ボトルシップ
高黄森哉
ボトルシップ
夏の、茹るような日のことだった。昼下がりの日差しが、広大なベランダに照り付けている。白んだ世界は、なんだかその前後を忘れているようだ。つまり、この白く飛んだ光景には、それまでがない。そして、これからもない。あるのは、目の前だけである。
自分は、そんな空間で、ようやく己を取り戻した気がした。今までの経験によって培った小細工をとっぱらい、素のままでいる。残念なのは、それが誰の目の前でもなく、ただ一人でいるとき、だということだ。折角の、休みなのに、友達とかみ合わず予定がないという。
金属の机は青くさびている。中央部からにょきっと伸びるパラソルで影になっているので、幾分かひんやりとした触り心地だ。天板は花柄に肉抜きされていて、なので、顔をついて寝ることは出来ない。顔にお花の跡が付き、頭がお花畑だと知られてしまう。午睡には、とてもいい日なのだが。
作りかけのボトルシップを手に取った。真夏の内陸県海無し市に座礁したミニチュアの船。航海に出ることはない。そもそも、まだ帆は張られていないのだ。それに、ボトルの口が狭く、どうしたって完成品は、外側へ出すことは出来ない。
どうして、人々はこの囚われの船に美を見出すのだろう。その矛盾性、不可能性が神秘だからか。つまり、私たちは不可解なものに対する美を認知できるらしい。だから、人間は人間を愛することが出来るのかもしれない。
空を見上げると、太陽の近くに、透明な輪郭が見えた。天球と呼ぶには、円柱すぎる。見えるのは、太陽光線がうまい具合に当たる一部分だけで、それ以外は夏空を装っている。この夏の日差しに、現実も溶けだしてしまったのだろう。それとも、あぶりだされたのか。
くるぶしに砂粒の寄せて返す感覚があった。細かな粒子が、素肌をなぞって、海へと誘う。広大なベランダは、気が付くと小さな海になっていた。波は小さいが、確実にビーチ側を隅々まで薄く洗い流していく。海藻が浅瀬にあり、エメラルドグリーンの絡まりは、前後にゆすられていた。このきらきらと光る海面下でも、波の動きがあるらしい。
気分がいい。これ以上、なにも望まない、と言えば嘘だが、通過点としてはこの上なく良い。海風が吹くと、遠くにある竹林が、さらさらとざわめいた。このベランダからは、擁壁の上にある竹林が見える。うんと遠くまで家がなく、家の前には田んぼが続いている。
田んぼは鏡張りになっていて、空を映している。丁度、例のボトルの端っこがうっかり姿を見せた様子が写り込んでいる。空には、羊雲のように白い月が浮かんでいて、それは誰かにかじられた満月だった。月の表面はくっきり、クレーターまで見通せた。
そして、目覚める。顔に花柄が印刷されてしまったようだ。しばらくは、その形に、赤くなっているだろう。夢はとりとめなく、奇妙な現実を記述した。現実と違い虚構は矛盾で不可解で、どうしようもない。そうだ、夢は現実と全く違っている。まるで、ボトルシップが航海に出るようなものなのだ。
ボトルシップ 高黄森哉 @kamikawa2001
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