08

「じゃあお疲れ! 俺は商品の運び入れの手続きがあるからよ! また機会があったらよろしくな!」


 そういった行商人が、ネイトたちを下ろして去っていく。

 その背中が角を曲がって見えなくなるまで待ってから、感慨深そうにキティが呟いた。


「ここが迷宮『まるさんかくしかく』ですか」


「正確には迷宮じゃなくて、その周りの迷宮街だけどな」


 迷宮街はそこが擁する迷宮の影響を強く受ける。特に迷宮内で建物の建材となるようなものが産出される場合には顕著だ。


『まるさんかくしかく』の迷宮街はまさしくその一例だった。


 建物を構築しているのは陶器のようなつるつるとした素材である。しかしそれを煉瓦のように画一的に切り出して、積み上げることで建物を作っているのだから、明らかに尋常の素材ではない。

 見るからに脆そうで建物の傍に立つのに少し恐怖を覚えてしまうが、事前に聞いた情報だとあれはそこらの岩よりも頑丈なので心配は要らないらしい。


 建物の壁を眺めていたネイトとは対照的に、キティは人波の方に目を引かれているようだった。


「……人が多いですね」


 実際、ほとんど終わりかけだった『四足徘徊骨塚』と違って、『まるさんかくしかく』はまだ規模の大きな迷宮だ。

 道を行き交う人々は多く、その中で冒険者が占める割合は高い。前の街のように新人や一線を引いたロートルばかりではなく、現役で働いている類いの冒険者だ。もっともここは大迷宮ではないので、数は多くとも精鋭揃いというわけではなさそうだが。


「えっと、とりあえず武器屋は……」


 画一的な煉瓦で作られた街並みは地元の住人でも迷いやすいのか、通りのあちこちには標識や看板が立っている。


 適当に目星をつけて歩き出そうとしたネイトは、腰にかかったかすかな力で足を止めた。


「……ん?」


 振り返れば、キティがネイトの服の裾を小さく摘まんでいた。

 彼女のそんな仕草を見たのは初めてだ。思わず瞬きをしてしまう。


「師匠?」


 その動作はキティにとってもほとんど無意識だったらしい。

 どうしてネイトが立ち止まったのか、いぶかしむように彼女はこちらを見つめてきて、それから自分の右手が伸びている先に気づいた。


「えっ、わっ、これは……その……!?」


 ばっと勢いよく手が離される。その頬は見る見るうちに赤色に染まっていった。


 考えてみれば彼女がいたのは冒険者も寄りつかないような危険地域で、その後は人の離れた小迷宮『四足徘徊骨塚』だった。こんな人波を見るのは久しぶりか、もしかすれば初めてですらあるのかもしれない。

 ネイトは大げさに鼻を鳴らしてみせる。


「どうした? 右手を貸してやろうか?」


「い、要らないです……っ!」


 キティはそういってから、少し口を尖らせて付け加えた。


「……服の裾だけ、貸してください」


 苦笑いとともに服の裾に小さな重さがかかるのを待つ。

 いつも通りに踏み出そうとしてすぐに考え直した。ネイトの普段の歩幅で歩いたら、キティは小走りにならないと追いつけないだろう。

 意識して歩幅を小さくし、ゆっくりと足を運ぶ。キティはその後ろをちょこちょことした足取りでついてきた。


 そんな移動だったものだから、武器屋についたときにはすっかり腰や膝の裏に張りを覚えてしまっていた。


「ついたぞ。ギルド直営の武器屋はどこも似たようなもんだな」


 よくいえば安定した、悪くいえば代わり映えのしない品揃えがギルド直営店の特徴だ。それこそが彼らに求められる役割でもあるが。


 店内に入って即座に狭苦しさを感じるのは、店の半分ほどが鉄格子によって仕切られているせいだ。鉄格子のこちら側にあるのは数打ちの量産品や小型の武器、高級品や危険な大型武器は全て格子の向こう側に並べられている。


「おおー……」


 とキティが小さく呟くのが聞こえた。武器屋など冒険者か狩猟者でもなければくることはないし、多種多様な武器が並ぶ様は壮観だろう。


 ネイトの裾を離したキティが辺りを軽く見回す。幸いにして街に到着したのが早朝だったこともあり、店内は空いている。子供が一人ふらふらとしていたところで問題はない。


 くるりとこちらを振り返ったキティが、首を傾げた。


「それで師匠、どんな武器を選ぶんですか?」


 ネイトは真面目な顔で頷いた。


「で、どんな武器にしたらいいと思う?」


「えぇ……」


 キティの表情が呆れたように歪む。


「師匠。師匠は私に冒険者としてのノウハウを教えてくれるんですよね? 師匠が昔習った武器とかでいいんじゃないですか」


「お前はどうも冒険者って仕事を誤解しているな。冒険者には流派なんてないし、剣術を習ったりもしないぞ」


「そう……なんですか?」


「基本的に冒険者ってのは食い詰めた連中がなる仕事だ。剣術を習えるような裕福な生まれの奴らは騎士とか兵士とか狩猟者とか、もっとまともな仕事に就くもんだ」


 厳密には、と肩をすくめる。


「アビス流、ごちそう流、赤錆金槌殺法ラスト・ハンマー・アーツ……冒険者の流派もないではない。が、そういうのをきちんと習った奴らはごく少数派だな」


「師匠も習っていないんですか?」


「いくつかの技はズルして盗んだが、きちんと習ったことはねぇな」


「そうですか……。S級だった師匠でも、剣術は習っていなかったんですね」


「お前の母親も、な。だから最初に持つべき武器が何かっていわれても、わかんねぇんだなこれが」


「でも師匠もママも、『最初の武器』はあったんですよね? それは何を使っていたんですか?」


「あいつは、えーと、確か昔にそんな話をしたような……」


 初心者だった頃の失敗談は、冒険者同士での定番ネタだ。

 パーティーを組んでいた頃にしたアンジェとの雑談をどうにか思い出す。


「アンジェは普通の片手剣だったはず。死体から拾った錆びた剣で、大人向けのサイズのやつ。その頃は身長が足りなくて、背負って両手剣みたいに使ってたとか」


「片手剣……」


 呟いたキティの視線が、ネイトの腰に向く。


「師匠、その剣、ちょっと借りていいですか?」


「ん? あぁ、ほらよ」


 ベルトごと剣を外し、キティの両手に乗せてやる。受け取ったキティはその重みに驚いたように、一度大きく姿勢を崩した。


「……うーん」


 とキティがうなる。ネイトも口には出さなかったが似たような気持ちだ。

 ネイトの剣を両手で持ってみているキティは、どう見ても剣の重さによって体が傾いてしまっている。取り落とすほどではないが振るのには苦労するだろうし、一日中それを背負って迷宮で行動するというのは現実的ではないだろう。


 数度、ゆらゆらと剣を動かしてみたキティは、結局すぐにネイトへと返した。ネイトがベルトを締め直すのを待ってから、彼女は話を戻す。


「じゃあ、師匠の最初の武器はなんだったんですか?」


「ご近所の農家から盗……お借りした手斧。薪とか割る用のやつ」


「師匠……」


「もう時効だろうから許してくれよ」


 冒険者の『最初の武器』なんて、大体がそんなものだ。選ぶ余地なんてなく、手に取れたものを握り締めて迷宮に赴くことになる。


「お前はせっかく武器屋で選べるんだから、使いたい武器とかないのか?」


 問いかけると、キティは曖昧に首を傾げた。まぁ、冒険者に憧れていたりしたのでもなければ、その手に武器を握り締める想像なんてしないものだろう。

 少し考えて、キティは小声で呟く。


「……杖剣」


「あー……」


 なんでそれを選んだのかはわかるが、苦笑するしかない。


「あれは魔法使い専用だ。オーダーメイドになるから、この手の武器屋じゃ扱ってないしな」


「わかってます。だからいわなかったのに」


 ネイトの返事は予想していたようで、キティは口を尖らせながら頷く。


 しかし、困ってしまった。

 まさかこんなところでつまずくとは思わなかった。最初の武器くらいすっと決まるつもりでいたのだが、改めて考えると何を基準に選べばいいのかわからない。

 最初の武器は否応なく握り締めるものだし、一度迷宮に潜ってしまえばどうしたって個人の好みが出てくる。考えてみればそれなりに長い冒険者人生で、完全にまっさらな相手に武器を見繕ったことなどなかった。


 ネイトと同じように黙り込んで考えていたキティが、悩んだままの表情で口を開く。


「じゃあ……師匠。質問なんですけど、師匠って子供の頃のことはちゃんと覚えていますか?」


「お前、俺のことをどんだけジジイだと思ってんだよ。さすがに忘れてなんて――」


 はたと悩む。

 アンジェたちと歩んでいた頃の自分が今の自分とは全く別人であるように、子供の頃の自分もまたもう今の自分とはとても地続きには感じられない存在だ。記憶は遙か彼方のものとなり、思い出せたところで当時と同じ感情を抱けるわけでもない。

 自分はどの程度、子供の頃を覚えているのだろうか?

 考えてしまってから、慌てて言葉を続けた。


「――忘れてなんてねぇよ。耄碌するにはまだ早い」


「ほんとですか?」


 言いよどんだことはバレたようで、キティがくすくすと笑う。


「まぁ、とにかく質問は、師匠の子供の頃の話です。師匠がまだ武器を選ぶこともできなかった頃、師匠が武器を使っていて一番困ったことってなんでしたか?」


「……なるほど」


 この状況で行う質問としては、一番的を射ているだろう。

 そしてその答えはすぐに見つかった。埃を被った記憶をひっくり返すまでもない。ネイトは暇そうにしている店員へと歩み寄って、鉄格子越しに話しかける。


「よう。このガキの手のサイズに合わせて柄を調整できる武器って、何がある?」


 指さされたキティが眉間に皺を寄せた。


「ガキっていわないでください」


「こちらのお子様の手のサイズに合わせて柄を調整できる武器って、何がある?」


 老境に差し掛かっている様子の店員は、一度眼鏡を押し上げてからキティを手招きした。


「嬢ちゃん、こっちに手ぇ出しな」


 キティの手がカウンターに乗せられ、店員は巻き尺でその採寸を始める。


「師匠、これがさっきの質問の答えですか?」


「ん? あぁ、そうだな。拾った武器で迷宮に入った冒険者の結構な割合が、武器を取り落として怪我したり死んだりすることになる」


 右手を握って、開く。当時のネイトの手に対して握りの太すぎた手斧はうまく力が込められず、油断をすれば滑り、何度となく危ない目に遭った。

 ようやく集めた金で剣を買ったときの感動はまだ覚えている。


「手に合わせた大きさの武器なら、正直なんでもいいと思うぞ」


「私の手のサイズだと、それほど選択肢も多くないと思いますしね」


 そのキティの言葉を待っていたわけではないだろうが、店員は巻き尺をくるくるとまとめた。

 そうして店員が指し示した範囲は、実際それほど広いものではなかった。


「右手の棚、見えるか。あの辺の規格だな。ナイフからショートソード辺りまでか。元が小さい武器なら調整は少なくて済む、大きい武器だとかなり無理して削らんとダメだろうな」


「調整は少ない方がいいのか?」


「無理に握りを細くすればその分だけ脆くなる。加工料が高くつく割りに長くは使えんだろう。嬢ちゃんの年齢なら、どうせ遠くないうちに買い換えるだろうがな」


 確かに、今選んだ武器をキティが長く使い続ける可能性は低い。ある程度迷宮に潜っていれば、武器に関する理想や好みも出てくるだろう。

 どのみち、しばらくの間はキティが戦力になるとは思っていない。この武器も自衛と練習のため以上の意味はないのだから、高級品をわざわざ買う必要はないか。


「じゃあこいつが片手で使える範囲で一番頑丈なやつを頼む。キティもそれでいいな?」


「はい。……というか、正直よくわからないですし」


「加工にはどれくらいかかる?」


「明日の朝までには仕上げておこう」


「了解。金は置いておくぞ」


 ネイトは残金の少ない金から相場程度の金額を出す。面倒な金額交渉が不要で、値段がどの土地でもほぼ均一なのはギルド直営店の明確な長所だ。


 いつまでもカウンターを占領していては悪いと、キティを促して歩き出す。


「じゃあ今日は宿を取って休憩。明日の朝、武器を回収して迷宮に潜るぞ。いいな?」


「了解です、師匠」


「…………」


「なんですか?」


 見下ろすキティの表情は平素のままであり、たった今武器を買ったとはとても思えない。


「もうちょっと喜んでもいいんじゃないか? 武器の買い換えなんて冒険者にとっては一大事なのに」


「っていわれてましても……えっと、じゃあ……」


 キティはその頬を少し赤く染めて、小さく両手を挙げた。


「わ、わーい……?」


「よし」


「いいんだ……」






 翌日の太陽が昇りきった頃、ネイトとキティの姿はギルド会館の前にあった。


 今日がキティにとって初めての迷宮ということもあり、自分のものに加えてキティの荷物の中身まで全てを確認した後だ。幸いにしてキティは几帳面な性格のようで、伝えてあった準備を全てきちんと終えていた。


「よし、荷物は大丈夫そうだな。体調は?」


「元気です。リミットの方も……まだ当分は先のはずです」


「ギルドの迷宮読本には一通り目を通したか?」


「覚え切れてはいませんが、はい」


「ざっとでも見てあるならいい。必要なことは俺が覚えたし、情報の取捨選択はこれから学べばいいからな。武器は?」


 問いかけると、キティは腰に手を添えた。


 そこに提げられているのは一本のナイフだ。昨日武器屋で注文し、柄をキティの手の大きさに合わせて調整してもらったものである。

 全体の大きさはネイトが持てば大ぶりなナイフで、キティが持てばショートソードほどの印象になる。鍔はなく、両刃の刀身は肉厚で頑丈。それ以外に特徴はないが、武器の振り方から手入れまでを覚えていくには十分なものだろう。


 ナイフの柄を軽く握って、キティは頷いた。


「……大丈夫です。準備してあります」


 その仕草がかすかに固いことをネイトは見て取る。


「緊張してるか?」


「いえ……」


 反射的に、といった様子でキティは首を振る。

 だが視線が合うと、彼女はすぐに肩を落とした。


「……はい。自分が本当に迷宮で戦っている姿なんて、想像ができないです。モンスターにやられている姿なら想像できるんですけど」


 口調は少し冗談めかしていたが、ナイフの柄を握る手には青ざめるほどの力が入っていた。


 迷宮『まるさんかくしかく』の危険度とネイトの今の実力、そこから計算できる迷宮探索におけるリスクを語るのは簡単だ。しかしそうした客観的な事実の話でキティの緊張が解けるのならば、最初からこんな風に怯えたりはしないだろう。


「そうだな、じゃあいいことを教えてやる」


「いいこと、ですか?」


「十年くらい会ってなかったけど、お前の母親の体に派手な古傷とかってあったか?」


「古傷……ですか? えっと、大きな傷跡とかは、なかったと思いますけど」


「だろ? で、俺とお前の母親はかなり昔からの付き合いだった。それこそお互い、初めて自分で武器を買った武器をまだ使っていた頃からだ」


 色々あってソロだったネイトは、色々あってソロだったアンジェと知り合い、パーティーを組むことになった。

 細かい経緯は割愛して、当時のアンジェのことを思い出す。


「最初の頃のあいつは酷いもんだったぞ。冒険者としては最低も最低だった」


「えっ、でも、ママは最初から『霜』の魔法を使えたんですよね? 生まれたときから自分は最強だったって、ママはよくいってましたけど……」


「火力が頭抜けて高かったのは否定しないが、その『霜』の魔法は使えば最低でも半径十メートルを無差別に破壊するようなもんだった。使い勝手は悪いし、すぐに魔力切れを起こすし、そのくせヘイトを集めるからモンスターに狙われまくるし」


 ちなみにネイトが冒険者になって初めて本気で死を覚悟した経験は、『霜』の魔法の巻き添えによる凍死未遂である。あのときは本気でパーティーを解散しようか悩んだものだった。


 けど、とネイトは話を続ける。


「あいつ、古傷とかなかったろ?」


 その二つの話がどう結びつくのかキティは少し悩み、すぐにその青い目がネイトの方を見た。


「その通り。俺がいたからだ」


 ネイトはにやりと笑ってみせる。


「破壊能力でこそあいつに頼っていたが、それ以外の全部のお世話を誰がしていたと思う? あり合わせの武器と道具で大迷宮に潜っていた頃ですら、あいつは跡の残る怪我はしなかった。それに比べりゃ、こんな迷宮でお前を庇うくらいはわけないさ」


 それがあまりにも雑な比較であり、身の安全を完全に保証するようなものではないということはキティもわかっていただろう。

 だが彼女は何かを思い出すような顔をして、それから小さく微笑んだ。


「ほんとですか? ママはそんなこといってませんでしたけど」


「憎まれ口が叩けるのなら大丈夫だな」


 ネイトはぐるりと肩を回して、ギルド会館――そして迷宮の入り口へと向き合った。


「さ、行くぞ」


「……はい!」

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