後編
実は祖父はあなたに人魚の話をした後日、生まれ故郷の村があった場所まで帰ってみたようなんです。
多くの村人と両親と兄を奪っていった病が村を襲ったとき祖父は十四歳だったそうで、国の救助隊に助け出されてからは一度も村に帰ることができなかったそうです。ひとりになってからは薬屋の主人に養子としてもらわれ、村からは離れた町で暮らすようになっていて、わざわざ村まで行こうと決心しなければ行ける距離ではなかったらしいです。
でも、こうも言っていました、本当は村の様子を見に行くくらいならいつでもできたけれど、もう村には誰もいないことを改めて確認しにいくようで、それが嫌で足が動かなかったのかもしれない。だけど、時間が経ってもう一度向き合う心の余裕ができた。兄のような人と話して、故郷のことを懐かしく思い出せるようになっている自分がいることに気づけたんだ、と。そのときはちょうど流行病が村を襲ってから十年の時が経っていて節目の年だったというのも、理由として大きかったかもしれませんが、あなたの先程の話からして、祖父を再び生まれ故郷へと立ち帰らせたのは間違いなくあなたの影響だと思いました。
祖父はあなたに感謝していました。村に帰るきっかけを作ってくれたことに。……ありがとうございました。祖父の代わりにお礼申し上げます。
今から話すのは僕と祖父しか知らないみんなには秘密の話です。けれど、あなたになら話してもいいでしょう。祖父もきっとそれを望むでしょうから。
その日は、春の嵐が吹き荒れていました。村に行こうと決めた日にこんなに風が強いのは、行くのはよしておけと神さまに言われているような気がしたけれど、祖父は一度決めたことは覆したくない性格でしたからゴウゴウと鳴る風の中を出かけていきました。
風が体にぶつかるたびに村に行ったってもうなんにも残ってやいないのだろうから、これは無駄足なんじゃないかと頭の中で考えをぐるぐるさせたそうです。けれど、足のほうは一歩一歩しっかりと村へと向かっていて、考え事をしているうちについてしまったそうです。それはとても不思議な感覚だったと言います。頭と体が別々に動いているみたいで、普段は頭が体を支配しているように思うことが多いけれど、頭の中で発生する面倒な感情の手続きをすっ飛ばして、体が自然と行きたい場所へ連れていってくれることもあるんだと言っていました。
今になって思うとただの帰巣本能じゃないかとも思うんですけどね、たとえば、ひどく疲れていたり、足元がおぼつかないほど酔っぱらっていたりしてもなぜか自分の家には帰りつけることがあるじゃないですか。それを思うと祖父は心の奥底では、生まれ故郷の村にあった家こそが自分の家なのだと感じていたのでしょう。
祖父は村に……村のあった場所についたとき、廃れてしまったと悲しくなったそうです。村にはすでに人っ子ひとりおらず、あるのは打ち捨てられた畑や人家、鶏舎だけ。人工物がまだ残されているのに人の気配はない景色というのは、なにもない殺風景な景色よりも一層の寂しさを感じたそうです。
家族と暮らした家をなんとはなしに見て回っていたら、どんどんと胸が詰まるような息苦しさを感じて、もう帰ろうかと祖父がきびすを返そうとしたとき、いたずらな風が吹きました。祖父はそのとき春風に髪をくちゃくちゃにされるのを嫌って、帽子を目深にかぶっていましたが、その日一番の強風に帽子を持っていかれてしまいました。
風に運ばれていく帽子の後を追って、祖父は走りました。走って、走って、走りながら自分が湖までの道を、兄が死んだあの日と同じ道を駆けていることに気づきました。走るために心臓は心拍を上げて血液を回しているのに薄ら寒さを感じて……吐きそうで……兄に会いたいと強く思った……らしいです。
軽快だった彼の口がオイル切れを起こしたかのように、動かなくなった。先程と比べて顔色が悪いようにも見える。
「気分でも悪いのかい? 汽車とはいえ揺れるからね」
「ああ……乗り物酔いじゃありませんから、ご心配なく。僕から話しておいてこういうのもなんですが、あまり楽しいお話ではないんです……」
「君が辛いなら無理に話さなくてもいい。そうだ、ツユリくんは元気だと言っていたね、彼の現住所を教えてくれれば私が彼に直接会いに行くよ。ツユリくんの昔話なら本人が一番よく語れるだろうからね」
私の提案に彼は口を閉ざした。なにか変なことを言ってしまっただろうか。彼が眉根を寄せて困った顔をするようなことを……。
「ええと、すみません、祖父は居住地を転々と変えていまして、僕も今どこにいるかまでは……」
「ああ、そうなのか。色んなところに引っ越しできるくらいツユリくんは今でもバイタリティに溢れているんだね。私と同じような歳なのになぁ、パワーがあって羨ましい」
自分だけ歳を食ったようで少し悔しい。記憶の中のツユリくんは若々しいままで、微笑んでいる。もう一度くらい会いたかった。けれど、おそらくは無理だ。私の体は病を得ていて、そう長くはない。
「僕に言づけてくれれば、祖父に会ったときに必ず伝えます。あなたは祖父の大事な人だから」
「そう言ってくれて嬉しいよ。けれど、私の伝言は後にしたいかな」
ツユリくんの昔話をすべて聞き終えてしまってから、彼に贈る言葉を考えたい。私が思ったことが彼にも伝わったのか、ツユリくんのお孫さんは綺麗に微笑んでから一つ咳払いをした。
湖に走っていったところで、話が途切れたんでしたね。
夕陽に照らされた湖は紅くてらてらと光っていました。その光景は美しくも妖しい宝石のようで、祖父は目を奪われたそうです。風が水面を撫でるたびに波紋ができて、複雑な紅がうねりながら形を変えていくところを、帽子の行方も忘れて見入っているうちに、頬に涙が伝いました。湖畔でひとり、静かに泣いたのです。
素晴らしい景色はそれだけで人を感傷的にさせます、殊に祖父は死を悼むために来ていたわけですから、泣いてしまったのも当然と言えましょう。しかし、このときの涙が祖父に珍奇な運命を運んでくるのです。
一粒の涙が湖に落ちました。たった一滴が起こした波紋は小さく、しかし確実に湖全体へと広がっていったのでしょう。祖父が俯いたままでいると突然、水面にぬっと顔を出したものがありました。そいつは少し垂れ目の優しい顔つきをしていました、人間みたいな顔でしたが皮膚は水色でニッと笑った口の隙間からは尖ったギザギザの歯が見えたので、祖父は、ああ、これが例の人魚なのだと直感しました。
「トキワ! 待っていた!」と人魚はのんきな声で祖父のことを彼の兄の名で呼んできました。祖父はそのとき、人魚の顔をひっぱたいてやろうかと思ったそうです。なぜ今になって姿を現したのか、あの夜にこうして会えていたなら……と今更言っても仕方がないとわかっていても、相手を詰らずにはいられない……そうしなければならないような……あの日現れなかった人魚を糾弾することが自分に課せられた義務である気すらしたそうです。
けれど結局祖父は声を荒げるような真似はしませんでした。件の人魚が、トキワ、トキワ、と子どものように笑いかけてきたからです。
僕はトキワではないよ、と祖父は答えました。そのとき、人魚はキョトンと目を丸くして首を傾げたらしいです。そういう仕草は人間と同じなんだそうです、不思議ですよね。元々、人間と人魚は同じ生き物で進化の過程で別れたのかもしれないと思ってしまうほど、その人魚は人間味に溢れた表情をしていたと言います。人間は陸に、人魚は水中に、それぞれが生きるために生存に適した姿になっていったのかもしれない。だから、似ているところがたくさんある、言葉も表情も、そして心と呼ばれるものも目の前に現れた人魚は持ち合わせているようでした。
目を丸くしていた人魚はだんだんと目つきを剣呑なものにして、キャーと甲高い声で吠えました。トキワ、嘘つくな、俺を、待たせたこと、気にしてる、ならそれは、許してやる。人魚は喋るときに文章を途切れ途切れにする独特の癖がありました、ですが、意味を聞き取るには十分でした。
この人魚はずっと兄を待っていたらしいのです。先程まで抱いていた怒りはどこかにいっていました。それどころか、待ち人が死んでいたことを長い間知らなかったこの人魚を不憫に思ったのです。
トキワは随分前に病気で亡くなったことを人魚に教えてやりました。自分はトキワの弟だということも。
人魚は呆然としていました。大きな衝撃を受けて動けなくなっているようでした。しばらくすると人魚のギラリとした眼光がこちらを刺すように見つめてきて、なにかを疑うような調子で呟きました。
「トキワ、死ぬわけがない、血を、やった」
人魚の言葉に、喉元にナイフを突きつけられたような心地がしました。人魚の血をもらったのは兄ではなく弟である自分だったから。しかし、同時にある疑念が持ち上がりました。人魚は兄が血を口にしたと思っている、それはなぜなのだろうか。兄が死の淵に立たされたときには人魚から血はもらっていない。ならば幼い頃に兄自身が分けてもらった血のことを言っているのか。
「血をやったとは、どういう意味ですか」
もしかして、兄は人魚に嘘をついていたのかもしれない。理由はわからないが、弟のために血がほしいとは言わず、自分が飲むからとでも伝えたか。
「俺たちの血、不老不死の血、絶対死なないとは言いきれない、が、人間の病気くらいで、死なない」
「では、トキワはその血を飲んでいなかったのでしょうね。死んでしまいましたから」
人魚はまた凍ったように固まって、今度は内側から爆発する火山のように怒り狂いました。人魚が湖の中に沈めている下半身で暴れているのか、地が揺れ、湖面は白く波打ち、周囲の木々がざわめきました。キャーキャーと叫ぶ姿は獣のようで、恐怖を感じるほどでしたが、それでも逃げ出さなかったのは時折人魚が、トキワ、嘘つき、トキワ、嘘つき、と悲しそうに鳴くからでした。
人魚は湖面から飛び出して体に巻きついてきました。人魚の体は長い長い大蛇のようでした。水に濡れた人魚はひやりとしていて手の甲に直接触れた体表には少しぬめりがありました。
このまま人魚に湖の中へと引きずり込まれるかもしれない。そんな想像も片隅にはあったけれど、だからといって自分が助かるために、人魚が気に入りそうなでたらめを話す気はありませんでした。
「僕はトキワじゃありませんよ」できるだけ、なんの感情もこめずに人魚に囁きました。
人魚は鋭い爪で……ツユリの頬をゆっくりと引っかきました。痛くはなかったけれど、血は出ました。そして、人魚はためらいもなく頬から溢れ出てきた血を舐めて、眉をひそめました。
「……トキワ、卑怯者」
人魚が力をなくしたようにうなだれ、ツユリの肩に頭を預けました。まるで親しい友人か恋人のような距離感に兄と人魚の関係性の一端を見た気分になりました。
それから人魚はぽつぽつと兄との思い出を話してくれました。一緒に泳いだり、歌ったり、ただただ時間の許す限りお話をしたり、兄は穏やかな時間をこの人魚と過ごしていたようです。人魚の話によると血を渡したのは一度だけ、兄はそのとき病に伏す弟の話をちゃんとしていました。弟のツユリのために血を分けてほしい、と頼んでいたのです。話がここまでなら、僕も思い悩むことはありませんでした。
ガタンッと車両が激しく揺れた。列車がちょうど橋の上に入ったのだ。揺れに気を取られて話を中断した彼の視線は窓の外へいっている。私たちの眼下にはエメラルドグリーンの美しい湖が広がっていた。
蝶番の軋む音がした。続けて、給仕服を着た女性が顔をのぞかせる。
「お飲み物やお菓子はいかがでしょうか」
廊下には腰の高さまである大きいカートにさまざまな飲食物が乗せられている。
「ああ、えっと……ツユリくんはなにか飲むかい? ここは私が出すから、好きなものを頼みなさい」
「ではお言葉に甘えて……紅茶を二つお願いします、砂糖とミルクもつけてください、片方はミルクたっぷりで」
「かしこまりました」
ミルク多めの紅茶は私のために注文されたもののようだった。給仕係から紅茶を受け取り、チップを含んだ支払いを済ませる。そのとき彼女が着ていたエプロンの刺繍に目が留まった。
「人魚……?」
「ええ、こちらは湖に棲んでいたとされる伝説の人魚ですわ」
「この湖にも人魚がいたんですか?」
給仕係の女性はよくぞ聞いてくれましたとばかりに口上を述べる。
「むかしむかし、このエメラルドグリーンの湖には人間と仲良くなった人魚がいて、二人は結婚の約束までしていました、しかし、ある日人間のほうが病気にかかって亡くなってしまったのだそうです。人魚は悲しくて三日三晩泣き続け、初めは小さかった湖がここまで大きくなったのだと伝わっております。この湖は人魚の涙と呼ばれることもあるのですよ。なんでも五十年ほど前に起こった大洪水をもとに作られたお話なんだそうです。よろしければ、観光のパンフレットをお持ちしましょうか」
それは何度も練習したのだろうと思わせる流暢っぷりだった。観光名所の解説も彼女の仕事の内なのだろう。パンフレットの受け取りは辞して、仕事熱心な彼女に礼を伝える。
列車から見える湖が美しいことで有名なのは知っていたが、まさか人魚絡みの話がここにもあったとはこれは偶然なのだろうか。給仕係が去ると列車の走るガタゴトという音だけが穏やかに響いていた。
「兄のトキワは、人魚から血の入った瓶を二つもらっていたんです」
ツユリくんは車窓から空を見上げながら、ふっと息を吐き出すように小さな声で呟いた。
「……でも、お兄さんは人魚の血を飲まなかった」
「ええ、人魚が言うところの不老不死になるのが怖かったのか、自分が人間ではなくなってしまうことを危惧したのか……。もう死んでしまっているので問いただすことはできませんが、きっと大まかな理由はそんなところでしょう」
「けど、ツユリくんには飲ませた……。詳細も伝えず幼いツユリくんの命だけは助けようとして……」
彼の顔は笑っていた。けれど、泣き出しそうにも見えた。
「勝手な人ですよね……」
私はなにも返す言葉が浮かばなかった。お兄さんの弟を助けたいという気持ちはもちろんわかる。けれど、人魚の血を使ったのは正しかったのか。結果的にその行為は彼を苦しめることになったのではないか。
紅茶の匂いが鼻孔を撫でる。柔らかい陽射しが私たちのいる客室に満ちている。列車の揺れは揺りかごのように心地よく、窓の外にはカラリと晴れた空とエメラルドグリーンの湖の雄大な二色が広がっている。このとき、なぜか私は天国を思った。
ツユリくんがどう感じているかはわからないが、今日のこの景色は、今のこの状況は、私にとってはとても気持ちがいい。これは天国までの道のりではないか、本当は私は列車に乗ってふと居眠りをしたときに死んでしまったのではないだろうか。目の前の彼はツユリくんの孫と言ったけれど、あれは嘘なのだろう。彼は、私の知っているツユリくん本人だ。彼が若い姿のままなのはきっと人魚の血の力が働いているから……。
ほのかな紅茶の香りと彼と二人きりの空間は、いつかの研究室のように特別な雰囲気を漂わせていた。内緒話をする、秘密を打ち明ける、普段なら人にチラリとも見せない胸の奥に大切にしまい込んだものにかかった保護布を丁寧に両手の指でつまんで開帳して見せるような仕草がふさわしい時間。ここは現実と夢の間に存在する薄皮のような場所なのではないだろうか。
そうだ、私は巨大なシャボン玉の内側にいるようなものなのだ。シャボン玉の膜は私の記憶で構成されていて、中でも特に輝きの美しいものが虹色の光を放ち揺らめくように私の眼前に立ち現れている。ツユリくんはきっとその象徴。私の一番の後輩であり友人。大切な人。
「ツユリくん」
「はい」
「……私は親しい人にはできるだけ長生きしてもらいたいと思ってきた。親兄弟、友人、同僚、教え子、みんなみんな怪我や病気に命を脅かされることなく天寿を全うしてほしいと思っていたんだ。だから、こんな気持ちは初めてだ。私がすでに死んでいて、君も息絶えていればいいのにと思うなんて……ツユリくんを一緒に連れて逝ければいいのにと願うなんて……」
老いぼれの目にも涙。人生の最期の瞬間を迎えるときも、もう泣くことはないと思っていた。人生で生じうる感情を体感し尽くしたと勝手に思い込んでいた。涙が溢れ出てくるなんていつぶりのことだろうか。まだまだ知らないことがある、人間の想いは複雑だ。ツユリくんは私に呆れただろう、自分勝手で乱暴な考えだと思われたかもしれない。けれど、そう思われたとしても言わずにはいられなかったのだ。
ツユリくんの運命が私にはつらいものに思えた。私はもうすぐ死ぬ、それが自分でもわかる、自分の終わりが見えている。けれど、ツユリくんはどうだ? 彼はこれから先、どれほど長い時間を生きていくのか。私は彼を置いて逝く。私以外のツユリくんと仲のいい人間も、人間であるがゆえに先立って逝く。彼の人生は見送るばかりではないか。しかもそれがいつまで続くのかはわからないときた。
仲間のいない桁外れの長寿の道は寂しさに煙っているようにしか私には思えない。
「先輩は優しい人ですね。僕はあなたを決して忘れません」
もう孫のふりをするのはやめたらしいツユリくんは堂々と私のことを先輩と呼ぶ。私は一気に若返った気分になった。気持ちだけで肉体も若返ってくれればいいのにと、くだないことまで考えてしまった。
「君は誠実だから言葉の通り私のことを覚えていてくれるのかもしれない。それが嬉しくないと言ったら嘘になる。人々から忘れられたときが人間の二度目の死だという人もいるから、それでいくと私が二度目の死を迎えるのはずっと先のことになるのだろうね」
「ふふふ、僕は先輩との思い出とともに生きていきますよ」
ツユリくんは昔とちっとも変わらない微笑みを見せた。やっぱり彼はちょっとだけいたずらっ子な面があるみたいだ。
「どうして孫だなんて嘘を?」
「信じられないような話だからです」
「……一理あるね。私も相手がツユリくんでなければ、心からは信じなかったかもしれない」
「信じてくれて嬉しいです」
「ツユリくんは……これからどうするんだい?」
「とりあえず人魚を探そうと思ってます。というか実は僕、人魚をずっと探しているんです。二十代のときに故郷に戻ったときに一度会ったきりで、あの日の人魚は姿を消してしまったので。人魚は僕が知っている唯一の不老不死仲間ですからね、色々話をしたくて」
「見つかるといいね。友達になれればさらにいい」
「あの子は兄のトキワのことを恨んでいるようでしたから、弟の僕が友達になるのは難しいかもしれません」
「話を聞くかぎり、ツユリくんのお兄さんに血を分けて不老不死の仲間にしようとした子でもある。望みはあるさ」
「先輩にそう言ってもらえると心強いですね」
ツユリくんは控えめに笑った。希望よりも懸念のほうが大きいのかもしれない。
「私も人魚探しについていこうかな? 昔みたいに君とあちこちを回って歩くのは楽しそうだ」
ツユリくんは驚いたようで目をパチクリしている。しかし、次の瞬間には歓喜に震える声で「ああ、それはいいですね!」と言ってくれた。
きらきらと輝く笑顔は可愛らしかった。ツユリくんの喜んだ顔が見られて、私はとても安心した。心が満たされ、ほっと息をつくと眠気がやってきた。列車旅で思いがけず旧友と再会し、たくさん話をした。しかもそれはとても変わっていて濃密なものだったから、知らぬ間に疲れてしまったのかもしれない。
「少しだけ寝かせてもらってもいいかな? 歳をとるとどうにも眠くなるときがあってね。ツユリくんとの旅に備えて体力を回復しておきたいんだ」
言いながら私はまぶたが重くなっていくのを感じていた。
「おやすみなさい、先輩」
ツユリくんの言葉を最後に聞いて、私は眠りについた。
終わり
人魚との約束 棚霧書生 @katagiri_8
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