卒業
麗
卒業
「大学、どんな感じなの」
あつあつのハンバーグに、そっとナイフを差し込みながら、隣に座るさゆりが尋ねた。とろけそうな肉汁が、切ったそばからあふれ出し、黒い鉄のお皿に広がった。
「え、ああ、可もなく不可もなくって感じかな。それなりに楽しいよ」
ちょっとボーっとしていた私は、ワンテンポ遅れながら答えた。
「分かるわー。思い浮かべていた大学生活とは、違うような気もするけど、なんだかんだ言っても楽しいよね。」
私の返答に、「相変わらずね」といった様子で笑いながら、美幸が言った。さらさらの長い髪が、肩で揺れた。
「私、もう少し大学生って楽だと思ってた。」
「それは、美穂がガチガチの体育会系部活に入るからでしょ。」
唇を尖らせて話す美穂に、さゆりが言った。
「だってぇ、こんなに大変だとは思わなかったし、バスケ、一回本気でやってみたくなったんだもん。」
「でも、それなりに楽しいんでしょ。」
美幸が言うと、
「まあね~」
にやっと笑って肩をすくめながら、美穂は言った。
三人の会話を耳で聞きつつ、とろとろのオムライスをスプーンですくう。柔らかすぎる卵はスプーンに反抗して、お皿の中で逃げまわる。
(うーん…。私は、昔ながらの固いオムライスが好きだなあ。)
この間カフェ同好会の活動で行ったオムライスが思い出される。チキンライスを卵でくるんだ、ぽってりとしたオムライス。しっかりとした卵の味と、トマトの酸味のきいたチキンライスがすごくあっていた。
「そのオムライスもおいしそうだね」
私の腕をちょんちょん突ついて、さゆりが言った。さゆりはハンバーグとオムライスを散々迷って、ハンバーグにしていた。
「うん。おいしいよ」
大きく口を開けて、見せつけるように食べてみる。さゆりも、ふざけて悔しがって見せた。
「でも、ハンバーグもすごくおいしかったよ。美幸はおいしいお店いっぱい知っているよね、さすが。」
「インスタ見ていたら流れてくるからね。二人もやればいいのに。美穂だって作ったんだよ。」
私とさゆりは顔を合わせて、別にいいかな、と言った。
「えぇー」
美幸と美穂は、二人そろって不満げな顔をした。
今日は高校の友人、さゆり、美幸、美穂の三人と食事会だ。卒業したときに、定期的に開こうと約束していた。卒業してもう三か月。みんな少しずつ大学に慣れてきていた。
相変わらず元気いっぱいの美穂はバスケ部に入り、さゆりは何を思ったのか茶道部に入った。中学のころから六年間オーケストラ部でバイオリンを担当していたので、またオーケストラに入るのかな、と思っていたのだけれど。さゆりいわく、バイオリンはもう飽きたそうだ。美幸はバドミントンのサークルに入りつつ、バイトに精を出しているらしい。稼いだバイト代は自分に貢いでいるらしい。そのおかげか、以前に増して髪がきれいになった気がする。大学に行ったことで、ずいぶんと個性が出てきたな、と思った。
さゆりが私の腕を、ちょんちょん突いて言った。
「ねえねえ、ここのアイスクリームおいしそうじゃない。いや、こっちのティラミスもいいな…。」
「まーた、さゆりの悪い癖が出てきたよ」
ハンバーグを食べ終え、今度はデザートを悩み始めたさゆりを見て、美幸がからかうような口調で言った。
「ほんと、優柔不断だよね。いっつもメニューとにらめっこしている気がする。」
「そのくせ、一度決めると突っ走るんだよね。急にバイオリン辞めるし。飽きたーとか言って。」
「あはは。分かる気がする。」
「ちょっと、私は真剣に悩んでいるのに面白がってー。」
口々に勝手なことを言う私たちに、さゆりが抗議の声を上げた。その言い方が拗ねたような口調だったので、さゆり以外の私たちは思わず笑った。
そのあとデザートをそれぞれ頼んで(結局さゆりはチーズケーキを食べていた)、その場はお開きになった。外はすっかりと暗くなっていて、時計を見ると十一時近くになっていた。高校生の時は、こんな夜遅くまで遊ぶのはディズニーに行った日くらいだったので、なんだか心が躍る。ここ最近、だんだんと暑くなってきたものの、夜の風はひんやりと冷たくて、それが心地よかった。
「今日は楽しかったねー。久しぶりに会えて良かったよ。」
隣を歩くさゆりが、朗らかな笑みを浮かべながら言った。私とさゆりは、方向は違うものの使う線が同じなので、駅のホームまで連れ立って歩く。
「うん。楽しかった。みんな違う学校だからちょっと寂しかったけど、違う学校の話を聞くのも楽しいね。」
「そうだね。また食事会開きたいよね。」
「ね。」
なんとなく、沈黙が訪れる。他の二人と違い、さゆりと私は中学生のころからの付き合いなので、沈黙に息苦しさは感じない。
(沈黙が苦しくない相手って大事だな……。)
また、私がボケーっとしていると唐突にさゆりが口を開いた。
「私、やっぱりインスタ入れようかな」
「え」
「いや、入れないって言ったけど、結構聞かれるんだよね、インスタやってないのか。だから、入れた方が話に入りやすいのかな、って思ってさ。」
「そっか。いいんじゃない。」
「うん。」
「さゆりが入れるなら、私も入れようかなー。」
「あ、本当。じゃあ、相互フォローしようよ。」
「良いよー。作ったら言うね。」
私とさゆりは結構な機械音痴で、スマホの操作に慣れるのに半年くらいかかった。別に気取っていたわけではないけれど、なんとなく二人ともインスタやツイッターみたいなSNSに興味がわかなくて作っていなかった。それで良いや、と思っていた。
「これで私たちもSNSデビューだ。」
そう言って無邪気に笑うさゆりは、なんだか知らない人に見えた。
「私たちに使いこなせるかな」
「いやー、もう困ったら美幸に投げ出しちゃお」
「あはは。そうしよ、美幸なら詳しそうだし。」
ホームにアナウンスが流れて、私の乗る電車が来た。
「あ、来た。じゃあ、バイバイ。」
「うん、またねー。」
手を振って、別れて、私は一人電車に乗った。
電車の中は混んでいたので、ドアの横に立つ。ドアの窓の外を、景色が流れていく。暗い夜道に、明るい光がぽつぽつと見える。当たり前だが、人通りは少なく、閑散とした街が広がっていた。
夜の電車は意外と静かで、人の疲れ切った気配が漂っている気がする。私は、手持ち無沙汰になって、なんとなくスマホの写真を見返した。ふと、卒業の時にクラスの人たちと撮った写真が目に入った。一学年百人程度の小さな高校だったので、全員が顔見知りだ。変顔をしていたり、二人でハートを作っていたり、床に寝そべってポーズを決めていたり、懐かしい顔が並ぶ。
(この中の何人かは、もう会うことはないんだろうな)
高校二年と三年のクラスは、結構仲の良いクラスで、集まって遊んだこともあった。たとえ同窓会とかがあっても、会わない人はいるのだろう。一時期は毎日顔を合わせていたというのに。どの進路に行ったのかも分からない人は結構多い。
(さゆりたちとは、なるべく会っていたいけどな。)
写真をスクロールする。卒業式の写真が続く。ほんの三か月前の写真なのに、ずいぶん昔のように感じてしまうのはなぜだろう。三年間、毎日着ていたはずの制服も、どこかよそよそしい顔をしている気がする。
(私、三年間これ着て登校していたんだよな)
他の電車との待ち合わせで、人がぞろぞろ出ていく。椅子が空いたので、座って自分の降りる駅を待つ。私は、さっきまで何を考えていたのかも忘れて、来週には提出する必要のある課題のことを考えていた。
「ただいまー」
家に帰ると両親はとっくに寝る準備を済ませていて、もう寝るね、と声をかけられた。それに軽く返事をしながら手洗いうがいを済ませ、自室にこもる。
(これから風呂入らなくちゃいけないの、面倒くさいな。夜まで出かけると楽しいけど、帰ると何もする気が起きなくなる…)
だらだらしながら風呂の準備をする。その時、ふと高校の制服が目に入った。母にクリーニングに出せと言われていたが、ハンガーにかけっぱなしで置いておいたのだ。制服は、全く変わらない様子でそこにあった。紺色のブレザーにスカート、赤いリボン、間違いなく私が三年間着ていた制服だ。
「懐かしいな~」
何とはなしに、着てみる。これが深夜テンションというものだろうか。
ブラウスを着て、リボンを結び、スカートをはく。妙にテンションが上がりながら姿見を見てみる。
「あれ、こんなんだっけ」
私は、思わず戸惑った。
なんというか、妙にしっくりこない。制服に、問題はない。着方もあっている。なにかをつけ忘れたわけではない。なのに、何故か妙な気がする。鏡に映る私は、本当に私なのだろうか。
どうやら私は、制服が似合わなくなったようだ。そして、もう似合うことはないのだろう。
私は、卒業したのだ。
明日の朝、クリーニングに出すために制服をリビングに置いておく。明日は一限から授業があるのだ、早く寝なくては。
卒業 麗 @rei_urara
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