10

 迷宮で何度かの遭遇戦を経てわかったのは、キティには妙な勘のよさがあるということだった。


 彼女は特に鍛えてこなかった少女であり、筋力も反射神経も単なる子供以上のものは持っていない。訓練としてのキティによる攻撃はネイトの目から見ればとろ臭く、ネイトがフォローを入れなければならない場合がほとんどだった。


 しかし逆に、彼女が攻撃をしない選択は大抵正しかった。

 敵が連携を組んで一斉にこようとしているとき、あるいは増援が迫っているときや何かを仕掛けようとしているとき。総じていえば敵に企みがあり、ネイトのフォローの手が遅れそうなタイミング。そこではキティは決して攻撃をしようとはしない。


 その勘のよさが何によるものかまではわからないが、才能があるといってもいいのかもしれない。アンジェとは全く方向性の異なるものだが、あの女の娘というだけあるということなのだろうか。


 迷宮に入ってからおよそ二時間。ネイトの大まかな感想は『思ったよりは順調』だった。少なくともこの時点でキティが積極的にモンスターに攻撃を仕掛けられる状態にまでなっているのは、予想よりもずっといいことだ。


 そうして何度目かの遭遇戦を終えて、ネイトは瞑想チャネリングによる索敵を済ませた。


「周辺に敵影はなし。少し休憩にするか」


「……師匠ってたまにやってますけど、何なんですか?」


「それ?」


「なんか目の焦点がちょっとズレるみたいな……何かやってますよね?」


 ネイトは少し目を見開く。

 瞑想をしていることを傍から見て気づかれることはあまり多くない。


「瞑想……ってそういえば説明したことなかったっけか」


「聞いたことないです。あ、そもそもその『瞑想』ってもの自体も、です」


 荷物を背負ったまま壁により掛かり、迷宮行動食を取り出す。ギルド謹製のそれは干し肉やナッツや果物を始めとした栄養価の高い食料をすりつぶし、動物性の油脂で押し固めた食べ物だ。

 保存が利き、持ち運びがしやすく、素早く栄養が取れる。迷宮探索に求められる要素が全て揃っているが、味についての冒険者間での評価は概ね二種類。『ギリギリ食べられるレベルの泥』と『ギリギリ食べられないレベルの泥』である。


 その包み紙を破きながら、ネイトはキティに問いかける。


「とりあえず、十分くらい立ったままで休憩の予定だ。疲れが溜まっているのなら座っての長い休みに切り替えるが、どうする?」


 キティは生真面目な仕草で首を振った。


「短い方のお休みで平気です」


「で……瞑想だったか。先にいっておくが、瞑想がなにかって話はしないぞ」


「なにか話しづらいことでもありましたか? そこまで無理して聞くほどでは……」


「いや、単にややこしいんだ。瞑想がなにかって話を細かくしていくと、休憩時間じゃとても足りないし、つまんねぇことを長々語ることになる。とりあえず瞑想は魔法でも魔術でもないってことだけ覚えておけばいい」


 つまり瞑想には魔力の消費がなく、同時に発動できるのは一つのみといった魔術や魔法の制限にも引っかからない。


 粘り気のある柔らかさの迷宮行動食をひとかけら、口に放り込む。


「で、瞑想を使うと、なんつーか……周囲の力の流れが読める」


「力の……流れ?」


「生き物の体の内には生命力が流れている。世界のあらゆるものの間を精気マナが巡っている。瞑想はそれを認識する技術で、そうすることで感知できる範囲内の敵を見つけたり、一時的に自分の動きを強化できるわけだ」


「索敵ができるのはわかります。他人の生命力を知ることができるんですもんね。でも強くなるっていうのはどういう理屈でですか?」


 ネイトは少し考え込んだ。

 瞑想を使っているときの視座を他人に伝えるのは難しい。それはきっと海の中しか知らない魚に地上の景色を伝えるのが困難なことに似ている。


 結局、ネイトが選んだのは正確な表現ではなくある種の比喩だった。ちょうど手元にあった迷宮行動食、その包み紙の端を指先ほどの大きさにちぎる。


「キティ、両手を前に出してみな。器を作るような感じで」


 キティが不審そうな顔をしながら、言われた通りにする。

 ネイトの立っている位置からキティの掌まではおおよそ二メートル。距離を目測してから短い間だけ瞑想を使い、周辺の把握。同時にネイトは摘まんだ包み紙の切れ端をそっと離し、右手で扇ぐ。


 ふわりと風に舞った切れ端は、そのままキティの掌に乗った。


 それがどんな意味を持つのかを理解するのには時間が必要だったのだろう。キティはただ掌に乗った紙切れを眺めて、それからぎょっと目を剥いた。


「えっ、今の、なんか変じゃないですか? えっ、あれっ?」


 キティはネイトと同じように紙切れを摘まみ、離す。

 当然ながら折り目すらつけていない紙がどう飛び、どこに落ちるのかを制御することは不可能だ。扇いだところで望んだ方向に流れてくれるはずもなく、くるくると不規則に回った紙切れがキティの後方へと流れていく。


「えっと……魔法ですか?」


「いや、だから瞑想は魔法の類いじゃない。瞑想をしている間、俺はこのくらい詳細に周囲の力の流れが見えているってことだ」


 周囲を流れる風の流れが全てわかるのだから、うまくすれば拳を振るうだけで風を砲弾のように打ち出すこともできる。自分と相手の力の流れが全てわかるのだから、うまくすれば分厚い装甲を無視して内側にだけ衝撃を通すこともできる。瞑想の応用でできることを挙げていけば切りがない。


 ネイトがかつてS級冒険者にまでなれた理由の一つは、彼が瞑想という技術を身につけていたことだろう。


「ただ、あんまり万能だと思われても困るから先にいっておくぞ。瞑想で感知できる範囲と瞑想を維持できる時間は、俺の集中力にかなり左右される」


 静止状態ならば範囲は半径百メートル、維持時間は最長でおおよそ三分。

 戦闘中ならば範囲は精々数メートルで、維持時間も数秒程度。

 それがネイトの把握している自分のスペックだ。


「極端な集中を必要とするから連発できるものでもないし、一日にできる回数にも限度があるな」


「だとしてもすごい技術なことには変わりないですよね」


 キティはまだ何度か紙を摘まんでは落としていたが、やがて諦めたのか、そのゴミをポケットに突っ込んだ。


「剣よりも先に、瞑想を覚えた方が私も役に立てるんじゃないでしょうか?」


「いい考えだが、問題点が二つある」


 指を二本立ててから、一本目を折ってみせた。


「一つ。瞑想の平均的な修行期間はおよそ十年だ。これは十年で全員が覚えられるって意味じゃなく、十年かけても覚えるやつはほんの一部。それ以上は努力するだけ無駄とされているって意味だ。そのくらい瞑想は先天的な才能に左右されやすい」


 瞑想は一度できるようになれば便利な技能だが、冒険者で使えるものが滅多にいないのはこの習得までの難易度のせいだ。明日をも知れない仕事をしているものがかけるには、十年という期間はあまりにも長すぎる。


「……私がちゃんと剣を振れるようになる方がさすがに早そうですね」


「で、二つ目。俺はちょっとしたズルで瞑想を覚えたんだ」


「ズル、ですか」


「ああ。だから通常の修行はしていないし、他人に教えることもできない」


 ズルの内容を意図的に避けたのはキティにも伝わっただろう。しかし彼女はそこに踏み込んでこようとはしなかった。


「残念です。覚えられたらきっと便利なのに」


 話し込んでいるうちに、そろそろ休憩時間が終わろうとしている。いくらか減った迷宮行動食を包み直し、再び鞄の中へ。キティもまた動き出すための準備をし始めて、そこでふと気になったように動きを止めた。


「……気づいたこと、いっていいですか?」


「なんだ?」


「師匠の覚えてる技って、なんかズルで覚えたものが多くないですか?」


「…………」


 いわれてみれば、確かにそうである。


 瞑想にしろ、魔術にしろ、あるいはいくつかの剣技にしろ。ネイトの持っている技術の多くはまっとうではない学習方法に根ざしていることが多い。

 なんと答えたものか少し迷って、結局ネイトはこういった。


「冒険者なんてそんなもんだ」


「なんか、うまく誤魔化されている気がします」


「そういうときは黙って誤魔化されておくもんだぞ」


 ネイトは壁から背中を離し、一度調子を確かめるように肩をぐるりと回した。


 再び移動を始めたネイトたちだったが、しばらくの間は戦闘はなかった。冒険者の分布を決めるのは危険度と報酬の釣り合いであり、基本的に迷宮の危険度は深度と比例している。迷宮『まるさんかくしかく』の第二層はかなり浅く、それなりに人の多い層だ。


 ネイトの手には余る遭遇戦を避け、他のパーティーが既に戦闘をしている部屋を避け。そうしているうちに何度かの戦闘をやり過ごし、ようやく戦ってもいいモンスターを見つけたのはネイトが少しの退屈を覚え始めた頃だった。


 部屋の外から中を確認する。見えているのはキューブが一体、ボールが二体。近場に他モンスターの気配はないので、増援が来るとしても戦闘開始後それなりに時間が経ってからだ。

 ちょうどいい塩梅だろう、とネイトは判断する。


「敵が二体以下になるまでは仕掛けるなよ」


 一応そう伝えると、キティは小さく頷いた。


 上り坂を越えて部屋の中へ。こちらの存在に反応したモンスターたちが一斉に動き出す。

『まるさんかくしかく』のモンスターは連携が巧みで判断速度も早いが、動きそのものには柔軟性がない。


 キューブはその体格を利用してネイトたちを壁際に追い詰めるように動き、ボールの一体がそれの補助。そしてもう一体のボールは球状を維持したまま壁際を転がり始め、こちらに隙があれば突っ込んでこようという構え。

 全てネイトが『そうなるだろう』と予想していたままの行動だった。


「さて、と……」


 キティがついてこられる速度で、なおかつキューブに追い詰められないように移動。同時に一体のボールの攻撃をさばき、もう一体が突っ込んでこないように牽制をする。

 手数こそ多いが、ボールの攻撃もそろそろ見慣れてきた。迷いなく振るわれるネイトの剣が装甲の内側にいくつもの裂傷を刻み、足の一本が機能不全を起こす。


 足を切られたボールが姿勢を崩した瞬間、ネイトはわざと隙を見せる。


 計算された隙に、案の定もう一体のボールは食いついた。高速回転によって突っ込んでくるボール。ネイトは近場にいた方のボールを蹴り、その軌道上から回避する。


「よっと」


 狙い通り、二体のボールが衝突した。


 派手な破砕音とともにぶつかり合い、足を切られていた方のボールが酷く損傷する。行動不能になればいいくらいの狙いだったが、幸い今の一撃で完全に機能停止したようだ。

 もう一体のボールも損傷は小さくない。装甲には大きく亀裂が入り、もう回転による高速移動はできないだろう。キューブがようやくネイトを射程範囲内に収めるが、あまりにも遅すぎる。


「で……」


 そろそろだろう、と予想していた。


『まるさんかくしかく』のモンスターの動きを覚えるのと同じくらい、ネイトはキティの呼吸を覚えていた。きっと彼女が狙うとしたら、敵の一体が欠けたこのタイミングだ。


「せぇ――のっ!」


 やはりキティは駆け出した。

 その小さな体が加速し、衝突の衝撃から回復していないボールを目指す。今回はネイトのフォローは必要なさそうだ。ボールが立ち上がるより、キティのナイフの切っ先がその装甲を掠める方が早い。


 ネイトは迫るキューブへと対応しようとして、


「――きゃっ!?」


 背後でかすかな悲鳴を聞いた。


 慌てて振り返れば、キティが走った勢いもそのままに地面に倒れるところだった。操り人形の糸が切れたように、その体が無造作に崩れ落ちる。


「……マジかよ!」


 即座にネイトは方向転換。キティの元へと駆け寄り、彼女のことを左腕で抱え込む。同時に右手と剣を背中側へと回した。


 直後、衝撃。


「ぐっ――」


 キューブの鈍重な一撃を、剣の腹を背中で支えるようにしてどうにか受ける。

 あえてその場に踏みとどまりはせず、キューブの腕の力を利用するように、衝撃のままに跳躍した。


 ネイトの体は軽々と数メートルも吹き飛び、空中で体をひねることでどうにか足から着地することに成功する。


 キティのことを地面に下ろし、その様子を見る。彼女の頬は汗によってびっしょりと濡れ、その呼吸は水から上がったように浅く早かった。尋常な様子ではないが、まだ部屋の中には二体のモンスターがいて細かく見ている暇はない。


「し、ししょ――」


「――そこで座ってろ!」


 痺れの残る右手で剣を握り直し、走り出す。


 こちらに向かおうとしていたボールへと急接近し、衝突寸前でネイトはスライディング。その六脚の隙間を縫って後方に回りながら、素早くボールの足を切りつける。

 ネイトがボールの下をくぐったことで、同時に攻撃をしようとしていたキューブの目測が狂ったらしい。スライディングから立ち上がった勢いのままに、キューブの腕の内側へと潜り込む。


 素早く呼吸をし、瞑想。


「そぉ、ら!」


 分厚い装甲と巨体によって守れた中枢部分。そこへと打撃の衝撃を無理矢理通し、内側から破砕する。


 キューブが崩れ落ちるのを待たずに再反転。ボールもまたネイトのことを追おうとしていたが、足に作られた傷のせいで動きは鈍っている。

 四本の足による攻撃を身をひねって躱し、胴体部分に剣を突き込む。そのまま真横に切り裂くと同時に、ボールの六本の足からも力が抜け落ちた。


 数秒、完全にモンスターたちが死んだことを確認し、ネイトは息を吐き出す。


「……はぁ」


 瞑想による精神的疲労と、ボールの脚をかいくぐった際に体を掠めた攻撃による軽い負傷。さっさと決着をつけるためだったとはいえ、無茶をした代償はしっかりと返ってきている。


 やっぱりこういうのは自分には向いていない。そんなことを考えながら、ネイトは足早にキティの下まで戻った。


「おい、どうした。層変異か?」


「い、いえ、違う……と……思うんですけど……」


 キティの肩は服越しにもわかるほど震え、上体を支えている腕も弱々しい。

 瞑想を使って体内の生命力をのぞき見るべきか悩み、しかしすぐに思い出した。まだ冒険者に成り立てだった頃、こうした症状は何度か見たことがある。少なくとも彼女の体質に関連した未知の異常ではなかったことに安心する。


 ネイトが吐き出した言葉には、少しだけ呆れが混ざっていた。


「お前……疲れているのを隠してただろ」


「……え、えぇっと?」


「なんというか、無理して動きすぎた揺り戻しだ。迷宮初心者がたまになっているのを見たことがある」


 疲れを自覚しないまま、あるいは押し隠して動き続け、不意に閾値を超えて倒れる。単なる疲労の類いだ。


 そういえば休憩は短い方でいいと言い張っていた。そんなことを今更思い出しながら、ネイトはキティのことを片手で担ぎ上げる。


「きゃっ、し、師匠……!?」


「今日はもう撤収だ。そんな状態で迷宮探索なんてやれるわけないだろ」


「だ、大丈夫です……! 少し休めばすぐに動けるようになりますから……!」


「ならない。引き際を自覚するのも冒険者の仕事だ」


 キティはまだもだもだと何かをいっていたが、結局はすぐに諦めた。ネイトの肩の上で彼女は大人しくなる。

 彼女の体は大して重くはないが、さすがに子供を担ぎ上げたままで戦うつもりはない。幸いにしてここは浅い階層なので、遭遇を避けながら地上に上がるのは簡単だろう。


「……ごめんなさい」


 肩の上から聞こえた小さな声は、面倒なので聞こえなかったことにした。






「うーむ……」


 その日の夜、ネイトは宿の部屋で一人腕組みをしていた。


 彼の前にあるのは日頃から持ち歩いている小さなメモ帳である。雑多な記録が書き込まれているそのメモ帳の一番新しいページには、いくつもの細々とした数字が並んでいた。

 今、財布の中に入っている金額、日々の生活にかかる費用、迷宮間の移動に必要な旅費、そして今日迷宮で稼げた報酬の数字である。


「ううーむ……」


 端的にいえば、厳しい。

 今日見えたキティの体力からすると、丸一日迷宮に潜っているというのは不可能だろう。それはつまり予定していたほどの収入が見込めないという意味になる。


 まだ日々の生活に困窮するほどではないが、旅を続けていくのならばある程度の貯蓄は必要である。どこかで収入を確保する必要がある。


 真っ先に思いつく対応は、ネイトが一人で迷宮に潜るというものだ。


 キティの体力の限界まで二人で探索し、一度帰還してキティを地上に戻す。それからもう一度迷宮へ。効率は悪いが十分に可能だし、これならばキティを連れていては潜れないより深層へ、より高い報酬を求めていくことができる。


「……けどなぁ。ちょっと不用心だよなぁ」


 迷宮街は冒険者が集う関係上、どうしたって治安が悪い。冒険者ギルドが目を見張らせているから派手な問題を起こすものは少ないが、冒険者という存在自体が基本的には剣呑だ。


『四足徘徊骨塚』の宿屋は長い付き合いがあり信頼ができたからよかったが、まだ信頼がおけるかもわからない宿屋に無力な少女を放置するというのはぞっとしない話である。


 キティを連れながらでは十分に稼げず、かといってキティを置いていくのも望ましくない。ワインを口に運びながらしばらく考えていたが、答えは出なかった。


「ま、考えてもどうしようもねぇことは、どうしようもねぇよな」


 そう投げやりな結論を出したところで、背後でもぞりと動く気配がした。


 部屋に置かれた二つのベッドの片方、そこにあった毛布の小さな盛り上がりがうごめく。もぞもぞと毛布が引き剥がされ、キティの黒い頭が内側から現れた。


「……おはようございます」


 まだ眠気の残った目で彼女がいう。

 ネイトはメモ帳を閉じて懐にしまった。


「おはよう。自分がどこにいるかはわかるか?」


 キティの意識が保っていたのは地上に上がる辺りまでだった。疲労が限界を迎えた彼女は気絶するように眠ってしまっていたので、宿について早々にベッドに放り込んでおいたのである。


 ゆっくりと周囲を見回してから、キティが一度瞬きをする。どうやら記憶が蘇ってきたらしい。


「ごめんなさい……私、倒れてしまって……」


「別に。体調は?」


「問題ないです」


 とキティはいったが、どう見ても疲れが残っている。

 ネイトは思い切りため息を吐き出す。とげとげしくしたつもりはないが、キティがその肩をびくりと跳ねさせた。


「あのな。今日のお前の失敗が何かわかるか?」


「攻撃をしようとして、思い切り転びました。そのせいで師匠に迷惑をかけました」


「回答としてはゼロ点だ」


 ネイトの返事は予想外だったようで、キティが大きく目を見開く。


「いいか、迷宮に入るときにいったろ。お前の課題はモンスターに攻撃を当てること、その際に俺のフォローを受けないこと。ただし問題が起きたら俺が必ずフォローする。だからお前が転んだことそのものは問題じゃない」


 実際、今日の戦闘は一度もネイトの手からこぼれ落ちなかった。予想外の展開もあったが、十分に取られた安全マージンの中で制御されていた。


「お前の問題は疲れを自覚しなかったこと、それと申告しなかったことだ」


「で、でもあんなに急に倒れるとは思わなくて……」


「なら途中の小休憩のとき、お前は無理をしなかったって心からいえるか? あのとき、疲れているけど俺に気を遣うなり何なりで虚勢を張らなかったか?」


「うっ……」


 図星だったらしい。キティがうつむく。


「倒れるほどだとは思わなかったにしろ、無理はしたんだろ。迷宮で見栄を張るな」


「……ごめんなさい」


 蚊の鳴くような声で謝られて、ネイトは内心で少し困惑する。

 冒険者というのは大抵、こういう言葉をかけると反発してくるものだ。そしてネイトはその反発を予定してしゃべっているので、あまり真に受けられるとそれはそれで困る。


 妙に居心地の悪い思いをして、椅子の上で姿勢を直す。それから首を振った。


「で、俺の失敗は『そうなるだろう』ってことを予想できなかったことだ」


「……え?」


「初心者を迷宮に連れていったんだから、この種の問題は予想しておくべきだった。体調を見誤る新人冒険者なんて珍しくもない」


 そこまで話してから一度手を打つ。


「お前もミスをした、俺もミスをした。お互い一回ずつ失敗したんだし、今日はおあいこってことにしておこう」


 ネイトの言葉を聞いて、キティは数度瞬きをした。

 彼女の口元に弱々しいながらも笑みのようなものが浮かぶ。


「なんか、うまく誤魔化されている気がします」


「そういうときは黙って誤魔化されておくもんだぞ」


 そういって、ネイトは立ち上がった。まだ併設されている食堂は開いている時間だろう。


「さ、とっとと切り替えるぞ。まずは飯にしよう」


 キティはまだいくらか沈んだ様子だったが、それでも元気に返事をした。


「……はい!」

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