26:出会い

ご主人は知人の紹介で、その時初めて孤児院に来たのだと話していた。

どんな知人だったかは覚えていない。

面会の時にも先生が紹介してくれたような記憶はあるし、あとになって一度詳しく聞いたはずなのだけれど、結局のところ私には関係のない話過ぎて忘れてしまった。

聞けば教えてもらえることがわかっているのだし、それで良い。


仕える相手はご主人ひとりで、自分と合わせて二人分の家事を一人でこなせること。

医薬品を扱う店で、商品やお金を管理し、お客に対して相応の対応ができること。

そして知りえた秘密をもらさないと誓えること。

告げられた条件はそれほど難しいものではなかった。

ただ、すべてを一人でということが大変そうだとは思わせた。

普通わたしたちくらいの年齢では、もう少し格上の使用人の下に配属されるのではないかと思う。

何て言うのかな、家には上級の使用人がいて、わたしたちは下級も下級な使用人という感じで、上からの指示を受けながら少しずつ仕事を覚えていくものではないかなと。

それを家事全般と店番を一人で。

まじめに授業に取り組んでおいてよかった、施設の維持や下の子たちの世話まで、何でもしっかり取り組んでおいて良かったと思わざるを得ない。

あそこでの息詰まるような日々も無駄ではなかったのだ。

今になってようやく言えることだけれども、よく頑張ったよ、わたし。


その日の面会には10歳以上の5人が呼ばれていた。

定期の面会日というわけではなかったので、急遽決められたのだと思う。

付けられた条件から、ある程度の教育を受けていて、下働きとしてすぐに働き始めても問題ないと判断されて選ばれたのだろう。

10歳以上という指定であればもう少し人数がいるのだけれど、呼ばれなかった子たちが一人で働けるかはわたしから見ても疑問だった。


わたしが面会に呼ばれるのは久しぶりのことだった。

久しぶりどころか、小さいとき以来ではないかと思う。わたしは選別の機会自体があまりない、はずれに分類されている子だったのだ。

これはもう見た目と才能がものをいう世界なのだからしかたがないのだ。わたしには、これといって自慢になるような要素はひとつもなかったのだから。


久しぶりの面会室だったこともそうだが、それ以上に、面会室に通されて顔を挙げたらいきなり目が合ってしまったことで、ひどく緊張したことを覚えている。

初めて見るご主人の印象は「黒い」の一言に尽きた。

黒髪に黒い瞳、縁の広い黒の帽子をかぶり、袖の長い服は黒、手袋も黒、裾の長いスカートは黒く、長椅子の上で足を組んでいることで見える足元の靴も黒い。

肌は白く、唇だけが赤かった。

黒一色の衣装が良く似合ってはいたけれど、同時に威圧感もあった。

隣の子が一目見たあと、すぐにうつむいてしまったのが目の端にちらりと映った。

ご主人に言わせると「気合を入れて格好つけた」装いだったのだそうだ。

実際に衣装室にはその手の気合を入れる用の服がいくつかある。普段は本当に普通の普段着なので、こういう場には似合わない。

わざとだと言われればそうなのだろう。

確かにわたしたちは緊張を強いられていた。

恐ろしい物を目の当たりにした思いでご主人の前に並び、それでも恐怖心を振り払って面会に挑まなければならなかったのだ。


なぜわたしが選ばれたのかは今でもよく分かっていない。

呼ばれた5人の能力も容姿も大した違いはなかったように思うし、面会での対応のしかたも大差はなかった。

顔を合わせて、主に薬品を扱っている店兼住宅に住み込む形で、「今すぐ私のところへ来て働けるか」と問われただけだった。

目を見て「できます」としっかり答えたことが良かったのだろうか。

いや、ほかにも同じようにして答えた子はいた。

何が良かったのか、わたしには分からない。

ただ、わたしに向かって問いかける声は柔らかく恐怖心を抱かせるようなものではなかったし、わたしを見つめる黒い瞳も優しいものだった。

初見とは印象は変わっていた。

その声や瞳に対して真剣に、わたしは答えた。

ご主人はひとりひとりに向かって問いかけ、すべて終えるとうなずいて面会の終わりを告げた。

その場で誰に決めたのか言うこともなく、その場にいた孤児院の職員の人と一緒に隣室へ移り、わたしたちも自分の部屋へと下がらせられた。

そうして特に何か劇的な受け答えがあったわけでもなくあっさりと面会は終わったのだけれど、その日のうちに選ばれたことを伝えられ、翌日には行けるように荷物をまとめろと言われたことは劇的だった。


このまま何事もなく時間だけが過ぎていくと、そう思っていた。

その矢先に訪れた久しぶりの面会の機会で、たった一度の機会でここを去る権利をわたしは手にしていた。

夕食の席などで「なぜ」「どうして」といぶかしむ声を受けたけれど、その意見にはわたしも同感だった。

答える言葉を持たず、ただ幸運だったとだけ告げて適当に流すしかなかった。

その日はあまりに劇的なできごとに、みんな選ばれた時にはこんな風になったのかと頭の中を真っ白にしたままベッドにもぐった。

別れを惜しむような環境ではなかったし、特に仲の良い友人もいなかった。

まとめる荷物も着替えが数点のわずかなものだった。

緊張のままに日の出とともに目が覚めたけれど、早々に準備は整ってしまい、しばらくはベッドの上でこの先の未来を想像していた。

あの黒い人が良い人であれば良い。

あの声が、あの瞳が、記憶の中でわたしに大丈夫だとささやいていたけれど、本当にそうかは断言できないことだった。

わたしは自分の直感を信じられずにいた。

ただすがれるものもその直感だけだった。

できることを一生懸命にやろう。できることなんてたかがしれているけれど、それを求められて行くのだ、せめて一生懸命にやろう。

そう誓うことしかできなかった。

神様ことなど信じてはいなかったけれど、このときだけは神様に祈り、頑張るのでどうかよろしくと誓った。

祈り続ければ助けてくれるような神様が本当にいれば、こんなにも孤児がいたりはしないだろうと思っていたし、せめて全員に等しく祝福はもたらされるだろうと思っていた。

見たこともない信じてもいない神様だけれど、わたしにとってはどうせ両親のことすら見知らぬ相手なのだ。

見知らぬ相手同士ならば、神様のほうがまだしも祈る相手にはふさわしいように思えていた。

わたしに与えられた幸運に感謝した。

ほかの子たちにも等しく幸運がもたらされるように祈った。

自分だけが良い思いをするというのは、意外と胸が痛むものだ。

みんな同じような境遇なのだ。わたしのようにみんなにも良いことがってよい。

ベッドの上でひたすらに祈っていると、窓の外から馬車の車輪と馬のいななきがかすかに聞こえてきた。

静かな日だった。

まだ周囲のベッドの子たちは眠りの中だった。

わたしはそっと部屋を出て、玄関へ向かった。廊下は暗く、静かだった。

物心ついたときからここですごした。

この孤児院がわたしにとっての世界のすべてだった。

その、すべてだった場所を離れ、初めての人のいるまったく新しい場所へ行く。

もっと感慨深いものかと思っていたけれど、惜しむ気持ちはわかず、涙はなかった。

そうしてわたしは馬車に乗り込み、振り返ることもなく、長い時間をすごした、必死に生きてきた場所を離れた。


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「生活はおおむね想像の範囲内といったところか。ああ、面接の日の話は面白かったよ。気合いを入れていったのは間違いじゃなかったようだね」

「孤児院というとどこもあんな感じなのでしょうか」

「どうだろうだ。私の印象としては時代に合わない古さを感じるね」

「古さ、ですか?」

「そうだね、あんな森の奥で人目に触れないように何の施設なのかわからないようにしていては、怪しいですといっているようなものだよ。孤児院といっても、今では慈善事業として行われているものがほとんどだろう。領主や貴族、大店の商店主、教会、なんでもいいがすでに金と地位を得ている名士にとって次は名誉だ。こんな良いことをしていますよという宣伝だよ。実際にそれで助かる人も多いのだからね」

「人目に触れた方がよい?」

「当然そうだね。あんな隠し方ではな。しかも特定の顧客との取り引きばかりでは孤児院という名目の人身売買だといわれても否定できない。昔はそれでもよかっただろうが、今ではね。肝心の顧客も減っていくばかりだろうし、先は短いだろう」

なるほど。

わたしはあの場所しか知らないので何とも言えないのだけれど、明るく楽しい場所だったわけではないので、先が短いといわれると納得してしまう。。


「あの、お聞きしようと思ってそのままにしていたのですけれど、」

いい機会だし、聞いてみよう。大丈夫かな?

「なんだい?」

「なぜわたしだったのでしょう。ほかの子とそう違わないだろうという気がするのでお聞きしてみたかったのですが」

「店員としての役割と私の世話だからね。立ち居振る舞いや受け答えがしっかりしているか、外へ出てもうろたえずに生きていけるか、うちにある道具なんかを使えるかどうかは見たよ。それから、あとはあとは見た目が気に入ったからだね」

見た目が気に入ったという回答はわたしを驚かせた。

よれよれの赤毛、多めのそばかす、きついと言われることもある目つき。

幼いころの栄養が足りなかったせいか、骨ばったやせぎすの体は胸も腰もまったく無い。

孤児院の食事自体は貧しいものではなかったし生活も安定はしていたから、周囲の子たちは次第にやわらかそうな体形に代わっていったけれど、わたしはダメだった。

せっかく炊事でも頑張ったのに、この結果はあんまりだと思う。

姿勢は良いと言われたけれど、この見た目で姿勢が良いというのは厳しい印象を与えるものらしく、見た目で良い評価をもらえたことはこれまでなかった。

孤児院しか知らなかったわたしは、初めて会った人に引き取られるということと、初めて外の世界へ出ていくのだということに軽い興奮と恐怖を感じていたもので。

でも「見た目が気に入った」という理由は、好ましいと思ったからだという単純で分かりやすい理由で、わたしにこの人のもとでこれから生きていくのだと決意させるだけの力を持っていた。

「そうでしたか。よかった、安心したという言い方であっているのでしょうか。うれしいです。これからも頑張ります」

「うん。働きには満足しているし、おまえを選んだ私の目に狂いはなかったと思っているよ。これからもよろしくといったところだね」


よかった。

羽虫のこととか、孤児院のこととか、もうどうでもいいな。よかった、うれしい。

わたしはわたしを選んでくれた人を満足させられている。

一年間あっという間で、必死に頑張ってきた気もするし、以外とゆったりとした暮らしだたと思える気もするし、でも、うん、よかった。

こうしてこの家に来たわたしは、自分の直感と、ご主人の直感に感謝し、見も知らぬ神様に祈りを捧げながら、今日もこの家で一生懸命に働いていくのだ。

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