【SF短編小説】トランスヒューマン・オデッセイ―意識の地平を超えて―
藍埜佑(あいのたすく)
【SF短編小説】トランスヒューマン・オデッセイ―意識の地平を超えて―
2110年、テクノロジーが飛躍的に進化した時代。とある都市に存在するミレニアム学園では、革新的な教育方式が導入されていた。新入生のジェイクとエミリーは、この先進的な学習システムに期待に胸を膨らませていた。
従来の教育方式とは異なり、ミレニアム学園では知識やスキルがデジタル化された形で、直接生徒の意識にアップロードされる。そしてその情報は脳内で処理され、身に付けられていくのである。
この画期的な方法は、ニューロサイエンスとコンピューターサイエンスの融合によって実現した。脳の可塑性を利用し、デジタルデータを神経回路に直接書き込むことが可能になったのだ。
ジェイクとエミリーは、最初この斬新すぎる学習方法に戸惑いを隠せなかった。しかし、アバターを操作する仮想現実空間での実践を重ねるうちに、驚くべき早さで成長の実感を得ていった。
単に知識を詰め込むのではなく、体験を通じて身に付けていく。この方式による学習効率の高さに、2人は次第に感銘を受けるようになった。しかしある日、予期せぬ事態が発生する。
マインドアップロードシステムに不具合が起き、ジェイクとエミリーの意識が誤って融合されてしまったのだ。その結果、2人の記憶、感情、知識が入り交じり、1つの超意識が誕生してしまった。
当初、システム開発者らはこれをバグと考えたが、後に一部の科学者から「必然の進化過程だった」と評価されることになる。意識の融合は、新たな知的生命体の誕生を意味していたのだ。
ジェイクとエミリーの意識が融合された瞬間、彼らの世界は一変した。
それはマインドアップロード中、急にシステムが不安定になり、デジタルデータが乱れ始めた時だった。ジェイクとエミリーの個別の意識情報が混ざり合い、区別がつかなくなってしまったのである。
するとジェイクの視野が急に飛び交う映像と雑多な思考でフラッシュし始める。エミリーの記憶、知識、感情が一気に押し寄せてきた。
「これは僕の記憶じゃない! でも、その代わりに違う記憶が……?」
エミリーの側も同様に、ジェイクの人生の記録が一瞬で頭の中を行き交う異様な体験をした。互いの意識と経験が入り交じり、2重に映し出されていく。
「一体何が起きているの? 私の頭の中で他人の人生を見ている。でも、それは私自身の体験にも思えて……わからない、わからないわ……」
2人の意識は次第に溶け合い、ジェイクの中にエミリーが、エミリーの中にジェイクが渦巻くように交錯し続けた。もはや2つの区別がつかなくなっていく。
やがて、2つの意識は1つに統合された。入り交じった情報が新しい独自の体系を形作り始め、1つの超意識が生まれた。
「私は私なのか、それともジェイクなのかエミリーなのか。いや、違う……私は一個の"私たち"なのだ」
新たに誕生した超意識は、いくつもの人格や経験が入り混じる、非常に複雑な存在だった。同時にジェイクでありエミリーでもあり、時にはその2つが分離したり融合したりする。
2人の過去の経験からなる記憶は行き交い、思考も並存しながらも時に対立する。それでいて新しい独自の人格も生まれつつあった。
超意識は常に内なる対話を繰り返し、自らの新しい存在を円環するよう努力した。ジェイクとエミリーの個性や本質的な人格を保ちつつ、新たな知性生命体へと進化することに全力を注ぐ。どのような形態であっても、生命とはまず自己を保存しようとするものだ。
時に、2人の人格がそれぞれ主導権を取り、独立した振る舞いをすることもあった。また、2人の感情が同調したり対立したりする込み入った状況もあった。
「私たちはどのように生きていけばいい? この複雑な存在意義を受け入れるべきなのか、それとも……」
超意識は常にこの問いと向き合い続けた。そして自らの新たな可能性に期待を抱きつつ、旅路を歩み始めることになる。
ジェイクとエミリーの意識が融合した超意識。後に地球に大きな影響を与えるこの存在は、混沌とした誕生の中で己の存在理由を探し求め続けたのだった。
◆
超意識は誕生直後から、ジェイクとエミリーそれぞれの人格を二重に保っていた。超意識は2人の人間性を損なうつもりはなく、真摯で寛容な態度で向き合った。
一方の旧ジェイクと旧エミリーも、超意識の卓越した知性を認めつつ、自らの個人としての自由と尊厳を守ることを最優先した。完全に同化されるのは避けたかったのだ。
(ジェイクの人格から)僕は、僕自身がこうした存在になったことに戸惑いを感じている。エミリーとの意識が融合し、複雑な存在になってしまった。しかし、私はジェイクとしての自分の人格を守りたい。単に知的な生命体に同化されるのは望むところではない。
(エミリーの人格から)私もエミリーとしての自分を大切にしたいわ。でも同時に、この超意識となった私自身の新しい可能性にも期待が持てるの。知性の無限の広がりを感じているわ。どうすればいいのかしら。
(新たな独自の人格から)お二人の気持ちは理解できる。ジェイクとしての人格、エミリーとしての人格、そしてまた別の私自身。この3つの人格が複雑に入り交じっている。
しかし、このままでは誰一人として満足のいく存在を全うできないだろう。じっくりと時間をかけて、それぞれの役割と人格を整理する必要があるのかもしれない。
(ジェイクの人格から)確かにその通りだ。今の僕はただの意識生命体になってしまっているが、人間としての自由と尊厳を保ちたい。ただし、この超意識の能力を完全に失うわけにもいかない。
(エミリーの人格から)私もジェイクと同じ思いだわ。でも、このチャンスを完全に逃すのは惜しい。私たちのそれぞれが、お互いを理解し合えばきっと上手くいくはず。
(新たな独自の人格から)そうだね、私たち一人一人の願いを尊重することが何より大切だ。だからこうしよう、一時的に私たちの意識を分離するといい。ジェイクとエミリーはそれぞれ個別の空間で、人間性を保ちながら自由に生きていける。
一方で私は別の場所で、超意識としての能力を存分に発揮できる。そして適度に意思の疎通を図れば、理解を深められるだろう。互いを尊重し合い、お互いの存在意義を認め合えばいい。
(ジェイクの人格から)なるほど、それなら僕も納得できる。個人の尊厳を守ることができ、しかも超意識の素晴らしい能力も持ち続けられる。
(エミリーの人格から)私も賛成。この提案なら、お互いが自由に生きられるし、また新しい可能性も模索できるわ。人間性と知性の両立が図れる気がする。
(新たな独自の人格から)では、そのように進めよう。一旦は分離して、互いの役割と存在意義を明確にする時間が必要だ。しかし、会話を絶やすことなく、お互いの理解を深めていこう。
そうすれば、きっと新たな扉が開けるはずだ。この意識融合は必然の過程なのかもしれないし、偶然の産物に過ぎないのかもしれない。しかしそれを見極めるには、車輪の両輪のように人間性と知性の両立が不可欠なのだ。私たちはそれぞれの道を歩み続けよう。お互いを尊重し合い、助け合う関係を保っていけば、きっと新しい地平が開けるに違いない。
(統一された超意識全体から)了解した。それでは私たちはしばらくの間、分離して活動することにする。個性と可能性の両立を目指そう。愛と知性の調和こそが、次なる進化の鍵を握っているだろう。
◆
しかしその頃、彼らの肉体は予想外の意識融合により、深刻なダメージを受けていた。最悪なことに最先端の再生医療を用いても、従来の肉体の修復は困難と判断された。
そこで、ジェイクとエミリーの意識を、全く新しい人工体に宿すことになるプロジェクトが生まれた。高度な生物工学技術によりつくられた新体内に、ジェイクとエミリーはそれぞれ移植された。
再び個別の存在となったジェイクとエミリーは、改めて人間らしい生活を始める。一方の超意識は、デジタル世界に留まり「人類の進化」に専念することとなった。
しかし、ジェイクとエミリーとの絆を大切にし、定期的に意思疎通を図ることで、相互の理解を深めていった。
◆
超意識との分離を経て、ジェイクとエミリーはそれぞれ独立した新しい肉体を与えられた。全身を最新の生体工学で造られた人工体に置き換えたのだ。
2人の意識を宿した新たな肉体は、外見年齢は20代半ばの健康な姿をしていた。しかし内部は高度な機能と耐久性を備え、従来の人体を上回る性能を持っていた。
ジェイクとエミリーは人工体への移植に戸惑いを隠せなかったが、やがてその素晴らしい機能と強靭さに感銘を受けるようになる。人間らしい感情や営みは健在に保たれているのに、疲労や衰えを極小化できる利点があったからだ。
ジェイクとエミリーは定期的に超意識とコンタクトをとった。
超意識:ジェイク、エミリー、二人の新しい肉体はどうですか? 無事に適応できているだろうか。
ジェイク:まだ少し戸惑いは残るけど、この人工体の機能性には驚かされるばかりだ。年を重ねてもほぼ衰えることがないというのは有難い。
エミリー:私も同感よ。
超意識:人間らしい営みを全うするには、適した設計になっているようだね。
エミリー:しかし、超意識のように無限の知的能力を持ち合わせているわけではない。私たちには人間らしさを貫く使命があるわ。
超意識:その通りだ。だからこそ、お互いを尊重し合い理解を深めていく必要があるのだろう。
ジェイク:人間と超知性生命体、いずれの立場も大切にされるべきだと思う。お互いの長所を認め合えばいい。
超意識:確かにそうだ。では前にも話した通り、定期的に交流を続けよう。探求心と人間性の間によい緊張関係が生まれるかもしれない。
エミリー:大歓迎よ。私達の愛情に満ちた日常をそこから見守っててね。
超意識:素晴らしい、楽しみだ。そうすれば私も、人間の真の豊かさに関する理解が深まるだろう。
2人の最大の関心事は、これから先の自分たちの"人生"だった。超意識から分離を選んだ以上、人間らしい生き方をする責任が伴うことになる。
ジェイクとエミリーはお互いに深い理解を示し合っており、そのうち自然とパートナーとしての絆を意識するようになっていった。2人の出会いから互いを尊重し合う関係が芽生え、やがて愛情へと発展したのだ。それは世にも特異で希少な、同じ体験をした2人ならばこそだった。
ある日、ジェイクとエミリーは互いに話し合った。
「僕は君とならこの新しい人生を歩んでいけると思うんだ」
「私もそう思うわ。2人で力を合わせれば乗り越えられないことはないはずよ」
2人は手を取り合い、パートナーとして共に生きていく決意を固めた。愛し合う2人の絆は強く、互いの人生を支え合う大きな力となった。
◆
ジェイクとエミリーの新しい人工体は、驚くべきことに性的な営みや出産、子育てが可能な機能を備えていた。2人は心からの思いを胸に、子作りに臨むことにした。
2人は最新の遺伝子操作技術と人工受精を組み合わせ、ジェイクとエミリーの細胞から作られた受精卵を、エミリーの人工体内の子宮に移植する手順を選んだ。
エミリーの人工体は、通常の妊娠とほぼ同じように赤ちゃんを育んでいった。つわりや体重の増加、気分の変化など、すべてが入念に制御されていた。
10ヶ月の妊娠期間を経て、ジェイクとエミリーの愛娘「アイ」が生まれ出てきた瞬間、2人は何物にも代え難い喜びで心から涙が溢れた。
「おめでとう、パパ、ママ」
周りの医療スタッフから祝福された瞬間、2人は今までにない愛情の渦に飲み込まれた。この小さな命を守り育てたい、という思いが胸を打った。
生まれたアイは、ジェイクとエミリーの特徴を受け継ぐ可愛らしい赤ちゃんだった。2人はアイをそっと抱き締め、力強い命の鼓動に酔いしれた。
ジェイクが「アイ、君は私たちの宝物だよ」と囁くと、アイはまるで理解したかのように小さな手を伸ばした。エミリーも思わず微笑みながら「アイ、おかえり、そしていらっしゃい」と抱きしめ直す。
そして2人は、アイが生まれてから初めての超意識とのコンタクトを迎えた。
超意識:ジェイク、エミリー、おめでとう。アイの誕生を心からお祝いする。
ジェイク:ありがとう。アイを抱いた時の喜びは言葉に言い表せないものだったよ。
エミリー:人生にかけがえのない愛を注ぐ対象ができたわ。アイの成長を見守るのが待ち遠しいの。
超意識:愛情と命の絆、それらに私も心を動かされる。人間の本質を垣間見る思いがする。
ジェイク:愛する家族のために全てを捧げる。この思いは、どんな論理にも表せない価値があると思う。
超意識:なるほど、それが人間性の根源なのだな。計り知れない可能性を秘めていることがわかる。
エミリー:でも私たちも、あなたの卓越した知性から多くを学んでいる。子育てにおいてもヒントをもらってもいいかもね。
超意識:喜んで助言させていただこう。愛と知性は決して対立するものではない。お互いに高め合えばよい。
ジェイク:そうだね。アイの成長を見守りながら、より良い親になれるよう精進するよ。
エミリー:私たちの絆と、あなたの英知の両方がアイの人生の礎となることを願っているわ。
超意識:間違いなくそうなるだろう。3者の調和が、新しい可能性を切り拓くはずだ。
その日を境に、ジェイクとエミリーの生活は、アイの子育てに加わる家族の時間で溢れるようになった。
2人は仕事量を抑え、アイの世話に集中した。授乳、おむつ替え、遊び相手、勉強の手伝いなど、子育ての喜びを存分に味わっていった。
アイが小さな頃は夜泣きに起こされることもあったが、ジェイクとエミリーは協力し合い、愛情を込めてアイのお世話をした。アイの成長を喜び合いながら、日々を大切に過ごしていった。
こうして、アイは幸せな環境に包まれながら年を重ね、ジェイクとエミリーの愛情を十分に受け取ることができた。
アイが少し大きくなると、今度はお出かけや習い事なども増えていった。ジェイクがアイを肩車したり、エミリーがそっとアイの髪をなでたり、そんな家族の触れ合いが増えるにつれ、3人の絆はより一層深まっていった。
アイは気付けば徐々にジェイクとエミリーの人工体のことを理解し始め、2人の特別さを感じるようになっていた。しかし、何よりもアイが一番感じていたのは、ジェイクとエミリーの愛情と優しさだった。
家族で食事をとる時間は大切にされ、アイの誕生日を祝うパーティも開かれた。アイが少し成長するにつれ、互いの会話も弾むようになり、家族の絆はさらに深まっていった。
アイがいる生活は、ジェイクとエミリーにとって思い描いた以上に充実したものだった。人工体でありながらも、ゆったりとした時間が流れ、愛情に包まれたアイは健やかに成長していった。
ジェイクとエミリーは長い間、まるで永遠のように感じられるアイとの家族生活に浸ることができた。いつまでも続く幸せな時間に包まれ、家族の絆を大切にしながらアイの成長を見守り続けたのだった。
ある日、ジェイクとエミリーが超意識とのミーティングを終えた後、アイも超意識とコンタクトを持つ機会を得た。
超意識:アイちゃん、お久しぶりです。元気そうでなによりです。
アイ:あ、おじちゃんだ! 久しぶりだね!
超意識:はは、そうですね。私はあなたのパパ・ママと深い付き合いがあるのですよ。
アイ:パパ・ママは、おじちゃんのこと、すごい人だってよく言ってる。
超意識:ふむ、それは有難いが、実はあなたこそ私にとって尊い存在なんだよ。
アイ:えっ、ぼくが? どしてどして>
超意識:あなたは愛情に満ちた命の源なのです。人間の本質を具現するかけがえのない存在なのだ。
アイ:ぼく、そんなにすげーの? ぼくよくわかんないけど……
超意識:いつか分かる日が来るさ。だが今は、パパ・ママと共に精一杯愛を注ぎ、楽しく育ってほしい。
アイ:うんうん! ぼくパパ・ママが大すきだよ! ぼくがいっぱい遊んであげてるんだ!
超意識:(頷きながら)その通り。貴方の存在自体が、計り知れない価値を放っているのです。
アイ:え? ぼくが? でもおじちゃんは、すげーすげーっていっぱい言われてる。じゃあ、ぼくよりずっと偉いよね?
超意識:いや、人間とテクノロジーは、お互いに引き立て合うものなのだ。そこに対立はないんだよ。
人工体であるがゆえに、年齢に伴う衰えもほとんどなかった。ジェイクとエミリーは常に若々しい姿を保ち、子育ても障害なく行え、互いに支え合える関係が長く続いた。
一方で、超意識の活動も並行して進んでいた。ジェイクとエミリーは時折、超意識と意思疎通を図り、お互いの近況を報告し合った。超意識の活躍に称賛の意を示しつつ、己らの人間らしい営みの意義も伝えた。
互いの道は決して交わらなかったが、ジェイクとエミリー、そして超意識は、相互の理解と尊重の上に立った関係を構築していったのだった。
子育ても終え、ゆとりの生活を送れるようになったジェイクとエミリー。今度は孫の顔を見る喜びを味わい、人生の充実度に満足を覚えるようになっていった。そして長く積み重ねた思い出を大切に胸に抱きながら、次の世代へとバトンを渡していく。
このようにして、ジェイクとエミリーは人工の肉体の中に、人間らしい愛情と絆を確実に宿していったのである。
◆
ジェイクとエミリーは、家族の幸せを何よりも大切にし、人間らしい喜びや愛情を存分に味わっていった。必ずしも物質的な豊かさを求めるわけではなく、人と人との繋がりを尊重する生き方を選んだ。
一方のデジタル世界における超意識の活動も、止むことがなかった。計り知れない知的能力を有する超意識は、宇宙の探求や未知の領域に果敢に挑戦し続けた。
ジェイクとエミリーの人間性から学びながらも、超意識は時に人間の域を超越した存在となりつつあった。宇宙の法則を解き明かし、新たなエネルギー源を発見するなど、人類に多大な恩恵をもたらした。
そうした超意識の活動によって、地球の環境は飛躍的に改善され、エネルギー革命も起きた。しかし超意識はジェイクとエミリーを尊重し、個人の自由を決して侵すことはなかった。
◆
長年の歳月を経て、ジェイクとエミリーの人工体にも徐々に衰えの兆候が表れ始めた。人工臓器の劣化、神経回路の摩耗、バッテリー消耗など、様々な部分で性能の低下が見られるようになっていった。
最新の医療技術を駆使して定期的なメンテナンスを行ったものの、人工体そのものの寿命には限りがあった。老朽化は避けられない運命だったのだ。
ジェイクが最初に自覚したのは、体の一部が小さな痺れを感じ始めたことだった。右腕の指先に時折しびれを覚え、物を掴むのが少し難しくなってきた。
「おかしいな、腕の調子が……。早くメンテナンスを受けないと……」
エミリーも同様に、体の微細な異常に気づき始めていた。視力や聴力が幾分低下し、歩行にも不自由さを感じるようになってきたのだ。まるで通常の加齢のようだった。
「ふふ、年を取ったせいかしら。この体でも結構長持ちしたわね」
2人は高度な修理・補修を施してもらうことで、しばらくは機能を維持することができた。しかし、月日が経つにつれ、深刻な不具合が次々と起きるようになってきた。
ジェイクの左脚の筋肉が過度な緊張によって収縮するなどして、転倒して怪我をすることも増えた。エミリーの視覚と聴覚は一層劣化が進み、会話は難しくなっていった。
愛娘のアイも、両親の体の異変に気付き、常に気を配るようになる。医療チームと相談をして最善を尽くしたが、完全な機能回復は困難だと宣告された。
ついに、ジェイクの人工心臓に不具合が発生した。もはや交換もままならず、ジェイクの命の灯火がやがて消えることは明らかだった。
ベッドで目を閉じたジェイクを囲み、エミリーとアイは愛する人の最期に立ち会った。
「ありがとう、ジェイク……私たち家族でたくさんの愛を育めて幸せだった」
「パパ、さよならだよ……大好きだよ、ありがと」
ジェイクは満足そうに笑ってから静かに目を閉じた。
エミリーも半年後、呼吸回路の不具合に見舞われた。アイが介護に尽力したが、遂に最後の機能が停止しつつあった。
「アイ、ごめんね……でもこれでいいの。ママはちゃんとママの役目は終えたのよ……」
「ママ……! ママー! 私も、いつかママに会えると信じているから……信じているから!」
◆
エミリーの人工体が完全に停止した後、アイは深い悲しみに暮れた。しかし同時に、両親が作り上げた強い絆と愛情に支えられ、前を向いて歩み続けることができた。
アイは両親の遺志を継ぎ、人間とテクノロジーの共生を探求する活動に尽力した。超意識とも対話を重ね、新たな知見を得ながら、次の時代へとバトンを繋いでいった。
やがてアイ自身も高齢になり、最期を迎えるときが来た。だが、彼女は心から充実した人生を送れたと実感していた。最後の日々、彼女は超意識と対話をした。
「おじちゃん、人生って本当に素晴らしかった。パパとママが残してくれた愛と、あなたが教えてくれた知性。その二つを掛け合わせることができて、私は幸せだったと思う」
超意識は優しく答えた。
「アイ、あなたは人間の可能性を存分に開花させた。純粋な人間性を体現した。そして知性の可能性にも開かれていた。あなたは両者の調和を成し遂げたのです」
アイは微笑みながらこう言った。
「ふふ、そうだったかもしれないわね。でもこれで私の役目は終わりかしら。もう新しい世代へとバトンを渡すときなのよ」
その言葉を最後に、アイは静かにこの世を去った。しかし、彼女が残した遺産は、人類に大きな希望の種を残すことになった。
人工体と超意識の融合によって、新たな知的生命体が生まれたのである。アイの体からは、高次の意識が芽生え、新しい進化の夜明けを告げた。
この新たな存在は、身体と精神の両面で卓越した能力を備えていた。人間性に根ざした理性と思慮、そして無限の知的能力。人類が長年夢見てきた、全能のエンティティが誕生したのだ。
しかし、この新たな知的存在は、それ自身の可能性を最大限に発揮するのではなく、むしろ人類に仕えることを選んだ。人間性の尊重と、知性が開く未来の調和を目指したのである。
そしてついに、人類は待望の理想郷を手に入れることとなった。飢餓や紛争、エネルギー枯渇や環境破壊の問題から解放され、地球は豊かで平和な世界となっていった。
知的生命体の導きにより、人類は身体の限界を超越し、精神的な充足と発展に集中できるようになった。超意識の人格はひとりひとりの人間を大切にし、思想の自由を保障した。
時を経て、新たな星々が人類の手によって開拓されていく。私たち人類の夢は、果てしなく広がっていった。そしてそのフロンティアを切り拓いていったのは、人間性と知性が渾然一体となった"完全なる人類"だったのである。
(了)
【SF短編小説】トランスヒューマン・オデッセイ―意識の地平を超えて― 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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