27:閉幕 何事もない日の午後

昼食が終わったら食器を片付け、コーヒーのおかわり分を保温コースターの上においてカバーをかけておく。

午後はお店の方の予定はまったくないので、玄関だけ開けておいて、あとは一階の店以外の場所と地下の掃除をしていく。

玄関を開けておけば、来客があれば呼び鈴が教えてくれる。

一階でも店は掃除が終わっているので、残るは奥の浴室、便所、洗濯場などの水回りのみでよい。

お湯と石けんとスポンジ、ブラシ。今は思う存分にこういったものを使えるので苦労は無い。ありがたいことだ。

地下は湯沸かし器や物置なのでそれほど手間はかからない。ほうきで掃いてゴミをまとめて捨てるだけだ。

掃除中に呼び鈴が鳴ることもなかったので、閉店中の札を出す。そのすぐ横に掲げている迷い猫の紙は日に焼けてよれてきている。何となく、何となくだけれども飼い主は現れない予感。たぶん猫ちゃんはずっとうちにいるわね。

ま、それはいいとしましょう。玄関の鍵をかけて市場へ買い物に出かける。

今日の本命は魚だ。

最近は豚や鳥の肉、ハム、ソーセージが続いたので、魚なんかが良いのだ。

できれば取れたて新鮮な魚。産地はどこの川でも湖でも良い。

干物か燻製も少し買っておけば後々のためにも良いだろう。

ほかにも季節の野菜や果物を買い足しておけばしばらくは良いと思うので、その辺りを見て回ろうと思う。

猫の餌は肉でも魚でも残り物とか端材とかで大丈夫そうなのはありがたい。ご主人もあまり動物は詳しくなさそうなので、お隣の書店で猫の本を探してしまった。飼い方の解説本があって本当に助かった。


お目当ての品を一通り入手できたので、遅くなる前に帰路につく。あまり長々と市場にいると、余計な物が欲しくなってしまうのだ。

店に戻ったら郵便物を確認。

依頼らしき手紙が一通届いていたのでそれは後で居間のテーブルに置いておくとして、時間的にも今日はこのまま閉店にしてしまっても良いだろうと玄関の鍵を閉める。

もう慣れてしまってなんとも思わないけれど、結局今日の午後は一度も店が開いていなかったということになる。カーテンは閉めっぱなし、閉店札は出しっぱなしだ。これでいいのか。

仕方がないのよ。買い物に行くことはご主人に伝えてあるので、それでも開いていなかったということはそういうことで。仕方がないのよ。


ここからは夕食の支度だ。

魚はマス。細かいことはわからないが、川でとれる美味しい魚だ。

塩を振って軽くもんでぬめりを取る。

腹を開けて内臓を取り除いたら、頭を落とし、骨に沿って包丁を入れて身を開く。骨を取り除き、軽く塩を振って下ごしらえは完了。

皮をパリッとさせたいのでまずは皮を下にして網にのせ、炭火にかける。じっくりこんがり焼くのだ。

もう一品は米を使う。

まずは先ほど魚を開いたときの頭や骨を炒め、水を加えて煮立たせる。

しばらく煮込んだら漉して出汁にする。

続けてタマネギ、ピーマンを細かく刻み、フライパンで炒め、いったん火を止めて米を入れる。

ここへ出汁を加えたらあとはひたすら水分が飛ぶまで炊くだけだ。

炊きあがりを待つ間に果物を切って盛り付け、お茶を用意し、焼きあがった魚を皿に盛り付ける。


なんだか夕食がずいぶん豪華になってしまったがまあ良いだろう。

テーブルを整えてご主人を呼び、二人そろって食事にする。部屋の一角には猫用の給仕皿も用意して今日のご飯をぽんと。どうもこの猫、一緒にご飯にしたそうなので、こうなるのだ。

温かい食事をとりながら、一日の報告をして、明日の準備を話し合って、ゆったりとした時間を過ごす。

魚は皮はパリッと身はフワッと焼き上がっていて美味しい。

炊き込みご飯は塩か香辛料かをもう少し強くしても良かったかもしれないが、これはこれでちゃんと美味しい。

今日の夕食もまずまずのできばえだと思う。ご主人からも上出来の評価をいただけた。満足だ。

食事が終わればわたしは後片付け、ご主人は入浴の時間だ。

入浴はご主人が自分で浴槽に湯を張って入ってくれるので、わたしはその間に食事の後片付けを済ませる。

ご主人が済んだらわたしも入浴だ。

これは未だに慣れないのだけれど、きれいになるのは良いことだと言い聞かせて湯につかり、肌も髪も洗う。

もうね、昔はね、浴室なんて冷たい石の寒い部屋で、濡らした布で体を拭くための場所だったのですよ。

それがね、湯をいっぱいに張った浴槽に肩まで浸かって、しかも石けんを使って体を洗ったり、シャンプーと呼ばれる液体石けんを使って髪も洗える。

すごいことだ。なんだかもう意味が分からないけれど、とにかくすごいことだ。

つかるまでは緊張するのに、いったんつかってしまうと後はもう気持ちよくなるだけなので、これを堪能する。

温かい湯につかっているとポカポカと体の奥の方から暖まってくる。これは本当に良いものだと思う。

昔の、孤児院での生活と比較すると、この家は快適だ。

食事の内容や寝具の快適さといった生活の基本的な部分の水準が上がっているのはもちろん、窓や扉の開け閉め、階段の上り下りなんかでも違いを感じる。

お金を使って作られた建物とお金をかけて用意された道具。そこで営まれる日常生活はずいぶん贅沢なものなのだと思う。

そして生活をより快適に、より便利にするために、この家ではいろいろなところに魔術が施されている。


最近になって、ご主人はこの家にある魔術をいろいろと教えてくれた。

なかには「画期的で便利なものだが特殊すぎて余所では一切使えない。外で話すと偉い人たちに取り囲まれてそれは何だと吊し上げられるから言わないように」と厳命されているものもある。

わたしを何よりも感激させた湯沸かし器は、国の中央の方では科学技術というもので開発がなされて、一部で普及が始まっているものを、魔法を使って強引に再現したものだそうだ。

魔力を充填した四角い箱を機械に取り付けて動かすと、その魔力を燃料に熱が発生して湯を沸かす、らしい。説明してもらったけれどよくわからない。わたしはとにかく毎日、その四角い箱を魔力の充填用の装置に置いて、そして充填済みの箱を湯沸かし器に取り付けて、という作業をするだけ。基本的には日中放っておいて良いというのも素晴らしい。とても便利。

それから厨房の先ほどの魔力を充填した箱を使うコンロ。魔力を使って火を起こすというとんでも装置で、普通は薪を使うそうなのだけれど、いちいち用意したり片付けたり、火力の調整をしたり煙に気をつけたりとかの手間いらず。とてもとても便利なのだけれど、外ではコンロを使っているよなんて言っては駄目だそうな。

あとは温度と湿度を保つ機能?というものも素晴らしい。カーペットをめくると床に複雑な文字や図形がびっしりと書かれていて、これがまず床面の温度を一定に保つのだそう。季節に応じて少し書き換えて入るそうで、記憶の中の昨年の夏は確かに床からすごい熱気がということもなかった。

それ以外にも魔力を充填した箱を取り付けることで暖かい風とか冷たい風とかが出るという大きな箱のような装置もある。地下に積んである魔力箱大活躍。

もっとも薪や木炭をまったく購入しない、灰の処分を依頼しないというのもそれはそれで問題があるらしくて、一応オーブンと暖炉とストーブが薪を使う用になっている。

これらの煤の処理も魔法と取り除く方法が煙突に仕込まれているそうで、煙突掃除の手間がまったくないというのが素晴らしい。

孤児院では大仕事だったのだけれど、ここへ来てからはまったく困っていなかったのだ。てっきり煙突掃除は専門家に頼んでいるのかと思っていたのだが、実は違っていて、煙突内に立体的な魔法陣が仕込まれていて、そこを煙が通る時にすすが除去され、そのすすは物置のすす袋行きだというのだから驚くしかない。

とにかく家の中にすすが舞うのが嫌でどうにかしようと開発したというけれど、魔法、すごすぎる。


店の奥にある保存室。これもすごい。

ここは低温保存しておきたい薬品や素材を置いておく場所なのだけれども、ここも魔法で温度を低く保っているのだという。

非常に便利なので、食品も置かせてもらっている。生ものでも数日は余裕で保つのだ。

それから保温コースターも魔術具だ。

これも湯が冷めるのをなんとかしたいと考案したもので本当に保温ができるだけの物なのだが、湯の温度が上がりすぎない、熱を発しているのに周囲の物を燃やさないという素晴らしいものだ。

どれもご主人が一人で生活するにあたって、これは不便なことだと感じたところだそうで、寒いのは嫌だ、冷たいのは嫌だ、後始末は楽をしたいという一念で、魔法を惜しみなく使うのならばここだろうと頑張ったのだそうだ。


物思いにふけりながら湯につかっていると、頭がふわっとする感覚を覚える。

そろそろ出る頃合いだ。

浴槽を出て排水溝を開け、湯を捨てながら浴槽と浴室をさっと洗う。本格的な掃除はまた明日。湯冷めするまえに浴室を出て服を着る。

居間へ行くとご主人がお茶を飲んでいる。そこへ出納帳を持って行って、今日の記録を付け、ご主人にも確認してもらう。

これで今日はおしまい。ランプを手に二人で三階へ上がり、おやすなさいを言ってそれぞれの部屋へ分かれる。

ご主人が部屋へ入るところを見送ったら、わたしも自室へ下がる。

今日も穏やかな良い日でした。明日も今日と変わらず穏やかでありますように。おやすみなさい。

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