2.真夜中の渇望


 近頃ロベリアの外出が増えた。


 魔女の仕事だなんだと、以前からそれなりに外出は多かった。魔女や魔法なんて空想だと思われている世の中で、その存在を秘匿しながら普通の人間と同じように彼女は生活している。


 ロベリアがどんな仕事をしているのか、ジェイドはよく知らない。

 大きな屋敷に住み、高い服や装飾品を身に着け、ジェイドに上手い食事を与えてくれるのだから、金には困っていないだろう。


 ロベリアの従者としてのジェイドの仕事は、身の回りの世話や外出時のボディーガード、車の運転なんてこともしている。ロベリアの望むことであれば、なんでもするのがジェイドの仕事だ。



「ロベリア、着いたぞ」


 いかにも高級そうなホテルの前で、ジェイドは黒塗りの車を停めた。後部座席に座るロベリアは、身体のラインがはっきりと分かるドレスを身に纏っている。足首まであるドレスには深いスリットが入り、白い太腿が露出していた。


「ありがとう、ジェイド。貴方は一度家に帰りなさい。連絡をしたら迎えに来て」


「用が終わるまで待ってる」


「何時に終わるか分からないの。大丈夫よ、ホテルからは出ないわ」


 ロベリアはそう言って車から降りると、ヒールの音を鳴らしてホテルへと向かう。普段なら仕事であっても近くでジェイドを待機させるはずだが、なぜ今回は違うのか。

 置いて行かれた犬のように彼女の後ろ姿を眺めながら、赤みがかったブロンドヘアが見えなくなるまでジェイドはその場から動かなかった。


 迎えに来てほしいと連絡がきたのは、時計の針が夜の十二時を回る頃だった。ロベリアは珍しく酒に酔っていて、頬をほんのりと熱で染めている。


「なあ、一人のときは酔うほど飲まないでくれよ」


 足元のおぼつかないロベリアを支えて、二階にある彼女の寝室へ続く階段をあがる。酒の香りと、甘い香水の匂い。そのほか複数の人間の臭いが混ざっているが、染み込むほどの強い臭いではない。ロベリアが誰とも肌を合わせていないことに、ジェイドは安堵する。


「仕事なのよ……人を探しているの。今日は見つからなかったけれど……パーティーでいろんな人と話したから、少し疲れたわ」


「人探しは得意なほうだろ」


「ええ、でも今回はちょっと特殊な相手なのよ。簡単には見つからないかもしれない」


「特殊? 相手の所持品があるなら、俺も手伝おうか」


「大丈夫よ。貴方が一緒にいると、多分相手は姿を見せないわ」


 ロベリアの言葉で、特殊な相手が人間ではない可能性に思い至った。もしそうであれば尚更近くでロベリアを守りたいが、彼女に断られた以上、逆らうことはできない。


 寝室までロベリアを連れて行くと、ジェイドは彼女の細い首にかかるネックレスを外し、ベッド横のナイトテーブルに置いた。


「……脱がせていいか?」


 立っているのもやっとであろうロベリアの背後から腰に手を回し、耳元で囁く。ジェイドの言葉を受けてロベリアは長い髪をまとめて片方に寄せると、うなじを露出させた。


「お願い」


 眠そうな声で、ロベリアは頷く。正式に主人の許可を得て、ジェイドは背中にあるドレスのファスナーに手を掛けた。静寂した室内に、ファスナーを下ろす音が微かに響く。ぼんやりとしたオレンジ色の灯りに照らされて、ロベリアの背中が白く浮かびあがる。


 腰の辺りまでファスナーを下ろし、ジェイドは後ろからそっとロベリアを抱き締めた。露出した首筋に軽く吸い付くと、ロベリアの身体がぴくりと震える。


「したい……ロベリア」


 耳元に唇を寄せ、懇願するように囁く。抱き締めたロベリアの身体は華奢で、強く力を入れたら壊れてしまいそうだった。


「だめよ……ジェイド。いい子にしていて」


「……なんでよ。他の男はよくて、どうして俺はだめなんだよ」


「貴方が大切だからよ、ジェイド」


 宥めるような優しい声音に、ジェイドは不満げに眉を寄せる。こんなに近くにいるのに、どうしてこうも遠いのか。


「それじゃ分からない。俺だってロベリアが大切だ」


「あら、嬉しいことを言ってくれるのね。私達、同じ気持ちね」


 微笑むロベリアの腰に回している腕に力を込めると、ジェイドは彼女の首筋にキスをする。吸い付くように唇を滑らせれば、ロベリアは小さく吐息を漏らした。


「……同じじゃない。俺はロベリアが欲しい。俺だけのものにしたい。ロベリアは……俺が欲しくないのか」


 突き放されることを恐れた掠れ声に、情けなくなる。ロベリアに拒絶されたら耐えられないくせに、求めることをやめられない。


「ジェイド……困った子ね。貴方は最初から私のものよ。誰にも渡さないし、手放す気もないの。貴方のすべては私のものなのよ」


「なんだよ、それ」


「愛よ、ジェイド。あと、ブラのホックも外して。苦しいわ」


「……あのなぁ、この状況でそんなこと頼むなよ。こっちはとっくにガキじゃなくなってるんだぞ」


「分かっているわよ。そんな立派なものを押し当てられたら、子どもだなんて思えないわ」


 ジェイドを振り仰いで余裕の笑みを見せるロベリアは、酒の影響か目尻が垂れ落ちている。酔っていてもジェイドの誘いはきっぱり断わるのだから、腹立たしい。


「外してやるし、なんなら全部脱がせてやるから……いいって言ってくれよ」


 ロベリアを抱き締めたまま、彼女の顔を覗き込んだ。必死だと笑われたところで、攻めなければこの頑丈な城は落とせない。なりふり構っている余裕などジェイドにはないのだ。


「ふふ、本当に貴方は可愛いわね」


「嬉しくねーよ……そんなこと言われても」


 口調を取り繕うことも忘れて拗ねた子どものように呟けば、ロベリアはくすくすと笑った。


「ジェイド……もう眠いわ。全部脱がせて、ベッドに寝かせて。そうしたら貴方は、自分の部屋に戻りなさい。これは命令よ」


「……悪趣味だぞ、ロベリア」


「褒め言葉よ、それは」


 どんなに求めたところで、魔女の命令は絶対だ。ジェイドはこのときばかりはなけなしの理性を掻き集め、彼女の要求に応えなければならない。


「ずるいよな、ほんと……いつになったら、俺を見てくれる」


 ジェイドの腕の中でしなだれかかるロベリアは、小さな寝息を立て始めた。自信に満ちた大きな瞳が閉じられると、まるであどけない少女のような顔になる。

 この状況で安心して眠れるほど信頼されている。そう前向きに考えなければ、やってられない気分だった。



 ● ○ ●



 人探しをしていると告げた日から、ロベリアは日が沈む頃に出掛け、深夜に帰宅する日が増えた。その間も見知らぬ男が訪ねて来ては、当然のようにロベリアと夜を共にする。相変わらず扉の前に佇み、ジェイドは彼女の声を聴きながら乱れていくさまを想像した。


 どんな高級なスーツに身を包んでも、ロベリアが招く男達のように紳士的に振る舞っても、所詮犬は犬だ。ロベリアにとってジェイドは、ただの従者でしかない。


 自分の中に暗いおりが溜まっていくのを感じた。


 ロベリアが相手にする男達は一夜限りの付き合いであり、魔女の欲望の捌け口だ。一度身体を重ねた相手を再び部屋に招くことはない。それがジェイドには救いだった。

 ロベリアの一番近くにいるのは自分だと、言い聞かせることができるのだから。


(ここ数日、傍にいる時間が減ったな)


 路肩に停めた車に寄りかかってロベリアを待っていたジェイドは、首からぶら下がる鎖を指先で弄んだ。高いスーツには似つかわしくない銀の鎖は、ロベリアから貰ったものだ。と言っても、ジェイドの身に着けているすべてのものはロベリアが購入したものであり、この鎖に限ったことではない。


 この鎖に触れていると、不思議と心が落ち着くのだ。時々引きちぎってやりたい衝動に駆られることもあるが、ロベリアがジェイドのために用意したものだ。そんなことできるはずがない。


「ジェイド、待たせてごめんなさい」


 ドレス姿のロベリアが、こつこつとヒールの音を鳴らして歩いてきた。ホテルのパーティーに行くときのロベリアは、いつもドレスアップしている。肩や胸元が露出した服装で出掛ける彼女の姿に、ジェイドは毎回やきもきさせられる。


「ロベリア、上着はどうした? それじゃ寒いだろ」


 秋の涼しげな空気も夜になると冷たさを増す。ジェイドはすぐに着ていたスーツの上着を脱ぐと、ロベリアの肩に羽織らせた。


「ありがとう、ジェイド」


 微笑むロベリアから、ふわりと嫌な匂いが漂った。


「……シャワーを浴びたのか?」


「ええ、汗をかいたから」


 ロベリアは平然とそう言って、ジェイドが開けた車の後部座席へと滑り込む。ドアを掴んで動かないジェイドを見て、小さく首を傾げた。


「どうしたの? 早く帰りましょう」


 人形のように整った顔で微笑むロベリアは、ジェイドの動揺に気付いている。それでも彼女がその理由に触れてくることはない。


 帰りの車内で押し黙るジェイドをよそに、ロベリアは窓の外を見つめ、上機嫌に聴き慣れない曲を口ずさんでいた。


 シャワーを浴びても隠すことのできない得体の知れない男の臭いが、狭い車内に立ち込める。

 ロベリアの体内に染み込んだ雄の欲望の果てを嗅ぎ分けたジェイドは、胸の内を燻るざわめきに吐き気がした。


 ──早く着いてくれ。


 首から垂れ下がる鎖に無意識に手を伸ばし、強くアクセルを踏み込む。


 ロベリアと出逢ってから自分の体質を呪ったのは、今夜が初めてだった。


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