子犬のワルツ
フィステリアタナカ
子犬のワルツ
「ねぇ、ちゃんと宿題やった?」
「宿題? やっていない」
「もう」
「エリ、写させてよ」
僕には近所に住む仲の良い女の子がいる。エリって名前で少し体が悪い。学校に来ない日もたくさんあって、それでもエリは宿題をするから、彼女は偉いと思う。
「エリ、これやるからそれちょうだい」
給食の時間、エリとは席が遠いが彼女の苦手な食べ物を交換しに行く。彼女が少しでも食べてくれるよう、僕は自分の好きな食べ物もあげたんだ。
「えっ、いいよ」
「今、これ食べたい気分じゃないんだ。だからお願い。エリ、食べてよ」
昼休みの時間は「グラウンドに行こうぜ」とみんなを誘う。エリはいつも遠慮しているが「見学でいいから」と無理矢理グラウンドに連れていった。
「もう、昼休みの時間終わっちゃうよ!」
「あと一分!」
掃除の時間ギリギリまでみんなと遊ぶ。
「チャイム鳴っちゃったじゃん!」
「もう少し! 先に行っていて!」
エリとは掃除の班が一緒だ。僕は
「よし! 今日は勝つぞ。顔面は無しな」
僕は箒を持って戦う。木と木がぶつかる音が楽しくて、いつもこうやっている。
「ねぇ、先生来るよ!」
エリのその言葉で、僕は床を掃き始める。
「あっ」
「エリどうしたの?」
「ウチ、この曲好き」
掃除の時間に流れる音楽。エリは中でもこのピアノの曲が好きなみたいだ。
「へえー、何て言う曲なの?」
「子犬のワルツ」
「犬?」
「うん」
確かによく聴くと、犬が遊んでいるように聞こえる。
「エリはこんな曲が好きなんだ。僕は運動会の曲がいいな」
ある日、学校から帰ると母さんから言われた。
「エリちゃん、入院だって」
「あぁ、だから今日学校に来なかったんだ」
「土曜日、お見舞いに行くから」
「えー、みんなと遊ぶ約束したのに」
「エリちゃんは遊べないでしょ、かわいそうじゃない?」
土曜日、母さんとエリのお見舞いに行く。
「エリ、トランプ持ってきたからババ抜きしようぜ」
「えー、ウチ神経衰弱がいい」
僕は神経衰弱が苦手だ。エリになかなか勝てない。
「はい! ウチのかちー」
「エリもう一回!」
その日はエリに神経衰弱で一度も勝てなかった。
それから、エリは学校に来たり来なかったりを繰り返していた。お見舞いに行ったある日。エリがこんなことを話した。
「ウチ、大きくなったら家を買って庭で犬を飼うの」
「家って高いよ。買えないだろ」
「でも、結婚して庭で子供と犬と遊ぶの」
「それがエリの夢なんだ」
「うん!」
「じゃあ、元気にならないとな」
「そうだね」
「そろそろ時間だから帰るね」
「わかった、ありがとう」
部屋を出て、廊下を歩く。途中、おじさんとおばさんが見えて「生まれて来れなかったあの子の分まで、エリを愛するって決めてただろ」と、何だかわからなかったけれど、おじさんのその言葉が聞こえた。
◆
『ウチ、パソコンを覚えたいんだ』
『パソコン?』
『パソコンを覚えて働けば、犬と一緒にいられるでしょ?』
『パソコン難しいじゃん』
『うん。でも働きたいの』
ふと、音楽の時間、エリと喋ったことを思い出した。白い鍵盤を適当に叩いて、ピアノの曲を思い出す。犬が飛び跳ねるような音を出そうとするが全然上手くいかない。
「はい。一回
「先生!」
「どうしたの?」
「犬の曲ってどう弾くんですか?」
結局、犬の曲は弾けなかった。
その次の日、エリのお見舞いに病院へ行くと、エリが部屋にいなかった。
「母さん。エリがいない」
「部屋が変わったのかな? ちょっと病院の人に聞いてくるから」
廊下で母さんを待っていると、エリは部屋が変わって、今日は会えないらしい。「病気が重くなったのかな、早く元気にならないかな」と思いながら、その日は帰ることになる。
「母さん。塾に行くから、ピアノを習いたい」
きっとエリは犬の曲を聞けば元気になれる。そう思って母さんに頼むが「あんた続かないでしょ」と言われ、ダメだった。
僕はどうしてもエリの為に犬の曲が弾きたくて、担任の先生に犬の曲のことを聞いた。
「犬の曲ねぇ」
「掃除の時間に流れるヤツです」
「子犬のワルツは難しいから」
「最初だけ、最初だけ教えてください」
担任の先生は別の先生に、僕のピアノのことをお願いしてくれた。僕はその先生に最初に使う三つの音だけ教えてもらえることになる。
「使う音はね。ソとラのフラットとシのフラット」
「先生。フラットって何ですか?」
「ここの黒鍵」
「黒いやつですか?」
「そう。あとはリズムなんだけれど、この音源を渡すから耳で聞いてやってみてね」
「わかりました。ありがとうございます」
家に鍵盤ハーモニカを持ち帰り、練習する。「トゥルル」が難しくて何度も音を聞きながら真似して練習した。
「じゃじゃーん。イントロクイズ!」
病院の部屋。僕はエリと久しぶりに会うことができて、持って来た鍵盤ハーモニカを取り出す。
「この曲は何でしょうか?」
僕は息を吐きだし、鍵盤を弾く。
「子犬のワルツ!」
「正解!」
「簡単じゃーん」
「イントロクイズは終わりね。次はババ抜きをしよう」
エリが笑ってくれて本当に良かった。ババ抜きもたくさんやって、楽しい時間が過ごせたことが、とても嬉しい。
ただ、その日がエリと話した最期の日になった。
『ウチ、大きくなったら家を買って庭で犬を飼うの』
『でも、結婚して庭で子供と犬と遊ぶの』
『ウチ、パソコンを覚えたいんだ』
『パソコンを覚えて働けば、犬と一緒にいられるでしょ?』
『うん。でも働きたいの』
≪生まれて来れなかったあの子の分まで、エリを愛するって決めてただろ≫
僕はエリの分まで、生きようと思う。結婚して働いて、エリの分まで幸せになろうと思う。
彼女が過ごすことのできなかった世界で、僕は誰かを好きになるだろう。僕はその人を必ず幸せにする。それが今の僕にできること。病院の玄関を出て、秋の青空を見ながら、僕はそう思った。
子犬のワルツ フィステリアタナカ @info_dhalsim
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます