第14話 願いは身勝手に託されました

 フタバが現場に到着した時、既に事態は膠着状態に陥っていた。


 ビルの前に集結し、防弾シールドを構えるケイキの部下たち。その後ろでフタバの到着を待っていた生活安全課の職員たち。


 彼らが睨み付けているビルの窓からは銃口がいくつもこちらに向けられ、ほんの些細なきっかけで危うい均衡は崩れ去るのだと一目で分かった。


 生活安全課の部下達のもとへと大股で歩み寄り、フタバは声をかける。


「状況は」


「はっ! 武装集団はあちらのビルに、市民の人質を取って立てこもっています!」


「奴らの要求は」


「っ、それは……」


 不自然に口ごもった部下の話を引き継いだのは、現場の指揮を執っていたケイキだった。


「奴らの狙いはお前だよ、フタバ」


「はあ? 私ぃ?」


 凄むように尋ね返したフタバに、ケイキはひょいっと肩を竦めた。


「いつまで経っても犯人を挙げられない生活安全課に、奴らはしびれを切らしたらしい。トップであるお前と引き換えに人質を解放する、だそうだ」


 その言葉の端々には、テロリストたちへの侮蔑の感情が滲んでいた。相手の行動をを馬鹿馬鹿しいと断じ、勝利を確信しているケイキの言動に、フタバは渋い顔になる。


 そんなフタバの表情にも気づかず、ケイキはテロリストが立てこもっているビルへと目を向ける。


「逆恨みもいいところだな。まともに相手してやる必要はないさ。いつも通り、あいつらを制圧すればいいんだろ? さっさと号令をくれないか?」


 フタバもまたそちらに目を向け――、ビルの一階の窓に、小さな子供の姿が見えていることに気がついた。


 まだ10歳にもなっていないであろうその少年は、体に不釣り合いな重火器で武装しており、自分たちを包囲しているこちら側をきつく睨み付けている。


 その悲壮な決意に満ちた目に、フタバの脳裏では昔見た光景が重なった。


 まだ15歳を過ぎたばかりだったケイキが、火刑に処されている母親を前にして、その蛮行を為した怨敵を睨み付けていた目。あの眼差しと全く同じ色をその少年から感じ、フタバは一度痛ましそうに目を閉じてからゆっくりと開いた。


 その瞳に宿っているのは、静かな決意だ。


「厄対はまだ来ていないんだな」


「は、はい! 別の場所で起きた騒ぎを対応しているらしく……」


 第三者を介入させて、自分を含めた全ての裁きを彼らの手に委ねようと思っていたが、そう上手くはいかないものだ。


 だがむしろ、これでよかったのかもしれない。無責任に投げ出すのはやめて、自分たちの世代の後始末ぐらい自分で行おう。


 部下の返答にフタバは息を一回吐いて、単調に答えた。


「分かった」


 やけに大きく響き渡ったその言葉に、ケイキは振り向いて胡乱な目を向ける。


「は? 何が分かったって……」


「奴らの要求に応じて私が行くと言ったんだ」


「はあ!?」


 大声で反応したケイキに、周囲にいる全員がフタバへと目を向ける。フタバは目の前のケイキをほとんど睨み付けるように見上げた。


「安心しろ。無駄死にするつもりはない」


「なっ、何言ってんだよ、やめろ!」


 ケイキの制止を無視し、フタバは両手を挙げた状態で並べられたシールドの前へと歩み出た。


 その途端、辺りに満ちていた緊張がさらに張り詰め、一斉にフタバへと銃口が向けられる。今にも引き金が引かれそうなそれに臆することなく、フタバは声を張り上げた。


「聞け! 人間至上主義者ども!」


 ビリビリとガラスが震えるほどの大声でフタバは宣言する。そのあまりの迫力に、テロリストたちは銃口を震わせた。


「私はトコヨ市役所生活安全課課長であり、貴様らが忌み嫌う混じり者の結城フタバだ!」


 怯えた様子も見せずに堂々と名乗ったフタバに、テロリストたちは狼狽して目を見合わせる。その隙を突くように、フタバはさらに声を張り上げた。


「こちらには話し合いの用意がある! 一旦矛を収めてもらえないか! 貴様らも、貴様らの子供たちの世代まで、この因縁に巻き込みたくはないだろう!」


 説得の声は辺りに響き渡り、壁にぶつかって反響する。その名残が消えた頃、正気を取り戻したテロリストたちは、口々に叫び始めた。


「顔役のトヨさんならさっき死んだ! お前らが殺したんだ!」


「そうだぞ、卑怯者!」


「また俺たちを騙すつもりだろう!」


「もし本当に俺たちと和解したいのなら、まずはお前の命と引き換えだ!」


 轟々と生き物のように襲いかかってくる怒声に、フタバは口の中だけで小さく呟く。


「……そうか、あのババアが死んだのか」


 過激派の中心にいたトヨの死に、フタバは感情が凪いでいくのを感じていた。


 中心人物である彼女がいなくなった今、もしここで交渉が決裂すれば、血みどろの抗争は避けられない。


 多くの罪もない市民が死ぬことになるだろう。


 そして、生活安全課課長である自分は、それを許すわけにはいかない。


「話し合いなんて信じられるか!」


「死んで誠意を示してみろ!」


「混じり者め!」


 悪意に満ちた野次をフタバは正面から受け止めた後、おもむろにその場にあぐらをかいて座り込んだ。


「分かった。私の命を差し出せば、交渉のテーブルについてくれるんだな」


「……は?」


 この場に、フタバの行動がすぐに理解できた者はいなかった。


 フタバは腰に吊っていた拳銃を手に取ると、自分の頭に銃口を押し当てる。その時になって真っ先に声を張り上げたのはケイキだった。


「待て、フタバ! そんな条件のために死ぬつもりか!? あんな奴らと和解なんてできるわけないだろ!?」


「……」


「正気に戻れ! ガキの頃、あいつらが何をしたのか忘れたのか!? お前が世話してた奴らだって大勢……!」


 ケイキは怒りと憎しみで言葉を詰まらせながら、彼女を説得しようと自分もシールドの前に出ようとする。だが、フタバはそんなケイキを鋭く制止した。


「――来るな!」


「っ……!」


「お前が何を言おうと、今の私は一人の市役所職員だ。どんな信条の市民であっても、手を差し伸べる義務がある」


 淡々と話すフタバに、ケイキは上手く反論できずに駄々っ子のように言葉を連ねようとする。


「だけどよフタバ……!」


「気に食わないのなら今、あいつらに襲いかかってみるか? もっとも、その時は私も、私の部下も、トコヨ市役所生活安全課としてしかるべき対応を取らせてもらうが」


 小さく笑いながら冗談めかしてフタバは言う。そんなことをしてくれるなと言外に言われていると気づき、ケイキは硬直した。


「じゃあな、ケイキ。ちゃんと仲間を守るんだぞ」


 フタバは目を閉じ、拳銃の引き金に指をかける。


 そして指に力がこもり、引き絞られる直前――フタバの前にボール状の何かが投げ込まれた。


 ボールは彼女の前で一度バウンドすると、次の瞬間には多くの鋭い刃を携えた異形へと姿を変える。その物体から放たれる悪臭に、フタバは咄嗟に自分の頭に向けていた拳銃をその異形に向けていた。


「この匂い、犯人の……!」


 事件現場に残されていたものと一致する『客人』の匂いに、フタバは即座に戦闘態勢を取ってその物体から距離を取る。


 しかし、その物体は至近距離にいるフタバに害を加えることなく、ビルの中にいるテロリストのほうへと突進していった。


「うわぁあああ!」


「きゃああああああ!」


 悲鳴を上げながらテロリストたちは逃げ惑う。そのただ中で、逃げ遅れた少年兵がビルの入口で腰を抜かしていた。


「チッ……!」


 フタバは考えるよりも先に体が動いていた。そちらに駆け寄りながら銃を構え直し、少年を狙っている刃に狙いをつけ、三度引き金を引く。


 三発中一発は命中し、刃は少年から逸れた場所へと突き刺さった。


「ひ、ひぃ……!」


 情けない悲鳴を上げる少年を背中に庇い、フタバは怪物と向かい合おうとする。しかしその寸前――反射的に動いた怪物の刃が、フタバの胸を貫いていた。


「が、はっ……」


 目を見開き、口から血を溢れさせながら、それでもフタバは立っていた。


 二本の足で地面を踏みしめ、自分を串刺しにしている刃を手で掴んで動きを封じる。


「逃げろ、クソガ、キ……!」


「ぁ、え……?」


「逃げろって言ってんだろうがっ!!」


「ひいぃ……!」


 死の淵に瀕しているとは思えない大声で促され、ようやく立ち上がった少年は手足をもつれさせながらも必死で逃げていく。


 生活安全課の部下たちが少年の腕を掴み、防弾シールドの向こう側に庇ったところまで見届けると、フタバはようやく握りしめていた刃から手を離した。


 刃が胸から抜き去られ、放られたフタバの体は地面へと力なく落ちる。傷跡からは血が溢れ、手で押さえて止血することもできない。


「フタバ女史!」


「フタバ課長……!」


 薄れゆく意識の中、タマキとシータが駆けてくるのがフタバの視界に入った。こんな鉄火場だというのになんだか騒がしくて滑稽に見える二人組だ。


 彼らには厄介ごとを残すことになるが、あの二人ならきっとなんだかんだ上手くやることだろう。


 そう思うと、フタバの唇は自然と弧を描いていた。


 ――悪いな、後は頼んだ。


 ――お前らの世代は、こんな有様になるんじゃないぞ。


 そんな無責任な願いを抱きながら、フタバの意識は消失した。

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