酸っぱい結末
棚霧書生
酸っぱい結末
オレンジはいかが?
その言葉をこの街で聞いたときは知らんふりをして、話しかけてきたやつを相手にしない。うっかり返事をしようものなら、人生の足場が瞬く間に崩れていく。まるで蟻地獄のように。
ある雨の降る寒い日、薄暗い茶店でレモンティーを飲んでいた男は、自分のすぐ隣に腕を絡めるようにして座ってきた豊満な胸をした女にこう言われた。
「オレンジはいかが?」
男は自身の金の髪を人指にくるくると巻きつけながら、茶褐色の目を眇めた。
「お姉さん、どこの人? こういうことをするときは人を選んだほうがいいよ」
「オレンジ、安いヨ。幸せになれるヨ」
「もしかして、あんまり言葉とかわかんない感じ?」
「お兄さん、オレンジ、買う?」
「俺はレモンが好きなの、酸っぱくて頭がスッキリするでしょ。それにクエン酸も入ってるから疲労回復効果もある」
「オレンジ、買って」
男は女の体を引き寄せて、耳元でささやいた。
「お姉さんが先に相手してくれるなら、買ってもいいよ」
女は一瞬固まってから、男に一瞥をくれることもなく席を立った。男はその態度を咎めるでもなく、ゆったりとティーカップに口をつける。二人の間には初めから会話もなにもなかったかのようだった。
港近くのとある古びた倉庫は中に入った者たちを内側から錆びさせていくのではないかと思ってしまうほど、空気が悪かった。それはここに集まる者たちの悪逆な性質が彼らの体からこの薄暗く湿った空間に漏れ出ているからかもしれない。
倉庫の中央には、不自然に黒の革張りソファが置かれており、金色の髪の男が足を組んで座っている。男は自身の目の前で膝をついている大柄な男を鋭い目つきで見下ろし、足蹴にした。
「俺がオレンジを嫌いなことはお前も知ってるだろ」
サイドテーブル代わりの木箱の上には白い皿があり、カットレモンが綺麗に並べられている。男は無造作にレモンの一欠をつまむとデクのように俯いていた男の顎を掴み、上を向かせた。
「すみません、サラディンさん。まさかあの女がサラディンさんにご迷惑をかけるとは思ってもいなく……うがっ、いっ、痛えェ!?」
サラディンと呼ばれた彼は言い訳を続けていた男の目の上でレモンを搾った。果肉の混じったレモン汁が涙のように男の頬を伝う。
「そのサラディンってのやめろよ。誰がいい出したか知らないが、サラディンの鷹からきてんだろ? 国旗の紋様から二つ名を拝借するって、カッコつけたがりのキッズみたいでダサい」
「目がっ! 水、水を!」
男は立ち上がろうとするがサラディンは男の手を踏みつけにして、それを止めた。
「すっきりするだろ。レモンはいい」
「足を退けろ、クソ野郎が!!」
サラディンは激昂した男を気にすることもなく、新しいレモンの一欠をかじる。
「これはこの街に住むやつらに口を酸っぱくして言ってることなんだがね、麻薬やら覚せい剤やらを取り締まる法が届かないここでもルールってやつはあるんだ。君みたいにそれを破れば……」
「うるせぇ! 足を退けろって言ってんだろうがッ!!」
大柄な男は勢いよくサラディンに掴みかかろうとした。
しかし、ガンッ……と鈍い音がすると片目をレモン汁で真っ赤にした男の額には、直径二センチほどの穴が空いていた。たらたらと赤い液体が顔面に流れ始めると同時に男は力尽き、地べたに崩折れる。
サラディンの手には小銃が握られていた。
「はぁ、酸っぱい結末だねぇ」
彼はまた、一欠のレモンを口に運んだ。
終わり
酸っぱい結末 棚霧書生 @katagiri_8
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