09

 迷宮『まるさんかくしかく』はいくつもの部屋が廊下によって複雑につながった構造をしている――と表現すると実態以上に平凡な印象を与えてしまうだろう。


 部屋自体の構造は単純だ。大きさこそまちまちだが、どの部屋も完璧な直線によって構成されている。迷宮街の方でも見た素材によって極めて平坦な造りをしている以外には特筆すべき点はない。


 問題は、それをつなぐ廊下の方だ。

 壁、床、天井を問わず部屋には大小様々な無数の穴が開いている。穴あきチーズを連想するようなその丸い穴が、この迷宮における廊下である。

 上下左右にうねる廊下は、部屋同士を立体的に結びつけている。もしも遠くからこの迷宮の全容を眺めることができたのなら、それはきっとアリの巣によく似ていることだろう。


『まるさんかくしかく』第二層、その廊下でネイトはこういった。


「とりあえず、お前が達成すべき目標を伝えておくぞ」


「目標……ですか」


「俺は剣術なんて習ったことがないから、当然お前に教えることもできない。けどただついてくるだけじゃお前はいつまで経っても強くなれないだろ」


 自在な方向に蛇行する廊下の多くは、人ではとてもたどれない道になっている。必然的に冒険者が選ぶ廊下は限られていて、特に歩きやすい道は酷く混雑することになる。


 混雑を嫌ったネイトが選んだ道は、つまり人を寄せ付けない急勾配を描いていた。傾斜で足を滑らせないように先行し、キティが追いつくのを少し待つ。


「だからお前の当面の目標は、敵に剣で触れることだ」


「触れる、だけですか? 切るとか当てるとかの表現を避けたのは意図的ですよね?」


「ああ、今のところ、お前はまだそういうのが期待できる段階じゃない。下手に戦果を出そうなんて考えると、きっと面倒な事態になる」


 挑発的な言葉を選んでみたが、キティは至極納得した様子で頷いた。


「確かに。いわれても困ってしまいますし」


「…………」


 普通の冒険者は、初めて迷宮に入ったときであってももう少し自負と自信に満ちあふれているはずだ。モンスターたちを打ち倒し一攫千金という野望を抱かない限り、人は冒険者にはならないのだから。

 この辺りはやはりモチベーションの違いだろうか。


 黙り込んだネイトのことを、キティがいぶかしげに見つめてくる。


「どうかしましたか?」


「……いや」


 迷宮でモンスターに立ち向かうのは容易なことではない。モンスターを打ち倒す以前に、モンスターに向かって剣を振りかざし、斬りかかること自体に並々ならぬ恐怖が伴うからだ。

 大抵の冒険者はそれを強い動機で乗り越える。金銭への欲望であったり、虚栄心であったり、無謀な自負であったりと様々だが、どんな冒険者も恐ろしいモンスターの前に立つだけの理由がある。あるいは乗り越えられなかったものは死ぬか逃げるかで冒険者にはなれず、乗り越えられたものだけが冒険者になる。


 しかしそれはキティにあるのだろうか?


 この調子で冒険者としてやっていけるのだろうかと思うが、今更いっても仕方がない。


「とにかく、それで当てるだけなんですね」


「ああ。戦いでの呼吸の仕方、剣の振り方、体の動かし方。その辺に慣れていかないとな」


「もしも私が失敗したら……」


「俺がフォローする。お前が突然転ぼうが武器を落とそうが寝始めようが、このくらいの階層なら問題ないから安心しろ」


「さすがに寝たりはしないです」


 しょうもない軽口にもキティはわざわざ突っ込みを入れる。


「もちろん、俺のフォローを前提には動くなよ。フォローされないで当てるのが目標だからな」


「やるべきことはわかりました。覚悟も……決めました。大丈夫です」


「じゃあ行くか。まぁ、そんなに気負うなよ」


 そういったネイトはちょうど廊下の終わりに到着する。壁の高い位置に設けられた出口から、迷宮の部屋の一つへと飛び降りた。


「さて、と」


 迷宮『まるさんかくしかく』に出現するモンスターはゴーレム系統であるといわれている。厳密な話をすれば魔術師が使うゴーレムとは作動方式が全く異なるのだが、世間一般においては無機物が生物のように動いていればおおよそがゴーレムと呼ばれることになる。


 着地した部屋にはそうしたうちの二種類がいた。


 一種は一辺が二メートルばかりの完璧な立方体。部屋の中央に鎮座していたそれは、ネイトたちを――目も耳もありはしないが――認識すると動き始める。滑らかな面に裂け目が走り、その外装が割れる。立方体のある面は縦に割れて二つの大きな盾のようになり、ある面は細長く分割されて不格好な足のようになる。

 内側に詰まっているのは粘ついた筋肉のような、奇妙な黒ずんだ組織だ。生物的な動きで伸び縮みをした筋組織が、曖昧な四肢のようなものを作り上げる。


 角張った鎧のようなそのモンスターは、キューブと呼ばれている。


 もう一種は頭上に開いた廊下からやってきた。掌に載るほどの大きさの影が、いくつも飛び込んでくる。キューブの周囲を緩やかに旋回しているのは、その頂点のそれぞれに穴が開いた正三角錐である。


 宙を舞うそのモンスターは、ピラミッドと呼ばれている。


「モンスター……!」


 ネイトに続いて部屋に着地したキティが、緊張の滲んだ声を漏らす。


 正直にいえば迷宮内であまり雑談をしたり、へらへらと笑ったりするのは好きではない。だがキティは今日が初めての迷宮だし、彼女の傍にいるのは母親ではなく、よく知りもしないおっさんだ。

 仕方なしにネイトはわざとらしいくらいの笑みを浮かべ、彼女にいった。


「心配すんな。とりあえずそこで見てな」


 いうなり、駆け出す。


 改めて確認。室内にいるのはキューブが一体、その周囲を飛び回るピラミッドが四体。見通しはよく、他に敵が潜んでいる気配はない。

 剣を抜き放ったネイトを敵と見定めたのか、モンスターたちの注意が一斉にこちらを向く。どのモンスターにも顔はないので、そんな気配がするというだけだが。


 間合いが詰まる。


 真っ先に動いたのはキューブだった。その巨大な盾状の腕を振りかぶり、勢いよく打ち付けてくる。秘められた威力は恐ろしいが、ネイトを捉えるにしては鈍重すぎる。盾が砕いたのは迷宮の床のみだった。

 直前で身をひねって盾を躱したネイトは、そのまま盾の側面を蹴りつけて跳躍。


「……よっと!」


 三角飛びの要領で大きく高さを稼ぎ、キューブの天面に着地。


 同時にピラミッドたちが甲高い振動音を響かせた。計四体のうち二体はその頂点の一つをネイトへと向け、一体は大きく旋回するように加速。こちらに突っ込んでくる構えだろう。

 そしてもう一体はその向きをキティの方に変えた。


「おっと」


 ネイトは剣をキューブの頂面の外装の隙間に突き立てると、その柄を踏んで剣を置き去りに跳躍。


 ピラミッドの二体が射出してきた弾体――ギルドの迷宮読本によれば外装と同じ素材の針――を躱すと同時に、ベルトから引き抜いた寸鉄を投擲。寸鉄はキティの方を向いた一体を狙い過たず捉えた。小型であるということは外装もまた薄いようで、一撃で貫通したそれは撃墜される。


 残っていた一体の突撃がくる。

 が、これは織り込み済みだ。こちらの胴体めがけてきた突撃を、ネイトは空中で体をひねって回避。どころかそのピラミッドを踏みつけにして空中で再跳躍し、天井へと逆さまに着地した。


 重力によって落下が始まるよりも前に、ネイトは両膝を曲げて力を溜める。


「そぉ……れっ!」


 そして渾身の力で天井を蹴って踏み切った。


 脚力と重力に後押しされたネイトの体は矢のような速度を得る。その勢いのままに彼が蹴りつけたのは、先ほどキューブの上に突き立てておいた自身の剣だ。頑丈さばかりが自慢の剣はその衝撃を完全に受け止め、その下へと伝える。


 直後、キューブは内側に向かってへし折れた。


 柄も完全に埋まるほどに剣がめり込んだのだから当然である。外装が砕け、内側に詰まった筋肉が撒き散らされる。


 断末魔も残さずに息絶えたキューブ、そこに埋まった剣の柄に乗りながら、ネイトは周囲を索敵。先ほど踏みつけにしたピラミッドも、あのまま地面に叩きつけられて動きを止めている。

 つまり残っているのは射撃に回ったピラミッドの二体だけ。戸惑うような感情もないだろうが、現状を把握するように動きを止めた二体は隙だらけだ。


 ネイトはキューブの砕けた外装のかけらを拾って、二つ同時に投げた。


「はい、これで終わり」


 二体のピラミッドが投擲を受けて砕け、今回の遭遇戦は終わりを迎えた。


 キューブの死骸に埋まった剣を引き抜き、表面についた粘つく液体を軽く払う。周囲の警戒は維持したままで、入ってきた廊下の方へと置き去りにしたキティを見遣る。


 彼女は珍しく、ぽかんとした表情を浮かべていた。


「師匠……本当に強かったんですね」


「なんだよ、疑ってたのかよ」


「ママと同じパーティだったので疑ってはいませんでしたけど……」


 キティの視線がネイトと既に倒れたモンスターたちの上を行き来する。戦闘はほんの数秒のことで、彼女から見たらネイトが飛び込んだと思ったら敵が全滅していたくらいの認識だろう。

 その視線が雄弁に語っているのは『ここまでだとは思わなかった』である。口に出すのはためらったようだが。


「ま、これで俺の実力はわかっただろ。次からはこんな派手にはやらないからな、疲れるし」


「えっと、次は換金用の素材の確保ですよね。モンスターをバラさないと……」


 キティの発言は正しいが、残念ながら今のタイミングではできないようだった。

 かすかな気配をネイトは背筋で感じ取り、キティに少し下がるよう手で示した。


「……さっきの戦闘でおびき寄せてたか」


 ごろり、と人間ほどの大きさの球体が室内に入ってくる。

 ネイトたちが見ている前で、その球体の下半分に放射状の亀裂が走る。亀裂に沿って外装が展開し、まるで六本足のクモのような姿へと変わった。

 そのモンスターの名前をキティが呼ぶ。


「ボール……でしたっけ」


 キティのつぶやきが聞こえたのでもないだろうが、ボールがこちらを向く。


 この迷宮の浅層に出るモンスターは、おおむねこの三種類だ。ボールまるピラミッドさんかくキューブしかく。そして事前に調べた中で最も厄介だと感じたのが、このボールである。


 キューブは固いが鈍重。ピラミッドは飛ぶのが面倒だが攻撃力が低い。対してボールは刃が滑りやすい球状の外装と、転がっての高速移動。加えて六本の足による手数を併せ持っている。


 ネイトが剣を握り直した瞬間、ボールは六本の足をうごめかせながら襲いかかってくる。


「さて……」


 キティを背後に庇いながら、その攻撃を剣で弾く。


 今度は派手に立ち回って早く決着をつけようとはしなかった。むしろ一つ一つの打ち合いを吟味するように、ネイトは丁寧に敵の攻撃をさばいていく。

 その理由の一つは先ほどキティにいったようにそんなことをするのは疲れるからだが、もう一つはこの迷宮の危険度を実際に計ってみるためだった。


 こうして打ち合ってみればわかる。

 ボール一体であればネイトにとっては脅威にならない。これが二体に増えても同じだろう。恐らく、三体まで増えてもネイトは平気だろうが、その辺りからキティへのフォローの手が遅れる可能性が出てくる。

 ならキューブがいたら。ピラミッドがいたら。その場合は何体までが安全マージンを取れていて、どこからが警戒すべき水準か。この迷宮は機動力の高いボールとピラミッドのお陰で、特に不意の増援や遭遇戦が発生しやすい。


 丸い体で器用にバランスを取りながら、ボールは足のうち二本から四本を使って自在に攻撃を仕掛けてくる。その足を剣では弾くたびにボールの外装はかすかに欠け、あるいは内側の筋肉に裂傷が走る。痛みを気にする様子がないのがやや面倒だ。


 弾くことおおよそ二十回。

 それでネイトは満足した。


「まぁ、こんなもんか。じゃあ――」


 検証に付き合ってもらったボールを倒してしまおう。

 十分な情報は得たと判断して、剣を握る手に力を込めた瞬間だった。背後で小さな気配が動き出すのを感じる。


「やっ、あぁぁぁあああっ!」


 か細い鬨の声を上げながらキティが駆け出す。

 今動くのか。そう意外に思ったのは、彼女がナイフを手に敵に向かうとしたら、もう少し先のことだと思っていたからだ。


 だがキティは奥歯をかみしめ、彼女から見れば巨大だろうモンスターに立ち向かってみせた。小さくしなやかな体が、一直線にボールへと突っ込む。


 即座にネイトもまた動いた。


 左足でボールの一脚を払い、右手の剣で一脚を大きく弾き上げる。上下に揺さぶられる形になったボールはバランスを崩し、その胴体をさらけ出した。


「りゃあっ!」


 キティのナイフがボールに当たる。


 内側の筋肉を捉えたその一撃は浅く、なんらモンスターにダメージを与えるようなものではなかったが、間違いなく当たっていた。


「よっと」


 全力で突っ込んだのだろう。ボールに当てた一撃の勢いそのままにキティがすっ転ぶ。

 そうなるだろうと予想していたネイトはボールの胴体を蹴飛ばし、大きく後退させた。体勢を取り戻す暇を与えいないまま、剣を突き込んで中枢部を破壊。モンスターの息の根を止める。


 ボールが完全に死んだこと、周囲に他の敵の気配がないことをきちんと確認してから、ネイトはキティの方を振り返った。


「……やった」


 ぺたんと尻餅をついていたキティが、そう呟いた。

 彼女は呟いてから初めて実感が生まれたように自分の両手を見下ろす。その頬に緩やかに赤みが差していき、やがてぱっと顔を上げる。こちらを見た瞳は、喜びでキラキラと輝いていた。


「やった! やりましたよ、師匠! 見てましたか、私、当てましたよ!」


「…………」


 正直にいえば、いうべきことは色々あった。

 飛び出すタイミングが適切ではなかったし、キティの一撃を当てるためにネイトはボールの体勢を大きく崩してやった。つまりネイトのフォローなしで当てる、という目標に対しては不十分な行動だった。


 ただ必死だったキティはネイトが援護したことも気づいていないだろうし、それに何よりも彼女は初めて、自らの意思でもって迷宮の恐怖に立ち向かったのだ。

 もう子供の頃の記憶なんて色褪せたが、そうすることにどれだけの勇気を振り絞る必要があるかは、さすがにまだ忘れていない。


 ネイトはキティに手を差し伸べて、今いうべきたった一つのことを口にした。


「よくやった。上出来だ」


 ネイトの手に掴まって立ちながら、キティははにかむように笑った。


「えへへ、ありがとうございます」

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