エピローグ


 正面から吹いてきた秋風が、袖から露出した私の腕を撫でた。残暑の欠片も残っていないその冷たさに身震いする。私は縮こまるようにして両腕をさすりながら、明日からは長袖を着てこようと心に決める。

 隣を歩く彼女が、ふいに言った。

 

「今日はありがとう、みみ子さん」


「え、何が?」


「朝、調査についてきてくれたじゃない」


「ああ、うん」


 マカロン事件の裏の真相を解明するための最終調査。そして、私たちは藍ちゃんの秘密を知ってしまった。

 藍ちゃんはあの後、京香ちゃんに打ち明けることができただろうか。


「私、藍さんにどんな言葉をかけていいかわからなかった……だから、みみ子さんがいてくれて助かったわ」


 私は驚いて、姫乃ちゃんを見る。

 いつも完璧な彼女にも「どうしていいかわからない」なんてことがあるのか。

 なぜだか不思議と嬉しくなって、笑みがこぼれる。


 姫乃ちゃんは私の顔を見て、「どうして笑ってるのかしら」とクスクスと笑う。




 

 スイーツの繋がりかはわからないが、「マカロン」から思い出したことがあった。

 それは、入学初日の衝撃的な自己紹介。鈴川先生から好きな食べ物を問われた姫乃ちゃんが言い放った言葉。

 クラスメイトの大半は忘れているかもしれないが、私はずっとその言葉の意味が気になっていた。いろいろと忙しかったり、遠慮したりで訊けなかったが、今となっては訊ける。


「……ねえ姫乃ちゃん、入学式の自己紹介、覚えてる?」


「自己紹介?」


「うん……姫乃ちゃんさ、好きな食べ物を『チョコレートケーキの一口目です』って答えてたでしょ? あれってどういう意味だったのかなって……」


 一瞬考えるように眉を顰め、思い出したように「ああ」と呟いた彼女の答えは、実に彼女らしいものだった。


「おいしいものって、一口目がピークだと思うの。そして、二口目、三口目といくごとに口の中に入れたときの幸福度は緩やかに下がっていく。 大好物の最後の一口はもちろんおいしいのだけれど、一口目のような感動は無いし、その最後の一口よりもおいしいものってたくさんあると思わない? だから、『チョコレートケーキの一口目』なのよ」


 それを聞いて、論理的にも思えたが、凄まじく面倒くさい考えだなあというのが一番の感想だった。そのうえで、面白かった。


「姫乃ちゃんって、やっぱり変わってるね」


「みみ子さんほどじゃないわよ」


 私は何も返さず、ふふっと笑う。





 しかし、ある考えが頭をよぎり、ドキリとする。

 いくら大好物でも食べるごとにおいしさが減っていくってことは……。


「……ねえ、姫乃ちゃん」


「うん?」


 姫乃ちゃんにとっての「私」でも、同じ現象が起こっているのだろうか。

 付き合った頃がピークで、今はもう緩やかに降下していく「惰性」だったり。

 そんなことを直接的に訊けるわけもなく、迷った挙句、遠回りな言葉が出る。


「私は、ずっと姫乃ちゃんが好きだよ」


 とっさに放ってしまった言葉の内容と脈絡のなさに、私は下を向いて赤面する。

 どうしても、焦るとよく考えずに喋ってしまう。

 冷たい秋風はどこへやら、体が熱い。


 私は自分の足元だけを見ながら歩く。

 姫乃ちゃんからの返事がないのが余計に恥ずかしくて、少しだけ怖い。

 もしかして、本当に姫乃ちゃんは私に飽きてしまったのだろうか。

 体の火照りが冷めていく代わりに、当初の不安が大きくなっていく。

 

 我慢できなくなった私が、「ごめん、変なこと言った……」と場を濁す言葉を弱々しく落としたと同時に、姫乃ちゃんが私の手を掴んだ。


「うわっ」


 彼女が私の手を握ったまま足を止めたせいで、慣性で歩いていた私は、後方に腕が引っ張られる。


「……姫乃ちゃん?」


 彼女は眉をわずかに下げ、口元をぎゅっと閉じた表情で、私から目線だけをそらしている。

 少し困ったような、緊張しているような、初めて見る表情だった。

 

「どうしたの……?」


 困惑する私に「んー……」とため息のような声を漏らす。

 そして、きょろきょろと周囲を見渡した後、私と目を合わせて微笑んだ。


「下手だったら、ごめんなさい」


 彼女はそう言うと、掴んでいた手を優しく引っ張る。


「あ……」


 私は抗うこともなく、流されるままに彼女と密着した。

 目線よりも十センチほど上、息がかかるほど近いところに姫乃ちゃんの顔がある。


 さっきの姫乃ちゃんの言葉から、何をするのかを理解し、恥ずかしさに耐えきれずそらした目は動揺で視点が定まらない。

 心臓の鼓動が激しく脈打つ。

 

 彼女のもう片方の手が私の頬にあてられ、顔を上げた。

 少し赤らんだ、姫乃ちゃんがいる。


 私たちは顔を近づけながらゆっくりと視界を閉じていき、やがて唇を合わせた。


 初めてのキス。

 柔らかくて、温かくて、味はない。

 感じたことのない熱が、体の中を満たしていった。




 顔を離してから、姫乃ちゃんが言う。


「私も好きよ」


 私は泣きそうなくらいに顔を綻ばせながら、大きく頷いた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

チョコケーキ姫と探偵部 うもー @suumo-umo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ