第5話

 六畳にも満たない和室の中央に皺ひとつなく、定められた夜具。

 その傍らで佇む様に行燈が朧げに灯っていた。

 

 午餐、チガネの婚姻の儀が執り行われた。

 背丈よりも大きく見繕われた白無垢は着ていると云うより着せられているといった方が等しい。

 普段着用している着物とは違い身重であり、腕を動かすこともままならず、致し方なく膝に指先を揃え、置いた。

 また固く縛られた帯締めのせいか目の前に置かれた婚礼料理も、手も付けられぬまま、乾涸ひからびている。

 チガネは綿帽子の際から隣に座る男の方に視線を向けた。

 

 齢十三の娘の元に婿入りする男はどんな数奇者かと思っていたが、それといって特徴もないのっぺりとした横顔は表情一つ変わらず、そこに只、存在していた。

 この男と宵の刻には、夜具で肌を交らわさなくてはいけないのか。と吐く息に不服を混じらせ、脳裏に椿の姿をチガネは思い浮かべていた。



 障子がゆっくりと開く音にチガネは我に返り、そちらに視線を動かすと、肌襦袢を来たのっぺりとした顔の男が寝間に入って来たところだった。

 男は器用に長方形の形をした引手に手を掛けると、障子を閉める。

 そして、夜具の間近で正座をしているチガネの元に歩を進めた。

 男はチガネに夜具に座るよう促すと、互いに向き合おう様に座る。

 

 「……」

 

 男は午餐と同様に言葉を発することもなく、チガネの肌襦袢に手を掛ける。

 夜具の上に倒されたチガネは板の上に乗せられた魚の如く、ぎょろりと男の行動を目で追っていた。 

 何とも慣れた手付きに、チガネはおそれよりあきれを抱いていた。

 椿とのあの夜の営みに比べることも烏滸がましいが、「こんなものか」と腑に落ちた。 

使用人が用意したのか、通和散も行燈の傍に置かれており、男はそれに手を伸ばした。

 下部に来るであろう痛みに耐える為、チガネは身を強張らした。

 しかし、焼けた様な痛みと共に他所に痛みが応じ、チガネはその痛みにおそるおそる手を添えた。

 男は荒く呼吸を繰り返し、右手には血が貼り付いたように付く小刀を握っていた。

 喉元に添えた自身の手の間から生暖かい血が溢れ出す。

 小刀斬られたであろう喉はそこで息をしているかの様に、奇妙な音を立てながら動いていた。

 突然の出来事に理解が追い付かず、チガネは覚束無い頭のまま男に視線を向けた。


 「この瞬間ときを待っていた……」


 男はそう呟くと、享楽に近い表情を顔面に漲らした。


「……昔からこの屋敷ここは奇妙でな、実際に入ってみたら当主は噂通り、それ以外も。

屋敷の中も異様だった。

別の使用人のくせに、纏わり付くように私を見る視線が皆なんだ!」


 男の左手は肌襦袢の襟を強く握ると、自身を落ち着かせる為なのか声が漏れる程深く荒い呼吸を繰り返していた。

 小刀から伝うようにチガネの血が落ちてゆき、朱が滲む様に畳に広がっていく。


「私には許嫁が居たんだ。

器量は良くて、笑顔が陽だまりの様な女性だったよ。

私も彼女の家のことは言える立場ではない程、裕福な家ではなかったけれどね……

彼女は両親や下の弟妹に少しでも金銭を渡したくて、この屋敷に

彼女が村を出る日に約束を交わした。

身請け金を稼げる程、立派になり、必ずお前さんを迎えに行くと……それなのに誰も彼女のことを《《知らぬ、存ぜぬ》と口を揃えて言うんだ!」


 男は額に青筋を立てると、小刀を振り払うように動かす。

 

 男がこんなに大声でチガネに捲くし立てているのに、として姿を現さない。


 障子が隔てられた先には床入りの儀式が無事に遂行されたかを監視する為に使用人が居るとチガネは聞かされていた。

何と悪趣味だと思っていたが、まさかこの男がその小刀で殺したのか。とチガネは考えを巡らせながら、男に気づかれない様に距離を取ろうとゆっくりと後退りした。


「それからこの屋敷のことを自分なりに調べた。

巷ではここの当主がと噂まで囁かれていた。

……現に当主の顔は村に迎へ人として訪れた時に見た二十年前と変わらない。

肌に皺一つもない、声色にも老いを感じない。

最初は流石に別の人物だと思った。

その当主の娘が今の現当主だと思ったさ。

な。

あの女アイツが言ったんだ、あのときの小汚い毬栗坊主が立派な男になったな、と。

お前も幼い顔をしているが、あの女に瓜二つだよ。

……物の怪め、許嫁彼女を返せ!!」


 男は逃げようとしていたチガネの衣紋を掴むと、自身の方に引き戻す。

 そしてチガネの背に向かって、何度も小刀を振りかざした。


 悲鳴も出せず、痛みが全身の至るところに広がり、生暖かい血が肌襦袢を紅く染める。

 遠のく意識の中でチガネは何故か恐怖と同じくらい幸福の気持ちに満たされていた。

ここで自分の生は終わりだとしても、心残りなんてない。

だって、あの夜にこの身は



 重い瞼を開くと、見慣れた格天井が視界に入って来た。

 外は晴天なのか、障子紙から室内にも光が差し込んでいた。


「……死んでない?」


 チガネは間違いなく、即死になるであろう程に男に刺されたのに、身体中どこを見ても

 喉も初めから何も無かったかのように綺麗だった。


「おう、やっと目覚めたか。 チガネ」


 障子が開く音がすると、当主母親とその後ろに椿の姿が見えた。

 チガネは嬉しさのあまり椿の名を呼ぼうとしたが、違和感を感じ言葉を飲み込んだ。

 

 母親の傍らに立つ椿は何故か


「チガネ、お主には悪いことをした。

まさかあの男が狂乱を起こすとは……心配せずともあの男は手厚く始末したから安心すると良い。

次の者は私が入念に厳選したのち、再度儀式を執り行おう」

「……母上様、お聞かせください。

あの男は許嫁を返せと、わたくしだと。

母上様が若い女を集め、喰っていると、見た目が二十年前から変わらないと……

只の可笑しな質の悪い噂ですよね?」


 チガネはそう問いながらも、何処か疑わしく感じていた。

 まだチガネが十も満たなかった頃、母親や使用人に構って欲しくて、当主を受け継ぐ時まで入ってはいけないと言われていた部屋に入ったことあった。

 いつもはずっしりと重い錠が掛かっている扉が錠が緩んで簡単に開いてしまったから。

 その部屋の奥の壁に古い写真が何枚も飾られていた。

 古いモノから今の現当主である母親が使用人達と映った写真もあった。


 その写真に写る歴代の当主達は姿をしていた。

 それを男に言われ、チガネは思い出してしまったのだ。


「チガネ、お主には正式にこの屋敷の当主を継いだ時に告げようと思ったんだが……

致し方ないな。

私達一族は代々女子しか当主に就くことが出来ない。

しかし、稀に男児も生まれてしまうのだ。

現に私もお主の前に男児を産んだ」


 母親はチガネの側に腰かけると、懐から煙管を取り出した。

 

「男児は不吉とされていて、すぐに神の元に帰すんだ。

そうしないと、一族は衰退する。

それと同様に女子が産まれたとしても、一族を束ねるその日まで傷も病もその身に負わないようすべてを肩代わりするを準備しなくてはいけない」

「は」


 チガネは母親の言葉に啞然とすると、嫌な予感が脳裏に浮かぶ。


「……私が負った傷。 

誰がしたのですか?」


――――聞きたくない。知りたくない。認めたくない。


チガネは椿によく似た少女に視線を向けながら、出てしまった問いの答えを待ってしまった。



「お主が椿というの少女が依り代として使命を果たし、死んだよ」



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デッド・オブザワールド外伝 【ある少女たちの呪縛】 ShinA @shiina27

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