28:未来は君のもの

瞳の中の魔法陣が回転し、カチリとはまる。

力を込めた視線を送り、目の前に並ぶ子供たちに軽く威圧をかけると、ほとんどの子はうつむき、正面から受け止められたのは二人だった。

続けて舌の上の魔法陣を起動して言葉に力を乗せる。

「はじめまして。あなたたちのうちの誰かを、私に使える者として迎えたいと考えています。皆、覚悟はありますか?」

言葉が届き、子供たちの身のうちに浸透する。力ある言葉に震える子がほとんどで、影響を感じさせなかったのは二人。

両方に耐えられたのは一人か。これはほぼ決まりかな。

見た目も良いな。

身体も手足も細いようだけれど、姿勢が良いところを見ると体幹はしっかりしているようだし、さっきから身じろぎもしないから体力も根性も大丈夫そう。

赤毛をきつく縛って三つ編み。目は少し吊りめか。口もきつく結んで、あごの角度は少しとがった感じ。うん、これは見るからに自分にも他人にも厳しそう。そばかすもなかなか可愛いわね。

魔法への耐性も問題なさそうだし、初見の印象は良好だし、これはもう合格でも良いかもしれない。

まあここの経営者連中も見ていることだし、いきなり決めてしまうのは格好悪い。もう少し声に力を込めて試しましょうか。

「わたし一人を主としてあらゆる務めをしてもらいます。炊事、洗濯、掃除などの家事を一通り。それから店の業務も。医薬品を扱っている店で商品の管理、経理、客対応とこちらも一通り」

一応の用件を伝える。家事全般をやってもらうのは大事だ。呼ばれた子供たちは皆上手だと聞いている。洗濯とか掃除とかは適度で良いけれど、料理は大事だ。せっかくなのだから毎日美味しい料理が食べたいじゃない。

ゆっくりと話し、様子を見る。

子供たちは真剣な面持ちで話を聞いている。

やっぱり小さいうちから魔法への耐性を付けるのは大事ね。みんなもうこの程度なら耐えられるようになっている。

素質を見極めるのならもう少し圧を強めた方が良いかしら。でもやり過ぎると周りの大人へ漏れるしな。そうだ――

「もう一つ。知り得た秘密を漏らすことを禁じます。これは私との契約の条項に含まれます」

瞳の中の魔法陣をもう一つ構築する。右目に威圧を、左目に拘束を。それから顔を動かし視線と声の両方を部屋全体に巡らせる。

これで大人にも子供にも等しく私の力が届く。せっかくなのだ、ここの経営者連中にも楔を打ち込んでおけば後が楽だ。

聞いた話では一応問題のなさそうな施設だけれど、こういうところだ、後になってやっぱりだめとか、金額がとか、他の契約があっただとか難癖付けられたときには楔めがけて魔法を打ち込めば遠隔操作で爆散とかで簡単に終わる。

ぐるっと室内を見渡す。

偉そうにソファにふんぞり返ったどこぞの人間も、机に肘をついてこちらを見ている施設の人間も、扉の近くにまとまっている教師っぽい連中も等しく、左目が捕らえるたびに瞳の中で魔法陣がカチリと閉じて相手の魂に楔を打ち込む。

この楔が一人一人の目印になる。記憶容量が一杯にならないようにあとで紙にでも転写しておけば良い。紙なら暖炉に投げ込めば、抵抗力の弱い人間ならば魂ごと燃えて消えるからね、管理も処理も楽で素晴らしいわ。

ま、二度と会わないだろう大人なんてどうでもよい。

子供たちの素質はどうかなっと、うん、ま、こんなものよね。ここまで強めれば魂が衝撃を受ける。汗とか震えとか形になって現れるからね、ごめんね、今時魔法の素質なんて意味の無いものなんだけどね。

で、期待のあの子はどうかなっと。ああ素晴らしい、耐えきったわ。

決まりね決まり、魔法使いとまでは言わないけれど、これだけの耐性があれば魔術師としてなら十分やっていけるでしょ。私の持ち物を管理するのには最適だわ。

もういいわ、これで決まり。さっさと代金を払って手続きも済ませて、明日にはうちに来てもらいましょ。それで私の面倒を見てもらいましょう。


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「おはようございます」

カーテンがぱっと開けられ部屋の中に光が漏れる。曇り空でも十分明るいことはわかる。おおう朝か、朝なのか、もう少しゆっくりさせて欲しい。

寝返りを打って光から顔をそらす。

むう、この臭いは。そうか目を覚ますようにってお茶を用意したっけ。やめておけば良かった、これは鼻につく。

「おはよう」

仕方がない、仕方がないけれど、ううう。

目を閉じたまま身体を起こすと、髪の毛を後ろからぐいぐいと引っ張られる。

髪を整えるのに櫛を入れるのはわかるけれど、これだけはもっと上手になってほしい。ちょっと痛いわ。

空模様を聞いて、着替えを渡されて、もそもそと動いているうちにお茶の温度はほどよくなる。

カップを手にして、一気に飲む。一気に飲まないと飲みきれないんだよね、これ。苦い、臭い、美味しくない。なんで朝からこんなものをって、目を覚ましたいからって自分で用意したんだけどさ、これ茶葉が終わったらもうやめようかな。

二階に降りるとすぐに良い匂いがしてくる。

いつも通りに朝食の支度ができている。うん、やっぱりこの子は当たりだったわ。ご飯が美味しいって素晴らしいことよね。自分でやっていたときは本当に適当だったからなあ。好きでも上手でもなければそんなものよ。

これが同居人が欲しいって思った真の目的だものね。

こんがりと焼けたパン。付け合わせはふんわりと作られたスクランブルエッグと色鮮やかなトマトのスライス。飲み物は今日は紅茶だね。

そんなに手の込んだものではないけれど、これで良いのよ。ほっとする家庭料理ってやっぱり素晴らしいわ。

席に着いたらさっそく新聞を広げて、お茶を飲む。新聞にはアイロンがかけられていて開きやすい。折りたたみながら読みたいからシワシワだと難しい。

私がふんふんと新聞を読んでいると、自分の分の食事を持ってきて向かい合わせの席に並べ、椅子に座って胸の前で手を組み、祈りを捧げはじめた。

私には何かに祈りを捧げるという習慣はない。神様なんてどうだっていい。天地人を創造した本物の存在は信じていないし、自称神様なんてぶん殴って目の前からはいなくなってもらうべきだと思っている。

でも心の安寧を得るために何かに祈るという行為自体は理解できる。

私としては私の生活に安寧をもたらしてくれる彼女の方がよほど祈る相手としてはふさわしいと思うのだけれど、これはさすがに嫌がられたのでもうやらない。


今日は明るすぎず暗すぎず、本を読むにはちょうど良い日だ。部屋の床に寝転がって本を開いてもまぶしくない。素晴らしい。

本当なら店に出て番をしながら本を開かなければならないのだろうけれど、あの子がいるから問題ない。雑事など丸投げしておけばいい。

私には以前の仕事で得た収入と、その仕事を辞めた時の退職金とで、二人で一生食べられるどころかたぶん相当に余るだろう資産はある。

今更仕事を頑張るなんて面倒くさい。

付き合いからは逃げられないから、それだけはやっておくけれど。

あとはせいぜいあの子が仕事を覚えて、この町で人との交流を広げていくのに役立つ程度の忙しさがあればそれでいい。

本を開き、前日までに読み終わったところを開く。

なんとか学園を舞台にした成長と友情と冒険と恋の物語。すでに完結済み全10巻のシリーズから、これは第3巻。

主人公が学園での立ち位置を確立するのがこの巻になりそう。

1巻は入学して学友と対立して、2巻でその学友と対決して友人になって、この巻で交友の幅が広がって恋人になりそうな女の子も絡んできてと。話はくどいは盛りすぎだわで、なかなか進まない。よくこれで10冊出せたものだ。

文章は読みやすいので本来は学校の図書館辺りに並ぶべきだと思う。これを全巻そろえていた隣の貸本屋はなかなか勇気があるものだと思うわ。町の本屋が貸し出すには不向きなんじゃないかな。

本を開いて流し読みに近い勢いで文字を追っていると、トントンと扉をノックする音が聞こえる。

いつも通りならお昼の時間かな。

目と頭を休ませるために仰向けに寝転がって本を胸の上に置く。目を閉じる。扉が開く。きっといつものあきれた顔をされていることだろう。

部屋に入って早々に靴下を投げ捨てたし、スリッパはその辺に転がっているし、私自身も床の上だし、これはもうしかられる要素満載だわ。

「何度でも言いますけれど、床の上はやめてください。横になるのならベッドの上にしてくださいな」

ああー、やっぱり言われた。納得のおしかりだわ。

でも言い訳はする。

ベッドは柔らかすぎるのよー、床の上がちょうど良いのよー。さすがに階段の踊り場だのホールだのに寝転がるのはやめたのよー、偉いでしょ。

「ほら、じゃまですよ」

足の上をまたがれる。やはりここは邪魔だったか。寝転がるならもう少し部屋の中程を考えた方がいいのかな。でも愛のある嫌がらせは主の務めの一つよね。

おそらくカップを取りに行ったのだろう。目を開けて姿勢を変え、テーブルに向かうまだ小さい背中を視線で追う。

その背中がくるっと回って、振り向いた顔と目が合う。

「やっぱり床に横になるのはいけないことをしているように思えますよ」

やっぱり言われた。お行儀が悪い自覚はある。

でもベッドは寝転がって本を読むには少し柔らかいし、日当たり具合を考えても床の方がふさわしい場所なのよ。

「やっぱりあまりきれいではない気がしませんか」

今日はいつもより少し厳しく追及される。でもこの言葉に対する切り返しの文句は決まっているのだ。

「平気だよ。おまえが毎日きれいにしてくれているのだろう」

人、これを殺し文句という。

生活空間はきれいにというのがお互い一致した意見だったのだけれど、この子は生真面目に毎日一生懸命掃除をしてくれている。

私はきれい好きなくせに掃除が好きでも得意でもなく、しかも毎日丁寧は面倒くさくてやりたくないという人間なので、これは本当に助かっている。

ここで一発言葉に力を乗せれば本気の口説き文句にもなるのだろうけれど、それは必要ない。

彼女は私から視線を外すようにさっと顔を上げると、そのまま足早に部屋を出る。その表情は手に取るようにわかる。少しの誇らしさと、少しの照れくささと。きっと明日からも頑張ってくれるだろう。ありがとうありがとう。

「もうお昼ですよ。そろそろ起きてくださいませ」

用件はやはり昼食だった。目を閉じて少しの間だけ彼女の言葉の余韻に浸る。私が求めていたのはこれなのだ。


食堂のテーブルにはコーヒーとパンとサラダ。

淹れ立てらしいコーヒーから立ち上る湯気に顔を突っ込んで深呼吸すると、香ばしい香りが体中に広がっていく。

行儀の良いやり方ではないけれど、誰も見ていないのならいいじゃないね。

自分の分の皿を両手に持つ。パンとサラダが盛られた皿が大きくて持ち上げると安定感が欠ける。

指先の魔方陣を起動して皿を固定する。本来なら道具が手から吹き飛ばないようにするものだけれども、こういう使い方もあるのだ。便利便利、魔法最高。

「え、どうされました」

気がつかれた、一歩遅かったか。

即座に言い訳を考えながら止められる前に部屋を出る。

今いいところなのよ。流行りの小説は一気に読むべきものなのよ。いや別に今読んでいるのは流行りでも何でもないけれど。

言っている間に体は部屋を出て階段へ向かう。

「本をね、読むのだよ」

そろそろ3巻も佳境、いいところなのは確かだし、どうせならさっさと読み終えて今日中かせめて明日の朝には4巻目に入りたいのよ。

さっきまで寝転がっていたおかげで床でも十分暖かいことはわかっているし、今日はもう寝転がって読書の日だと決めたのよ。

部屋へ戻ったら床に食器を並べてコーヒーを一口。うん美味しい。

壁に背を預けてあぐらをかく。見られたら確実に怒られる格好だと思うけれど、まあいいじゃない。

本を読む。食べる、飲む、本を読む。。

階下では彼女が食事をすませて店番に向かうだろう。窓の外では忙しく行き交う人たちがいるだろう。

忙しい人たちのことは放っておいて私は好きなことをする。これは優雅な昼下がりだわ。

食べ終わった食器は邪魔なのでテーブルの上へまとめて置く。

あとはもう本を読むかお昼寝をするかくらいしかすることはないので、枕を持ってきて床に寝転がる。これでいつでも寝られる体制も整った。

さて、と改めて本を開いて早々に扉を開ける音がした。この時間に来るなんて珍しいね。

「どうしたの?もうお茶の時間?」

お茶にはさすがに早いと思うけれど。

「いえ、お隣の、喫茶店の方から薬の問い合わせがあったので、一応お伺いしに」

わざわざ聞きに来るほどの客なんて珍しい、しかもお隣とは。風邪薬とか傷薬とか、そういうものはさっと出してさっと売れるように常に在庫を確保している。今までに隣が買い求めに来たものなんてその程度のはず。問い合わせが必要な薬って何よ。

詳しく聞くと、それは隣の娘の友人が実際の問い合わせてきた主で、今までの処方はよろしくないから何とかならないかというもののようだ。

それだけでは何が何やらだわね。

枕を脇に置き、起き上がってあぐらを組む。顔をしかめられたけれど気にしない。

「これがこれまでの処方だそうですよ」

手渡された紙を見ると薬の名前がいくつも書かれている。

咳、のどの薬かな。普通の風邪に伴うとか、のどがいがいがするとかいう軽い症状向けではないね。重症、それも慢性化しているのかな。

さっきの話と薬だけで決めつけるのはどうかと思うけれど、おそらく間違ってはいないでしょう。

これを全部試しているのなら、きちんとした医者に見てもらっているということで、処方された薬も問題ない正しいものだろう。

とはいうものの、この手の症状は完治しないのよね。なんて言ったかな、病気は専門じゃないけれど、確か慢性疾患で治療法は確立されていなかったように記憶している。

これは難しい話だな。

ちゃんとした医者が診察して、ちゃんとした薬を処方して、それで直らないから何とかならないかと。

悪くなる一方で医者が苦心していることが家族にもわかってしまっているということだろうけれど、そんなこと言われてもね。うちに持ってきてよい話ではないわ。

視線を向けると少し困った顔をしている。話の流れから察したかしらね。

「お隣にもこれはやはり無理ではないかっていうお話をしないとですね」

んん、お隣からだっけか。

お隣の依頼となると受けると都合のいいことがあるわね。あとでしかられそうではあるけれど、私にはとても都合がいい。

問い合わせてきたのはお隣だっけ。違う隣の娘の友人からか。

具体的な内容は含まないけれど、病気がなんなのかは判断できるだけの情報で、私に依頼してきた友人。どういう家の子だろう。私のことを承知している家なら話は簡単になると思うのだけれど。

うちに持ってきてよい話ではないのは薬のことだけで、本業のことを考えれば持ち込んでもよい話になる。

大丈夫かな。薬を用意するところまでやって、この子に判断させれば私には都合のいい展開になりそうだけれど。やってみようか。

この子はまだ私の本業を知らない。

そろそろ一年になるし、もう知ってもらっても問題ないように思える。

私のだめなところはずっと見せつけてきているし。それで嫌がりもせずにちゃんとしかってくれて、仕方がないなあっていろいろやってくれている。

これはもう大丈夫だと思っても良いわよね。


私の本業はこの町では必要とされていない。地方になればなるほど一般的な社会が求める技術とはかけ離れていくものだ。

一般認知度はもちろん普遍性、汎用性も低い。特殊な事業で、特殊な用途に使うことがほとんどだ。そうなると、関わるのは国の中枢だとか地方でもやはり中枢に近いところの話で、機密性が高くなる。小さな町の成金がほいほいと関わってくるような話ではない

その私を依頼をしてきた娘はおそらく知っているのだろうね。

その病気の子のことから家で話題にでもなったのだろうか。

娘が直接ではなく、わざわざ隣を経由しているということは家の方針はやはり私と積極的に関わりたくはないということなのだと思う。

それでも何とかしたいという思いから娘が独断で決めたのだろうか。

これもまた都合のいい話だ。

うまくすればこの町での人とのつながりが広がることになる。私にとってはどうでもよい話ではあるけれど、将来のことを考えれば悪いことではない。

やろう。見せて、それに対してどう反応するのか見よう。

起き上がって書斎へ向かう。

「え、薬があるのですか?」

「いやー、薬はないねえ」

そうだ、薬も作らないと。せっかくだから手伝ってもらおう。

紙に材料を書いて渡す。えーっていう顔をされたけれど気にしない。私は探してくれている間に準備を整える。

最終的に薬瓶になる小瓶に水を入れて、材料を粉末にするのに使う乳鉢と乳房。それから魔方陣が書かれている紙。

一枚は水溶液を作るためのもの。

もう一枚は水溶液を気化させるためのもの。こちらには一緒に周囲に薬剤を散らすための式と、のどへの浸透をよくするための式を組み込む。

元々は医薬目的で作ったわけではないけれど、特に水溶液は応用のよくきく魔法で重宝している。

さて、ここからが肝心だ。あの子の主としてふさわしい貫禄が出せると良いのだけれど、こういう上の立場からものを言うみたいなのはあまり経験がないのよね。

あの子はここで頑張っていこうと決めている。

私に仕えていくことを問題としていない。

ちょっと意地悪く仕事を振ったりはしているけれど、その程度ではへこたれないし、私のことを疎ましく思ったりもしない。

状況を飲み込んで対応していく能力は高い。

魔法はともかく魔術を施した道具への適応は早いし、すでに問題なく使いこなせている。

これから少しずつ特殊な道具を見せて扱いを覚えていってもらえば、将来は魔術師としてここを管理していくこともできるだろう。

大丈夫、怖がったりはしないはずだ。

今までに触った魔術具への反応を見る限り、どちらかと言えば興味関心を深める子だと思う。

ここで格好良く決めてみせればいけるんじゃないか。

そろそろ材料が揃って戻ってくるころ。

深呼吸深呼吸。少し難しい言い回しを使う、押しの強い語尾を使う、魔術具をわかりやすく見せる、派手に見えるように動きをしっかり。

うん。できるできる。今までもできていたと思う。今日もできるはずだ。ここで格好良く決めるんだ。

椅子に深く座って、材料を入れたかごを両手で抱えて戻ってくるところを見つめる。

テーブルを指し示し、そこへ置くように指示する。

貫禄があるようにでも無理をしているようには見えないように適度に重々しく、しっかりと落ち着いて発音する。

「これで準備は整ったわけだけれど、まずは先に大事な話をしようか」


魔法は法則であり、魔術は術式だ。

法則の段階では理解度がものをいうが、術式それ自体はどんな人でも扱える。本を読めば書いてあるし、その通りにやってみれば再現することも可能だ。

でもそこには「人によって、力があれば」という但し書きがつく。

剣でも鍬でも鎌でも振るうことは誰にでもできる。でもそれが上手かどうかは人による。

魔法、魔術は魔力に基づく技術だ。

魔力を基礎に、何らかの現象を顕現させるための法則を魔法と呼び、その法則を物体に固定化する技術を魔術と呼ぶ。

魔法は常に圧倒的な魔力量を必要とする。

魔術も最初の固定化こそ大変な作業だが、その先はそうでもない。

いった固定化された魔術は起動することさえできれば、その辺の小さな子供でも扱えるようになる。

起動用の微弱な魔力で魔術具は動く。もっと言ってしまえば特定の操作で動くようにしておけば魔力すら必要ない。

魔法使いは魔法、魔術の根幹をなす法則を使いこなす技術者だ。豊富な技術、豊富な知識、さらに豊富な魔力がものをいう。そんな個人の能力への依存度が高いものなんて廃れて当然だ。

隠避学で教わるといっても、今時身につく技術は占星術がせいぜいだろう。あれなら弁が立てば誰にだってできる。そんな使えない学問は扱わない学校の方が多くなるのは自然なことだ。

魔術士は魔術具を作る技術者を指していたけれど、今では使いこなす者のことを言うようになった。

魔法使いが減るのに伴って、魔術具を作る最初の段階が可能な技術者が減り、世間に流通する魔術具そのものが減るという悪循環が生まれている。

世はすでに科学技術の時代だ。個人の魔力に頼るなんて時代遅れもいいところだ。誰でも作れて誰でも使えることが最先端だ。

人材の枯渇は恐ろしいほどの勢いで進んでいて、私が学んでいたころはすでに教える側にも教わる側にも本物の魔法使いは一人もいなかった。

昔の職場ですらようやく片手で足りる程度。ある程度はできるという人材を含めても両手程度だ。

何百人と働いていた研究所で両手分、10人だよ。少なすぎる。お話にならない。個人の能力への依存度が高すぎる。こんな技術は廃れて当然だ。

軍隊の規模は大きくてもその主体は兵士で本物の騎士はごくわずかなのと一緒だ。

軍隊の兵士だったら矢でも剣でもその辺の棒きれでも勤まるけれど、騎士はそうはいかない。

そして剣の腕は誰でもある程度は磨けるけれど、魔力はそうはいかない。

素質がほとんどを占める力なんてどうやって伸ばせばいいのか。

本物の魔法使いなんて今じゃ世界でも10人いるかどうかだ。偽物含むなら山ほどいるだろうけれど。

私は自分で言うのもなんだけれど、まごう事なき本物だ。

この町でも権力に近ければ私のことを知っている。世間一般ではまったく知られていなくても、政治経済軍事の中心へ近づけば近づくほど知られていく。

権力者からみれば私は警戒と監視の対象でもある。表だって積極的に関わりたくはないけれど、それとなく接触できるとうれしい、そういう存在だ。

あの子には多少なりとも魔力がある。軽いものだったとはいえ私の魔法に耐えられたし、私がこの家に施した魔術具をそうとは知らずに操作することができている。

湯沸かし器にしたって保温コースターにしたって、起動するための鍵はあの子の魔力だ。登録した者がその魔力を与えなければ操作できない仕組みだ。

それが問題なく毎日使えているんだ。

これはまさに私が思い描いていた理想的な形だといえる。

一人でいるのに寂しくなってきたとか泣き言を言って良かった。

誰かに世話してほしいとかわがままを言って良かった。

もう無理つらいとか生きていくのが嫌になったとかもうこのままここで朽ちるんだとか愚痴を言い続けて良かった。

紹介されたときに面倒だから行きたくないとか言わなくて良かった。

あの子は私が手元にほしいと願っていたものだ。

私の世話をかいがいしくしてくれる。時には厳しいことを言ってくれる。そして魔力を持っていて私の与えるものを正しく扱うことができる。

すでにこの建物全体にあの子の魔力を登録してある。

この建物そのものがあの子を守る魔術具になってくれるし、店先や倉庫や書斎に置いてある魔術具の数々を使っていけば、これから先あの子が生きていく上で困ることはないだろう。

ここでこの町の権力者に取り入っておくことができればさらに安泰だ。

私のすべてを任せてしまえる、権力者に近しい魔術士。理想的だ。

得られた力をどう使っていくかは自由だ。

私のことを支えてもらうお返しに残せるものなんてこれくらいしかない。

すべてがあの子の手の中に収まるように環境を整えておこう。

これから先、私とあの子がここで過ごす時間は私のためのものではない。すべてはあの子の未来のためにあるのだから。

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町の薬屋さんに就職したわたしの少し不思議な日常 或日 @aruhi_1

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