11 渦巻

 雄叫びと共に、フィデルが手鎌を振り上げる。

 湯気立つような怒りが荒野に轟く。

 残すところふたりとなった兵らも険しい表情で剣を構えるが、その怒気に圧され、自然と後ずさりする足を止められない。

 フィデルは伸びやかな四肢を発条ばねの如くしならせ、一気に駆け出す。

 一糸まとわぬ筋肉の躍動。

 大上段からの鎌のひと振りは、獰猛な肉食獣の牙そのもの。

 及び腰の兵らは身を守ることすら出来ず、顔面を切り裂かれる――かに思えたが、またしてもゾラの時と同様、フィデルはあと数歩というところで苦痛に顔を歪めてつまずき、身体のバランスを崩してしまう。


「……ぐああッ!」

さかしらに口上を吐いたところで、所詮野獣の戦い方しか出来ぬとは……。それでよくもンツ様に〈人間とは〉などと問うたものです、片腹痛い」


 アルバートの鉄針が、フィデルの左肘に二本、右膝に二本。

 持てなくなった手鎌が地面に落ちる。

 フィデルは痙攣を抑えるように歯を食いしばり、血走った眼を見開く。


「うおおおおおおッ!」


 額に青筋を浮かべながら、彼は己の肘に刺さったニードルを一気に抜き捨てる。

 アルバートは一瞬息を呑んだが、その左腕はだらりと垂れ、やはり力が入らないのを見て、また呆れ顔をして見せる。


「……愚かしい。きっと神経をやったのでしょう、その腕はもう使い物にならない」


 顎を振り、彼を殺すように兵に命じる。

 その時。

 ――ボッ、と風を殴るような音が聞こえて、アルバートは振り返る。

 その目に黒い渦巻きが迫る。

 大きく広がりながら回転する、羊毛の外套。


「しまった――」


 アルバートは素早く半身になり、渦巻きに向かってニードルを射出したが、それらは軌道を歪められながら貫通する。

 投げられた外套の向こうに、ゾラの気配だけがある。 


「どっちだ、右か、左か!」


 立て続けに、左右に鉄針を放つ。

 よもや上か、と見上げたアルバートが思わずよろめいた次の刹那、渦を巻く外套の中央を貫いて幅広の長剣が真っすぐに飛び出し、彼の脇腹に突き刺さる。

 げえッ、と呻いてその剣を見下ろしながら、食人鬼は後方に弾き飛ばされる。

 その軌跡に沿って血反吐が撒き散らされる。

 外套が、はためきながら地に落ちる。

 ゾラは元の位置から動いていない。

 尻をついたまま、長剣を投擲した姿勢でアルバートを睨んでいる。


「……貴方を殺すには、一本投げれば充分」


 ゾラの呟きを聞いて、フィデルは再び意気を取り戻し、咆哮を上げて兵のひとりにタックルする。その体格差は著しく、上に圧し掛かられただけで兵は「ぎえッ」と悲鳴を上げる。

 僅かな間の後、背後の足音を聞いてフィデルは突然両手を離し、横に回転して後ろからのひと振りをかわす。

 振り下ろされた刃はフィデルの頭の代わりに、仲間の胸板を一撃する。

 革の胸当ては潰れ、ゴボッ、と倒れていた兵が血を吐き出す。

 フィデルはそのまま数歩分転がり、脳味噌をこびりつかせたハンマーの柄を握ると、こちらに向き直ったばかりの同胞殺しの兵の膝を横殴りに払う。

 重い音を立てて、その脚は横にくの字に曲がってしまう。

「ギャア!」と叫んだ兵の顔は、下から振り上げられた黒鉄の小口によって顎を砕かれ、歯と下顎の骨を飛び散らせ、いくらか宙に浮かんでから仰向けに倒れる。


 そして寺院は、ようやく静かになる。

 聞こえてくるのは三人の荒い呼吸と、遠くの風の唸りだけ。

 厚い雲はすっかり光を失い、どこまでも深い闇が広がる。


 カンテラの明かりに照らされながら、ゾラは自分の足に刺さったニードルを慎重に回し、少しずつ抜いてゆく。

 激痛が走り、唇を噛む。

 フィデルは片足を引き摺りながら、どうにか両手をついて座っている状態のユキオに近づく。


「ユキオ、しっかりしろ」

「フィデル……。僕は、君の死体には触れていない」

「わかってる。だがその傷を見るに、血抜きくらいはしてもよかったんだぞ」

「生憎、もうナイフがなまくらでね。連中に下手だと思われたくなかったんだ」


 フィデルはゆっくりとユキオを立たせ、ふたりでゾラの方を見る。

 ゾラはまだニードルを抜いていたが、片眉を上げる。


「お爺さん、随分立派に若返ったのね。見違えたわ」

「お前の逞しさにも驚いた。身重の身体で、アルバートをたおすとは」

「いっぱい刺されちゃったけどね。憎たらしいったらない……」


 うッ、と眉を顰めてまた一本引き抜く。

 その時、ごぼごぼと咳き込む音がして三人は倒れているアルバートを見る。

 ゾラもどうにか立ち上がり、まだ彼女の長剣が刺さったままの男に近づいてゆく。

 顎を血まみれにしながら、彼はゾラを見詰める。


「……ガハッ。グブブ、ガハハッ、お見事でございます。極めて雑な投擲ではございましたが、当たれば勝ち。グフッ、大した度胸です」

「悪いけど貴方みたいなタイプは、ビビッて足が竦むだろうと思ったのよ。だから、当たって当然なの」

「ガハッ、ガハッ……。なるほど、ありがとうございます。このアルバート、今回の敗北を肝に銘じ、同じてつは踏みません。遠からずまた、お会いしましょう……」

「……


 ゾラは首を傾げ、長剣の柄を握る。

 少し考えて、アルバートはハッと目を丸くする。


「まさか。貴様」

「ええ」


 一気にゾラが長剣を引き抜くと、その開口部から途方もない血潮が溢れ出して、アルバートは動かなくなった。

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マタニティ・ゾラ 宿主 @shinkichi_matsumura

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