第4話

 屋敷の当主母親に会った翌日からチガネは高熱を出し、数日もの間、床にせていた。

 部屋にチガネの咳き込む音だけが反響する。

 

「ゴホッゴホッ……」


 梢が額に乗せてくれた氷袋も熱のせいか数分前程前から生暖かく感じ、自身の身体から滲み出てきた汗によって肌に肌襦袢がべったりと貼りつき、気持ち悪さを催す。

 チガネは重たげな身体を動かし、何とか上半身のみ起き上がることができた。


「……っ、普段いつもならこんなこと考えないのにな」


 チガネは両手で自身の腕を抱えると、ポタリポタリ大粒の涙が掛けている布団に落ちる。

 代々、この家の当主は女と決められている。

 当主の娘である者は十五を迎えた後、次の世継ぎを産む為により上質な種と交わることが決められている。

 現に今の当主であるチガネの母親も何度も別の種と契り、一族の中では最も遅く二十四でチガネを身籠り、当主になった。

 物心がついたときから父親という存在など何処にもなく、身の周りの世話も屋敷の中ですれ違う者すべてが同性だった。

 男が屋敷内此処に入れるのは世継ぎを残す為の儀式のみ。

 など、聞こえはいいかもしれないが異質なのは間違いなかった。

 

「……ああ、想像しただけでも身の毛がよだつ」


 チガネはそう呟くと、腕を抱える手の力が強くなる。

 その儀式で何が行われるのかは物心ついたときから聞かされていたと記憶している。

 始めは何を聞かされているのか理解が追い付かず、チガネはどこか他人ごとに感じでいた。

 幼い頃から身体も弱かったチガネは来るはずだった初潮の歳を大いに超えた。

 身籠ったのが遅かった母親でも九の歳には初潮を迎えていた。

 母親は十分に身体が整った十五に既定通りに事が行われたのだ。

 それなのに娘であるチガネはいつになっても初潮が来ず、繁殖能力がない身体なのではないかと囁かれていた。

 どこかでまだ安心していたのかもしれない。

 しかし、運命は虚しく先日、チガネにも初潮が来てしまった。

 そこから迅速に事が進み、猶予もなく儀式が行われる日も決まってしまった。

  猶予がない理由は自ら母親が遅産だったこともあり、娘であるチガネには早急に世継ぎを身籠るようにしたいのだろう。

 こんなにも早く条件の合った禊相手が決まるなど、可能性は一つしかない。


「自分の古参を娘に寄越すか……っ」


 考えたくもないが最悪の場合、禊相手が血縁者とも言い切れない。

 そんなことも平気で行いそうなのだ、現当主母親は。


 コン、と小石が障子の竪桟たてざんに当たる音がし、チガネはそちらの方に視線を向けた。

 今度は腰板の方で小石が当たる音がする。

 

「……椿?」


 チガネは慌てて障子の方に駆けていくと、戸を開く。

 開いた障子の先には茅葺色の着物に黒い羽織を着た椿の姿があった。

 

「熱を出したと聞いたよ。

 どうしても心配で来てしまった」


 椿はチガネの顔を見ると、少し安堵した様な表情をした。

 

「そちらに行ってもいいかい?」


 椿にそう言われ、チガネは何度も頷いた。

 草履を脱ぐ為に椿はチガネに背を向ける様に屈み、縁側の下に草履を揃えて隠した。

 その一つ一つの動作をチガネはうっとりとした表情で見ていた。

 椿は踵を返し、チガネの方に身体を向けると、微笑んだ。


「さぁ、従者に気づかれない内に」

「あ、そうだね」


 チガネはハッと我に返ると、障子の側から少し後ろに下がり、椿を招き入れた。

 急に大きく動いた為に眩暈を起こしているチガネに椿は気づくと、チガネの腰を抱いた。

 驚きのあまり声が出そうになったチガネだったが、ぐっと唇を噤んだ。

 

「勝手に敷居を踏むのは良くないと思って、君が障子を開けてくれるのを期待してしまった。

長く熱に魘されていた様だね、無理をさせてしまい、すまない」


 額から頬に貼り付いているチガネの髪を椿が指で払う。


「ううん、気にしないで。

 熱は大分下がったと思うの、まだ身体は重たい気がするけれど……」

「さぁ、横になって」


 椿はチガネを敷き布団に横にさせると、布団を掛けた。

 布団の中からチガネは傍らに腰かけた椿に手をおずおずと出すと、椿はその手を両手で包み込む様に握った。


 「嬉しい。

椿に会えなくて……心細くて……っ」

 

 チガネの目の端から流れる涙を椿は人差し指で掬うように拭う。

 

「私が来る前も泣いていたのかい? 

目の下が少し腫れている」


 涙を拭っていた指はなぞる様にチガネの頬に移動すると、その心地よさにチガネは目を瞑った。


 「椿、聞いて。

遂に私の番が来てしまったの。

お母様に言われたわ、十三の祝いの夜に儀式を執り行えと……っ嫌よ、決まりだとしても嫌なの。

 椿が読み聞かせてくれた純文学の中の登場人物さえも意中の相手と添い遂げたわ、それなのに……どうして、私は」


 頬をなぞっていた椿の指がチガネの唇で止まる。


「それなら、私がまだ誰にも触れられていない君の蕾に花を咲かせようか」

「え」


 横たわるチガネを見下ろす瞳の奥の黒檀が、艶を帯びる。

 少し緩んで開いた唇とチガネの方を射るような視線に圧迫される。

 椿はチガネの背に手を添えると、チガネを抱き起した。


「……柔らかく降り積もった一片の汚れもない真っ白な雪の上を、許されるのなら他の誰よりも先に土足で跡を付けてみたい」


 チガネの耳元に椿は顔を近付かせると、ふっと息を吹いた。

 高鳴る鼓動が椿に聞こえてしまうのでないかと思う程に、ドクンドクンと疼く。

 自身の額や手の平から滲む汗は果たして熱のせいなのか。

 震える唇を動かし、喉まで出かけていた言葉を漏らす。


「椿になら…いいえ、椿に踏み荒らして欲しい」


 互いに遠慮するかのように指先が触れ合い、指の間をゆっくりと滑り落ちてきた指を強く握る。

 椿のもう片方の手がチガネの肌襦袢の奥に入っていくと、しなやかな膨らみを包み込む様に触れる。

 

「……っ、」


 チガネは吐息を漏らすと、椿の背に手を回し、自身に引き寄せた。

 

「椿。

私も椿の奥深くまで触れたい、教えて。

椿の花弁をどう触ればいいのか……」


 椿はチガネをゆっくりと押し倒すと、巧みに舌を動かし、チガネの唇を割る。

 互いの舌が絡み合い、唇がひとたび離れると、唾液が蜘蛛の糸の様にキラキラと輝く。

 椿は徐々に唇をチガネの肌に落としていく。

 甘美に漏れてしまう吐息や声をチガネは肌襦袢の袖を咥え、押し殺す。

 触れ合う互いの肌が熱を発し、溶け合うかのように粘着を繰り返す。


 ああ、こんな幸せがあっても良いのか、とチガネは一筋涙を流す。

 椿の手が太腿に触れると、ピタリと動きを止める。


「……今から、君の蕾に触れるよ。

 なるべく丁寧に触れたいと思っているが……」


 椿は頬を赤くすると、口籠る。

 

「さっきも言ったでしょう。

私の全部、椿にあげる」

  


 椿は床に脱ぎ捨てていた茅葺色の着物に袖を通し、腰の帯を締めた。

 そして、横たわるチガネの額の髪を手の掻き上げると、唇を落とした。


「……熱がすぐによくなりますようにって、おまじないだよ。

また、元気になったら会おう。

君に読み聞かせたい純文学の小説があるんだ」


 椿はそう言うと、優しそうな瞳でチガネに微笑んだ。

 先程までの椿の艶やかな表情が頭に過ぎり、チガネは恥ずかしそうに目元まで布団を被った。


「うん、約束。

 元気になったら……絶対に椿の所に行くね」





 その数日後、チガネは夜の床の間を迎えた。 


 そこで起こった出来事は一生チガネは忘れることは無かった。

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