11

「そろそろ疲れてきました」


 そういってから、キティは小さく首を傾げた。


「疲れてきた……と思います」


 こちらを窺うような視線。ネイトはちらりと彼女のことを見て、ついでに短く瞑想をしてその体内の生命力を測る。


「だな。ちょうどいい塩梅だ。帰宅するか」


 そう答えると、キティは露骨にほっとした様子を見せた。


「よかった……今日は怒られずに済みました」


「四日か。まぁこんなもんだろ。ようやく自分の体調を把握できるようになってきたな」


 この四日間、『モンスターに攻撃を当てる』に加えてキティにはもう一つ課題が出されていた。


『前回倒れた体力になる直前に申告する』である。


 単純に自分の体調を把握できるようになれというだけの課題だが、迷宮という極限環境内でそれを行うのは意外と容易ではない。一日目と二日目はまた無理をしすぎて体力を減らしすぎネイトに叱られ、逆に三日目は余裕を持とうとしすぎて体力を残しすぎた段階で申告してまた叱られた。


 四日目でようやくちょうどいい塩梅が把握できるようになったらしい。瞑想で生命力を測り、ネイトはそう結論づける。


「その感覚を覚えておけ。それがお前の限界だ。ただしこの限界は同じパーティーの人間が完全に信頼できて、かつ戦闘を全て受け持ってもらっているという条件の上でだ」


 キティが冒険者として独り立ちをするのならば、彼女が限界とすべきラインはもっと上である。基本的に迷宮は上層ほど安全だが、帰り道での遭遇戦や地上に戻った後の処理のことを考慮しないわけにはいかない。


 地上に向かって歩き出しながら、キティが小さくため息を零した。


「体力ってどのくらいでつくんでしょう……」


「さあな。気にしたこともない」


「師匠は鍛えたりしなかったんですか?」


「俺が育ったところは盗んで走って殴ってができなきゃ死ぬ土地だったからな。物心ついたときにはそれなりに体力もあったさ」


「あっ、えっと、それは……」


「この程度、冒険者としては不幸話にも入らねぇよ。こんなのに気を遣ってたら昔話なんてできねぇぞ」


「……すみません。そういえば昔はママみたいになりたくて、体を鍛えようと色々聞いたこともあったんですけど、その、ママは……まぁ、あれでしたし……」


「あいつ、自分の娘になんていってたんだ?」


「『アタシは生まれたときから最強だった。だから強くなる方法なんて教えられないね!』……って感じでした」


「昔となーんも変わってねぇじゃねぇか……。そんで微妙にマネが似てるな、おい」


 敵のほぼ存在しない第一層を通り抜け、階段を上って地上へ。


 時刻は昼過ぎ、冒険者ギルドの広間の混み具合はほどほどだ。換金用のカウンターに寄る前に、ネイトは置かれているいくつものテーブルの内の一つへと近づく。


「そういえば初日に教えようとして忘れていたこと、今から教えるか」


「なんですか?」


「まずはテーブルに荷物を置け。そんで全部の荷物を一度取り出して、テーブルに並べろ」


 ネイトとキティはお互いの背嚢をテーブルに置いた。まだ長期間の探索などを行う段階ではないため荷物は小さく、軽い。

 その蓋を開きながら話を切り出した。


「冒険者には三つだけルールがある」


「三つだけ、ですか?」


「まぁ実際には冒険者ギルドの規則は結構いろいろあるんだが、細々としたルールは忘れていい。破った瞬間に即座に冒険者としての資格が剥奪される、そのくらいの重要なルールは三つだけ」


 指を一本立ててみせる。


「で、その一つ目は『迷宮の産物はギルド以外で売却してはならない』だ」


 キティがゆっくりと瞬きをした。

 いわれた言葉を確かめるように彼女は緩やかに首を傾げ、結局すぐに元の角度に戻す。


「当然のこと……のような気がします。でも破ったら即座に冒険者をクビになるような話なんですか?」


「当然、ね。どうして当然だと思うんだ?」


「えっと、冒険者はギルドに所属していて、ギルドは迷宮を管理することで利益を得ているからです」


「回答としては四十点だな」


 ネイトの返事を聞いて、キティは素直に頷いた。自分でも完璧な答えではないことは自覚していたのだろう。


「さて、前提として、冒険者ギルドは全ての迷宮を管理する権利と義務を抱えている。重要なのは権利であり義務でもあること、そして全ての迷宮が対象であることだ」


「冒険者ギルドはどの国にも基本的に存在しますよね。地上に発生した迷宮は、どの国でも即座にギルドの管理下に置かれるって聞きました」


「ああ。ここで問題なのは迷宮の中身は常に謎に満ちていて、その産出物も平等な価値を持つわけじゃないってことだ」


『四足徘徊骨塚』ではモンスターの核が魔術的な産物として回収されていた。『まるさんかくしかく』ではモンスターの体内から取れる砂状の物質が、建材などとして用いるために換金されている。

 しかしその市場価値は平等ではないし、モンスターの強さもまた一律ではない。


「例えばある迷宮では金塊が取れる。また別な迷宮ではゴミが取れる。売却価格が市場価値と同じ場合、お前が冒険者ならどっちに行きたい?」


「それは金塊の方に……あぁ、わかりました」


 理解の早さはさすがである。鞄から取り出した油紙を一度伸ばし、また畳み直しながらキティが続ける。


「迷宮の産物を市場で換金したら、市場価値の高いものが取れる迷宮ばかりに人が集まってしまいます。だから必ずギルドが買い取り、平等な値段にするんですね?」


 迷宮から産出されるのが金塊であれゴミであれ、ギルドが一括で買い取りをし、その値段を決定できるのならば、価値を均一にすることは可能だ。


「もう少し正確にいうと値段はまったく平等ってわけじゃないがな。迷宮の立地、モンスターの強さ、採取頻度、探索難易度、その他色々。『冒険者が均等に迷宮へと配分される』。その結果を得るために、ギルドは買い取り金額を調整する」


 加えて、とネイトは付け足す。


「迷宮の産物がどんな性質を持っているかは謎に満ちている。単純に外に持ち出すこと自体が危険である、という側面もある」


「確かに、ギルドの外に産物を持ち出したりしたら前提が崩れちゃいます……。それとこの荷物の整理に関係があるんですか?」


「理想的な話をするのなら、砂粒一つですら迷宮の外には持ち出すべきじゃない。探索を終えたらギルド会館の外に出る前に一度荷物をバラして、余計なものを持ち出していないか確かめる。これが冒険者の基本だ」


 そういいながらネイトは荷物の整理を終えた。背嚢から全ての荷物が一度取り出され、換金用の戦利品だけがより分けられ、また戻されている。

 キティの荷物はネイトのものよりも少ないが、まだ少し手間取っているようだ。彼女がおぼつかない手つきで整理をしているのを眺めていると、彼女はふと不思議そうに辺りを見回した。


「でも師匠、そんなことをしている人、私たち以外にいませんよ? というか、私たちも今日までしてませんでしたよね?」


「あー……まぁな」


 ネイトの口元に苦笑が浮かぶ。


「さっきもいったが、今のは理想論だ。発見されたばかりの大迷宮ならともかく、この街みたいな探索済みの迷宮はそこまで持ち出しの監視も厳しくない。意図的に外部で換金したら即アウトだが、砂粒一つレベルの警戒は要らねぇな」


「でも今はこうしてやっていますよね?」


「この先、お前が大迷宮には絶対行かねぇってんならいいんだがな。サボるのはいつでもできるんだ。必要な習慣はとりあえず身につけておけ」


「納得しました。冒険者としてやっていくのなら、これができるくらいの余力を残すようにしないといけないんですね」


 少女が荷物を整理し終えるのを待ち、ネイトは戦利品を持ってカウンターへと向かう。

『まるさんかくしかく』における主要な換金用産物は、モンスターの体内に蓄えられている砂状の物質だ。これはモンスターたちが自身の体を形成する材料であり、同時に地上では建材などに用いられている。


 その砂を詰めた袋を、ネイトはカウンターにどさりと乗せた。


「ほら、頼んだ」


「承知しました。ではお預かりします」


 と頷いたのは眼鏡をかけた男性の職員である。

 名前も知らないが、勤務時間がネイトたちの行動時間帯と被っているようで、ここ数日で顔は見慣れてきた。


 彼はいかにも几帳面そうな仕草で秤の皿を拭い、ネイトから預かった袋、その中に詰まっていた砂の重さを量る。単一の産物だと重量比で金額が決まる。収入の目安が立てやすくてよいと考えるべきか、面白みがないと考えるべきか。


「全て換金でよろしいですか?」


「ああ。というか毎日そう答えてんだから、聞かなくていいだろ」


「規則ですので」


 職員はにべもなくそういって、眼鏡を押し上げた。計量をする職員の手つきは、この街の迷宮に出るゴーレムよりも人間味が感じられない。

 重量の計測を待ちながらネイトはキティに話しかける。


「そういえばキティ、お祝いに欲しいものは決まったか?」


 それもまた、ここ数日ネイトが聞き続けていることだった。

 そして毎度口にしている答えを、今日もまたキティは口にした。


「大丈夫です。特に欲しいものはありません」


 わかっていた答えではあるが、ネイトは小さく溜め息を零す。


「あのな。冒険者っていうのはパーティーを組んで最初の探索を終えたら、お祝いなりパーティーなりを開くもんなんだ。これは決まりでもあり、ジンクスでもある」


 本来はキティが迷宮に潜った最初の日に行っておくべきだったことではある。しかしあの日のキティはそんなことができる状態ではなかったし、次の日にこの問いかけをして以来、キティは同じ理屈でばかり言い返してくる。


「私と師匠はパーティーを組んでますけど、私は何もしていないじゃないですか。迷宮での稼ぎは師匠の力によるものですし、必要経費ならともかく、お祝いなんてもらうしかくは私にはないです」


「迷宮での稼ぎに『誰がどのくらい頑張った』みたいな話を持ち込むな。稼ぎは頭割りが鉄則で、だから稼ぎの半分はお前のものだ」


「納得できません。労力に応じた分を師匠が受け取ってください」


 つん、とした仕草で顔を逸らすキティ。


「じゃあせめて好物でも食いにいこうぜ。なんか好きな食い物とかねぇのか?」


「師匠の好みで大丈夫です。私はそれほど量を食べるわけでもありませんし」


 キティがさほど大食いではないというのも事実だろうが、彼女が必要以上に粗食に走りたがるのも事実だ。それもまた、自分の力では稼いでいないという彼女の自覚からくるものなのだろう。


「あのよぉ……」


 言いかけた言葉を飲み込んで、ネイトはもう一度溜め息を零す。


 キティはネイトが気遣いで『お祝い』を買うよう求めていると認識しているようだが、実際には少し違う。

 迷宮探索は極めて危険な行為で、その心理的なストレスは計り知れない。それにどう折り合いをつけていくかは常に冒険者の課題であり、酒や好物によるちょっとしたパーティーはその特効薬だ。


 散在をしてでも適宜発散ができなければ、冒険者として長く活動はできないだろう。


 しかしこうした計算をそのまま伝えたところでキティが素直に『じゃあ欲しいものを買います』と言い出す未来は見えない。おざなりに安い買い物をして、『お祝い』を済ませたという体裁だけ保とうとするに違いない。

 かといってネイトが何かを買って押しつけるのもおかしな話だし、そもそもキティの好物なんて全く知らない。


「とりあえず欲しいものは考えとけよ」


 結局、そう告げるに留めた。子供らしい肩肘の張り方と見ることもできるが、普通に苛立ちも覚える。

 キティは頷いてみせたが、どう見ても納得した素振りではなかった。


「計測が終わりました。こちら、お受け取りください」


 ネイトたちの会話は聞こえていただろうに、眉一つ動かさずに作業をしていた職員。彼はトレイに乗せて数枚の硬貨を差し出してくる。


「ああ、確かに」


 手渡された金額はネイトがS級だった頃どころか、ネイトが一人で迷宮に潜っていた頃にすら及ばない。収支がマイナスになっていく焦りをおくびにも出さず、あっさりとした仕草でそれを受け取った。


 そのままネイトはキティと連れだって外に出る。


「ふぁ……まぶしい」


 ギルド会館から出た瞬間、キティが小さく呟く。

 迷宮内は別に暗いわけではないが、気分的に外の世界が『まぶしい』というのはわかる感覚だ。


「そろそろ通う飯屋も決めてぇよなぁ。毎度、よさそうな店を見繕うのも面倒だ」


「そういうものですか? 色んなお店に入るのも、楽しいと思いますけど」


「若さだなぁ……」


「若さですか? ママはいつも新しい店を探したがってましたよ」


「じゃあお前の母親も若かったんだろ」


 適当な返事をしつつ、辺りを見回す。

 昼時の通りには露天が立ち並び、どの店も腹を刺激する香りを漂わせている。探索中のエネルギー補給は細かく行っているが、それは満腹感とはほど遠い行為だ。人間的な食事を求める気持ちは強い。


 行ったことのない通りへと足を伸ばそうか。そう決めて歩き出そうとしたところで、軽い力が腰の辺りにかかった。


「師匠……あの人」


 キティがちょんとネイトの服の裾を摘まみ、視線をどこかに向けている。その視線が向いている先はちょうど今、ネイトたちが出てきたギルド会館の入り口近くだ。


 冒険者の出入りもあって人通りの絶えない場所だが、キティが誰のことを見ているのかはすぐにわかった。ちょうど入り口をのぞき込むように、おろおろとしている中年男性がいる。


 活動的なこざっぱりとした服装に、よく日に焼けた肌。年齢はネイトよりもさらに上だろう。見るからに冒険者ではない。


「あぁ、依頼人かなんかだろ。冒険者は普段、換金用の産物しか取ってこないからな。特別に何かが欲しいとかそういう場合には依頼が持ち込まれることもある」


「あの人、困っているみたいです」


「依頼の持ち込みをしたことがないんじゃねぇの。ギルドもその辺、親切な組織ってわけでもないからな」


 説明はそれで終わりで、すぐに昼飯を食べにいけるはずだった。

 しかしキティは相変わらず服の裾を離そうとはせず、同じ言葉をもう少し慎重な調子で繰り返した。


「師匠、えっと、あの人、困っているみたいです」


 言葉はそれで終わりだったが、その視線は雄弁に問いかけてきていた。どうしてあの男に声をかけないのか、と。


「あのなぁ」


 思わず大げさに首を振ってしまう。


「わざわざ依頼になんて首を突っ込むな。冒険者は迷宮の探索で稼ぐのが本分だ。依頼なんて、探索で十分稼げるようになって暇になったら手を出せばいいんだよ」


「でも……カウンターに案内するくらいはいいんじゃないですか?」


「関わるなっていってるんだよ。迷宮街で親切なんて振りまいてもいいことないぞ。何の利益にもならねぇ」


 だからあの中年男性に話しかける理由もない。ネイトとしてはそう明確に結論が出ている話だ。

 けれどキティにとってはそうではなかったらしい。

 彼女はネイトの話を聞いて、緩やかに首を傾げた。彼の意図するところが全く伝わらなかったような、本心から不思議そうな様子で。


「えっと、困っている人がいるから助けようって話ですよね? どうしてそこで利益って言葉が出てくるんですか?」


「…………」


 驚くほどかみ合っていない。ネイトとキティでは、思考や発想の前提が違いすぎるのだろう。

 これはどちらが悪いのだろうか。ネイトは思わず真剣に考えそうになってから、その思考を放棄する。考えるのも説得するのも面倒になった。


「……まぁ、いいか。お前がそうしたいっていうのなら声をかけてみてもいい」


 どうせキティの体力が尽きている以上、今日はこれ以降することなんてないのだ。昼食が少し遅れるかもしれないが、そのくらいは我慢してやろう。


 ネイトの返事を聞いて、キティはぱっと顔を輝かせた。


「えへへ、ありがとうございます、師匠!」


 そのままキティがギルド会館の入り口へと小走りに駆け出す。その後をネイトもまた大股に追った。


 物々しい武装をした冒険者たちが行き交うギルド会館は、やはり部外者からすると入りづらいのだろう。中年男性は相変わらずまごまごとしていて、近づいてくる少女の足音にも気づかなかったようだ。


「そこのおじさん、大丈夫ですか?」


「うひゃあっ!?」


 キティに声をかけられた瞬間、中年男性は大げさに飛び上がった。

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中年B級冒険者、子育てを始める ドスター・ミーナツ @dosutaamiinatu

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