4.魔女と夜会と闇の住人
きらきらと輝く照明の下で、ジェイドはいつもと変わらない黒のスーツ姿で壁を背に佇んでいた。
ジェイドの目に映る大勢の男女は、賑やかなパーティーを彩るように煌びやかな装いで楽しげに談笑している。どこか気品の漂う会場の雰囲気は、如何にも金と余裕を持ち合わせた人々の集まりのようで、ジェイドには居心地が悪い。
「ジェイド、出掛けるわよ。準備しなさい」
今日の夕方になって突然ロベリアにそう告げられ、ジェイドは街から少し外れた大きな屋敷に連れて来られた。普段はホテルで行われるパーティーにロベリア一人で参加していたが、この日は主催者の屋敷が会場であり、先日の約束通りジェイドも参加することになった。
何十人も集まる広いホール会場には、テーブルに並べられた様々な料理やしっとりとした音楽が流れ、テレビや新聞で見たことのあるような顔もちらほら見受けられる。
人の多い場所を好まないジェイドにとって、ロベリアの付き添いでなければ絶対に訪れることのないような集まりだ。
腕を組んで注意深く参加者を観察していたジェイドは、この会場内を取り巻く異様な空気に気付いていた。
笑顔で会話を交わす彼らの中に、人間の皮を被った得体の知れない闇の住人が紛れ込んでいる。外見では判別することができないほど、彼らはこのパーティー会場に溶け込んでいた。
(微かに血の匂いがする……)
すんと鼻を鳴らしてジェイドが眉間に皺を寄せると、飲み物を取りに行っていたロベリアが戻ってきた。
「パーティー用に新しいスーツをいくつか買ってあげたんだから、他のを着てくればよかったのに。結局いつも通りね、ジェイド。せっかく貴方に似合うものを選んだのよ」
ロベリアは両手に持ったグラスを片方ジェイドに差し出しながら、残念そうに言った。ロベリアの着ているタイトな黒のロングドレスは、相変わらず胸元や背中がぱっくりと開いていて、白い肌が露出している。
ジェイドはロベリアからグラスを受け取ると、視線をホール全体へと向けた。
「この格好が一番落ち着く」
「困った子ね。あんなに試着したのに」
「だからいらないって言っただろ。それよりこれ、酒だろ? 飲んでいいの?」
「もちろんいいわよ。今日は運転手でもないし、貴方にも楽しんでもらいたいのよ」
そう言ってグラスを口元へ傾けるロベリアを一瞥すると、ジェイドは小さく息を吐いた。パーティー会場に入ったときから感じていた嫌な気配は、ロベリアと一緒にいることでますます強まった。
(見られている……)
会場内の至る所から、視線を感じる。
「ロベリア、どういうことだ」
ジェイドは低い声で隣に立つロベリアに耳打ちした。
「なんのこと?」
「このパーティーだよ。人間に混じって、そうじゃないのが何人もいるだろ」
「あら、言ってなかったかしら? 今日のパーティーはそういう集まりなのよ」
さらりと言ってのけたロベリアを見て、ジェイドは思わず顔を歪めた。
「聞いてないぞ」
「言い忘れてたみたい。大丈夫よ、そこまで下品な集まりじゃないから。基本は交流と情報交換が目的なの。今の時代、みんな上手に人間に擬態しているわ。上品で紳士的……普通の人には区別がつかないわ」
「上品で紳士的だって? 奴ら、お前を食いたくて仕方ないって目でこっちを見てるぞ」
「そうなの? モテるって困るわね」
まるで意に介さない様子でロベリアは笑うと、グラスを口に付ける。白い喉が小さく動くたびに周囲の意識がロベリアに向けられていることが分かって、ジェイドは無性に腹が立った。不快で忌々しい視線の正体は、獲物を狙う捕食者のものだ。
「魔女の血か……どいつもこいつもお前を狙っている」
「まぁ、怖いわね。貴方を連れてきてよかったわ、ジェイド。私を守って頂戴ね」
目を細めて笑うロベリアのわざとらしい態度に、ジェイドは苛立ちを隠すことなく舌を鳴らした。
「しらじらしい……最初から自分を餌にするつもりだったな。俺を連れて来たのも、なにか理由があるだろ」
「誤解よ。置いて行かれると寂しいって泣き付いたのは貴方じゃない」
「泣き付いてはいないだろっ」
カッと顔を熱くしてジェイドが言い返すと、ロベリアはくすくすと笑いながら何かに気が付いたように視線だけを動かした。薄紫の瞳が妖しい光を宿したのを見逃さなかったジェイドは、視線の先を追いかける。
グラスを手に会話する人々の中で、一人の男が目に付いた。
数人の女性を笑顔でやり過ごしてこちらに近付いてくる男の姿を見た瞬間、激しい嫌悪感にジェイドの全身の毛が逆立った。
見るからに上質なスーツに身を包んだ二十代後半ぐらいの若い男は、陽の光を浴びたことのないような色白の肌とは対照的な黒髪を整え、薄い笑みを浮かべてロベリアの前で立ち止まった。
「来ていたんだな、ロベリア。今日はパートナーがいるのか」
ジェイドにちらりと視線を送り、男はロベリアの左手を取ってその甲に口付けた。あまりに自然な振る舞いは、それが二人にとっての日常であることを窺わせる。
「ヒース、貴方が来ると聞いていたから出向いたのよ。会えて嬉しいわ」
ロベリアは満足そうに微笑むと、ジェイドの腕に手を絡ませた。
「紹介するわ。私のボディーガードのジェイドよ。ジェイド、この方は協力者のヒース。今回私の仕事を手伝ってもらっているの」
「へぇ……ボディーガード。麗しの魔女殿に付き添えるなんて羨ましい。よろしく、ジェイド」
見定めるように青い目を細めて手を差し出してきたヒースを睨むと、ジェイドは顔を背けて握手に応じるの拒否した。
「ジェイド」
「いいよ、ロベリア」
窘めるようなロベリアの声を制したヒースは、通りかかったボーイから赤ワインの注がれたグラスを受け取った。
「この子がキミの可愛がっている飼い犬だろう。なかなか利口じゃないか。番犬というのは、主人以外には懐かないものだ」
そう言葉にしたヒースの口調には、明らかに侮蔑の色が滲んでいた。見下されていることを敏感に感じ取ったジェイドが拳を握りしめると、ロベリアの手がその拳に触れる。温かい手がジェイドの拳を優しく解きほぐすと、ロベリアは指先を絡めて手を繋いだ。
「挑発されても噛み付かない」という約束が、ジェイドの頭を過った。
「ヒース、私の可愛い子をあまり刺激しないで頂戴。貴方と違ってこの子はこういう場に慣れていないのよ」
「ああ……すまない。そんなつもりはなかったんだが……どうやら嫌われてしまったようだ。番犬くんに噛み付かれないうちに失礼するよ。ロベリア、またあとで」
肩を竦めて言うなりヒースは背を向けた。離れていく後ろ姿を見ながら「だから刺激しないでって言ってるじゃない」とロベリアが文句を言っていたが、ジェイドには最早そんなことはどうでもよかった。
ヒースを視界に捉えた瞬間から、あの男がロベリアに纏わりつく匂いの正体だと気付いていた。
「ロベリア」
静かな低い声で呼びかけると、ロベリアは申し訳なさそうに顔をあげた。
「ジェイド……嫌な思いをさせたならごめんなさい。彼の代わりに謝るわ」
「そんなことはどうでもいい。お前が探している奴は、吸血鬼だな。この会場に来ているのか」
「……どうして分かったの?」
意外そうに目を見張るロベリアの言葉で確信すると、ジェイドは繋いでいた彼女の手を離した。
「新聞を読んでいただろう。血の抜かれた若い女の遺体が立て続けに見つかっているらしいな。それにさっきの男……あいつも吸血鬼じゃないか。あんな奴にわざわざ協力を頼むなんて、同胞の情報を得るためだろう。自分の血を対価に協力させているな」
「……ジェイドったら、そこまで気付いていたのね」
「あいつに会ってはっきり分かった。あんな野蛮な種族に関わるのはやめろ。お前を食糧としか見ていないような連中だぞ」
「ジェイド……黙っていたことは謝るわ。でも、これは仕事なの……何人も被害者が出ているわ。人間の仕業じゃないからこそ、魔女の私が駆り出されたのよ。ルールを守れない悪い子は、捕まえなくてはいけないの」
子どもを諭すようなロベリアの口調に、ジェイドの苛立ちは増した。吸血鬼を捕えるという仕事を黙っていたことも、それを解決するために自らを餌にして別の吸血鬼と手を組んだことも。
ジェイドは手にしていたグラスのワインを一気に呷ると、黄金の瞳をぎらりと光らせた。
「言え、どいつが犯人だ。俺が食い殺してやる」
「生け捕りよ、食べちゃだめ。貴方、グルメなんでしょう? 悪いものを食べたらお腹を壊すわよ」
「関係ない。吸血鬼なんかに協力させるぐらいなら俺を使え、ロベリア」
牙を剥き出しにして唸るジェイドの手の中で、空になったグラスがばきっと音を立てて割れた。グラスによって切れた手から血が流れ落ちると、周囲の視線が一斉にジェイドに向けられる。目の色を変えたいくつもの刺すような視線を受け、ジェイドは手の中に残るグラス片を強く握った。
「ジェイド、血が……」
「……何人いるんだ。炙り出そうにも多すぎる」
「言ったじゃない。そういう集まりだって」
「蝙蝠の群れだなんて聞いてないぞ」
ロベリアは呆れたように溜め息をこぼすと、慌てて近付いてきたボーイに問題がないことを告げ、グラスの片付けをお願いする。
「ジェイド、手当てをするからちょっと来なさい」
厳しい口調でそう言ったロベリアに腕を引かれ、いくつもの強い視線に追われながらジェイドはホールから連れ出された。
魔女との攻防は食事のあとで 宵月碧 @harukoya2
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。魔女との攻防は食事のあとでの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます