第2話 ことのはじまり

その日は朝から雨が振っていた。


庭にあった師匠の墓はほとんど水没してまった。どうにかしてやりたいが、天気には敵わない。俺の愛刀もびしょ濡れになってしまっている。後で丁寧に拭いてやらねば。


「どきなさい、王国の田舎者」


目の前で鷹のような眼をした女がだらりと片手で持った両刃剣を垂らす。空の手には紫電が踊り、バチバチと鳴いていた。女の一本軸が通った立ち姿は一目で強者のソレとわかる。


「ここは俺の家なんだが……」


そんな苦し紛れの言葉を吐いてみるが、


「後ろの小娘を受け取ればすぐに出て行くわ」


と取り付く島もない。


「ふぅむ」


振り返れば俺の後ろには真っ黒い固まりがあり、黒いローブから伸びる白磁の腕が先ほどから着流しの裾を握っている。その手は小さく、幼い。


その小さな手は遠い日の記憶を呼び起こす。


「こんな天気だ。少し家で休んでいったらどうだ?この子もあんたもずぶ濡れじゃないか」


「はぁ──」


どうやら俺の提案はお気に召さなかったらしい。鷹の目の女は忌々しげにため息で応えた。美人はうんざりした顔でも様になる。そういう趣味の男ならこの時点で腐ってもげていた。


「わざわざ命を捨てることもないでしょうに──」


女がゆっくりと空の手を逆の肩を抱くように上げると、紫電が一つ大きく鳴いた。



この中世のような文明レベルの異世界には、前世とは大きく異なる点がある。


それはゲームの世界のように「魔力」が存在すること。


科学の発展を妨げた謎の力、魔力は様々な物理法則を容易に無視して奇跡を起こす。呪文(スペル)という世界の法則に則った言葉により、その身に宿る魔力に指向性を持たせるのだとか。


異世界人だからかわからないが、魔力なんてものが欠片もない俺には無縁の話だった、この瞬間までは。


「雷槍<スピア>」


氷のような声を合図に女の手から稲妻が走った。それは俺の足元の水溜りに着弾し、水を這って俺の身体へと伝う。


「ぐっ──!」


「──キャッ!?」


血液が沸騰するような衝撃と共に後ろから悲鳴が聞こえた。そういえば俺の着流しを握ったままだったか。


「チッ──!」


反射的に少女から距離をとってしまう、しかしその先では既に女が眼を見開きながら剣を振り上げていた。


「また動けるのね──っ!」


逃げた先に置くように放たれる剣戟。敵ながら上手い。慌てて身を捩るが、肩口に熱が走る。真剣で切られたのはいつぶりだろう。


「田舎者もやるものね。大人しく雷槍で眠ってくれれば良かっ──」


疲れたような女の声が不自然に途切れた。


「──あなた、笑ってるの?」


その声に混じった感情が何なのか俺にはわからなかった。


──なぜならすでに興奮で頭が沸騰していたから。


開放されたがる力みを内側に留めるため、知らず知らずに奥歯を食いしばっていた。


闘いだ。


戦いだ。


強者との死闘だ。


ミシリ──喜悦のあまり握る鞘が悲鳴をあげた。


毎日の素振り、座禅、全ては何のために?


この瞬間のためだ。


口角が上がっていくのが抑えらない。興奮のあまり下半身が熱を持ちそうになる。いけない、ここで腐ってもげたらあまりに


命の取り合いが人生のすべて。


頭の中で大量のドーパミンがサンバを踊っている。ギャンブル?女?酒?そんなものこの快楽に比べれば子どもの遊びだ。


半開きの口から涎が線をひいて地面に落ちる。そしてそれも豪雨に混ざり消える。


「気持ち悪い」


女から溢れた言葉は雨の音に混じり届かない。


女は両刃剣を握りなおして、一歩踏み込んで──


──チン。


鋼が噛み合う音が雨音に混ざった。その頃にようやく女の踏み込みで巻き上がった泥が地面に溶ける。


「既に死地だ」


楽しい時間は一瞬で終わってしまう。身体の熱が急速に逃げていく。


──二の太刀は用いず。


女は一歩踏み出した表情のまま、雨に沈んでいた。

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