看護師伊織の心霊日記

第1話

 私の名前は伊織。26歳看護師だ。総合病院の外科病棟に勤務している。仕事はとても忙しいが、それなりに充実した毎日を送っている。これは、そんな私の日常の不思議な体験のお話。


 

 朝から降り始めた雨は止んだものの、厚い雲はそのまま空を覆い、少しの陽の光も届かない。ナースステーションの窓越しにどんよりとした空を見上げて、伊織は溜め息をついた。

「嫌な天気。気分も滅入っちゃいそう。」

 そろそろ先輩看護師の翠が昼休憩から帰ってくる頃だ。それまでに午前の分の記録を書いてしまわないと。パソコンに向かうと滑らかにキーボードを叩いた。

「おはよう。今日は日勤?」

 声をかけられて見上げると、医師の黒田が立っていた。あくびを噛み殺し、隣の椅子に座る。年が近いせいもあり、よく話したり飲みに行ったりする中だ。

「先生は当直明け?」

「そ。病棟の担当患者の状態確認して帰るとこ。」

 よほど眠いのか目がしょぼしょぼしている。疲れていても患者さんを優先させる。そんな真摯な姿に尊敬する看護師は少なくない。

「それにしても、とても眠そうだけど昨日の夜は忙しかったの?」

 朝の申し送りを聞く限り急変や急患はなかったはずだ。

「忙しくは無かったんだけど・・・。なあ、幽霊って信じる?」

 黒田はナースステーション内を見渡し、他のスタッフがいない事を確認すると、ずいっと身を乗り出し小声で話した。

「幽霊?信じる方だけど・・・。どうしたの?」

 看護師の仕事をしていると度々幽霊話は耳にする。伊織自身も不思議な出来事を何度か経験していた。

「最近出るんだよ。幽霊。当直室に。」

「ええっ?やだっ、本当?」

「昨日も出て眠れなくてさ。おかげですっごい寝不足。」

 両目の下に濃く刻まれた濃いクマがそれを物語った。

「他の先生は何ていってるの?」

「それが、俺の当直の時だけ出るみたいだ。」


 黒田がいうには、その幽霊が出るようになったのは2週間ほど前。週1回当直があり、その度に目撃しているようだ。時間は不規則でベットで仮眠をとっている時に現れる。昨日もベッドでうとうとしていると現れた。

「2時位かな。当直室の引き戸がゆっくり開いたんだ。もちろん鍵は閉めてる。なのに入ってくる。やっぱり人じゃないって思ったんだ。」

 それはペタン、ペタンと足音を立ててベットまで来て、何もせずに立っている。おそらく数分で消えてしまうが、恐ろしくてたまらない。

「前回は怖くてひたすら目を閉じてたけど、昨日は正体を確認しようと薄目を開けてみたんだ。そしたら、」

 伊織はキーボードに手を添えたまま固まって黒田を凝視した。

「首のない男だった。」

 お互いに数秒沈黙する。それを破ったのは先輩看護師の緑だった。

「二人で見つめ合っちゃっちゃって〜。どーしたの?」

 空いた席に座ると机の上にあるファイルを手に取る。伊織は話していいものか逡巡したのち、チラリと黒田を見た。黒田は少し考えた後、翠にも同様の話をした。翠は話を聞き終わると、あまり驚いた様子もなく、

「2週間前からねぇ。それってさ、幽霊が現れ出した頃に何かいじったり誰か亡くなったりしてないの?」

 黒田は腕組みをし、思い出そうと目を閉じた。

「ダメだっ。眠すぎて頭が回らない。」

 机に突っ伏してしまった。

「今日は帰って、休んでから思い出してみる。」

 黒田はそういうとフラフラしながらナースステーションを出ていった。翠は手にしたファイルを開き、項目を確認しながらテェックを入れている。幽霊など日常のひとコマというように平然としている。

「み、翠さん?幽霊怖くないんですか?」

 翠は一通り記入し終えたファイルを閉じ、背部の本棚へ戻すと、

「慣れかな。この病院古いからね。長くいると色々見たり聞いたりするのよ。」

「もちろん怖い時もあるよ?でもそうではない時が多いかな。先生の話を聞いてると、怖い方じゃない気がする。」

 そういうと、ニコリと笑った。




 2日後、伊織が日勤を終え職員通用口を出ようとすると黒田に呼び止められた。スクラブ姿なのでまだ仕事中なのだろう。

「今、時間あるかっ?」

「無くはないけど、どうしたの?」

「思い出したんだ。2週間前に当直室に置かれた物。」

 一人じゃ怖いから伊織にも来て欲しいという事らしい。伊織は盛大に嫌な顔をした。

「私〜?!翠さんに声かけたら?」

 翠なら何があっても平然としていそうだ。

「翠さんは夜勤明けでとっくに帰ったじゃないか。

 あとこの事を知ってるのはお前だけだろ。」

「ええー。」

 引きずられるようにして当直室へ向かった。


「当直室に幽霊が出だした頃に、部長が段ボール箱を置いてったんだ。医局の机が汚すぎるって他の先生からいわれてさ。片付けたはいいけど、段ボールに突っ込んだだけでここに置いていったんだ。」

 黒田は当直室の引き戸に手をかけるとゆっくりと開けた。5畳位の小さな部屋のシングルのベットが置かれており、小さな洗面台もついていた。小さな窓があるが、夕方だからか室内は薄暗い。段ボール箱は部屋の隅に邪魔にならないように2つ重ねられていた。伊織は部屋の明かりをつけると、引き戸を全開にして固定した。何かあったら全力で逃げるつもりだ。黒田は躊躇いつつも上の箱を開けた。中は学会の資料やアイマスクやどこかの国の人形など部長の私物が乱雑に放りまれていた。

「汚なっ。ほんとに放り込んだだけなのね。」

「部長に片付る能力がないのは有名なんだ。」

 一通り確認するも、一つ目の箱にはそれらしい物はなかった。黒田が二つ目の段ボールに手をかける。伊織はそっと覗き込んだ。

「なんだこれ。」

 黒田は思わず呟やく。段ボールの中には黒い何かが収まっていた。30センチ程の正方形で、黒い絹の布で覆われている。箱の中にはそれのみで、他には何も入っていないようだ。黒田は段ボールからそっと黒い何かを取り出すと、ベットの上に置いた。

「すごく軽い。これなんだろう。」

 丁寧に包まれている黒い絹の布を取り払うと、中からガラスのケースに収まった人の頭蓋骨が出てきた。

「うわっ!」

「えっ」

 二人で瞬時に飛び退いた。伊織は恐る恐るベットの上を確認する。やはりどう見ても頭蓋骨だ。真新しくはなく、骨の表面は飴色になっており少なくとも数十年は経っていそうだ。

「医学部の授業以来だよ。なんでこんな所に・・・」

 黒田が言い掛けた時、当直室の明かりが点滅して消えた。するとペタンと素足で床を歩く音がした。伊織はゆっくりと振り返った。するとそこには白い半袖のワイシャツに黒いズボンを履いた首の無い男が立っていた。

「あ、あ、・・・」

 震えながら隣にいた黒田にしがみつく。いざとなったら逃げようと思っていたが、実際はパニックになってしまい黒田にしがみつくだけで精一杯だった。男はペタン、ペタンとベットまで歩くと、ガラスのケースを手に取った。すると、淡い光を放ちながら男の首から上が再生した。短く切り揃えた髪に優しそうな目が印象的だ。

「ありがとう。」

 男は微笑むと、ふっと消えた。途端に当直室の明かりがつく。黒田と伊織はしばらく呆然と立ち尽くした。


後日、黒田は部長に段ボールの頭蓋骨の件で酷い目に遭ったと抗議した。

「ごめんごめーん。だってあんなの家に持って帰れないだろう?嫁さんに殺されちゃうよ。」

 片目をつむってウインクした。黒田は思わず頭を抱えた。

「あれはどこかで貰ったんだけど、覚えてないんだよなぁ。確か戦時中に亡くなった男性らしいんだけど、引き取り手がなかったらしい。当時の医学生の授業で使うために提供されたって言ってたな。」

 と、貰ったはいいが置き場所がなく、医局のデスクの引き出しに置きっぱなしになっていたそうだ。これでこの辺りで知られた名医というから驚きだ。ズボラにも程がある。

 黒田の勧めもあり、頭蓋骨は近くの寺の無縁仏に埋葬された。部長と黒田の二人で納めに行ったようだ。それから首なし男は現れなくなった。

 亡くなってからも自分の体の一部が晒されて成仏できなかったんじゃないか。翠に先日の報告をするとそういった。なぜ黒田の時にだけ現れたのかというと、波長があったんじゃない?とさらりといった。そういうものらしい。


 今日は綺麗な青空が広がっている。雲一つない澄み切った青空。眺めているだけで晴れやかな気分になった。伊織はナースステーションの窓から空を見上げた。

頭を取り戻した彼が、迷わず天国へ行けるといいなと願った。

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