10 射術

 風を切る笛のような音が耳に届いた時には、既にニードルは稲妻の速度で、ゾラの眼前まで迫っている。

 あわや、というところで彼女の身体は頭ひとつ分下がり、ニードルは虚空を飛ぶ。

 そのまま外套を膨らませ、回転しながらゾラはアルバートに突き進む。

 するとアルバートもまた、独り舞うように足をさばき、身体を右へ左へと交互に反転させながら後退してゆく――その都度、彼の手は己の胸や腹を撫でる。

 繰り返される鋭い反射と、風の音。

 ふたりの距離があと五歩にまで迫った時、ゾラは突如地面を大きく蹴って、進路を離脱する。


「……ぐッ」


 土埃を上げながら滑り、幅広の長剣を盾のように面前で構え、歯を食いしばる。

 その左腕に、二本。

 右の太腿にも二本、左の脛には一本。

 研ぎ上げられた鉄の針が、全長の半分ほども刺さっている。

 激しい痛みに痙攣する筋肉。

 ゾラの額と首筋に、脂汗が滲み出る。


「……痛いでしょうねぇ。それらのニードルは全て、骨まで到達しています。本来ならばしっかりと貫いている筈なのですが、貴女の筋肉は少々厚すぎたようだ」

「随分正確に狙うのね、ちょっと驚いたわ……」

「お褒めに預かり恐縮です。こう見えましても数万夜、射術の鍛錬だけは欠かしておりませんので」


 長剣の柄を持つ手は震え、持ち上げることができない。

 ゾラはアルバートの酷薄な微笑を睨みつけながら、腕に刺さったニードルを抜こうとする。が、それを握っただけで呻きを漏らし、止める。


が出ております。慌てて抜けば、余計に筋肉を傷つけますよ」

「性格が悪すぎる」

「お褒めに預かり、恐縮です」


 痩身の食人鬼はまたしても両手を広げ、握り、鉄針を補充する。

 どうやら細工した袖口から引き抜いているらしい。

 ゾラは外套を前面に回しながら、後ずさりする。


「……何本針を刺したところで、私の命は獲れないと思うけど」

「如何にも。ですが、貴女の力は抜けてゆきます。現に、御自慢の剣を取り落としそうになっておられる。りきめば激痛が走るからだ。ことほど左様に、痛みこそは万人ばんにんを縛る縄であり、何人なんぴとも抗えぬ毒なのです。……どうなさいますか、もし素直に両足首から先を落とさせて頂けるなら、これ以上は撃ちませんが?」

「そのおかしな衣装に、弓が仕込んであるのね。変態的だわ……」

三度みたびものお褒めの言葉。このアルバート、面映ゆい限りでございます」


 横を向き、腹に手をあてる。

 幾らか前傾姿勢を取っていることで、革の衣装の切れ目から何本もの糸が出現し、丁度弦楽器のように胸と腰の辺りを結んでいる。

 アルバートは流れるような仕草でそれにニードルをあてがい、うずくまるゾラを見もせずに射出する。

 ゾラは素早く外套を振り、飛来する数本の鉄針を叩き落したが、その瞬間は必然的に黒い羊毛に視界が覆われている。

 つまり、アルバートの狙いは二射目である。


「……ぐあッ!」


 軽い音を立てて、ニードルが両足の脛に二本ずつ突き刺さる。

 ゾラは凄まじい激痛に痙攣し、体勢を失って尻もちをつく。

 長剣から手が離れる。


「おお……、良い表情です。実に良い。貴女はかなり痛みに強いようですが、やはり脛骨は耐えられませんか……」


 ちらりとアルバートが目線をやると、控えていた三人の兵らが武器を構え直し、包囲網を縮め始める。

 ゾラは顔に黒髪を張り付け、身悶えしながら、柄を握り直そうとする。

 革のブーツが虚しく地面を掻く。


「両足首と両手首だけでよろしい。この身体ですから失血死の心配もないでしょう。生きて城へ持ち帰るのが何より――」


 アルバートの言葉はそこで、重い風の唸りに中断する。

 彼が息を呑んでそちらを向いた瞬間、手斧を構えていた兵の側頭部に飛来した長柄のハンマーが、湿った音と共にその頭を砕く。

 兵はぐるりと両目を裏返しながら倒れ、割れ瓶の如き頭蓋骨から脳味噌を地面に撒き散らす。

 全員が寺院の正面扉の方を見る。

 そこにはかなりの長身の男が投擲を終えた姿勢のまま立っている。

 全裸の身体は逞しく、黒々とした長い髭が顎に茂っている。

 左手には鎌。

 怒りの形相。

 長く長く、熱い息を吐く。


「――この、人喰いどもめ。私はここに、断固たる決意を持って宣言する。お前たちの行いを決して認めはしないと」

「……フィ、デル」


 ユキオの発した掠れ声は、痛みに悶絶するゾラの耳にも届いた。

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