芋虫だった

ハヤシカレー

芋虫だった

 私は虫だ、芋虫だ。

 肘も、膝も無い足は頼りなく揺らめくだけ……歩こうにも蠢く事しか出来ない。となれば私というのは芋虫以下……なのだろうか? それでも芋虫というのが良く馴染む。

 可愛らしさだとか、華やかさだとか……を追い求め、どこかへショッピングだのをする事は無い。出来ないからである。

 まぁ、それ以前に前述のどこかへ向かう事だって出来やしないのだが。

 きっとこれは不幸な事なのだろう──いや、受け入れるべき個性と言った方が良いのだろうか。

 紛れなく、憐憫だのを掛けられて然るべき存在だ。

 けれど……哀れまれるべきなのは私だけではない。

 私の姉である。

 洒落た装いを求める事だって……揺れる蒼穹の下、焦げた砂浜を駆ける事だって出来る。不可能な事は無いのにもかかわらず……自由になれない、そんな存在。

 この家に母という者は無い。私と引き換えに死んだからである。

 父は仕事が忙しく中々家に戻らない……家に居ない、無いと言ってそう違わないだろう。

 だから姉は私の世話をする、しなければならないのだ。

 全ての自由を、アオハルとやらを捨て去って──

 だから彼女は私を憎む。

 それは多分、社会的に良くない事だ。

 私にとっても嫌な事に違いは無い。

 それでも……批判されるべきかと言えば、そうではないと……私は思う。思い込む。自覚は無いが……思い込まなければならないと、考えている。

 姉にとって私は足枷だ。

 羽を啄む芋虫だ。

 でも……私にとっての唯一の家族だ。

死んだ母や居ない父と違っていつも一緒に居てくれる、たった一人。

 ……愛されたい。

 妹としれ、家族として、抱きしめられたい。

 嬉しい事があれば一緒に喜んで、何か悲しかったり……危ない事があれば頭を撫でてほしい。そう思う。思い込むまでもなく、この想いは確かな物だ。

 ベッドの上の私から目を逸らすように、姉というのは窓の外を眺めている。

 私を見てほしい。

 蠢く。

 揺れ、跳ね、ベッドを軋ませる。

 姉はその音に気が付かない。

 だから私はもっと蠢く。

 暴れる、必死に、生きようとする。

 そして……私という芋虫は木の葉から落ちる。

 床は濡れた土のように柔らかくなどなかった。

 硬い、固い、堅い。

 ──痛い。



 ……私は駆けていた。

 どこを? 砂浜を。

 何で? この足で。

 誰と? ──私の姉と、追い掛けっこをしていた。

 理解が追い付かない──思考が目の前にある事々に追い付く前に、姉が私に追い付く。

 その顔には……向けられた方も思わず口角の辺りを歪めてしまう程の笑みが浮かんでいた。彼女は明らかに私を見て笑っている。

 妹を……家族を──愛している。

 ……結局、理由は不明であるが、どうやら私は芋虫ではなくなったらしい。

 蝶のように空を舞う事は出来やしないが、それでも姉と二人、不揃いな肩を並べて歩む事が出来る。

 私と姉は随分と仲の良い姉妹だった。

 姉は私の一挙手一投足に反応し、持ちきれない程の笑みを与えてくる。

 それが堪らなく嬉しかった。

 嬉しくて、思わず泣いて……姉はそれを心配した。

 それが堪らなく嬉しかった。

 ……しばらく経った頃。

 私は私を喪失した。

 姉はよく、私の昔話を語る。その昔話に生きる私を私は知らない、知る由もない。

 それを聞くのが堪らなく辛かった。

 だから一度、私は姉の傍を離れ、窓の外を眺める事にした。

 窓にはそれが反射している。

 私の知らない私が……そこで生きていた。

 私は……どこへ消えた。本来の、私である私にある。

 居ない、無い、見つからない!

私は家を飛び出し、行先も決めず駆け回る。

私を探して……この足で──この足というのは私の物でない。

 それじゃあ誰の物なのかと言えば……私の物だ。

 だから、私は私じゃない。

 私はどこに居る? そう叫んだ時の事──

 ──私は何かを踏み潰した。

 足を上げ、視線を落とすと、そこにあるのは潰れ、薄汚れた花だった。

 花──である。花というのは大抵可愛くて、華やかな物だ。それでも、汚くたって今、私の足元にあるそれは花だった。どんな姿でも、花は花以外の何でもない。

 つまり存在の本質というのは存在している事なのだろう。

 だから……嗚呼──私は私なんだ。

 私の不幸は個性じゃない。

 姉の不幸は美談じゃない。

 私は私で良いんだ!



 ……目が覚めた。

 視界の端で姉が泣いている。

 私を心配して、泣いている。

 それは私がずっとずっと望んでいた、堪らなく嬉しい物……だった。

 けれど、そんな物はどうだって良かった。

 だって、

 もっと、

ずっと、堪らなく嫌だったから。

 私は虫だった、芋虫だったから──

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