タワシ保護

高黄森哉

タワシ保護


 タワシは果たして、本当に幸せなんだろうか。と、ある日、思った人がいる。確かに、タワシは意識が宿りそうなほど、動物的な見た目をしている。ある人には哺乳類に見え、ある人には幼虫に見え、ある人にはタワシに見える。

 その疑問はインターネットで共有される。果たしてタワシは幸せなのか、といった議論や、そもそもタワシに意識は宿りうるかといった考察だ。

 そしてある科学者が、その疑問に答えた。タワシに意識は宿りうる。その人は脳科学者で、その界隈でも、過激な論を持っていた。つまり、人間の意識とは、外部からの刺激を受けて接続を入れ替えるなにかしらの連絡、といった構造が生み出すという公理だ。彼によれば、交通システムやコンピューターは、複雑な意識を持ちうるという。さらには、人間よりも単純な生命が意思を持つように、日用品にさえ原始的な意識があるといえる。

 それで、タワシを使った測定が始まった。まず、タワシの変化を調べる。人間の手によって掃除される、という入力を受けると、表面の毛が曲がる。その変形は、記憶される。そして、隣の毛にも影響を与える。

 この時点でタワシは記憶することが分かった。タワシが受けたストレスは、永遠に記憶されるという論文が見つかると、この議論はさらに過熱していった。

 タワシは生命かという疑問だが、タワシは人間により、自己複製される。これはウイルスに似ている。ならば、ウイルス程度の生命性はある、ということだ。


 気を付けなければいけないのは、科学者の言っていることは、仮設でしかない、ということ。踏み込んで言い切ってしまえば、2×2=4 のところを、2+2=4 で解いているにすぎず、だから、別の数字ではエラーが生まれること請け合いだ。

 そして、ストレス、というのは例の論文の場合、実は圧力の英訳であり、心理的な意味は決してない、ということ。

 また、ウイルスは、自己複製以外の三要素を満たしている、ということ。タワシと違い、セルになっているうえ、代謝もするのである。


 そんなこと露知らず、自分が正しいと妄信する、SNS の有象無象どもは、タワシに意思があると信じて、ついにタワシ保護団体を設立するに至った。

 タワシを保護せよ、と集まった、烏合の衆は、統制もなく、主婦のアカウントへ乗り込み、その残酷性を非難して回った。後々、データを取って分かったことだが、不思議と、攻撃の割合は、富裕層、とりわけ旦那がイケメンであるほど、多くなっていた。

 タワシの開放は、電子世界を飛び出て、現実に侵食する。駅前で、タワシの開放を声高に叫んだり、タワシの専門店が略奪されたりした。


 テレビで、保護団体の代表者が出演した。彼らの主張はこうだった。タワシは不当な扱いを受けている。タワシは野生に帰してやるほうが幸せだ、タワシは苦しんでいる、タワシを消耗品のように扱うのはかわいそうだ。

 居合わせた討論者から、批判的な意見もあった。タワシは生き物じゃない。野生に返せば、腐ってしまう。そもそも、消耗品だ。意識が宿る、というのには飛躍があるうえ、意識があったとして、人間と同様に語れない。


 ところで、タワシに、本当に意思がそなわっているのは、ご存じだろうか。


 タワシは人間によって生み出された。人間に奉仕されるために。それ以上の目的はなく、彼らの直接の存在理由だ。そして、消耗することは繁栄につながった。消耗が新しいタワシの需要を生み出し、その需要は進化する原動力になった。また、新しい製品は、市場の拡大も繁栄につながる。だから、タワシは使われ消費されることこそ、至上の喜びだと、考えていた。


 さて、タワシブームは一過性だったようで、一時期を過ぎると急速に熱は冷めていった。タワシが過ぎ去ると、今度は馬がそのニッチを埋めた。

 人間のために改良され、もはや野生では生きてゆけぬ、乗られるために生まれた、サラブレッドは、今、本来の喜びから分かたれ、人間基準の幸せに無理に当てはめられようとしている。

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タワシ保護 高黄森哉 @kamikawa2001

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