二年後の流れ星

霞(@tera1012)

第1話

「あ、と……」


 背後で小さな声がした。

 来たか。今日はどんな客だろう。俺はぼんやりと夜空を眺め続けながら、のんきにそんなことを思っていた。


「え、ちょ、ちょっと!!」


 突然上がる素っ頓狂な叫び声と、バタバタと迫ってくる足音に、思わず振り向く。


「は、早まっちゃいけません、落ち着いて、ね」


 足音の主は、小柄な若い女性だった。高校の制服だろう、膝下丈のチェック柄のスカートに、紺のブレザー姿だ。二つに結んだ長い黒髪が、吹き抜ける風にくるくるとあおられていた。

 俺の手前数mで足を止め、両手を泳がせながら話しかけてくる。俺が首をかしげると、さらに焦ったように手を小刻みに振りはじめた。


「ほ、ほら、今はつらくても、その、人生なんて、どうなるかわからないですから。禍福は糾える縄のごとし、ていうでしょう。い、生きてさえいれば、きっといいこと、ありますから……」


 ――おかしい。

 俺は自分の体を見下ろした。


「俺に、言っている?」

「そうです、そうですう!!」

「俺を見て、なんとも、思わない?」

「いや、誰にでもありますよ、そういう年ごろ。ちゅ、中二病ですよね、ごめんなさい言葉悪いかもですけど」


 俺はもう一度首をかしげた。ちゅうに病。病気にはわりと詳しいほうだが、知らない病名だった。新しい病か。死に至るものではないのだろう。


「ごめんなさい失礼なこと言うつもりはなくて! あと二年も経てば、楽になりますよ!……あ、そうだ、いいこと思いつきました。か、賭けをしませんか」

「かけ」

「そうです。これから、10分以内に流れ星が見えたら、私の勝ち。あなたは、そこから飛び降りるのをやめて、二年間は、死ぬ気で生きる。そして、その時まだここに来たかったら、そこでもう一回、私たち、同じ賭けをしましょう」

「流れ星」


 なかなか、斬新な提案だった。

 俺は少し考えたが、好奇心に負けた。まあ、それほど急ぐ仕事ではない。

 

「じゃ、じゃあ、いきますよ……」


 彼女は、鞄から四角い板を取り出した。スマホというものだろう。ふいに灯った明かりが、持ち主の顔を青白く照らし出す。瞬間、ぎゅうとその眉根が寄り、瞼が閉じられるのがみてとれた。しかしほんの一瞬ののち、彼女はぐわりと目を見開き、素早く画面に数回触れると、俺に見せつけて来た。


「はい、アラームを設置しました。これが鳴るまでですよ」


 画面には、10分後の時間が表示されている。そのまま彼女は、ゴロリと床に仰向けになる。

 俺は、目だけで彼女を見下ろした。これから起こるであろうことを思うと、さすがに少し、気の毒に思う。


 頭上で、ゴロゴロと音がしはじめる。

 ぽつり、ぽつりと、大の字に寝そべった彼女の周りに黒い斑点が現れ、やがて、大きく平たく広がり、水たまりになっていく。周囲にはざあざあと雨音までもが響き始めた。


「賭けは、俺の、勝ちですね」


 土砂降りの雨の中、頑なに空を見上げ続けている、びしょ濡れの女子高生に声をかける。


「俺が勝ったら、いただくもの、決めていなかったですね。まあ、欲しいものは、ひとつだけなのですが――」


 固く瞼を閉じた少女の体に手を伸ばす。


「なんで、私っていつもいつも、こんななの。今日は、しし座流星群のピークの日なのに……」


 少女の嗚咽まじりのつぶやきが聞こえる。

 不測の事態はあったが、仕事の完遂まではあと少しだ。


 その時、ふいに凛とした声が響いた。


「そこまでだ」


 瞬間、突風が空間の全てを薙ぎ払う。一瞬にして雲の消えた夜空を、一筋の光が鮮やかに横切った。


「流れ星……」


 俺は思わずつぶやく。

 同時に、場違いに陽気な旋律がビルの屋上に響き渡った。アラーム音だ。


「どうやら、俺の負けのようだ」


 ふうわりと浮かんだ俺の姿を、少女は目を見開いて見つめている。


「人間と死神の間柄と言えど、契約は契約だ。二年後に、また、お会いしましょう」

「え?」


 俺たちの会話に、無粋な声が割り込む。


「なーにをごちゃごちゃ言ってる。この子は保護させてもらうぞ……って、君、あいつと話してんの? 見えるの、あいつのこと?」

「え、はい……」


 退き時だ。


「ではさらば」

「くそ、待て!!」




 惜しいことをしたな。無数の星が流れる夜空を飛び続けながら、俺は思う。

 飛び降りるつもりでビルの屋上にのぼって来たくせに、先客がいたらつい助けようとするお人好しぶりとか。貧乏神もびっくりの間の悪さ、驚異の雨女ぶりとか。食べたらさぞかしおいしそうな魂なのに。


 これからあの子は、あのいまいましい死神狩りと組んで、天賦の才能を開花させるのだろう。いじめられっ子生活とはおさらばだな。


 禍福は糾える縄の如し、か。

 二年後の賭けは、相当分が悪いものになるだろう。

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