幽霊女と消えたい男

いととふゆ

幽霊女と消えたい男

 俺は地域密着型の小さな賃貸管理会社で営業担当として働いている。

 繁忙期が過ぎて来客が減り、店内にいてもやることがないので、募集図面に載せる空き部屋の写真を撮りに物件を回ることにした。


 何件か回り、とある物件の二〇一号室に足を踏み入れる。


 この部屋は――。


 リビングのドアを開け、デジカメの液晶モニターに部屋を映す。


「うらめしや……」


 俺は「わっ」と声を上げ、カメラを落とした。幽霊が映り込んだのだから。三十くらいの女の幽霊だ。


「お前を、コロス……」

 幽霊というものを初めて見たが、俺は深呼吸をして落ち着き払って言った。

「篠崎さんでしょ」

 幽霊はびっくりした顔をしている。動揺しているようだ。

「なんで知ってるの?」

「だって、ここに住んでたじゃん。今は事故物件だけど。去年、篠崎さん、この部屋で亡くなったでしょ」

 

 今から六年前、まだ入社一年目だった頃、就職のため引越しをするから、部屋を探してほしいと店に訪れた篠崎さんをこの部屋に案内したのは俺だ。契約後、篠崎さんとほぼ会うことはなかった。二年ごとの更新契約は郵送ですませているし。


「俺の顔、忘れた?少し老けたかな」

「幽霊出たのに怖がらないの?」

「なんだろ、死にたい人間には幽霊は怖くないのかな……。まあ、顔見知りだし」

「死にたいの?」

「というか、消えてもいいかなって感じ。そうだ、このまま俺を連れてってよ。死の世界? あっ、この世に未練があるとか? それなら俺の体を乗っ取って好きに生きなよ」

「……怖がるどころか、よく喋るね」

 篠崎さんは呆れているようだが、笑みを浮かべている。

「篠崎さんはなんで死んだの?」

「仕事がうまくいかないし、友達も恋人もいない。一人で楽しむ方法も知らない。気になる人がいたけど、どうやって近づいていいかもわからない。拒食症と過食症を繰り返していたら死んだほうがましだと思って……」

「つらかったんだな」

 

 部屋を紹介し、契約を結ぶ。その後、入居者がその部屋でどんな気持ちで過ごしているかなんてわからない。そういえば……。


「俺、この部屋に電球替えに来たことあったよ」


 数年前のいつか。

 電球交換は入居者に任せているが、照明が届かなくて困っていると電話があった。その日は修理担当の予定がびっしりで急遽俺が出向いたのだ。


 部屋は散らかっていた。お菓子の袋やビールの空き缶なんかも転がっていて。

 俺の部屋と同じだった。食生活は乱れ、どうしようもない日常を送っているのだと感じてはいた。

 けれど「ありがとうございます」と言った篠崎さんの笑顔は、六年前、この部屋を契約することに決めた時の笑顔と同じにかわいかった。


「——あの時はありがとうございました、久住くじゅうさん」

 幽霊になってもやっぱりあの笑顔だ。

「やっと俺のこと思い出した? そういえば部屋決めた時、大家さんに家賃の値下げ、必死でお願いしたな~」

「なんですか、急に。何年も前のこと、しかも幽霊に恩を売っても何もないですよ」

「だから、俺に乗り移れって」

 こんなに楽に、笑って会話をしたのはとても久しぶりだ。

 いまだに世間話が苦手な俺は、客と気まずい空気が流れないよう必死だ。愛想笑いばかりで、自然な笑顔ができない。

 幽霊相手だから何も考えず、話せるのだろうか。

 いや、篠崎さんだから……?

 篠崎さんも楽しそうに笑っている。青白いはずの顔が少し赤いような……。


「まだ生きていてもよかったかも」


 ***


 数日後、部屋探し中という二十代の女性が来店し、彼女の希望条件からあの部屋を紹介した。もちろん、事故物件であることを説明したうえで部屋を内覧する。

 女性は悩ましげな顔だ。

「条件は合っているし、リフォームしていてきれいな部屋。……だけど、まったく怖くないと言ったら嘘になります」

「大丈夫です。この部屋には出ませんよ」

「え?」と女性が俺のほうを向く。

「僕の家の住所を教えておいたので」

 自然な笑顔で俺は言った。

(完)

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幽霊女と消えたい男 いととふゆ @ito-fuyu

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