食べたがりと食糧庫

宙色紅葉(そらいろもみじ) 毎日投稿中

食べたがりと食糧庫

 カルメたちの住む村は積雪量が多く冬は冷え込むが、今夜は特にそれが酷かった。

 ビュウッと空気を切り裂くような鋭い風の音が鳴り、ガタガタと家を揺らす。

 寒がりなカルメはブランケットを羽織って台所へ行き、ログが夕食を作るのを見守っていた。

「なあ、ログ。今、少しいいか?」

 クツクツと温かな音を鳴らす鍋に向き合って料理を進めるログに、遠慮がちに問いかけた。

 大方、甘えたくなったのだろう。

 よくあることだ。

 可愛いカルメを構いきって満足させつつ癒されるためには、料理の片手間ではいけない。

「もうすぐで完成ですから、少し待っていてくださいね」

 ログは鍋に塩コショウを適量いれて味見をし、スープを完成させた。

 かまどの火を消し、お玉を鍋に引っ掛ければ、甘えて良いですよという合図になる。

 だが、待ちきれなくてログが鍋を引っ掻き回している段階からトテトテと彼の背後に歩み寄っていたカルメは、甘えられる段階になっても、

「ログ……」

 と、甘えたな声で彼を呼ぶばかりで抱き着いてこない。

 普段ならば、お玉を置いた時点で後ろからモギュッと抱き着き、背中に顔面を押し付けたり、つま先立ちになってうなじにキスをしたりするのだが。

「カルメさん、どうしたんですか?」

 振り返るとカルメは寂しそうに俯いていた。

『要するにこれは、抱っこして欲しいってことなのかな?』

 カルメは多少、口下手ではあるがキス以外の要求は、あっさりと口頭で伝えられることが多いし、そうでない時には両手を広げたりしてジェスチャーで要求を伝えたりもできる。

 顔を真っ赤に染めたカルメの要求にデレデレと応えつつ、たまに意地悪をするのがログの趣味なのだが、今日のカルメは普段と比べて妙に弱っているようだった。

『なんか、落ち込んでる? 今日は冷え込むからかな? カルメさん、天気が荒れると弱りやすくなるし』

 普段よりもシッカリと甘やかすか! と、気合を入れたログがギュウッとカルメの身体を抱き締める。

 少し強い抱擁が嬉しかったのだろう。

 カルメはホッと安堵のため息をつくとログの胸元に顔を隠し、そろそろと背中に腕を回した。

「料理、中断させてごめん、ログ」

「大丈夫ですよ。もう、ほとんど出来上がってますから」

 カルメはコクリと頷くと目を瞑り、顔をログの胸に押し付けながら深呼吸を繰り返した。

 背中に回していた両腕にはギュッと力が込められており、抱き返すというには強い。

 だが、縋るというには圧が足りない。

 温かな安らぎを逃すまいとしているかのような、そんな抱擁だった。

 ゆっくりと頭を撫でてやれば、潜り込もうとするかのように胸に押し付けた顔面をグリグリと動かす。

 その動きが巣穴に戻っていくリスなどの小動物と重なり、愛おしくて思わず笑いがこぼれた。

「笑うなよ」

 不満げに口を尖らせるカルメが、どうしても可愛らしい。

 怒られても口の端が柔らかく歪んだ。

「すみません、何だか動きが可愛かったので。寒いんですか?」

「うん。でも、ログの胸とかお腹を裂いて、中に入ろうとしたわけじゃないから」

 思ったよりもバイオレンスだ。

 息も凍る北の大地では凍傷を避けるために動物の腹を裂き、中に手などを突っ込んで暖を取ることがあるらしい。

 そんな情報がログの頭をよぎった。

「物騒ですね」

 カルメのことは温めたいが、体を裂かれるのは流石になぁ、と苦笑いを浮かべていると、彼女が困ったようにブンブンと首を振る。

「いや、だから、してないって。ログを傷つけるの、絶対に嫌だし。ログに痛いことしたくない。入りたいわけじゃなくて、ただ、寒かったから……」

 可能な限りくっつきたかっただけなのだが、妙に照れてしまって上手く言葉を出せなかった。

「立ったままじゃ疲れるでしょう。座りませんか?」

 頷くカルメを連れて背の深い椅子にもたれる。

 カルメは椅子に座ったログに横抱きにされていた。

「ログ、その……あ、甘やかされたい。もっといっぱい、甘やかされたい。ダメか?」

 旦那に抱き上げられた上でブランケットをかけてもらい、頭を撫でられながら何も言わずとも額や頬にキスをされるという甘やかしの最上級にいるカルメの発言である。

 まだいける。

 もっと上がある。

 もう一声!!

 そのハングリー精神は悪くない。

 少なくとも甘やかしたがりのログにはちょうど良かった。

「どうされたい?」

「えっ!? ログ、何でため口になって……えっと、その、あの、もうちょっと頭撫でて。それと……」

 言い切る前に即座に頭を撫でられる。

 温かい手にうっとりとしたカルメは、ギュッと目を瞑ってログの胸に頭を押し付けると、恥ずかしさを堪えながら震える声で「ちゅー」とだけ、言葉を絞り出した。

 カルメが強請れる甘やかしの中で一番強いものがキスだ。

 予想はついていたが、いついかなる時も羞恥に満ちて涙を自分の胸で拭うカルメが愛おしい。

 今日はカルメが弱っているから素直に甘やかしてやろうかと思っていたのだが、あまりの可愛らしさに唇も瞳も甘く歪んで、少し意地悪をしたくなる。

 カルメがキスをして欲しいのは唇だろうが、要求に応じるふりをしたログが口づけを落としたのは真っ赤に染まった熱い耳だ。

 耳が弱いというのも無くはないが、そもそもカルメはログに弱い。

「ちょ、ログ、待て、ち、違う! そっちじゃ、ログ! ログ! ログ!!」

 ログに愛情を注ぎこまれて、だいぶ元気になったカルメがモチャモチャと文句を言いながら暴れ出す。

 しかし、二度、三度、四度と口づけを繰り返されると、その度にビクッビクッと体が跳ね上がり、涙が溢れだした。

 そして、震える唇では文句も言えなくなってしまった。

 予想外の意地悪が甘い。

 甘いが恥ずかしい。

 ボロボロと涙を溢しながら、ギュッとログの胸元の衣服を掴んで羞恥に満ちた意地悪を大人しく受け入れていると、彼が満足し、唇を離した時点でそっと両耳を塞いだ。

 小さな両手の中にある耳はキスを頼む時よりもずっと熱くなっている。

「ログ、そっちじゃなかった……」

 腕の中で小さくなり、涙声で不満を溢す妻が愛おしい。

 ログの心臓に糖度と温度の高い熱が溜まって、いくら意地悪しても、したりなくなる。

 どんなに甘やかしても、可愛さを見る度に甘やかしたくて仕方がなくなる。

 ログはカルメの熱い手に触れて、そっと退かすと疲れ切った耳に唇をよせ、

「だって、カルメが俺の方を向かないから。ほら、カルメ」

 と囁くと、長く白い指でチョンチョンと柔らかい耳たぶをつついた。

 まだいけるだろ?

 ほら、頑張って。

 ちゃんと強請らなきゃ欲しいものはやらないぞ?

 暗に語って耳たぶをフニフニと突っつく。

 限界を更に追い込んでいくスタイル。

 だいぶ厄介だが、どこまでも甘やかされたくて意地悪が大好きなカルメには堪らない。

 堪らないがカルメは語尾にハートマークをつけて、

「やだ~、ログったら、ちゅー!!」

 みたいな真似をできる性格ではない。

 嬉しいが恥ずかしさが勝って、

「ロ、ログの甘えんぼ! 分かったよ、分かったから、つつくのを止めてくれ!」

 と、ログの手を掴んでつつくのを止めさせると、真っ赤な涙目のまま彼の方を向いて口を尖らせた。

 フン! と、実に偉そうだが、心配そうにログを待つ控えめなキス顔が可愛らしい。

『カルメさん、可愛いな。弱ってて可愛い。後は甘やかしてあげようかな』

 ちょんと唇を重ね合わせるだけの可愛らしいキス。

 弱ったカルメには優しい甘さが丁度良いだろうと触れるだけのキスに留めていたのだが、重ねてから数秒経つと、彼女の舌がログの唇を割って侵入し、チョンと歯をつついた。

 それから開けてもらった口内に舌を入れてまさぐり、物足りなさそうにログの舌をつついたり舐め上げたりして誘い始める。

 どうやらログが思っているよりも今夜のカルメは欲しがりさんで、意地悪も甘やかしも足りなかったらしい。

 薄目を開けてカルメの表情を確認すると、彼女は頬を真っ赤にして瞳を閉じ、もっと! と貪っていた。

 ちゅっちゅと舌先を吸う姿を見ていたいが、それよりも甘やかしたいが勝って、ログはカルメの舌に自分の舌を絡めて抉り、貪り、激しくぬくもりを与え始めた。

 欲しいな、欲しいな、と甘えていたところに何の前触れもなくやって来た愛情の過剰供給。

 カルメは荒い呼吸を繰り返しながら、真っ赤になって送りつけられる愛と熱をコクリコクリと飲み込んだ。

 ログのキスはカルメの耐えられるギリギリを攻めていて、穏やかなようで激しい。

 温かなキスが終わると、カルメは酸欠気味になって顔面を赤く染め上げ、目を涙で潤ませて呼吸を整えている。

『カルメ、かわいいな』

 ふーっ、ふーっと二酸化炭素を吐き出すカルメの濡れた唇を拭っていると、腕の中で弱っている姿に心臓が甘く鳴ると同時に嗜虐めいたものが湧いてしまい、回復を待たずに、もう一度、唇を重ねた。

 激しく愛情を送りつける。

 加えて、先ほどは控えていた激しくカルメを吸うという行為を何度も繰り返す。

 吸う以上に送り付けて、引っ張った舌先をほんの少しだけ歯で挟む。

 絶対に噛まないように、傷つけないように、添うようにして少しだけ圧をかける。

 ギョッとしたカルメがトントンとログの胸を叩くと、食むのを止めたログが彼女の頭を撫でた後に身体をギュッと抱いて自分に押し付け、キスをより深くした。

 余計に驚いて胸を叩いていたカルメが少しするとクタッと力を抜いて抵抗を止め、そろそろとログの背中に腕を回して抱き着き、舌や口内を弄ばれることと受け入れてポロポロと泣き出す。

『そろそろ限界かな?』

 キスが激しくなるほどカルメは鼻呼吸が下手になってしまう。

 もう少し愛していたかったが、本当に酸欠になる前にログは名残惜しくカルメを手放した。

 肩で呼吸をして涙を拭っていた可愛い欲しがりさんが、実に分かりやすい視線をログにジッと向ける。

 意図を察したログの瞳と口元が甘く歪んで微笑む。

 何度も唇を重ねて貪り合うと、流石に疲れたカルメがモギュッとログの胸元に抱き着いて、

「たくさん、好きって言ってほしい。敬語で」

 と、モジモジと強請りだした。

 カルメはログのため口が好きだ。

 格好良くて、愛おしくて仕方がない。

 ただ、どうにもため口を使われると照れてしまって体内に溜まる愛おしさを発散できなくなり、うずくまって悶えることしかできなくなってしまう。

 今回は度重なる意地悪とキスでカルメの愛情のキャパシティがパンパンになってしまったため、これ以上強すぎる愛をいっぺんに受け取れなくなってしまった。

 だが、ここでシレッと無茶をさせるのがログだ。

 ログはモギュッと抱き返すとカルメの髪にキスを繰り返し、

「カルメはいつでも可愛いな。好きだよ、愛してる。世界で一番大切だ。ほら、俺の胸元に隠れてないで、可愛い顔を見せてくれ」

 と、声色を低くして囁いた。

 カルメの体温は無限に上がる。

 羞恥と愛情の涙だって止まらない。

 背筋に走るゾクゾクとした甘い熱に体を震わせて、口の端をニヨニヨと上げ、涙目になっている顔は、とてもじゃないが見せられない。

『見せたら、もっと意地悪される!』

 愛情を受け取るためではなく逃げるためにギュムーッとログの胸に顔を押し付け、やめてくれ! と、首を振る。

 しかし、そんなに可愛らしく留まってしまえば、どんなに首を振ろうともイタズラも意地悪もされてしまう。

 ログは意地悪くカルメの頬に差し込んでいた手を引き抜き、彼女が、「あれ? もう意地悪してくれないの?」と、我儘に拍子抜けした瞬間、油断した赤い耳をカプッと噛んだ。

 途端、カルメの歪んだ唇から声無き悲鳴が漏れ、バキッと固まってしまった。

 それをいいことにカプカプと何度も噛む。

『くすぐったい、恥ずかしい、意地悪過ぎる!! ログ、ログ、ログ!』

 心の中で必死にログの名前を呼び、彼の胸元のエプロンをしわくちゃになるまで握り締めて羞恥に対抗するが、それこそ無駄な抵抗というものだ。

 労わるようにキスをされると、ログの腕の中でデロンと溶けて体を預けた。

 瀕死である。

「ログ、今日、耳多い。なんでこんなに噛んだんだ……」

 糖度と羞恥に蝕まれて、しゃくりあげながら問うと、

「だって、カルメさんの赤い耳が可愛かったから。すみません、噛むのがブームでして」

 と、相変わらず心の籠っていない謝罪が届く。

「ブームってなんだよ。うわっ! ロ、ログ、もう駄目だって! 流石に恥ずかしい!」

 全く噛んでいない方の耳に触れられて、カルメはずり落ちたブランケットの中に身を隠した。

 まあ、逃げた先で思っていることは、ログ格好良い! と噛むブームが長続きしますように、という実にカルメらしい願いばかりなのだが。

 どうにもこうにも、カルメは可愛らしい天邪鬼だ。

 少しすると、だいぶ落ち着きを取り戻したらしいカルメがブランケットから顔を覗かせて、

「ログ、あのさ」

 と、寂しそうに声をかける。

 ログには甘やかしてと強請るカルメに見えた。

「どうしたんですか? カルメさん。まだ噛んでほしいところがあったんですか?」

「ち、違う! 噛むのは、もういい!」

「じゃあ、キス?」

「ちゅーもいいってば! ちゅーも、か、噛むのも、後でいい! 全く、敬語にはなっても意地悪なのは変わらないんだな!」

 後で、と付け加えるあたり欲に忠実だ。

 ログは、

「ごめんなさい、かわい過ぎて、つい」

 と、クスクス笑っている。

「それで、どうしたんですか?」

 キョトンとした様子で問えばカルメは口籠って目線を下げた。

「いや、あのさ、私、やっぱり欠落した人間なのかもしれない」

 ポツンと口から零れた言葉は沈んでいて、モソモソとログに抱き着き暖を取る。

 落ち込んだ姿に首を傾げたログが小さな背中を撫でながら訳を問うと、カルメはモゾモゾと苦しそうに唇を動かし始めた。

「あのさ、私、すぐに足りなくなるんだ。その、愛が。私、前にログにいっぱい好きって言われたいってお願いしただろ? 実際にログは私に毎日、その、毎日たくさん色々してくれるし。だから嬉しいんだ。毎日、幸せだって思う。でも、たまに足りなくなって、今すぐ欲しいって思う時が出てくるんだ。貰っても貰っても、まだって、そんなの変だ。ログは私みたいにならないのに。やっぱり私、欠陥品で、心に穴でも開いてるのか?」

 今も少し寂しくなったのかもしれない。

 カルメがヒシッと縋りついてきたので、ログは彼女を抱き締めてチョンとキスをした。

 慰めてくれるのかな、と少し期待したカルメだが、

「カルメさん、お腹すきましたか?」

 という、一見すると彼女の恐怖とは関係のなさそうなログの言葉に、お腹? と首を傾げた。

「まあ、それなりに空いたけど。もしかして、ログもお腹空いたのか? ごめんな、私、ご飯の前にログに甘えてしまったから」

 自らの我儘さにシュンと落ち込めばログが何でもないように笑う。

「いえ、大丈夫ですよ。お腹は空きましたが今すぐ食べたいってほどでもないので」

「そうなのか? 私は結構お腹が空いたのに」

 言いながら押さえていた腹がグゥッと鳴って、カルメは顔を真っ赤にし、その場でうずくまった。

 恥ずかしそうなカルメにログはクスクスと笑みを溢している。

「カルメさんは食いしん坊なんですよ、胃も心も、可愛い食いしん坊なんだと思います」

 カルメは何かを、特にログを欲し続ける卑しい自分が嫌いだ。

 食いしん坊という言葉に良いイメージが一切なかったカルメは、

「どういう意味だよ」

 と、口を尖らせた。

 不機嫌なカルメに対し、ログは悪戯っ子の笑みを浮かべて柔らかくカルメの唇をなぞる。

「愛情は消耗品なんですよ。食べ物と一緒です。仕事をしたり、頑張ったりしたときは勿論のこと、ただ生きるのにだって使ってしまうから無くなってしまう。だから定期的に補給をしないといけない。ただ、それだけです。だから、カルメさんの心に穴が開いているわけじゃないんです」

 甘い言葉に優しい声。

 穏やかに紡がれるログの理屈に一応は納得したカルメだが、それでも不安なままだ。

 何故なら、他の人間よりも欲するというところは変わらないのだから。

 過剰に求める限り、カルメの中では欠陥扱いなのだから。

「でも、皆、こんな風にしない。ログだって、あんまり抱っこって言わない。私、やっぱり……」

「だから食いしん坊なんです。カルメさんは多分、人よりも胃袋が大きめなのか、あるいは消化が早いんだと思います。特に天候が荒れたりして不安定になると、バランスをとろうとして持っている分を食べ尽くしちゃうんじゃないかと思いますよ。でも、だからって別に欠陥があるわけじゃありません。多分、他にもそういう人はいますよ」

「そっか。でも、やっぱり私、普通より卑しいみたいだ。やっぱり私はあんまり自分が好きになれないな」

 慰められているはずなのに、甘さを受け取れない。

 少し沈むとガッツリ心が空く。

 心臓に満ちていた熱が減って、冷えていくのを感じた。

 まるで穴が開いて熱が逃げるみたいだと思っていたが、ログの理屈だと既にあった分を消化したことになる。

 せっかくもらったばかりなのに。

『少し落ち着けよ。この程度で腹を空かすなんて、本当に卑しいな。いい加減にしないと嫌われるぞ。少なくとも私は私が嫌いだ』

 他人に卑しい欠陥品だと詰られても大して傷つかないカルメだが、ログに、

「もしかして、もう寂しくなったんですか? さっき、あんなに愛情をあげて、今だって慰めてあげたのに? 受け取れなかった? 図々しいですね。俺は卑しい欠陥品が嫌いです。あげても、すぐ食べちゃうカルメさんには、キスも、噛むのも、好きもしたくありません。あっち行ってください」

 と、叱られながらブランケットから追い出されてしまったら、落ち込むどころの話ではない。

 過剰なほどの愛情が尽きかけたことを悟られぬように、カルメは自分自身に毒を吐いて抱き着きたい心を抑えると、心臓の前で両手を絡め、ギュッと握った。

 その手の上にログがポンと大きな手のひらを重ねる。

「俺は好きですよ、食いしん坊なカルメさん」

「なんで?」

 ここで「本当に? ありがとう、ログ大好き!」と応えられたら可愛らしいのだが、あいにくカルメは素直じゃない。

 嬉しかったが、不安が勝って不機嫌に口を尖らせた。

 本当は今すぐにでも慰められた顔をして、甘い愛情を受け取りたかったのに。

『せっかくログがくれたんだ。好き嫌いするなよ、このバカ!』

 すぐに枯渇する腹と心臓を殴りたい。

 瞳の奥が不安で揺れた。

 カルメが何を思っているのか、詳細は分からないログだが、それでも杞憂に怯えるのが可愛くて、安心させてやりたくて、モギュッと抱き締めた。

「俺は食べさせたい人だから。カルメさんが食べたいよ! って言ってくれないと困っちゃうんです。それに、俺は食べさせた時に満たされる人だから、カルメさんと愛情の食べ方が違うだけで俺も食いしん坊なんですよ」

 カルメと真逆の食べ方をするログを理解することはできない。

 だが、ログが甘やかしたがりであることは感覚で知っていたし、自分を受け入れてもらえたことが嬉しくて、カルメはやっと彼の言葉に癒されることができた。

「お揃いの食いしん坊ってことか? 変なの。でも、ありがとう」

 曖昧に納得して笑う表情は安心していて、随分と満たされたようだ。

『カルメさん、あんまりよく分かってないな。可愛い。もしもカルメさんが大食いじゃなかったら、俺はどうしてたんだろう。多分、無理矢理にでも食べさせ……』

 以前カルメに誓った、「カルメに望まれなくても愛情をかけ続ける」という言葉に嘘、偽りはない。

 一日に一度も、キスも言葉も抱擁も求めてこないカルメ。

 カプッと噛んでも、ギュッと抱きしめても、

「ありがとう」

 さえ言わず、うるさい、しつこいと怒るカルメ。

 あまつさえ、自分よりも友人などを優先されてしまったら。

 カルメが自分以外からも愛情を受け取って満たされる性格をしていたら。

 仮にカルメが冷たい態度をとったとしても、ログは愛情を示さずにはいられないだろう。

 求められていないのに無理やり食べさせるということは、無理にキスをし、抱き締め、「愛している」と言葉を投げつけるということになる。

 愛情を受け取ってもらえないのは愛情を貰えていないのと同一の状態だ。

 嬉しそうに笑ってもらえなければ、愛情を受け取る姿から自分への愛情を確認できなければ、満たされない。

 どこまでも一方通行な行動が、双方向になった時でしかログの心は満足できない。

 心の飢餓が続けば、食べさせたい愛情が暴力的なまでに体に溜まり続けてログを蝕むようになり、いつの日か抑えつけた黒い炎が燃え盛る。

 もっと愛が強ければ食べてもらえるだろうか?

 こういう渡し方なら、ご満足いただけるだろうか?

 食べてもらえなきゃ、お腹が空いたままだ。

 早く食べて、早く食べて、早く食べて。

 そんな精神状態が続けばログは強引に食べさせる量や行動がエスカレートするだろう。

 ログは忍耐強い性格をしているが、我慢しきってカルメが望むように甘やかしてやれるのは彼女に愛されていて、満たされていて、余裕があるからだ。

 カルメの為だと思うから、カルメが心から嬉しそうに笑って自分に一番愛情をかけてくれているのを知っているから、ログは我慢ができる。

 我慢で満たされることができる。

 いくらしたいことがあっても、カルメが嫌がると思えば絶対に実行には移さない。

 だが、「カルメに愛されている」という前提がなくなれば何をするか分からない。

 きっと、無理に夜を奪うようになる。

「愛して欲しいと言ってくれ」

 そんなことばかり強く願うのだろう。

 けれど、そうは言えないのだろう。

 口から漏れ出るのは、

「愛してる」

 の一言と、

「俺のことは好きですか?」

 という、小さな問いかけばかりで、世話を焼きながら犯すばかりだ。

 逃げられないように自分へ縫い付けて閉じ込める日々だ。

 心臓が悲痛な叫びをあげてブチブチと引き裂けながら動く、冷たい生活が待っている。

 悲しいことに、飢えて愛の過剰供給を繰り返す自分を簡単に想像できてしまった。

 カルメ次第では実行してしまうことも痛いくらいに理解していた。

 目に見える行動が「愛する」なだけで、ログもカルメと同じくらいに愛されたがりなのだ。

 格好つけたいログは、それを表には出さないが。

 実はカルメよりもログの方が捻くれていたりする。

『本当に、本当に、カルメさんが食べたがりで良かった』

 愛しい人にしか中身を明け渡せない供給過剰の底なし食糧庫。

 一時間おきにパカパカと食糧庫の蓋を開けて中からリンゴやらハムやらを取り出し、モシャモシャとつまみ食いしてもらえるほどでないと張り合いがない。

 まともに機能できない。

 自分自身に怖気が立って、随分前にくすぶらせて寝かしつけていた黒い炎が薄目を開けるのを感じる。

 カルメが一日に何度も腹を減らし、ツンツンとつついて愛情を催促する性格で良かったとログは心の底から思った。

 人知れず冷や汗を流して肝を震わせていると、カルメがちょんちょんとログの肩を突いた。

「ログ、私に気を使って適当な事を言ったんじゃなくて、本当にログも食いしん坊なのか?」

「え? はい。そうですよ」

 ジッとログの瞳を窺うカルメにあっさりと頷くと、彼女は安心したように、そうか、と呟く。

「じゃあ、私がログに、その、抱き締めてくれって言うと、ログも嬉しくなるのも本当か?」

「ええ。でもそれは、元からわかっていたことでは?」

「う、それは、そうだけど」

 キョトンとするログに爆速消化の食いしん坊がモジモジと指を擦り合わせた。

 早速、甘やかされたくなったのだろう。

 相変わらず食べるのが早い。

 というか、小腹が空いたら一回は食糧庫をつついてみるという、甘えん坊な食いしん坊の鏡がカルメだ。

「カルメさん、まだお願いがあるんでしょう? お腹が空いているのに食べないのは駄目ですよ」

 落ち込んで愛情が欲しくなった最愛を見たら、心臓の隙間に栄養をぶち込もうとするのが食糧庫だ。

 底冷えしたログは、ちょうどカルメを甘やかしたかったのでホクホクとしながらフタを開けた。

 割と何でも渡せる。

 優しく穏やかな甘みも、激しく強い甘みも。

 望むものなら、何でも。

「我儘すぎるかもしれないけど、今日は抱っこしてもらったまま、その、ご飯を食べさせて欲しい。あの、あ~んってやつ、して」

 なかなか面倒な要求を真っ赤な顔で頼むと、ログが嬉しそうに笑ってカルメを下ろし、席を立った。

「いいですよ。ご飯もとってきてあげましょうか?」

「いや、それはいい。今日は冷え込んで、すぐにログが恋しくなるから近くに居たい。だから、私もご飯運ぶ」

 台所へ向かうログの背中にバフッと抱き着いて安心しきった猫のようにゴロゴロと喉を鳴らす。

 現状にかなり満足しているようだ。

 だが、その満足感もすぐに減退して、愛情を求めだし、抱っこやらキスやらをせがむのだろう。

 たくさんの言葉を頂戴と引っ付き、すぐに失ってしまうと分かっている愛情を大切に抱き締めて味わい、幸せだと微笑むのだろう。

 何度でも愛情を食べさせられることが嬉しくて、求め続ける困ったちゃんな性質が果てしなく愛おしい。

『満足させ続けられるのは俺だけだって、自惚れてしまうな。でも、少なくとも全部食べてくれるのはカルメさんだけだ。愛おしいな。俺だけの宝物だ。出来るだけ大切にしよう。生きてる時も、死んだ後も。ずっと一緒だ』

 似たようなことをカルメも思っている事だろう。

 それが分かるから嬉しかった。

「じゃあ、今日は一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に眠りますか」

 カルメは「お風呂!」と顔を真っ赤にした後、

「髪を乾かしてあげますよ」

 と笑うログに、恥ずかしそうにコクリと頷いた。

 吹雪が激しくなる外に対し、カルメの家では温かな空気が満ちていた。

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