「堕落する」ということ
いったい前回の更新からどれほどの月日が流れただろう。
どこかで言ったことがあったかもしれないが、私は8月から夏休みに入っており、それもあって7月あたりに「更新頻度をあげる」と宣言したような気がする。
しかし私がその時全てを託した未来の自分は見事に夏休み特有の後回し癖を発動し、やれ帰省やら飲み会やらで文章を書く機会はほとんどなかった。加えてこの暑さ、もはや文章を読むこともほとんどせず今に至る。
世間では私のような人間をだらけている、あるいは「堕落している」というらしい。
客観的に見ればそれはそうなのだが、私は他人からそう言われるたびに何かが腑に落ちないでいた。
そこでここでは、無気力へのせめてもの抵抗として「堕落する」ということについて考えてみることにする。
堕落について論ずるとなれば欠かせないのはやはり坂口安吾著・堕落論であろう。
堕落論は戦争後に書かれた文章で、とても簡単に言えば戦争後堕落した人々に対して、堕落するとはそもそも悪いことなのか、堕落というものに何か別の価値観が見出せやしないかということが書かれている。
堕落論いわく、人は堕落するのが自然でありむしろ堕落することにより本当の自分を直視できるらしい。
これは坂口氏の見事な慧眼であり、私もその通りだと考える。知らない方はぜひ一読してみてはいかがだろうか。諸君が普段読んでいるであろうライトノベルよりもとても短い文章だから、あっという間に読めるに違いない。
さて、話は逸れたが要は私は堕落は人間にとって避けようがなことであり、これを受け入れるべきだということだ。
そして話を現代に戻す。
この夏の自分を正当化するわけでは決してないが、私からすれば現代人には少々、「堕落する」ということが足りないように思える。
現代人は「堕落する」ことを忌避している。皆がウサギのように忙しく働き、カメのように
まあ百歩譲って、社会人がそうあるのは仕方のないことなのかもしれない。生きてゆく上で、誰も社会という強大な虚像から逃れることはできない。その社会を形成している彼らは尚更だ。
しかし学生までもが「堕落する」経験をしていないのはいかがなものだろうか。
「堕落する」とは、要するに下まで落ちるということである。
私の恩師の言葉を借りるならば、これはいわば自分の「ゼロを知る」ということである。
例えば100階まで階段で上がらなければならないのに、自分が今何階にいるのかわからなければどうしようもない。
しかし世の中には自分が何階にいるのかわからない人間が多いように感じる。
今70階くらいだろうと意気揚々と登ってみるが実はまだ30階で、100階に到着する前に座り込んでしまう。
私はそれを非難するつもりはない。むしろ、そういう経験をしないと真に「堕落する」ことはできないと思っている。
つまり「堕落する」には失敗することが必要なのである。
現代人は少々失敗することを恐れすぎているように思う。それはこの社会が失敗に対して寛容でないことも一因であろうが、周りの目を極度に気にする人が多いのもまた事実だ。
「周りの目など気にするな」というのは簡単だが、同時にやや無責任であるようにも思う。
私に君一個人の性格を矯正することはできやしないが、月並みな助言をすることはできる。
それは堕落するなら若いうちに、ということだ。
若いうちに失敗し堕落しておく。本当の自分を知り、ゼロを見極める。
社会というものは共同体である。
この村の未来である子供は村全体で育てよ、といった村文化は今や見る影もないが、学生時代の失敗というものは大人がする失敗よりもはるかに寛容に許されるものである。
もし諸君らの中にまだ学生のものがいるならば、法や倫理に引っ掛からぬたいていのことに身一つで飛び込み、砕けてみることを勧める。
本当の自分というのもがいるのなら、それはきっとインドなどではなく堕落したその場所にいるに違いない。
ではもう失敗することに多少の責任を伴う大人の諸君らはどうすれば良いか。むしろ、諸君らの堕落にこそ価値がある。
学生の時から恥を恐れ、堕落を避けた諸君らはいわゆる宙ぶらりんな状態にいるかもしれない。無論、堕落をせずとも自らを知る天才もこの世にはいるわけだが、そういう人間はこう言った文章を必要とはしない。
そんな諸君らが失敗をし堕落すると、当然若者が堕落するのとははるかに異なる高さから突き落とされることもある。もしかすると絶望を感じることがあるかもしれない。
けれどそこで初めて諸君らは本当の自分を知ることができるのだ。これは失敗をしないことよりも素晴らしいことである。
鉛筆を転がしてとる満点と、実力でとる60点のどちらが信用に足るかを考えてみると良い。
自分のことを真に信じて生きていけるかということは極めて重要なことだ。
君は常に自分を疑いながら生きてゆくのか? そんな馬鹿げたことがあるものか!
「堕落する」ということは信用のおける本当の自分を見つけるということである。
諸君が本当の自分を持ち、背伸びせず着実に一歩一歩、
世界の微分係数 音愛 ろき @Roki_0127
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