第8話 【八方扶への告白】
「ごめんなさい」
返事は即答だった。
私――
「…………?」
それなりの前振りをしてから臨んだというのに、どうやら彼の琴線にはちっとも触れなかったようで、タスクくんの男にしてはやや長い前髪の隙間から覗く目は私のことをまるで虚無でも見ているかのようだった。いや、それはおよそ人間に向けていいモノではない……。
「えっとぉ、あの。…………理由を聞いても?」
固まる私が辛うじて絞り出せた言葉は理由の追究だった。
「え、それって言わなきゃダメか?」
横っ面を思いっ切り引っ叩かれたかのような錯覚に陥りそうになる。先ほどまでそれなりに会話が成立していたはずなのに、なんというか、あまりにも目の前の男の子からの好感度が低く思えた。
「今後の参考にしたいから、教えてくれると嬉しいかな~って。ほら、私って結構可愛いと思うんだよね。発育もいいから男の子からしてみればそれなりに垂涎の対象だと……自認していたのですが……」
ちょっとした容姿のアピールも兼ねて言っていると、段々とタスクくんの目は細められていくので、どんどん尻すぼみになってしまう。
「他人の容姿に何かを求めることはないよ。第一、相手の身嗜みに要求できるほど俺は自分に対して気を遣っちゃいない。見りゃわかるだろうに」
そう言うタスクくんは掛けている丸眼鏡を指先で上げ、伸ばし放題にしている自身の髪を指先で弄った。確かにタスクくんのその容姿は一言で表せば「野暮ったい」に尽きてしまうものだ。
「正論だネ!」
正論ではあるが、世の中には自身の身嗜みには大して力を入れていないくせに相手にはやたらと求める人間が大勢いるし、私だって少なからずそういう部分があるのでまぁまぁ刺さった。
「むしろ、容姿に言及するような人間である砂金がどうして俺なんだ? 俺はそこらへん雑だから清潔感とかないだろうし、むしろ砂金みたいなのからしてみれば嫌いなタイプだろ」
「いや、そんなことはないからね。それにさ、清潔感ってのはただのお気持ちだよ。清潔かどうかではなく、その人が清潔と思えるかどうかの話でしかないから、あんまり使わない方がいいよ」
実際にその人が清潔かどうかではなく、一方的な印象での決めつけでしかない以上、清潔感という言葉に意味はない。きっと、清潔感とか言い出す人はその対象がお風呂上りだろうと「清潔感がない」とか言い出すだろう。
「タスクくんは実際のところ清潔にはしているでしょ? シャツは糊が利いているし、髪だってハリがある。それに、男の子は肌が荒れにくいってのもあるけれど、ちゃんとお手入れはしているように見えるね。多分だけど、化粧水は使っているでしょ」
両手の人差し指と親指で長方形の枠を形作り、そのフレーム内にタスクくんを収めつつ分析した結果を言う。すると、タスクくんは思った以上に面食らったかのような表情を浮かべる。どうやら、間違ってはいないようだ。
「こわっ」
そして、心底から漏れ出てしまったかのようにフラットな小声でそんなことを言われた。正直、傷つく。
先ほどからの心無い言葉責めにめげながらも、私は喋る。
「だから、うん。タスクくんはその点、とっても清潔そうだし。むしろ加点要素だと思います」
「頼んでもないのに勝手に点数評価をする人ってのは、一体全体何様のつもりなんだろうな」
「…………っ」
ひくり、と口端が攣った。なんかこう、喋れば喋るほどに悪化するのではなかろうか。とはいえ、ここで引くのも何かが違う。少なくとも、今は疑問に答えるべきだろう。
答えるべきなのだけれど……。今の会話の流れで言ったとして、まともな反応が返ってくる気がしない。しかし、だからとここで言い淀むのも印象が悪くなるばかりだろうから意を決して、言う。
タスクくんの「どうして俺なんだ?」に対する答え。
「一目惚れなの」
「……宮城生まれの?」
「米じゃない!」
このタイミングでボケないでほしい。
「タスクくん、どうして自分なのかって疑問だったんでしょう? その答えだよ。一目惚れ。初めて見た時に『いいな』って思ったの」
「眼科、紹介しようか?」
「両目ともに視力1.5だよ!」
「それなら脳外科……いや、精神科?」
「私の正気をっ、疑うな!」
「火の鳥復活編みたいな感じか」
「何の話!?」
「あるいは沙耶の唄か……」
「ほんとうになんの話っ!? というか、自分の容姿に好印象を持たれている際に示す反応として、それはほんとうにどうかと思う!」
この男、ふざけているのかと思ったけれど、どうやら思ったより真剣に言っているっぽい。いや、というか、多分だけど、ふざけてもいる。
「そうは言っても、容姿の良し悪しなんて俺には理解できないよ。その上で俺は周囲からの評価が『パッとしないやつ』であるということを真摯に受け止めている。そうやって受け止めている以上、そんなモノへの評価が高いってのはあんまり真実味がない」
「好みは人それぞれでしょ?」
「人それぞれだとしても、それは個人差の範囲だろ。個人差ってのは誤差、或いは許容範囲内ってことだ。範囲外にあるものは『人それぞれ』なんて言葉では庇われない、
出る杭は打たれる。そこにあるのは「同じになって欲しい」という歪んだ願いなのかもしれない。けれど、はみ出た異物は「同じにしたくない」からと、切り落とす。タスクくんの言う「違い」とはそういうところだろう。
「価値観ってのは環境によって形成されるし、それには美醜だって含まれる。お前さん……砂金が堂々と生きていて、そのことになんの疑問も抱かないのは砂金が最初から許容範囲内にいられて、そのままに生きてきたからだろ。年頃であれば容姿の良し悪しなんてのは特に顕著に重きを置くものだしな。だから、うん。砂金が真っ当であると思えば、そんな真っ当さに反することを言われて疑うのも無理はないだろ」
合点がいく。八方扶という男は思ったよりも人を見ている。個人には目を向けていなくとも、人間をしっかりと認識している。個々人には興味を示さないくせに、形成された
であれば、それに対する明確な根拠を踏まえて話せば、この人は納得する。
「私がさ、キミに一目惚れしたのは体力テストのときだったんだよ」
「…………?」
こいつはいきなり何を言っているんだ? という顔をされた。
「お前はいきなり何を言っているんだ?」
というか言われた。
「いやなに、キミを好きになったきっかけの話をしようかとね。それを聞けば納得するかなって」
「……なるほど?」
語尾に若干の疑問を滲ませてはいたけれど、タスクくんは納得したのか続きを促すように手のひらを差し向けて来た。
「体育テスト中、水飲み場に向かったときに先客がいてさ、それがタスクくんと外園くんだったの」
「水飲み場って言うと……、シャトルランのときか」
「二人ともそれなりに汗をかいていたよね。外園くんのことは知っていたけれど、タスクくんのことは知らなくて、だから外園くんを見ても『なんかデカいけれど暗い雰囲気のやつといるなー』としか思わなくて、それでちょっと距離を取りつつも離れるのを待とうと窺っていたわけ」
タスクくんの身長は180近くなので、小さい外園くんと並ぶとやたらと大きく見える。
「そしたらさ、タスクくんてば眼鏡を外して、頭を蛇口の下に突っ込んで思いっきり水を浴びたでしょ?」
「それなりに汗をかいてたし、暑かったからな」
「で、キミは髪をかき上げたじゃない。こう、オールバックにでもするかのようにぐいっとした」
野暮ったい丸眼鏡を外し、目を覆うような前髪を上げ、あまり整える気のなさそうな髪を後ろに流したことによって顔の全容が把握できた。
「その姿がバチクソイケメンだった」
私の語彙力は死んだ。
□■■□
「つまり」
「うん」
「タスクくんはちゃんとすればめっちゃイケメン」
「暗に、現在はちゃんとしてないって指摘されてるよなコレ」
「してないでしょ! する気もないでしょ!」
「はい、してないです……。する気も特にないですね……」
「まぁ、それはいいんだけれどね」
「いいんだ」
「そりゃね。むしろ、だからこそこんなイケメンの原石がここまで放置されていたわけだし」
「原石て」
「私が削って磨いてブリリアントカットしちゃる」
「俺はダイヤなのか?」
「贅沢な名だね。今の状態はそんなにいいもんじゃないので、炭素の塊とでも呼びましょう」
「実質ダイヤじゃん……。でも不思議なことに一転して煤けてそうな感じになったな……」
なんて、そんな会話をしつつ私はタスクくんの顔をじっと見つめる。見つめられていることに気づいたタスクくんは視線から流れるように身を捩りつつ、問うてくる。
「なんぞ」
「不愉快って感じではなさそうだなーって。思い込み。今の私の発言ってルッキズムのそれでしょ? キミはそういうのに批判的だったりしそうだと思ったから」
「どういう発想でそうなったんだか……」
「だって、外見を重要視してないんでしょ? そういう人って見た目で判断する人間を蔑視してそう」
「それこそ思い込みだろ。そもそも、重視していないからといって軽視しているわけでもないよ。人の容姿に惹かれるってことを俺は否定しない」
「そうなの?」
「自分が気にしていないことを気にしている人がいるのなんて当たり前だからな。そういうのを蔑ろにするのは違うだろ。それに容姿だって個人を形成する要素の一つだよ。好意ってのは人の要素に向けるもので、恋や愛ってのはそれが閾値を超えた時に起きるものだからな。たった一つのモノによって満たされたって別におかしくはない。人類は古今東西いつだって強烈な『一つ』に狂い続けてきたわけだし」
「へぇ、タスクくんは案外ロマンチストだね」
そう指摘すると、苦虫を噛み潰したようか顔をされた。見事なまでの噛み潰し顔である。きっと、慣用句辞典で単語ひとつひとつに画像が用意されるようになったら『苦虫を噛み潰したよう』にこれが採用されてもおかしくないほどには文字通りな表情だった。
「事実なんだから、浪漫ではないだろ」
「その事実を言えることこそがロマンチストだと思うよ」
「…………それと、俺は一目惚れを否定しないけれど、それが続くかは微妙だと思っているよ」
タスクくん的には嫌な論点だったようで話題を変えてきた。いや、戻したのか。それに、私はその考えには賛同できるので頷く。
「うん。私もそう思っているよ」
「えぇ……」
「だって、人付き合いにおいて大事なのって顔だけじゃないし。そりゃ顔が良ければそれだけで常時目の保養にはなるけどね」
「それがわかってるのに、それだけの理由で告白するのはおかしくないか?」
心底理解できないという言葉。ここで私は理解する。なるほど、彼相手にすべき提案は別だったのだ。
——八方扶は男女交際を殊更に特別視している。
見ず知らずの女と付き合うことなんてありえないというのはそこから来ているわけだ。
「そっか。タスクくんはさ、付き合うのってもっと親交とかを深めて、相手のことを理解して、それなりに色々と段階を踏んだ上でするものって認識でしょ?」
「……そうだな」
「私はさ、それは付き合ってからでいいと思うんだよね。好きな要素があるから、一緒にいたい。一緒にいて、他の要素を知ればいい。そうして知った要素を好きになるかもしれないし、もしかしたらそのせいで好きじゃなくなるかもしれないけれど、その時は別れる。それでいいじゃない」
「えぇ……」
「法的に効力のある結婚じゃないんだから、それでいいでしょ。付き合うなんて、所詮は口約束だよ」
「えぇ…………」
「でもさ、口約束とはいえ約束は約束でしょ? 約束には誠実であろうとするのが人情で、それなら変になあなあの関係であるよりはちゃんとそういうのを交わした方がよっぽどいいじゃん。ね?」
「……確かに?」
ここに来て、こちらの考えにタスクくんが理解をし始めてきた。——ここだ。ここが落とし所だ。ここで私が相手に対して理解を示したかのように振る舞えば、彼はそれに対応してくれる。
「タスクくんにとって付き合うってのがもっと段階を踏むべきものだったのなら、私のアプローチは好ましくなかっただろうし、不快だっただろうね。ごめん!」
私は両の手を合わせて、大仰に謝罪をする。
「いや、別に謝るようなことじゃないだろ」
タスクくんはちょっと嫌そうにする。そりゃ嫌だろう。今の私がしているのは本当に申し訳なさそうに、ことを大事にするような振る舞いだ。これだと謝っているのは私だというのに、タスクくん側にも罪悪感が芽生えるのだから。
「ううん! 嫌われたいわけじゃないんだもの。だからちゃんと謝らせて!」
「別に嫌ってるわけでもない。なにも知らない相手に好きも嫌いもないだろ。だから謝るのをやめてくれ」
頼んできた。下手に出た。踏み込むならここだ。
「わかった」
「よし」
「それでさ、タスクくんはなにも知らない相手と付き合うのはそもそも嫌なんだよね。そもそも話にならないってことでしょ?」
「うん? まぁ、うん。そうだな」
「じゃあつまり、色々と知った上でなら、話になるってことだよね。そうなれば議論の余地があるわけよね?」
「まぁ、そうなるな」
……なんか、警戒している野良猫をどうにか懐柔しようとしている気分になってきた。とはいえ、ここだろう。
「それじゃあさ、私と友達になってください」
私を知ってもらうためにも、キミをもっと知るためにも、交際の有無を考えてもらうための土俵に上がるためにも、まずは友達からはじめましょうと、私はそう言った。
□■■□
八方扶という人物のスタンスはけっこう受け身だ。基本は来る者拒まず。去る者は知らん。初対面の私に対して、特に忌避感を出さずに会話の応酬をしてくれたあたりからそのことが窺える。数少ない例外として、彼にとって男女交際はそれなりに重要なもので、それに関してはおいそれと頷けないのだろう。では、そうでなければどうだろうか。
まぁ結論を言ってしまえば、私は八方扶と友達になった。
キミは言いました「日日是好日なり。」と 海山優 @midas
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