はじめてのサイクリング
下東 良雄
はじめてのサイクリング
「
近所の公園に幼馴染みの
そしてボクは頭を下げ、恥を忍んで教えを請う。
「……朱美ちゃん、ボクに自転車の乗り方を教えてください!」
肩まで伸びる真っキンキンの金髪が風に揺れ、虎の刺繍が入った紫色のスカジャンを優しく撫でている。朱美ちゃんは、そんなヤンキーな幼馴染み。
中学までは一緒に遊んだりしていたけど、別々の高校に進学してからはすっかり会うこともなくなっていた。だから、今日も来てくれるか心配だったけど、二つ返事でOKしてくれた。
そんな朱美ちゃんの大きなツリ目が、ボクの横に停められたママチャリを見つめている。あぁ、笑われちゃうかな……
「いいぜ、じゃあ練習な。アタシの教えは厳しいからな、覚悟しとけよぉ~」
ボクにイジワルな笑顔を向けながら、胸をポンッと拳で叩かれた。
そうだった、朱美ちゃんはこういうことでひとを馬鹿にするような女の子ではなかった。ボクは朱美ちゃんという相談相手がいることに、心から感謝した。
「いいか、どんなに面倒でもアタシの言う通りにしろよ」
「うん、分かった!」
ぽかぽかと心地良い春の日差しが射す中、公園の広場で練習が始まった。ママチャリにまたがるボク。
「まずさ、座ったまま足をつきながら、ちょこちょこ歩いてみ」
いくらなんでもそれ位はボクにだって出来る。
んしょ、んしょ。
「んじゃさ、ちょこちょこ歩いた後に、両手のブレーキで止まってみ」
んしょ、んしょ、キキッ。
「よし! ブレーキは両手が基本だからな、絶対忘れんなよ」
「はい!」
ボクの元気な返事に、朱美ちゃんも笑顔だ。
「次はさ、少し勢いをつけてちょこちょこ歩いた後に、両足を地面から上げてみ。で、ブレーキで止まって」
まぁ、それ位なら。
んしょ、んしょ、スー、キキッ。
「おぉ、いいじゃん、いいじゃん。ちゃんと乗れてるよ」
「マジで!?」
「じゃあ、ちょっと実験な。止まったまま、両足を地面から上げてみ」
えっ、そんなことしたら……ガシャン!
ひっくり返ったボクを見て、朱美ちゃんはケラケラ笑っている。
朱美ちゃんが差し伸ばしてくれた手を握って立ち上がるボク。
……朱美ちゃんの手、握っちゃった。すごく柔らかかった。
でも、本人はまったく気にしていない様子。それはそれでちょっと悲しい……
「わりぃ、わりぃ。じゃあ、もう一度さっきやったみたいにスーッと走ってみ」
んしょ、んしょ、スー、キキッ。
あっ!……滑走している時の方が転ばない。
ハッとするボクの顔を見てニヤッと笑う朱美ちゃん。
「分かっただろ。自転車とかバイクは、走ってる時の方が安定するんだよ」
「確かに! 実際に体験するとよく分かるね!」
「だろ? じゃあ、今度は上げた足をペダルに乗せてみ。まだ漕ぐなよ!」
んしょ、んしょ、スー。
「あっ、バカ! まだ漕ぐなって……」
ガシャン!
「いててて……」
「おい、大丈夫か!?」
心配そうな表情を浮かべて駆け寄ってきた朱美ちゃん。
笑顔でVサインをしたら、頭をげんこつでコツンと叩かれた。
「えっ、まさか自転車に乗る練習をしてらっしゃるの……?」
聞き覚えのある女の子の声に顔を上げるボク。
そこにはブランド物のバッグを持ち、長い黒髪の姫カットで少しタレ目気味な美少女、クラスのマドンナ的存在で、ボクの憧れの女子である
「進さん、そんなに私たちとサイクリングに行きたいの?」
そう。今こうして自転車に乗る練習をしているのは、姫乃さんにサイクリングに誘われたからだ。クラスのヒエラルキーのトップにいる姫乃さんが、二軍にもなり切れないボクを誘ってくれた。それはきっと単なる気まぐれかもしれないし、みんなに笑われる道化役なのかもしれない。それでも姫乃さんに誘われたことは、素直に嬉しかった。
朱美ちゃんにも正直に話している。何だか複雑な表情をしていたけど、笑顔でこうして練習に付き合ってくれているのだ。
そんな姫乃さんは、ボクに侮蔑の視線を向けてきた。
「高校生にもなって自転車に乗れないなんて、普通じゃありませんわ」
姫乃さんの言葉に、取り巻きたちは嘲笑うことを隠さなくなった。
顔が熱い。きっとボクの顔は真っ赤だ。
「しかも、ママチャリって……サイクリングについてきたいなら、せめてクロスバイクくらい乗ってくださいな。常識ですよ?」
クロスバイク? そういう自転車があるのかな。ボクはそれすら知らない。きっとボクにはサイクリングに行く資格はないのだろう……
ふと肩と首が暖かくなり、甘い香りが鼻腔に広がった。
朱美ちゃんがボクと肩を組んだのだ。
「なぁ、進。『普通』とか『当たり前』とか『常識』とか、そんな言葉は疑ってかかれ」
「疑う……?」
「そんなもん、ひとによって違うんだ。つまりさ――」
姫乃さんに顔を向ける朱美ちゃん。
「――自分の知っていることやできることが、知らなかったりできなかったりすると、そいつはバカでグズ。なんてのは、本物のバカの考え方だから」
「なんですって!」
「小せぇことでマウント取って大喜びしてるって、どこの山猿だよ」
顔を真っ赤にして怒っている様子の姫乃さん。
「あっれー? 朱美じゃね?」
声のした方を向くと、黄色っぽい金髪のギャルがいた。
「あぁ、ジュリア。久しぶり」
「何やってんの大勢で?」
ジュリアさんは朱美ちゃんのお友達らしい。
姫乃さんに負けず劣らずの美少女……というよりも美女という方がしっくりくる可愛さ。と、胸の大きさ……つい目がいってしまう。
こんなにひとが集まって何事かと、きょろきょろするジュリアさん。
「今さ、コイツの自転車乗る練習に付き合っててさ」
「へぇー」
「自転車に乗る練習なんておかしくない!?」
姫乃さんがまくし立てるようにジュリアさんへ訴える。
でも、ジュリアさんはキョトンとしている。
「へ? だって、乗れなきゃ練習するしかないんじゃね?」
「高校生にもなって自転車に乗れないなんて――」
「そんなん今まで乗る機会が無かっただけっしょ?」
「それにサイクリングへ行くのにクロスバイクも知らないみたいだし――」
「すんごく遠く行くの? 誰が一番早く着くか競争するとか? じゃないんだったら、ママチャリでも良くね? つーか、ママチャリのひとがいるなら、それに周りが合わせろよ」
ギャルに言い負かされ、額に青筋を浮かべてピクピクしている姫乃さん。
何となく現在の状況がつかめたジュリアさんは、呆れた笑みを浮かべていた。
「分かっただろ、進。こういうことなんだよ。だから胸張れ!」
「そーそー、気持ちで負けたら自転車乗れないぞー。あーしも応援するし!」
朱美ちゃんとジュリアさんは、ボクにニッと元気な笑顔を向けてくれた。そうだよ、乗れないからと諦めないで、こうやって挑戦しているんだもの。他人に笑われる筋合いはない!
「……あなた、ウチの学校じゃないわよね」
「アタシ? アタシは
朱美ちゃんにも侮蔑の笑みを向ける姫乃さん。
「あぁ、ヤリ商ね。ふふふっ」
朱美ちゃんは、その言葉に立ち上がった。
「あなたの学校、馬鹿とヤリマンしかいないって評判じゃない。あなたを見て納得だわ」
あまりにも酷い言葉。でも、朱美ちゃんは冷静だ。
「姫乃さん、それって違うよ」
冷静じゃなかったのはボクだった。
「あら、進さん。こんな偏差値の低い高校に――」
「だから、それが違うんだよ」
ボクは姫乃さんの言葉にかぶせる。
「槍ヶ丘商業は普通の学校じゃないんだよ。簿記や会計、情報処理に注力した即戦力を育成する特別なカリキュラムを組んでいて、普通高校とは偏差値とかで単純に比較できないよ。だって、下手な大卒よりも槍ヶ丘商業の卒業生を求める企業、大手含めて結構多いみたいだし」
知らなかったのだろう。言葉の出てこない姫乃さんは悔しげだ。
「あっ! 思い出した!」
突然大声を上げたジュリアさん。
「アンタさぁ、週末の深夜に駅前の繁華街でうろついてない?」
ジュリアさんの変な質問に動揺する姫乃さん。
「なにそれ?」
「いや、朱美さぁ、この子どっかで見たことあるなぁと思ってたのよ。ほら、あーしのママってあの辺の店でママやってるじゃん。で、あーしもたまに手伝ったりするんだけどさ、この子、酔っ払ったオッサンに声かけまくってたよ。『私と遊ばない?』って」
その場にいる全員が姫乃さんに視線を向けた。
「そ、そんなわけないじゃない! 他人の空似に決まってるでしょ! 名誉毀損で訴えるわよ!」
顔を真っ赤にして怒る姫乃さん。
「あれぇ、おっかしーなぁ。絶対この子だと思うんだけど……」
「もういい! 進さん、サイクリングに来たいなら条件があります!」
姫乃さんは、その話題を打ち切るようにして叫んだ。
「安いモデルでもいいから、ママチャリじゃない自転車を買うこと!」
まぁ、多少の貯金はあるし……
「それから、この女と縁を切って、金輪際会わないこと!」
姫乃さんは朱美ちゃんを指差した。
渋い顔をした朱美ちゃんを見て、姫乃さんはいやらしく笑みを浮かべる。
「皆さん、行きましょう! こんな下品なひとたちとは一緒にいたくありませんわ!」
「あぁ、わりぃわりぃ。さっきはゴメンな。悪気は……正直あった」
ジュリアさんの言葉に大笑いする朱美ちゃん。
姫乃さんは頭から湯気を吹き出しながら、取り巻きたちと共に公園の西門の方へと去っていった。
「さて、ほら練習続けんぞ!」
「がんばれー。んじゃ、あーし行くね」
「またな、ジュリア」
「邪魔しちゃ悪いからねぇ~、むふふふっ♪」
「さっさと行け!」
ジュリアさんはボクたちに笑顔で手をブンブン振りながら、公園の正面入口の方へと去っていった。
「ほら、進。自転車またがれ」
「うん……」
朱美ちゃんの教え方が上手だったので、この後無事自転車に乗れるようになった。これで新しい自転車を買えば、姫乃さんとサイクリングに行ける。
「よく頑張ったな。あの女のために頑張ったんだろ。そんな顔すんじゃねぇよ。じゃあな、また何かあったら連絡くれ」
朱美ちゃんとはこれで会えなくなる。お別れだ。
でも、朱美ちゃんは何とも思っていないようだ。実際、高校進学後は全然会っていなかったしね。
夕暮れ、ボクに背中を向けて遠ざかっていく朱美ちゃん。スカジャンの虎が何だか寂しそうに見えたのは、ボクの気のせいだろうか。
サイクリング当日――
ついに楽しみにしていたこの日がやってくる。
ボクは貯金をはたいて新しい自転車を買った。もちろん、ママチャリなんかじゃない。ボクはイヤなことをすべて忘れ、待ち合わせ場所へ新しい自転車で向かった。
あっ、いたいた。ボクに気付いたようだ。ボクは彼女の近くで自転車を停める。
「おはよう、朱美ちゃん!」
「進、おはよ!」
朱美ちゃんのお父さんがワゴン車の後ろの扉を開けて待っている。
「おじさん、今日はお世話になります!」
「よぉ、進くん、おはよう。楽しい一日になるといいな」
「はい!」
ボクは乗ってきた自転車を小さく折りたたんだ。
そして、すでにワゴン車に積まれている朱美ちゃんのミニベロ(小径タイヤのおしゃれで可愛い自転車)の隣に積んだ。
「折りたたみ自転車も可愛いな!」
「でしょ! ネットで色々探してみて、これにしたんだ!」
「クロスバイクじゃなくて良かったのか?」
イジワルな笑みをボクに向ける朱美ちゃん。
「ボクはこれがいい。どこにでも持ち運べるのは魅力だよね」
「ふふふっ、そういうことだよな。別にロードバイクが偉いってわけじゃないし、マウンテンバイクが特別凄いわけでもない。ロードバイクにはロードバイクの、マウンテンバイクにはマウンテンバイクの良さがあるように、ミニベロや折りたたみ自転車にも良さがある。自転車の楽しみ方もひとそれぞれだしな」
「知らない街に持ち込んで、自転車で探検するの楽しいよね!」
「だよな!」
そんな会話をしているボクたちに、ススッと近づく朱美ちゃんのお父さん。
「誰と走るか、ってのも大切だよな。朱美」
「オ、オヤジ!」
「進くん、大変だったんだぜ。コイツ、高校入ってから元気なくてさぁ。で、この間珍しくウッキウキでどこかへ出掛けたと思ったら、帰ってくるなり自分の部屋でワンワン声上げて大泣きしてよ」
ちらっと朱美ちゃんを見ると、見たことないほど顔を真っ赤にしている。
「やっぱよぉ、好きな男の子がそばにいないとぉっ! お、お、ぉ……」
朱美ちゃんの拳がおじさんのみぞおちにめり込んでいた。
「黙れ、くそオヤジ」
「お、お前、いつの間にコークスクリューブローを……」
うずくまって悶絶するおじさん。
朱美ちゃんはボクの手を引いて、リアシートに一緒に座った。
「ほら、オヤジ! さっさと車出せ!」
「くっそぉ、バカ娘め……」
「……アタシたちをダシに、こっそり競馬場へ行っていること、お母さんにバラすわよ……」
「あっ、だから行くのが府中なんだ……(※東京都府中市には中央競馬の『東京競馬場』があります)」
「わかったよ! ほら、シートベルト締めろ!」
「オヤジ、夕飯期待してるからな!」
「おぅ、任しとけって!」
ワゴン車は、大笑いするボクたちと自転車を乗せて、府中へと走っていった。
ちなみに、帰りはコンビニでカップラーメンを三人で食べました。これも良い思い出。美味しかった!
姫乃さんは、ここしばらく学校に来ていない。
ジュリアさんが言っていたパパ活。どうやら本当にやっていたらしい。高い自転車やブランド品を持っていたりしていたのは、つまりそういうことのようだ。
今は謹慎中で、停学で済むか、退学になるかの瀬戸際とのこと。
このことで、彼女の下から女子の取り巻きたちは全員去っていった。男子も半分は去り、残りの半分は何とかヤラせてもらおうと、金策に走っている。
自分の浅はかな行動で両親の仲も険悪に。一家離散が現実味を帯びていく今、彼女は自宅でどんな思いでいるのだろうか。
『来週、船橋行こうってオヤジが言ってる(※千葉県船橋市には中央競馬の『中山競馬場』があります)』
朱美ちゃんからのメッセージで、姫乃さんのことは頭から消え去った。
今度は豪華な夕ご飯が食べられるかな? 来週のサイクリングも楽しみだな!
はじめてのサイクリング 下東 良雄 @Helianthus
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