第二章 君をあはれと思ひ出でける④

「――ふぅううう……」


 物語の行く末を見届けた瞬間、思わず感嘆の吐息が出てしまった。

 背もたれに寄りかかり、目を閉じる。暫く読後の余韻に浸っていたかった。


「……ど、どうだったかな?」

「……よかった」

「ほ、本当!?」

「ああ、面白かったよ」


 作者に気を遣って褒めているわけではない。素直にそう思ったし、心を揺り動かされた。

 せっかくドリンクバーを注文したのに、一度もお代わりに立つことなく読了していた。

 すると突然、「よかったぁ~!」と月子がテーブルにぱたりと身を倒した。


「えへへ、黒松くんが面白いって言ってくれたよぉ」

「お、おい、院長。女の子が行儀悪いぞ」

「だってだって、すっごく嬉しいんだよ」


 頬を天板に付けながら、にへらぁ~っとだらしなく口元を緩めている。

 それはまるで、授業中に隣の席で幸せな居眠りをするかぐやのようで。

 日々生徒達の尊敬を集めている院長様とは思えない姿に、治はぽかんと口を開けた。 


「最後まで読んでもらって、感想を言ってもらえるのって、ありがたいことなんだね」

「ネットで本のレビューサイトでも見れば感想くらい付いてるだろ」

「んー、まあそうだろうけどね……」


 髪を撫でながら姿勢を正した月子は、治の顔を覗き込むようにして尋ねる。


「黒松くん、キャラクターのイメージは浮かんだ?」

「まあ、なんとなくだけど」


 原稿に挿絵は一切ない。文章での描写と、作中でのキャラの言動から、治は頭の中で大まかな容姿を思い描き、小説内の出来事を想像した。


「そのイメージを強く持って。黒松くんが見た羽衣と富士を、絶対に忘れないでね」


 妙に念を押す月子に気圧されながらも、治は自分だけのビジュアルを脳内に刻み付けた。


「じゃあ……はい、見本誌」


 スクールバッグに手を入れた月子から、一冊の文庫本が手渡される。

 受け取った治は早速表紙の絵を確認しようとして……まず本の装丁に目が止まった。


「これ――ラノベじゃねーか」


 愕然としてしまった。それは大衆向けの一般文芸ではなく、中高生やオタクをメインターゲットに据えたライトノベル。その中でも大手のレーベルが出版しているものだった。


「え? 院長、ラノベのつもりでこの恋愛小説を書いてたのか?」

「そういうわけじゃないよ。応募したのが、たまたまそういう賞だったみたいで。そもそも私はライトノベルって小説のジャンルを知らなかったんだ」


 医者の卵である月子は、作家になりたくて小説を書き始めたわけではないと言っていた。

 であれば、本当になんの思惑もなくライトノベル作家になったということか。


「この原稿って、いつ書いて、いつ応募したんだ?」

「高校入学前の春休みだよ。時間があったから、書いてみようと思って。で、完成して、せっかくだから応募してみようかなって思って、締め切りが一番近かったところに出したんだ」

「そしたら見事受賞、ってわけか」

「優秀賞という身に余る栄誉を賜りました」

「いやぁ、正当な評価だと思うよ。俺としては最優秀賞でもおかしくないくらい」

「そ、そうかな、えへへ……」


 眉尻を下げて目を細める月子。先程からレアな表情を見せてくれている。


「にしても、ラノベの傾向も変わったんだな。ライト文芸化してるとは聞いてたけど」

「ライト文芸?」

「一般文芸とラノベの間みたいな雰囲気の小説のこと。院長のは大分文芸寄りだと思うけど」

「そんなにライトノベルって独特なの?」

「まず女主人公ってのは殆どなかった。男主人公の一人称で、地の文が少なくて、可愛いヒロインがたくさん出てきて、全員主人公に惚れて、不自然なくらいエロいシーンがあって……」

「黒松くん、凄く詳しいんだね。よく読んでるの?」


 問われた瞬間、治ははっとして口を噤んだ。


「……中学のときは、たくさん読んだよ。人形作りの資料に必要だったからな」

「あれ? 依頼は受けたくなかったんじゃないの?」

「トラブルがあったのは卒業直前の話で、それまでは作りまくってたんだよ。ラノベ、漫画、アニメ、ゲーム、どんなキャラでも依頼を受けた。……大半が美少女だったけどな」


 おかげでフィギュア作りの腕はめきめきと上達していき、嫁の立体化を望むオタク連中から引っ張りだことなった。

 件のスカートの中の造形問題に毎度悩まされたが、依頼者の喜ぶ顔のために、治は粘土と向き合い続けた。もしもトラブルがなければ、高校でも同じことをしていたのかもしれない。


「だったら、私の子供もライトノベルのキャラクターだよ。黒松くん、羽衣と富士の人形、作ってくれないかな?」

「……院長の小説は面白かったし、羽衣も富士もいいキャラしてたよ。……だけど」


 羽衣が恋に憧れている心情がよく描かれていて感情移入できたし、相手役となる富士も、羽衣を深く愛し続けていく男の強さのようなところがとても応援できるキャラだった。

 そんな二人を、この手で三次元世界に顕現させるのなら、どう作るだろうか。

微かにそんな思いを馳せたのは事実だった。……しかし、治は指摘する。


「羽衣も富士も、イラストを描いてもらえただろ。それで満足できないのか」


 ラノベであれば当然の如く、羽衣と富士が魔法のマフラーを巻き合っている構図の表紙絵が描かれていた。一目瞭然。月子の子供は、既に生み出されているのだ。

 であれば、人形作りを拒んでいる治にわざわざ頼み込む必要性はないわけで。

 治は本をパラパラとめくり、先程の原稿にはなかったイラストページを確かめてく。


「……その羽衣と富士って、黒松くんのイメージと比べてどう思う?」


 脳内で描いていた人物像と、実際に絵として描かれたキャラの容姿を比較してみると、


「羽衣はもっと深い黒髪のイメージだったな。幸薄げで、身体つきもイラストより細め。富士は絵だと背の高いイケメンって感じだけど、俺は中性的で優しげなヤツだと思ったな」

「だ、だよね、そうだよね。私もそんなイメージで書いてたよ」

「……もしかして院長、この絵師さんの絵が気に入らなかったのか?」


 月子の反応から、ふと湧いた疑問。

 本を渡す前に治の頭の中だけで想像させたのも、そんな思いがあったからなのではないか。


「そういうわけじゃないよ。イラストレーターさんが読んで、その上で考えて描いていただけたイラストだったら、多少私のイメージと違ったって、それでいいと思った」

「だったら、もういいだろ。院長の子供、作ってもらえたじゃないか」

「……でも、その人はね、自分で考えてくれなかったんだよ」


 ぼそりと零した月子。言葉の意味がわからず、治は首を傾げる。


「……先月、その人がやってる別の仕事で、騒動が起こったの。他の人が描いたイラストや漫画を、盗作しているんじゃないかって」


 予想もしていなかったことを伝えられ、一瞬言葉を失った。


「……トレパク疑惑ってことか?」


 絵を上からなぞってそっくりそのまま複製することをトレースという。

 練習としての手段ならともかく、商業作品として世に出すイラストにしていい行為ではない。


「あくまで疑惑なんだよな? 絵師さんのアンチが騒いでるだけって可能性も……」

「その人はすぐに非を認めて、謝罪と、活動休止を宣言したんだ」

「……認めたのか」


 魔が差してしまったのかもしれないが、馬鹿なことをしたものだと呆れた。イラストレーターとしての地位を得ることができたのは、少なくない努力を重ねてきたからだろうに。


「じゃあ、この本のイラストも?」

「うん。そんなタイミングで発売されたから、色んな人が調べ上げてくれたよ」


 解析班の調査は月子の本にも及んだ。それも当然かもしれない。


「……災難だったな。院長は何も悪くないのに」


 せっかくの受賞作が、騒動のせいで負の印象が付いてしまっただろう。


「初めて羽衣と富士のイラストを見せてもらったときは、涙が出そうになるくらい感動したから……こんなことになって、本当に残念だと思った」


 月子は一度言葉を切って、もうすっかり冷めてしまった紅茶を口に運んだ。


「キャラクターのイメージが全然違うはずだよね。だって、別の人が描いたものをそのまま持ってきただけなんだよ。私の子供は、他の人の子供じゃないのに」


(……だから最初、俺に本のイラストを見せたくなかったのか)

 先入観を持たないで読んでほしい。そう願われた理由がようやくわかった。


「こんな事態なんだし、イラストレーターを変更して再刊行……ってのは無理なのか」

「それは難しいんじゃないかな」

「だよな……。でも、さすがに二巻の絵師は代わるだろ? 活動休止したんだし」

「二巻、かぁ……」


 月子は顔を横に向けて窓の外を見やった。


「……黒松くん、昨日は取材とシーン再現に付き合ってくれてありがとう」

「ん? ああ、いい原稿に仕上げてくれると俺も嬉し……」

「だけどね、申し訳ないんだけど、二巻は多分出せないと思う」


 わざとらしいくらい冷静な声で、新人作家は今後の見通しを述べた。


「出せないって、いま二巻の原稿を書いてんだろ? そのためのシーン再現じゃないのかよ」

「一巻が出る前から担当さんに書いておいてって言われてたからね。でも、いまはもうこの本への悪評が立ちすぎてて、続刊なんて出したら出版元のブランドに傷が付いちゃうでしょ」

「そんな……。とりあえず担当と相談してみろよ」

「私の担当さんとは、いま連絡が取れないから無理だね」

「はあ!? なんでだよ!?」

「……倒れちゃったんだよ」

「倒れた?」


 顔を正面に戻して頷く月子の表情は、不安と心配で満ちていた。


「心の病気は長いよ。お医者さんには治せないから」


 曰く付きの絵師に仕事を依頼してしまったという自責の念が、相当苦しかったのだろうか。

 騒動は、共に本を作り上げるパートナーの健康まで奪っていった。

 ……なんということだ。月子の渾身の玉稿が、本人の与り知らぬ問題のせいで台無しではないか。そんな外野の出来事でこの美しい青春物語が評価されないなんて、理不尽過ぎる。


「……院長は、怒っていいと思うぞ」

「怒ったところでどうしようもないことだよ。そんな暇があったら二巻の原稿を書かないと」

「出せるかもわからない二巻の原稿を、いまでも書いてるのかよ」

「代理の担当さんからは『今後の対応については編集部で検討した上でご連絡させていただきます』っていう連絡しかもらってないからね。ストップがかかるまでは、書くしかないでしょ」

「だったら、まだ続刊できる可能性も……」

「そうなったらいいなって私も思うけど、まあ、無理だと思うよ」


 至極冷静に、月子は最悪の結末を述べてみせた。

 淡々と出来事を受け入れるその姿は、大人びている。

 作家として既に社会人となった人間の対応として、それは模範的なのかもしれない。

 だが、そんな彼女の様子を見て、治は沸々と熱い何かが湧き出てくるような感覚を覚えた。

(……なんで、そんなに落ち着いていられるんだよ)

 一生懸命生み出した創作物が評価され、世に出ることになった。

 それが他者の愚行によって台無しにされ、悪評を被ったまま葬り去られようとしている。

 そんなのあってはならない。認められない。だって、月子は何一つ悪くないではないか。

 ――あんた、そんなことのために人形なんか作ってたのかよ!

 ふと、治の脳裏にかつての記憶が蘇ってくる。

 ――気持ち悪い! 謝れよ、この変態! エロス大魔神!

 嫌悪に満ちた表情で治を罵倒する少女の隣には、涙を流す女の子がいて。

 違う。俺は、誰かの喜ぶ顔が見たかったから作ったんだ。

 俺が作る人形で、幸せを感じてほしかったから粘土をこねてきたんだ。

 だから、俺は悪くない。原因は、依頼してきたヤツのほうで。

 ……本当に、俺は悪くない? 手を動かしたのは俺なのに? 断ることだってできたのに?

 そうだ、全部俺が悪いのだ。取り返しのつかない罪を犯した結果、彼女を傷付けたのだ。

 だから、月子も同様で。月子にも何か瑕疵があったから、そんな目に……。

 あるわけがない。自分なんかと一緒にするな。一体月子になんの罪があるというのだ。

 彼女は、神様になっただけではないか。


「――――俺は、『恋は刹那か永遠か』、凄く好きだぞ、院長」


 はっきりと、改めて感想を伝えると、月子の目が大きくなった。


「だから、俺が褒めてやる。院長の傑作は、たまたま認められなかっただけだ」


 他者の不祥事が原因で正当な評価を得ることができなかった。不運な偶然に違いないのだ。


「そう言ってもらえると嬉しいよ」

「院長は、悔しかったんだな」

「え? い、いや、悔しいなんてそんな……」

「いいや、悔しかったはずだ。本が小説以外のところで評価されてしまって」


 月子の理想の青春を書きしたためた恋愛小説。それが第三者のせいで悪評を被ったとなれば、自身の青春が汚されてしまったも同然だ。


「悔しかったはずだ。自分の子供を作ってもらえなくて」


 物語を創作した神様として、愛情を込めて生み出した子供の容姿が実は他人のものであったなど、受け入れられるはずがない。だから治に、独自のイメージを持ってほしかったのだ。


「正直に言って、俺には院長の病気ってのがあまり理解できないし、俺の人形にそれを治す力があるとも思えない。……でも、もし小説のことで院長が悔しい思いをしているのなら、少しくらい気を楽にしてやることはできるかもしれない」

「……どうやって?」

「院長が求めているものを、提供してやることだ」


 治はプロの創作者ではない。作り上げたもので人の心を動かしてあげようなど、思い上がりも甚だしい。自分の創作物にそんな価値などないのだと、自分が一番わかっている。

 それでも、いま月子のために腕を振るえるのは、世界でただ一人、治しかいないのだ。


「だから、悔しいと言ってくれ。いまここで、心の底から、年相応に、悔しいよって愚痴をぶつけてくれ、院長。そしたら俺は、お前を、哀れに思うことができる」


 才色兼備の今上月子は、学校中から尊敬される医者の卵。

 でも、常人より優れた能力を持っていたとしても、人類であることをやめたわけではない。

 半裸の彼女を抱き締めた経験がある治にはよくわかる。月子は、血が通った人間だ。

 彼女にも、人並みに望むものがあり。しかしそれを阻む病に侵されているという。

 人間が肉に見えるなどという奇病、当事者でない者には理解するのは難しい。

 けれど、治は想像した。月子の心情に寄り添うことができる材料が、目の前にあったから。

 この小説は、まさに彼女の夢を詰め込んだ物語だったではないか。

 ――私だって、こんな青春がしてみたい。

 乙女心から溢れ出た願いの結晶が、あのような形で評価を貶められてしまったならば。

 ……想像では及びもつかないほど、悲しいし、悔しいと感じただろう。当たり前の感情だ。

 未来の院長先生も、いまは治と同じ。まだ大人にはなりきれない高校二年生にすぎない。

 そんな等身大の女の子から、治は必要とされたいと思った。

 だって、そのほうがずっと、青春の趣を感じられるのだから。


「……やっぱり、黒松くんは私のお医者さんかもしれない」

「だから、俺は医者じゃねーよ。それは未来のお前だろ、院長」

「……そうだね。それはきっと、変わらない運命だから」


 ふっと微笑んだ月子が、何か肩の荷を下ろしたように背もたれに身を預けた。

 そして、これまで誰にも見せなかった裏面を、細い声で口にする。


「黒松くん、私――悔しいよ」

「……ああ、わかるよ。俺もめちゃくちゃ悔しい。……だからさ」


 過去の呪縛を断ち切れない少年は、人形作りの依頼受付を再開する気にはまだなれない。

 だから、受け付けるのではない。こちらから願い出るのだ。

 君の子供を、俺が作りたいのだと。この二本の腕を、君のために振るいたいのだと。


「もしよかったら、俺に羽衣と富士のフィギュアを作らせてもらえないか?」


 それが、月子の喜ぶ顔のためになるのなら。

 曇りがかった孤月を、美しく輝く満月に治すことができるのなら。

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美少女フィギュアのお医者さんは青春を治せるか【大増量試し読み】 #第30回電撃小説大賞 芝宮青十/電撃文庫・電撃の新文芸 @dengekibunko

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