第2話 「ペンギン」

私はノートパソコンの画面に映るペンギンの群れを見ていた。


南極の氷の上に彼らは集まり、まるで何か大きな決断を前にしているかのように見えた。風がビュービューと吹き、彼らの羽を揺らしている。


その中で、一羽のペンギンが他とは異なる動きを見せ始めた。よく見ると、彼は群れの最前線にいた。勇気があるのか群れの為に水底を覗こうとしている。最初はそう思っていた。


だがよくよく見ていると彼の周りのペンギンたちは、彼の後ろに密集し、時折、彼の背中を突くようなしぐさをしていた。一瞬のうちに、彼は氷の縁から海に向かって滑り落ちた。画面を通して見える彼の体は、一瞬にして水しぶきを上げ、冷たい海の中に消えていった。


勇気あるファーストペンギンというイメージでいたのだが、実際は彼は仲間から押され、やむを得ず海に落ちているだけだった。勇敢だと思われているものは。案外違う。そう教えてくれるようだった。私はそっと画面を閉じた。



そしていつものように彼は来る。下校の生徒を見送ったあとの一服。


彼がタバコに火をつけ、静かに煙を吸い込む間に、私は話し始めた。「ペンギン」「はっ?」私のいきなりの発言に、彼はわけがわからない、という顔をしていた。まぁ、そうだろう。


私は昨夜ネットで見つけたファーストペンギンの動画がまだ頭に残っていた。それを彼に話したくて、小さな花屋の店の裏手で会った。ここは通りの喧騒から少し離れた場所にあって、落ち着ける場所だった。


「ファーストペンギンって知ってる?」「あぁ、なんか、挑戦者とかそういうあれでしょ。海に一番最初に飛び込むの。」国語の教師をやってるだけあって、それなりに物知りのようだ。マウントとれないのが少し悔しいが、話を続ける。


「昨日、ペンギンの動画を見たんだけど、ファーストペンギンっていうのが実は他のペンギンに背中を押されて海に落ちるみたい。それ見てみんな勇気あるリーダーだと思ってたけど、ちょっと違うんだって。知ってた?」


彼は静かに煙を吐き出しながら、「ああ、それか。うん、以前に読んだことがあるよ」と答えた。彼の声は柔らかく、すでにその話を知っているかのように聞こえた。私は少し残念な気持ちになった。「あっ、もう知っていたんだ」


彼は私の気持ちを察してか、「でも、動画で実際に見るとまた違う感じがするだろう。どんな印象だった?」と話を戻してくれた。


私は彼が示した興味に感謝しながら、動画で見たペンギンたちの様子や感じたことを詳しく話し始めた。私たちは店の裏で、タバコの煙と共に、生き物たちの小さなドラマについて話し合い、その瞬間を共有した。


「俺もそこそこペンギンは見るけど」「どこでだよ」思わず茶々を入れてしまうが、彼は続ける。


「例えば、あいつらって結構社会的で、大きなコロニーを形成して生活している。結婚するのに石とかプレゼントして、良いものをあげられるやつがモテるんだって」と、彼は言う。


彼の話を聞いて同世代の友人が婚活を始めた話を思い出す。犬も歩けば棒に当たる。ペンギンも婚活する。

私は形成されたコロニーの中で息をしていて、借り物の箱の中で生きている。相手もいないし、今はただ生きていくだけで精一杯だ。これ以上をやれる人はいったいどんな人なんだろう。


「私達がペンギンだったらどうなってるんだろうね」


動物の世界にも秩序があって、それぞれに応じた生き方をしている。結局どこへ行っても変わらないような気もする。


「ファーストペンギンの背中を押すやつなのかもな。」彼は自嘲するような笑みを浮かべる。彼の足元に灰が落ちる。これで終わりだ、と言うように足で火を消す。


「そろそろ戻るとするよ」と彼は言う。


私はその後ろ姿を見ながら、ふいに駆け出した。何故かはわからない。そして彼の背中をドンと押す。


「ファーストペンギンの背中を押してみた。さっさと落ちろ。」


私はふざける様に背中を押す。まるで子供みたいなことをやってると、彼も同じように押してくる。二人で笑いながらじゃれ合った。


「今度、行こうか。水族館。」彼の提案に頷く。あの不格好な生き物たちをなんとなく見てみたくなる。あぁ、悪くない。


そうして今度こそ彼の背中を見送って予定を入れる。


思ったよりも楽しみにしている自分が、恥ずかしいが、まぁ、ペンギンは可愛いから仕方がない。


次のお互いの休日まであと何日だろう。数えそうになって私はやめた。これじゃ楽しみにしすぎだろう。


遠足の日、子供の頃を思い出す。先導する教師たちが立派に見えた。遠い存在かと思っていた。


「何か良いことあったんですか?」なんて聞かれるが、まぁ、内緒とだけ答えておこう。プライベートな時間は終わる。お客様がやってくる。


さぁ、大人の時間を始めよう。「いらっしゃいませ」私はそれらしい仮面を被って、口元を引き締める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花屋とタバコのお話。 @amy2222

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ