隠し事


 翌日、朝一番に登校した私と姫乃ちゃんは荷物を教室に置くと、すぐに職員室へと向かった。私を廊下で待たせ、一人職員室の中へ入っていく彼女は間もなくして一本の鍵をつまみ持って現れた。

 本来、勝手に生徒が鍵を持ち出すのは禁止なのだが、鈴川先生に例の「弱み」を利用して共犯になってもらったらしい。新米なのに、こんなことに付き合わされて可哀そうなことだ。


 第二体育館は昨日の放課後と同様に静かだった。

 多少の背徳感を持ちながら休憩室の鍵を開け、中に入る。

 昨日はあまり思わなかったが、少し埃っぽい。物が多いから当然と言えば当然か。部屋の奥の壁にもたれかかっている着ぐるみの動物たちが、突然入ってきた私たちを不審がるように見つめているような気がしたので一応会釈をしておいた。

 姫乃ちゃんは制服の袖を捲り、部屋の隅に置かれたごみ箱の前にしゃがみこんだ。


「それじゃあ、時間もあまり無いし、始めましょうか」


 彼女はそう言って、ごみ箱の中からぐしゃぐしゃに丸められた紙くずを一個ずつ取り出し、広げていく。姫乃ちゃん一人にそんな汚い作業をさせるわけにはいかず、私も急いで袖を捲った。


 昨日の下校途中に聞かされた、「犯人はもう一人いるかもしれないわ」という発言。どうやらこの事件、不可解な点がまだあるらしい。ゴミ箱の中を漁りながら、彼女の推理を思い返す。



 ――まず一つ目。みみ子さんも気づいていたかしら? 休憩室の床にマカロンの食べかすが落ちていたこと。


 舞台袖とは別に、休憩室の床にもマカロンの食べかすが落ちていたことに姫乃ちゃんも気づいていたらしい。もちろん、最後のマカロン以外は休憩室で食べていたのだから食べかすが落ちるということは当たり前なのだが、問題はその量だった。昨日、私が見たのはボロボロと床に落ちた大量の食べかす。姫乃ちゃんが疑問視するように、よほど豪快な食べ方をしない限り、ああはならない。休憩中は落ち着いて食べる暇があったはずなのに、なぜだろうか。

 私はちらりとテーブルの下の床に目をやる。食べかすが残っていないのを見るに、昨日、部活を終える前にしっかりと掃除をしたようだ。



 ――そして二つ目。あのマカロンを置いていた紙皿、やけに大きかったわよね。


 私も最初、紙皿が大きなことに関して不思議に思っていた。あれは明里ちゃんが言っていた通り、パーティーなどで使う用の大皿であり、少なくともマカロンを四つほど入れるためのものではない。しかし私は「演劇部顧問のセンスがない」という言葉をそのまま受け止め、以降は特に気にしないでいた。

 私はしゃがみながら目線を上げ、テーブルの上を見る。大きくて立派な紙皿だったので捨てるのは憚られたのか、まだテーブルの上に置かれたままだ。



 ――三つ目ね。……なぜ、置き手紙が無かったのかしら。


 この点はマカロン事件の本筋から外れているところであり、全く疑問に思っていなかったが、言われてみれば確かにそうだと思った。昨日は部活に向かう藍ちゃんと顧問の先生がばったり出会ったから差し入れのことを共有できたが、その偶然がなければマカロンが差し入れかどうかはわからない。普通、今回の場合のような差し入れをするときは必ず置き手紙をするものだ。

 この推理には強く納得できた。姫乃ちゃんの言う通り、置き手紙がないのはおかしい。いくら演劇部顧問のセンスがないとしても。



 そして、これらの疑問点を重ね合わせると、ある一つの仮説にたどり着く。私たちはその仮説を確かめるべく、ゴミ箱の中に手を突っ込んでいるのだ。

 姫乃ちゃんが私に推理を述べた後、「あくまで想像の域を出ないけれど」と付け加えたことを思い出す。なんの確証もないのに、彼女は今日の提案をしてきたのだ。

 勝手に鍵を持ち出して、昨日仲良くなった演劇部の休憩室に忍び込んで、らしくなくゴミ箱の中をあさって。何が彼女をそうさせるのだろう。


「なかなか無いわね」


 楽しそうに笑う姫乃ちゃん。彼女を突き動かしているのは亜希ちゃんのような探偵魂ではないことはわかる。


「ごめんなさいね、こんなことに付き合わせて」


「いいよ、全然」


 謝る必要なんてない。

 むしろ私は嬉しいのだ。彼女のこんな一面を見られるのは私だけなのだから。


 やっぱり姫乃ちゃんが考えていることはまだわからない。でも、私は結局、どうしようもなく好きな彼女について行くと決めているし、決まっている。たとえそれが、確証のない想像からくる馬鹿げた提案であってもだ。


 ……それに、彼女の想像がよく当たることも私は知っている。


 私は十何個目かの紙くずをゴミ箱から取り出し、広げた。


「あっ、これ……!」


 思わず声を出し、姫乃ちゃんに紙を見せる。

 ――と同時に、ガチャリと部屋のドアが開いた。

 

「あら、もう来ちゃったのね」


 姫乃ちゃんがつぶやき、私は息を呑む。




 部屋に入ってきたのは、藍ちゃんだった。


「えっ……なんで……」


 彼女は私たちがいることにまず驚き、次に荒らされたゴミ箱を見て目を丸くする。


「も、もしかして……」


 少し震えた藍ちゃんの声。

 申し訳なく思いながら私は頷くと、たった今ゴミ箱から取り出したばかりのくしゃくしゃの紙に目を落とす。


 それは、間違いなく演劇部顧問が書いたであろう、マカロンの差し入れの置き手紙だった。

 顧問から部員への簡単なメッセージとともに、太文字でひと際目立つように書かれた一文がある。


『一人三個ずつ食べてください』


 そう、この置き手紙によればマカロンはもともと十二個あったのだ。つまり、何者かが京香ちゃんらが部活に来る前にマカロンを八個減らしたということになる。

 その犯行ができるのはただ一人、一番最初に部活に来た藍ちゃんしかいない。マカロン八個を急いで食べた藍ちゃんは置き手紙を捨て、証拠を隠蔽。初めから四個だったかのように装ったのだ。

 休憩室の床に落ちていた大量の食べかすも、特大サイズの紙皿も、見当たらない置き手紙も、この推理で説明がついた。



「これ、藍ちゃんもマカロンを食べたってことだよね……」


 私はそう言って、置き手紙を彼女に渡す。


 藍ちゃんは受け取ったそれを緊迫した表情で数秒見つめた後、グシャッと丸め、両手で握り込み、下腹にぐっと押し当てる。まるで逃避するように、拒絶するように。

 下唇を噛む彼女の顔が赤らんでいく。


「あ、いやいや、大丈夫だよ、そういうつもりじゃないからさ」


 まずい、と思った私はとっさに自分でも意味不明な言葉を出した。

 しかし、間も無くして藍ちゃんの目からゆっくりと涙がぽたぽたと落ちる。


「ご、ごめんなさい……」


 絞り出すように、謝る藍ちゃん。

 あちゃー、と思って姫乃ちゃんを見ると、同じく決まりが悪そうな苦笑が返ってきた。


「藍さんが私たちに謝ることじゃないわよ。むしろごめんなさい、こんな詮索しちゃって」


 優しい口調で姫乃ちゃんが言う。

 その通りだ。この場において非難されるのはどちらかといえば私たちだろう。不法に部屋に侵入し、ゴミ箱をあさるというプライバシーの侵害とも受け止められかねないことをしているのだから。


「うん、本当にごめんね。それに、犯人を見つけてどうとかってわけじゃなくて、ただの好奇心でやったことというか、なんというか……」


 自分で言いながら、余計に変な行為だなと思った。

 とにかく、藍ちゃんを近くの椅子に座らせ、私たちも勝手に椅子を拝借して座る。



 少ししてから、落ち着いた藍ちゃんがゆっくりと今までのことを話してくれた。ひた隠してきた思いを吐露するように。まるで、あの時の私のように。


「私ね、本当は甘いもの好きなんだ。小学生のころまでは普通に食べてたの」


「うん」


「でも、京香ちゃんの前で甘いものを食べると、必ず『一口ちょうだい』ってねだられるの。昨日のパフェみたいに。それで……私、人が口をつけたものって、正直苦手で……」


 藍ちゃんは重い息をつく。


「潔癖……っていうのかな。みんな友達同士で回し食べとかしてるけど、私はどうしても無理で。でも、それを京香ちゃんに言っちゃうと傷つけちゃうかなって思うと言えなくて。結局、京香ちゃんの前では甘いものが苦手なふりをして、一緒に外食とかに行くときも、できるだけ京香ちゃんが苦手そうなものを注文するようになったの」


 彼女は下を向き、自嘲するように薄く笑う。


「そうやって甘いものを我慢してたから、昨日はつい、抑えきれなくなっちゃって」


 そう言うと、膝の上に置いた拳をぎゅっと握りしめた。


「……おかしいよね。私、なんでこんな変な嘘ついて生きてるんだろう」


「藍ちゃん……」


 持ち物検査をしたときに藍ちゃんの鞄から大量の除菌シートが出てきたことを思い出す。あのとき思わず笑ってしまったが、彼女にとっては深刻な悩みだったのだ。


 後悔とともに、痛いほどの共感が襲う。

 私も、誰にもうち明けられない孤独を知っていた。だから、思わず言葉が押し出される。


「……おかしくないよ、藍ちゃんは何もおかしくない」


 藍ちゃんが顔を上げ、少し潤んだ目で私を見る。


「自分の素直な気持ちを押さえ込むのはすごく苦しいのに、友達を傷つけないために嘘を続けるなんて、とっても優しい人だよ。私も人に言えない隠し事があるから、藍ちゃんの気持ちわかる」


「みみ子ちゃん……」


 鼻を啜り、一呼吸置く。なぜか私も泣きそうになっていた。


「……でも……でもさ、そんなに抱え込まなくてもいいんじゃないかな。京香ちゃんは優しいし、藍ちゃんのことが大好きなんだから、きっとわかってくれるよ。むしろ、なんていうか、少し嬉しい気持ちもあると思う。そんなに私のことを思ってくれてるんだって。……それに案外、相手はすでに察してくれてたりもするよ。私は、そうだったから」


 少々言葉に詰まりながら不器用に話す。こんなに必死な気持ちで喋ったのは久しぶりだ。


 藍ちゃんは黙ったまま、私の足元あたりに目線を落とす。真剣な顔を見るに、私の言葉に何かを思ってくれているようだ。




 しばらくして、藍ちゃんが口を開く。


「……ありがとう、私、頑張って話してみようかな」


 それを聞き、姫乃ちゃんと顔を見合わせた私は溢れ出る笑みを浮かべ、もう一度彼女に向き直る。


「うん、うん……! 頑張ってね!」


「ふふ、応援しているわ」


 力強く頷く頷いた藍ちゃんは、やはり小動物のような可愛らしさで、はにかんで笑うのだった。



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