第5部 展開の先
騒音で目を覚ます。ぼんやりと赤い光が見えた。次に、周囲を取り囲む人々の影。空。散らばった星々。サイレンの音と人の声が重なって、二重奏を形成為て居た。音声は空気其の物と成り、場を支配為て居る。
硬質な地面に手を付いて起き上がろうと為る。然し、腕に力が入らなかった。肘からバランスを崩し、再び地面に接触為る。其の物音に気が付いて、幾人かが此方を振り返る気配が為た。
「起きたぞ」「大丈夫か?」「未だ起き上がっちゃ駄目だ」
と、同時に聞こえる。
日常離れ為た服装の人々に囲まれ、彼らに何かを尋ねられる。何を訊かれたのか分からなかった。否、言葉の意味は理解出来たが、応答為ると同時に忘れて仕舞った。声が充分には出せず、彼は頷いたり首を振ったりを繰り返した。
脚には力すら入らなかった。上半身を起こして其方を見ると、脚だけ担架に固定為れて居るのが分かった。白色の厚い布が幾重にも巻かれて居る。
サイレンの音は鳴り止み、其れでも赤いランプが回転為ながら点灯為て居る。其の光に包まれながら、彼は隊員に抱えられ、車の中に運び込まれた。救急車だろうか。車内は奇妙な匂いが為た。今までに嗅いだ事の無い無機質な匂いだった。壁を一枚隔てた向こう側から、深夜の喧噪がくぐもって聞こえて来る。扉が閉められる音。数秒後、軽い振動と共に車は走り始めた。
「大丈夫だ。命は助かる」
と、隣から声。
其方に目を向けると、一人の隊員が此方を見て居た。
声は矢張り出なかった。言葉に言葉で返す事が出来ない。唯、呼吸は正常。頭もクリアだった。痛みも無い。
「脚は切開為る必要が有る」隊員が言った。「然し、此れだけの傷で済んだのは、不幸中の幸いだ。死んでも可笑しく無かった」
病院に着くまでの間、隊員から事故の様子を聞かされた。制御を失ったトラックが接触為た事。其の衝撃で、腿から下の骨が折れた事。トラックはコンビニの壁面に衝突為、建物を半壊為せながら停止為た事。
五分ほどそんな説明を為ただけで、隊員は直ぐに黙って仕舞った。彼は又直ぐに眠く成り、気付いた時には意識を失って居た。
天井。
温風で目を覚ます。
もう一度目を開いた時、彼は暖房の効いた病室でベッドの上に居た。室内は薄暗い。空間が何処まで続いて居るのか分からなかった。唯、左手にカーテンの引かれた窓、右手に入り口が有るのが見える。
身体を起こす事が出来た。意識も感覚もはっきり為て居る。
ふと、枕元に目を向ける。
紙製のカレンダー。
何時から其処に置いて有るのか分からない、更新為れて居ない物だった。
日付けは十年前の物。
其のカレンダーを手に取り、彼はページを破く。
背後の棚に有るペンも手に取った。
十年前、自分が生み出した彼女の事を思い出す。
どんな詩を書けば良いだろうか?
詩は、然し、そう……。きっと、一人で書ける物では無い。鏡に映る自分でも、必ず他者が必要だ。
彼女に語り掛ける積もりで書いてみようか。
そう為れば、自分も、彼女も、きっと未だ生きられる筈。
幸せだとは限らなくても。
ペンのキャップを外し、紙に一つ文字を書く。
其の先は未定。
然し、これから。
*
「はい、カット」
と自称監督の友人が言った。
友人の合図に合わせて、アルバイトの彼は文字を書く手を止める。
「まあ、いいんじゃないの」カメラの映像を確認しながら、友人が言った。「なかなかの演技だと思うよ、僕は」
アルバイトは布団の中から出る。
「まあ、何でもいいけど」彼は言った。「これで満足?」
「満足だ」友人は無表情のまま頷く。「あとは編集するだけ」
「今時、こんな内容じゃ、勝負できないと思うけどね」
「勝負するつもりはない」友人はきっぱりと言う。「自分との戦いだと思うよ、僕は。創作っていうのは」
「どうだか」
「お前も、いい加減どこかに就職したらどうなんだ? せっかくの演技力なんだから」
「面倒」
「何が?」
「一カ所に留まるのが」
「面倒というのとは違うだろう」
「君だって、似たようなものだろう。一人で活動しているっていうのは、そういうことなんじゃないのか?」
「まあな」
「人のこと言えないな」
「言える」
「言えない」
自称監督の友人は、懐から封筒を取り出して、アルバイトの彼にそれを渡す。受け取って中身を確認すると、しかし、少々勘定が合いそうになかった。
「多いんじゃないか?」彼は友人に言った。
「ま、サービスだよ」
「何の?」
「付き合ってくれたことの」そう言って、友人は不敵に笑う。「今後も頼みますよ」
「面倒」
「お前、それ口癖だな」
「そうだよ」彼は言った。「アルバイトっていうのは、気怠げなのがいいんだから」
地ガ足ニ付キ 彼方灯火 @hotaruhanoue0908
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