第3話 30歳の旅立ち

さっきから俺の左腕にふよんと形容し難い幸せな感触がのっかっている。


「シグレは騎士団に入るのよね?」


鷹のようなこちらを見据えていたエルサの目は今では優しく弧を描いていた。っていうか、いやぁ、結構なモノをお持ちで……。


「シグレさんは私の騎士様ですよね……?そうですよね……?」


逆の腕をとられてそちらに眼を向ければ、俺の手のひらを胸の前で抱えるシア。不安に揺れる瞳はその筋の者ならイチコロだ。


ああ女神様、30年たってから俺を試すなんてあんまりです……。


思わず、天を仰いで嘆くのも仕方がないことだろう。



豪雨の決闘の後、俺は道場を閉めてこの二人と共に旅に出ることになった。気絶したエリサの服を変えたり、拘束したりするときに5回ぐらい死線を超える羽目になったがそれは割愛する。朝ついていることを確認するたびに、俺は涙を流し女神様に感謝と呪いをおくった。


エリサの濡れた服を着替えさせたり、拘束しようとするたびに奇声を上げて股間を殴打する俺の姿はいたいけな少女の目にどんなふうに映ったのだろう。


心に傷を残していないことだけを願いながら、こんな奇人以外に頼るアテがない少女に笑いかける。


「あくまで俺はシアの護衛だよ」


さすがに良い年してハニートラップに引っかかってはいられない。正直敵対していた美少女がこちらに靡いてくるシチュエーションはなかなかに強烈だったが。そう、美だ。エリサは恐らくまだ20歳ぐらい、対峙しているときには歴戦の戦士の風格があったのでそこまで気が回らなかった。


もしも俺が血気盛んな20代だったら何回モゲ落ちていたことだろう。


「ほら、シグレさんも困っています。血の匂いが鼻につくので離れてください」


しっしっとエリサに手を振るシア。そんな身振りすら気品があるのはさすがだ。


シアの邪険な扱いにエリサはより笑みを深めて俺の腕を推定Gカップへ沈める。いけませんお客様、あああいけません。


そして光が見える──。



そんわけで腐りかけたりもげかたりしながら、俺たちはジラ帝国へ向かって歩いている。途中の馬車の中でもエリサが俺にちょっかいをかけるものだから、気付けに噛んだ舌はもうボロボロだ。さっきから口の中は鉄の味で溢れている。



はてさて、なぜ終の住処と定めた道場に『留守にしています』と張り紙をして俺はこんなところにいるのかというと、


「王女様、シグレは血の中でこそ輝きを放つのよ。ねぇ、本当に騎士団に入らないの?」


大体この甘える猫のようにまとわりつく美少女のせいである。喋るたびに幸せが詰まった水風船が俺の腕で形を変えていた。この魔法剣士、人の命を刈る形をしてやがる……!


王女様とはシアのことであり、何でも俺の住んでいたミラベルト王国の第5王女に当たるらしい。


はじめて知ったとき、見よう見まねで形式ばった態度をとろうとしたら即座に拒否されてしまった。なので今では親戚の娘さんみたいに扱っている。


王宮に携わる人間に見られたら速攻で処刑されるんじゃないだろうか。はじめて戦死とモゲ死以外の選択肢が浮かんだ。


「入るわけないだろ。そもそも誰のせいでこうなったと思ってんだ……」


事の発端はジア帝国の騎士団に所属するエリサによるシア王女の誘拐だ。


他国の王女を誘拐するなんてとんでもない話と思えるが、手引きしたのも王国の人間らしい。政治上の高度なやり取りによって、今では後追いで留学という名目になったらしい。誘拐が留学って……、まったく政治のことはまるでわからん。


俺は前世も現世も居合に特化したただの剣術家でしかないのだ。


「お偉いさんの指示だもの。攫ってこいっていうから攫っただけ」


エリサにまるで悪ぶれた風はない。彼女の帝国の剣という生き方をしているのかもしれない。


少しだけその生き方も羨ましいと思える。だが、所詮俺の価値観の基盤は前世の日本人。そんな暴力機関と関わるつもりは毛頭ない。


ただ刀を振って死んでいくのみ。


自身まで刀になる必要はない、というのが俺の理念だ。


「今は王宮に戻っても奸計に巻き込まれるか、戦争の火種になるだけでしょうから」


寂しげに笑いながらシアがいった。その顔は雨の中震えていた姿とは似ても似つかない。


10を少し超えただけの少女が国を憂うというのは一般人の俺には今だに現実感がない。見た目は子どもだが、理性的な考え方は大人と遜色がないように思える。


「シグレだって、その髪と目じゃこっちだと生きづらいんじゃない?」


「うっ」


そう、これはこの世界にきて新たな発見だ。


土砂降りの中でエリサと出会ったときは気にもしなかったが、エリサの髪色はやや青みがかってはいるものの黒だ。


「帝国は人種ごちゃ混ぜよ。王国と違い差別を受けることもない」


アメジストのような瞳はそれ以上を語らない。ただエリサにもそれなりの苦労があったことだけは何となく想像がついた。


「……っ」


シアは唇を噛んで俯いてしまった。どちらの気持ちはわからんでもない。ミラベルト王国では黒髪は「不吉の象徴」で、黒い瞳に至っては「呪われてる」とくる。それ事態は門下生の受け売りでしかないが、おかげで俺はこうして頭まですっぽりとローブで被っている。土砂降りの日のシアと同じ格好だ。


「ゆっくり考えてみて、王女様のの間に決めればいいわ」


私としては一緒に戦えると嬉しいんだけど──、最後に色っぽく耳打ちしてエリサはようやく腕から離れた。


離れたら離れたで名残り惜しいのが困ったものだ。──っといかんいかん、自制しろ。こんなところで股間を殴打したくはないだろうおれ。


「シグレ様は側にいてくれますよね……?」


念の為、殴っておくか……?考えはじめると、隣で不安に揺れる瞳がこちらを見上げていた。


やれやれ、どうせ騙されるなら子どものほうがまだマシだ。不敬極まりないが、頭をポンポンと撫でておく。


「もうすぐ関所につくわよー!」


先を行ったエリサが振り返って声を張り上げた。その姿からは先日の研ぎ澄まされた刃のような印象はまるでない。


まさか30過ぎてから旅に出る羽目になるとはね。


言葉にならない気持ちを裏切るように、空はこの間の土砂降りが嘘のように晴れ渡っていた。

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◯ったら死ぬチート 前世が剣術家の俺は異世界でも山奥にこもって剣を振り続ける。なぜって?だって俺◯ったら死ぬからさ たぬき @tanukigatame

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