五、

 起こされたのは携帯の着信音だった。昨夜は街に戻ってきてから新崎さんと飲んだうえに、屋台のピンボールや輪投げやアーケードゲームを回ったので、荷造りを始めるのが遅くなってしまった。今日の朝便で帰る、と分かれ際に伝えたら、新崎さんは薄暗闇に僅かに眉根を寄せた。

「仲田さんに御礼を言いたかったのですが、伝えてもらえますでしょうか」

 また来た時に自分で仰って下さい、と新崎さんは言って、携帯番号を教えてくれた。伯父は携帯電話を携帯していませんので、と付け加える。その、アドレス登録された一番新しい番号からの着信だった。


 朝早くにすみません、お見せしたいものがありまして、と電話口から聞こえたのは仲田さんの丁寧な声だった。慌てて身支度をして、ホテルのロビーへ降りていく。そこには仲田さんと制服姿の新崎さんが待っていた。


 新崎さんは出勤前らしいが、車を出してくれて、三人で朝靄あさもやの中を走る。まだ星の残る空が次第に白み始め、鳥たちがかまびすしく鳴いて行き交う。停車したところは、丘陵地の一画だった。傾斜にそって幾重にも耕作された畑はそれぞれ、玄武岩を積んだ仕切りで囲われている。風から作物を守るためなのだと、仲田さんが教えてくれた。すでに働いている人もいる。緩やかな稜線が連なる向こうは東の水平だ。菫の蕾が綻ぶように、空が輝き始める。朝日がさして、木々も家々も一斉にもえ立ち、石垣が寄せる波のようにきらきらと瞬き始めた。そうか、と私は気がついた。石垣の東側面には全て色が塗られている。描かれたものと、玄武岩と、朝日が波をつくりだしているのだ。光の波の中に、みんながいる。この島の人々も動物も植物も夢も。

「大人も子どももみんなして描いたんです、好き勝手なもんですが、美しいでしょう」

 新崎さんが呆れたように誇らしく言った。仲田さんの横顔には皺の影が深く這っている。愛しさも妬ましさも寂しさも怒りも悲しみも大切な思い出も、波打ち際の足跡みたいに淡く消えていってしまう。でも寄せては返り新たな光を生み出すのだ。私は自分さえ脈動して瞬いているように感じた。上原充生という人物は名前以外私と何もかも違ったけれど、彼を追いかけて、この島を訪れて、心の中が色とりどりに満たされていく。これは私が見た光景で、彼が夢見た光景だ。

「きっと届いてますよ、充生さんにも。どこにいても」

 私は仲田さんに笑いかけようとしたのだが、まだあまり上手くはできなかったかもしれない。新崎さんが困ったように固く握った私の手を引いてくれる。海の果てからでも、時の果てからでも、この黄金の輝きは見えるだろう。

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なみわたりびより 田辺すみ @stanabe

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