希少種ドラゴンに転生した結果、武闘派伯爵令嬢のペット兼参謀にされた模様

大守アロイ

第1話 君子、危うきに近寄らず

 ポスドクの死に方としては、様になっているのかもしれない。無様。

 出前アプリの配達員をやっていた歴史家志望の私は、嵐の中自転車をこいでいた時に、道へ飛び出てきたネズミに驚いて転び、用水路へ落ちて顔面を打ち付けた。

 首が折れたらしい。これで歴史学者になる夢も、春の雨の露と消えた。

 ただ、トラックで轢かれたとかビルから飛び降りたとか、無関係な誰かを不幸にさせるような死に方じゃなかった。それだけは強調しておきたい。まあ、私の死体の発見者と、注文品が届かなかった客は、不愉快になったかもしれないが。

 そうして私の人生はオシマイになった。

 けど。そんなマヌケな私の魂を、再利用したがる奴らが居た。



『真なる封印されし女神よ! 偽神の作りし偽の世界から、我ら清浄な魂を救いたまえ!』


 怨念の籠った叫び声に、私の意識はたたき起こされた。

 眼をさますと、月明かりの眩しい草原で、私に向かって土下座している集団が、意味の分からない呪文を唱えていた。集団は黒いローブを頭からほっかむり、その顔は分からない。

 集団の周りは巨大な石の柱で、ぐるっと囲われていた。さながら、イギリスにあるストーンヘンジのようだ。

 この異常な光景を、私は横たわりながら観察していた。身体が動かない。全身に纏わりついているひんやりとした鎖の感覚が、私が囚われの身だと教えてくれる。


『我ら清浄な魂のための業火を齎したまえ! 忌まわしい偽の世界を燃やし尽くす業火よ!』


 頭がさえてきた。なるほど。どうも私は、邪教の儀式で供え物になっている。なんで?

 彼らは、真なる女神とやらを祀り立てているらしい。4世紀に地中海世界で栄えたという、グノーシス主義を思わせる教義だ。これは夢かなにかだろう。自転車でコケて、気絶したんだ。そう思って、不思議な儀式を最後まで見届けてやろうと思った時だった。

 突然、石の柱が爆音とともに砕け落ちた。柱を砕き割ったのは、真っ赤に焼けた砲丸だ。

 砲弾と崩れた石柱が、幾人かの邪教徒を押しつぶす。

 怪しい集団の呪文は、金切声へと代わった。蜘蛛の子を散らすように、彼らは草原へと散り散りに逃げ始めた。

 砲撃が止んだ頃に、胸当てと鉄兜を身に着けた兵士たちが、次々と駆け寄ってきた。彼らの装備はルネサンス期の傭兵隊や、近世ドイツのランツクネヒトのようだった。中世騎士より後、ルイ14世の常備軍より前の時代。けれど、既知の様式じゃない。みたことのない軍装だ。 


「邪教徒は死罪だ! 撃てっ!」


 羽飾りのついた鉄兜の兵士が叫ぶ。おそらく隊長格の将校だろう。

 逃げ遅れた邪教徒たちが、バタバタと火縄銃で撃ち倒されていく。

 本でしか読んだことのない戦場の風景に、私は何もできずにいた。けれど、好奇心は尽きないものだ。目の前の騒動を、つい観察してしまう。

 勘の鋭かった邪教徒たちは、背丈ほどの高さのある草むらへ飛び込み、逃げおおせてしまった。兵士の統率があまり取れてないからだ。兵士は各々に弾を込めて、適当に撃っている。斉射が出来てないところを見るに、歩兵操典も存在しない。銃兵が最初に乗り込んでくるという戦い方も、ちぐはぐな気がする。

 火縄銃兵の後ろから、今度は槍兵が続いて現れた。松明を持った兵士もいる。何十人もの槍兵は、邪教徒を追いかけない。私の周囲をぐるりと取り囲み、槍先をこちらへ向けてきた。


「あ、ま、待ってくれ! 私は邪教徒じゃない。 先祖代々仏教だ」


 おもわず早口で私がまくし立てると、兵士たちは凍り付いたように動きを止めた。

 そして、お互いに顔を見合わせて、囁き始めた。

 ドラゴンが喋っている。どういう魔法だ。

 魔法? 魔法ってアバラケタブラとかそういうやつか。

 このあたりで、これは夢ではないかもしれないという恐怖が生まれた。

 その時、女の大声が、遠くから届いた。


「行軍止め! もう目的は達成した!」


 芯の通った号令を聞くやいなや、兵士たちは声の聞こえた方向へと振り向き、背筋を正す。

 月明かりに照らされて、馬に乗った少女が、こちらへ駆け寄ってくるのが見えた。

 背中に大剣を背負い、ビロードのようなマントを靡かせて、甲冑に身を包んだ彼女は、私を見止めるとニヤッと笑う。

 月光を纏う彼女は、息を忘れるほどの美貌だった。

 長く淡い金髪は、絹織物のように滑らかに揺れる。

 鼻すじの通った顔立ちは、文句のつけようがない。

 切れ長で大きな瞳は、意志の強さを感じさせる。

 ただ、耳は長く尖った形をしていて、見た事のない形質だった。


「殺すな。貴重な鹵獲品だ。我はこれを得るために、夜中に兵を動かしたのだ」


 馬からヒラリと飛び降りた彼女へ、羽飾りの隊長が会釈し、両こぶしを胸の前で突き合わせた。そういう敬礼の作法なのだろか。


「レゼリア様。こやつ、言葉を喋りますぞ」


 隊長からレゼリア様と呼ばれた彼女は、口をゆがめて驚いた。


「言葉を喋るドラゴン……ほう。交魂術で人間の魂を吹き込んだのか。奴ら、妙な当たりを引いたな。上出来だ」


「あの、ここはどこです? そして貴女は誰?」


 私が問いかけると、彼女はおもむろに背中の大剣を引き抜いて、私へ突き付けた。 曇り一つなく磨かれた大剣の抜き身に、私の姿が映る。

 そこに映るのは、羽毛でモッフモフの真っ白なドラゴン。つまり、私。

 なんじゃこりゃあ。


「ここはルド王領の南端、我がランゼ伯領の前線だ。我は伯爵代行のレゼリア・ランゼ。そしてこれを見ろ。もうお前は人間じゃない」


「うわっこれが……私? 龍?」


「そう。神の使いとも言われるモンスター。ドラゴンだ。邪教徒どもは魔領の拡大のため、自分たちの切り札になるモンスターを増やそうとしている。死んだお前の魂は異世界から召喚されて、魂無きドラゴンの肉体へ閉じ込められたのだ」


 しばらく考えてみる。私は死んだらしい。そして、ここは来世の世界らしい。学部時代に戦前雄弁学由来の、来世についての講義を受けたけれど……その知識は役立たない。道理も学問も通じない。理解は諦めた。


「左様ですか」


 絞りだすように、ドラゴンの私は答えた。


「どちらか選べ、ドラゴン。我の軍に降りるか。それとも歯向かってくるか」


 大剣を担ぎながら、姫様は楽しそうに囁く。私は即答した。


「降伏します。孔子曰く『無功の師は君子は行らず』と言います、むだな行いは慎むべきでしょう」


「その格言は知らんが、よろしい。これからお前は、我のペットだ」


 そう言って、レゼリア様は私に纏わりつく鎖を掴む。

 そして、朗らかな笑顔で、鎖をブチブチに引き千切ってみせた。この世界、ドラゴンよりレゼリア様の方が強いらしい。

 ペットと呼ばれ、私の自尊心は多少傷ついた。

 ……けれど、前世も奴隷のような境遇だったわけだ。今更落ち込むことも無い。

 とりあえず、今は逆らわず生き残るべきだろう。


「御意」


 自由の身になったドラゴンの私は、レゼリア伯爵代行へ跪いて、両こぶしを突き合わせた。

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