。かなり酒を飲むところや、人との関わり合い、噂など、その当時の雰囲気を上手く醸し出している。

 昭和生まれでない人には、ファンタジーっぽく楽しめると考える。それでいて、どんな読者でも興味を持てるように、花見や猫、源氏物語、大学を舞台にしたところなど、共通点を考えてのことだろう。

「研究のために大学に泊まり込みをして無精ひげが生えて」しまうところや、「何かあると飲みたがる教授の研究室に所属していた」、「空だったものを回収し、酔い潰れた連中が残したものを集めて回って、一人でこっそり楽しむために」一升瓶をもっていたことなど、現実味を感じることが書かれており、作品にいい味を出しているところが良い。


 本作は、主人公が若菜君と出会い、交流し、感情が変化していく過程を描いており、非常にわかりやすく、読者にも行動の予測をしやすくしている。予想と同じ行動したと感じることで、感情移入できる。また、ときどき読者の予想を裏切る場面を加えているので、興味と驚きを感じて読み進めていける。


 源氏物語の五十四帖の一つ。「若菜上」と「若菜下」の二部に分けられる。

「若菜上」では、光源氏が三十九歳から四十一歳までの話を描いており、源氏の兄である朱雀院が病を患い、出家しようと考えている。

 朱雀院は愛娘である女三宮の将来を心配し、婿選びに悩んでいた。

 最終的に朱雀院は源氏に宮を託すことを決心、源氏もそれを承諾。

 だが、源氏は女三宮の幼さに失望し、一方で紫の上は自分が正妻の座を奪われたことに衝撃を受ける。

「若菜下」は、光源氏が四十一歳から四十七歳までの話を描いている。冷泉帝が東宮(後の帝)に譲位し、太政大臣が隠居を申し出る。女三宮が懐妊し、紫の上が病に倒れる。源氏は紫の上の看病に専念する一方、女三宮と柏木の密通を知り、その事実に衝撃を受ける。

 光源氏の人生の転換点となる出来事が多く含まれており、源氏物語の中でも最も長い巻であるため、内容は非常に豊かで複雑となっている。

 それぞれのエピソードは、光源氏の人間性や時代背景を反映しているため、源氏物語の魅力を感じられる。

 この巻で、猫が登場する。

 光源氏が四十一歳のとき、異母兄である朱雀院の娘、女三の宮と結婚するのだが、女三の宮に恋心を抱いていた男性、柏木(光源氏の友人でもある太政大臣の息子)は、思いを断ち切れずにいた。

 ある春の日。光源氏と女三の宮が暮らす大邸宅の庭で、柏木を含む若い男性たちが蹴鞠に興じていたところ、女三の宮のもとで飼われていた二匹の猫が追いかけあいをはじめてしまい、猫をつないでいた紐が絡まって、外と室内を隔てていた御簾が引き上げられてしまい、室内の様子が外に顕わになってしまった。

 当時の貴族の女性にとって、不用意に男性に顔を見られるのは、あってはならないタブー。

 にもかかわらず、蹴鞠の様子を室内から眺めていた女三の宮は、柏木に姿を見られてしまった。柏木は、女三の宮の美しい姿を見たことで恋心を募らせ、密通に及び、女三の宮は柏木の子を出産。光源氏は血のつながらない赤子を、我が子として抱くことになる。

 柏木と女三の宮とが不倫するきっかけを作ったのに、猫が一役買っている。


 だからといって、本作においては、主人公と若菜君との不倫を描きたいのではなく、視線と感情の変化を示すために登場していると考える。

 

 物語の終盤、主人公が若菜君を見つめるシーンが描かれる。

 若菜君に対する感情に気づき、自覚する瞬間であり、感情が恋愛感情であることを示したところで終わっている。

 その後、主人公が、自身の感情をどのように進展させ、行動するかは描かれておらず、読者の想像に委ねている。

 それゆえに、本作は恋愛感情の発展していく過程を描いているといえる。

 物語の解釈の余地があるところもまた、本作の魅力の一部である。


 テーマの春を考慮し、葉桜となる木の下で芽生えた感情は、まさに恋愛の若葉の頃。

 うまくいくことを切に願う。

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